クズ野郎ども的な
「……お嬢様、これは一体?」
「本♪」
頬を引きつらせたユリアさんの分かってはいながらも聞かずにはいられないという風の問いに、お嬢様は満面の笑顔で答えた。
ユリアさんの目の前にあるのは旅行に使いそうなカバン……が四つ。
いやー、この屋敷に余分なお金は無いとはいえ、何年も少しずつ増やしてきた蔵書がこんなにあるとは思わなかった。そして、お嬢様がそれらを全部持って行こうとするとは流石に予想してなかった。
「ちなみに他には何をお持ちで?」
「…………」
「ユーリさん」
「イエッサー」
「ああっ! わたしの大切な本達が~~~~~!」
セリフだけ見るとどんな極悪非道を働いているのかと思ってしまうけれど、念の為に言うと、単に本棚に戻しているだけです。
ユリアさんは呆れたように溜息を吐き、利かん坊の子供に言い聞かせるようにズイっと顔を寄せて言う。
「よいですかお嬢様。姫殿下の意図は計りかねますが、旅支度をしろということはこの地域からかなり離れた場所に赴くことになるのです。その旅路で本というかさばり重量もある物を沢山持っていくわけにはいかないのです」
「う、で、でも……一冊一冊に思い出が……」
「よいですね?」
「は、はい……」
ユリアさんがお嬢様を押し切ったところを初めて見たかもしれない。今までお嬢様に甘々だったから……いや、というかお嬢様が我が儘を言う事が無かったからか。これはこれで困ったものだけれど、何もかもを我慢して飲み込んでしまうよりはずっと良い。
「しかしまあ、数冊だけなら余裕もありますし、もしかしたら道中で珍しい書物が見つかるかもしれませんよ」
「ホント!? わーい、ありがとうユリア!」
例えそれが、恐怖を押し殺した空元気から出てくるものだったとしても。
◆
しばらくは普段以上の馬鹿騒ぎを繰り広げていたお嬢様と僕達だったけれど、いざその時間が近づいてくると段々と静かになっていく。
全員が旅支度を終えて屋敷の前に集まる。
「皆さんよろしいですね」
ユリアさんが最後の確認を促す。
僕は元々そこまで沢山の私物は持っていなかったので荷造りはすぐに済んだ。忘れ物もない筈だ。
「では、ユーリさん、お願いします」
「わかりました」
普通の貴族の屋敷なら主が不在だったとしても常に使用人や衛兵がいるので鍵を掛けることはない。だからかは知らないけれど、この屋敷には鍵が無い。敷地という意味でのセキュリティは万全だけれど、本邸の人間が何かをしないとも限らない。そこで僕の出番というわけだ。
「それじゃあ皆、頼むよ」
僕がそう言った瞬間、屋敷の周りに植えられた樹木が異常な成長を果たして入口という入口を塞いでしまった。
「話には聞いていましたが、腐っても王霊ということでしょうか……」
「うん、すっっっごく以外」
「二人の普段の僕に対する評価はよーく理解しました」
「……あにさま、すごい」
純粋な賞賛を向けてくれるのは君だけだよ、イル。
「それじゃあ皆、行くよ」
「了解しました」
「わかりました」
「……うん」
全員の荷物を僕とユリアさんで分けて持ち、本邸へと歩いていく。
何度か通った道筋にも関わらず、本邸が近づいてくるたびにどんどん喉から水分が失われていっている気がする。直接対峙するのはお嬢様なのに緊張が凄い。
お嬢様は平静を装っているけれど、少し注意して観察すれば表情が強張っているのが丸分かりだ。覚悟を決めても怖いものは怖いに違いない。
本邸が見えてきた。
丁度ルクルーシェ様御一行が屋敷から出てくるところだった。
見送りの為に外に出てきていた使用人の一部がこちらに気づく。いつもは厄介者というか関わりたくないというか、少なくとも好意的ではない視線を向けられていたけれど、今回は真っ直ぐと本邸を目指している為に訝しげな視線を向けてくる。
それは次々と伝播し、あっという間に僕達は注目の的になってしまった。
その中で異彩を放つ……というより一際目立つ人物が三人。
豪勢で派手な衣装とゴテゴテした宝石でこれでもかというくらい飾り付けたその人物達からは、それぞれどことなくお嬢様の面影が感じられた。
しかし、その眼からは祭りの時の精霊師達と同じような人を見下したような、否、まるで気にするまでもないような――路傍の石に向けるような目をお嬢様に向けていた。
長身の男性(多分この人がお嬢様の父にしてジュレリア家の当主だろう)が最初に口を開く、
「何をしに来た役立たず。今はお前のような価値の無い存在に時間を割いている暇は無い。申し訳ありません姫殿下、すぐに追い払いますので」
第一声から浴びせられた容赦ない罵倒に、お嬢様の肩がピクリと震える。ルクルーシェ様は「いや、構わん」と干渉する様子は無いけれど、ジュレリアの人達は明らかにお嬢様を歓迎していない。
「まったくです。よりにもよってこの大事な時に……。欠陥品なら欠陥品らしく離れの屋敷で大人しくしていれば良いものを」
「貴様のせいでジュレリア家の立場が悪くなりでもしたらどうする。まったく、欠陥品であるにも関わらずジュレリア家の敷地で養ってやっているというのに。それに――」
ジロリと僕とイルへと視線を移し、
「どこの馬の骨とも分からない輩を招き入れおって……」
「彼らはわたくしが雇った使用人と保護した子供です。馬の骨などとは……」
「そのような者達の為に貴重な資金をお前に回している訳ではないのだがな」
「まったく、自らの分を超えた越権行為とは。お前は役立たずであるばかりではなく、わたくし達の足を引っ張るおつもりですか」
二人の口から吐き出されるのは、実の娘に対するものとは思えない程の酷い罵倒ばかり。お嬢様はそれを甘んじて聞き入れ、膝の上に乗せられた手をギュッと握って耐えている。
「へえ、あんたがリイルか」
二人の罵倒が途切れたところで口を開いたのは、今まで黙っていた若い少年だった、大体お嬢様よりちょっと下というところか。
その口調は今お嬢様を初めて見たという風であり、観察するような視線をお嬢様に向けている。……恐らく彼はお嬢様の弟だ(確か、ライルといったか)、お嬢様があの屋敷に移されたのはまだ彼女が小さな時だと言っていた。お嬢様が小さかったということは、その弟である彼はもっと小さかった筈だ、お嬢様の姿が記憶に無かったとしても不思議じゃない(覚えていたとしても長い年数のせいで無意味になりそうな気はするけれど)。
「ライ――」
「話には聞いてたけど、本当に足が動かないみたいだな。奇っ怪な椅子に乗って移動は出来るみたいだけど、これじゃあ政略結婚の道具にもならない。こりゃあ本邸から追い出されて飼い殺しにもされるわけだ。というか、父上と母上甘いんじゃないのか? こんなの足枷にしかならないじゃないか。お金をかけて閉じ込めておくより、さっさと追い出すなりしてしまえばいいのに」
「馬鹿を言うな。確かにこいつは欠陥品だが、貴族には風評というものがある。それと足枷を抱える事を天秤にかければ僅かに後者の方が益となるのだ。しかしまあ、そろそろ考えるべきやもしれんな」
「それがいいと思うよ。欠陥品を追い出した程度でジュレリア家の地位が揺るぐとも思えないし。むしろ欠陥品を何年も養って上げたおかげで慈悲深いっていう評判が付くかもしれない」
「ジュレリア家を磐石に出来るのなら是非もありませんね」
「その通りだ。さて、この話はここまでだ。貴様は自らの分を弁えて檻に戻っていろ」
「――っ! 待ってください! お父様! お母様! ライル!」
お嬢様の家族たちはそこでこちらに背を向け、ルクルーシェ様の元へと歩いていく。よく見たら馬車が用意されいるので、ルクルーシェ様を見送る為なんだろう。
お嬢様が必死にその背中を呼び止めるも、立ち止まることすらしない。使用人たちもその空気を読んだのか、誰一人としてお嬢様に視線を送ろうとはしなかった。
――まるで、お嬢様がそこに存在していないかのように。
長年あんな仕打ちを受けてきたんだから、家族と仲直りなんて甘い事をお嬢様は望んではいなかったと思う。だけど、前を向くためのキッカケとしてお嬢様は家族に言いたい事があった筈なんだ。それは相手に届かないと意味が無い。こんな、誰もお嬢様を気に留めない状況で言っても意味は無いんだ。
音は聞こえているはずなのに、全く届かないお嬢様の悲痛な叫び。
――そこで、約二名、限界が訪れた者達がいた。
ドォオオオオオオオオオン!
まるで爆弾でも爆発したような轟音。
突然の聴覚に対する大きな刺激で、その場にいる全員が反射的に音源を確認し――その目を大きく見開いた。
視線が集まっているのはお嬢様……ではなく、その少し後ろ。今の今まで黙って控えていた使用人達、つまり僕とユリアさん。
僕達二人共何食わぬ顔でその場に控えている。
――ただし、お互いの足元の地面に亀裂が走ってはいるけれど。
「「申し訳ありません、足が滑りました」」
極限まで誠意を剥ぎ取ったような白々しい謝罪が意図せずして重なる。
すぐにでもあいつらに怒鳴ってやりたかった。
お嬢様を物のように扱い、実の家族なのに言葉のナイフでお嬢様を切り刻んだあの外道たちをぶん殴ってやりたかった。王霊の力をフルで使ってもよかったかもしれない。
僕達を止めていたのは、さっきお嬢様と交わした約束だった。
『何があっても、手を出さないでね。ここだけはわたしが一人で向き合わないといけないと思うから』
その言葉を頭の中で反芻しながら歯を噛み締めて耐えていたのだけれど、あいつらの言葉の刃は、お嬢様の心を傷つけると同時に僕達の堪忍袋の緒までプッツリと切ってしまったらしい。
しかしここで怒鳴ったり殴りかかったりすればお嬢様の努力が全部無駄になってしまう。
だから、僕達は怒りの全てを地面にぶつけた。なんということはない、二人共単に全力で地面を踏みつけただけだ。その結果が今のこの状況なわけだけれども。
お嬢様が意思を伝えるには全ての意識がこちらに向けられている今しか無い。余計なことをしたお叱りは後でユリアさんといくらでも受けますから、お嬢様が伝えたいことをそのまま言葉にしてください!
「お父様、お母様、ライル」
お嬢様が言葉を紡ぎ出す。
今まであんな扱いを受けてきた上に酷い事を言われたにもかかわらず、その声には恨みや怒りのような暗い感情は微塵も含まれていない。どこまでも穏やかだった。
「まず始めに、たとえどう思われていようとも、どのような仕打ちを受けてきたとしても、今までわたしを育ててくれたことに対する感謝は尽きません。ありがとうございました」
そう言ってお嬢様は頭を下げる。
「わたしに出来る事は何も無い、屋敷で大人しくしているのが正しい、ずっとそう思って自分から行動を起こそうともしませんでした。けれど、それは全てに背を背けて逃げていただけだったのですね。一番目を合わせるべき人達から目を背けていたのですから」
誰も言葉を挟もうとしない。
直前の驚きがまだ抜けきっていないのもあるんだろうけれど、それだけじゃない。お嬢様の言葉一つ一つに込められた決意がその場の誰にも口を開く事を躊躇わせている。
そして、多くの見届け人がいる中で、お嬢様は毅然と告げた。
「この後わたしがどのような処遇を受けることになっても構いません。それを全て受け入れて、わたしは本当の意味で檻から出ていきます」
お嬢様は、この瞬間、絡みついていた色んな鎖を断ち切って閉じ込められていた檻から飛び出した。
ジュレリア家の人達はしばらく呆気にとられていた。が、しばらくその意味を理解するとその表情を歪めて危険な気配――精霊の召喚の前兆を漂わせ始めた。
「……欠陥品の分際で我らに楯突くか。身の程をしれぇっ!」
役立たずだと思っていた相手が自分達に逆らうと思っていなかったからだろうか、こんな場所であんな強い気配のする精霊を呼び出せば結構な被害が出るはずなのに、構わずに精霊を呼び出す言葉を唱えている。
高まる緊張感だが、それは横から入ってきた別の声で中断させられた。
「あっはっは! お前の覚悟、しかと見届けさせてもらったぞ、ジュレリア家長女――いや、リイルよ! 我は今をもってお前を本当の同志として迎え入れようぞ! 興が乗った、良いものを見せてやろう!」
心底楽しそうに笑いながら、今まで傍観に徹していたルクルーシェ様は晴れやかな表情を向けてくる。彼女はお嬢様を認めたみたいだ。
そして、ルクルーシェ様からジュレリア家の人達とは段違いに強い気配が伝わってきた。
「黒き炎をその身に宿せし暴君よ、破壊をもって暴虐の限りを尽くし、その威を示そうぞ! 『ジャガーノート』!」
呼び出しの言葉の後、場を強い威圧感が支配した。
禍々しさの中にどこか気高さを放つ黒い鱗、鋼鉄さえも易々と切り裂けそうな鋭爪、一際目立つ六枚羽。
不意に、暴竜というという言葉が浮かんだ。
最近竜と縁があるなと一瞬だけ思い、次に屋敷の庭に竜が存在するのが酷くミスマッチで、そこまで思考が及んでやっとトンデモない事態になってきたんじゃないかと認識できるようになった。
……これ、大丈夫なんだろうか。ジュレリア家の人達は気圧されながらもなんとか屹立した状態を保っているけど、使用人達は一人残らず腰抜かしてるんだけど。
「ひひひひひひ姫殿下! このような場所で精霊を呼び出すなど後でどうなるか!」
「あの愚王や愚兄がわざわざそのような事を気にしたりするものか! 今興に乗らずしていつ乗れと言う!」
うん、とりあえずトンデモない事であることは疑いようもない事実みたいだ。そしてあの人が規律などを重んじる堅物の類ではなく、我が道を突き進む類の人間であるということも。
「ひ、姫殿下! 一体これはどういうことでありますか!」
「すまんなジュレリア、用意してもらった馬車だが必要なくなった!」
あたふたしているジュレリア家の人間に対してはザマアとしか言い様が無い。気持ちは分かるけど。
「さあお前達、何をしている」
最近魔霊に襲われたり竜と遭遇したりで度胸はついたものの、驚きが全く無いわけではないので少々反応が鈍い僕達に向かって手を伸ばし、
「王都へゆくぞ、乗るがいい!」
まさかこの竜に乗って?
……めっちゃマジでした。
黒竜が六枚の翼を羽ばたかせ、その巨体を浮かべる。
お付きの精霊師達は手際よく背中に捕まる。
「……行くしかないようですね。イルと車椅子はわたくしが抱えます。ユーリさんはお嬢様を」
確かにそれ以外に選択肢は無さそうだ。
ユリアさんの言う通りお嬢様を持ち上げると、ユリアさんは片手でそれを持ち上げ、空いた手でイルを小脇に抱えて竜の背中に飛び乗った。
「……じゃあ、僕達も行きますか」
「落とさないでね?」
「勿論です」
僕も続いて竜へ。
全員が乗ったのを確認するとルクルーシェ様が指示を出し、地面が遠くなっていく。
唖然とこちらを見上げている屋敷の人達にお嬢様が大きく声を張り上げた。
「それでは行ってまいります!」
そして、あっという間にその姿は景色の彼方へと過ぎ去っていった。
『ジャガーノート』――圧倒的破壊力という意味で、語源はヒンドゥー教の神様の化身の異名であるジャガンナートです。




