初来客的な
自分達に関係の無い本邸への来客の事を忘却の彼方へと押しやった次の日、現在仕事がひと段落したところにタイミングよくやって来たイルと一緒に玄関の段差に座りながら歌を歌っていた。
イルは僕かお嬢様といる時には時々こうして歌を歌う事をねだってくる。
元々歌を聴かせる事が好きなお嬢様はいつもノリノリで(そしてレパートリーを増やしたそばからイルに披露している)、僕はもう開き直ってお気に入りのアニソンゲーソンボカロ曲を片っ端から歌い聴かせていた。祭りの時に街に来ていた吟遊詩人やお嬢様が歌うような曲とは全く違う曲調にお嬢様とユリアさんは目を丸くしていた。
……ちなみにユリアさんが除外されているのは言わずもがな、前に一度だけイルにキラキラ光線で陥落して歌を歌ってからは二度とねだられることはなくなった。
閑話休題。
段差に座る僕の膝の上にチョコンと乗っかるイルは僕の歌に合わせて足を振りながら笑顔で僕の歌に追従している。子供だから音程も滅茶苦茶だけど思いっきり声を出してとても気持ちよさそうだ。
僕は僕でこの姿になってから声が高めになったので記憶にある数々の歌を高い完成度で再現できるのが楽しくて仕方がない。惜しむらくは、ボーカルのみで伴奏がないということだろうか。キーボードやシンセサイザみたいな電子音とかは絶対に無理だろうし、それは諦めるしかないかな。
そんな事を考えていると、不意にイルが歌うのを止めた。
「あれ、どうしたの?」
「……あれ」
とイルの視線を追ってみれば、ゆったりとした足取りでこちらを目指す人影が目に入った。
それを認識した瞬間、僕は一瞬思考を停止させた。
人がやって来るという光景を初めて見たからじゃない。僕が留守番の時に街から戻ってきたお嬢様やユリアさんやイルを出迎えた事は何度もあった。
しかし今現在、イルは僕の膝の上、ユリアさんとお嬢様も屋敷の中にいる筈だ。
となると今こっちを目指しているのは本邸の人間という事になるのだけれど、それは容易に信じるのは難しかった。
この屋敷は、僕が来てからはおろか、お嬢様がこの屋敷に移されてからも一度も人が訪れたことは無かったらしい。
それをあらかじめ聞いていたし、これからもこの屋敷に人が訪れることなんて無いだろうななんてことを漠然と思っていたものだから、あまりも唐突なこの事態に頭がついていかなかった。
そのせいで不覚にも正体不明のその人物が僕達から数十メートル程の距離まで近づいてくるのを黙って見過ごすことになってしまった。
そこでイルが警戒心を見せて僕の後ろに隠れ、僕はどう対応していいか分からず、取り敢えず立ち上がって近づいてくる人物を凝視した。
僕達の態度から警戒されている事は明らかな筈なのに、件の人物はそれでも構わずに歩みを止める様子は無い。
近づいてくるにつれてその人物の人相や出で立ちの詳細が見分けられるようになってきた。
性別は女性。
顔つきは一言で表せば精悍、しかし無骨さとは無縁な女性らしさも随所に見受けられる。
長めの黒髪はポニーテールにしてまとめられており、歩くリズムに合わせて背中で左右に揺れている。
女性ということで一瞬本邸のメイドかと思ったけれど、その身に纏うのはメイド服ではなく、動きやすさを重視しながらも細かな装飾が気品を与えた軍服のような印象を受ける衣装だった。
…………誰?
委細が確認できると余計に訳が分からなくなってしまった。
そもそもあんな人本邸にいたっけ? いや本邸の人なんか街に出る時と帰ってくるときに見かける程度しかなかったけれど。
疑問がグルグルと頭の中を飛び交っている内に、ついに彼我の距離が十メートルを切ったあたりでその女性は立ち止まった。
にわかに高まる緊張感の中、心の内で身構えていると、その女性がキョトンとした表情を浮かべ、
「ん? どうした、歌わないのか? 聴き慣れない歌だったからもう少し聴いていたかったのだが」
女性としては珍しい言葉遣いで疑問を呈してきた。
そして色々と身構えていたところに意表を突かれた僕は絶賛混乱中で「は……」とか「ええっと……」といった意味の無い言葉しか出てこない。
「ああ、すまない。我は怪しい者ではない……とは月並みか、それによく考えると証明もできんな。そうすると、我は何をもって悪意が無いことを証明すればいい?」
取り敢えず向こうの態度は友好的みたいだ。
けれど、それだけで警戒を解くわけにはいかない。
「……まず、あなたはどこのどなた様ですか?」
「ん……?」
初対面の相手に対する対応としては当たり前の事をしたつもりだけど、素性を訪ねると目の前の女性は意外そうな顔をしてからすぐに苦笑を浮かべた。
「はは、そうだな。まずはこちらから名乗るのがそもそもの礼儀か…………こほん、我が名はルクルーシェ、ルクルーシェ・ティル・リーンヘイルだ」
「あ、はい…………」
「…………」
「…………」
え? それだけ? 他にどんなことをやってますとか色々ないの? 言葉通り本当に名乗っただけ?
何か事情があるとか何かの意図があるのかとも思って待っていたけれど、お互いの間に降りてきた沈黙に目の前の女性は少々困ったような表情をしだした。困っているのは僕だと言いたい。
取り敢えずはこのままお互いに黙っていても仕方がない、これ以上相手に話すことが無いようなら僕が聞きたい事だけを話していこう。
「それでええっと……リーンヘイル様は――」
「ああ、兄妹が何人かいるので下の名前で呼んでくれるとありがたい」
「ルクルーシェ様はこの屋敷に一体何の御用で?」
「実は特に用といったものは無い。ジュレリア家の客分としてあの屋敷に滞在していたのだが、敷地内に屋敷がもう一つあるのが気になってな。当主や使用人達に聞いてみても歯切れが悪かったり要領を得なかったりしたので、暇を見つけて自分で見に来たというわけだ」
ジュレリア家に客として滞在しているということは、この人は貴族だろうか。服装を加味すると軍の偉い人というところか。女性なのが驚きだけど。
身元は不明だけれど、怪しい人には見えない。少なくとも、屋敷の主の傍に白無垢を着た状態でいきなり現れた不審者よりは。というか当時の僕よりは。
目的もそれっぽい事を延々と語られるよりは好奇心と言われた方がまだしっくりくる気がする。
が、目的が何であれこの人を屋敷に招き入れて良いかどうかは完全に別問題だ。
こんな事態初めての事だろうし、ユリアさん……いや、お嬢様に伺いを立てたほうが良さそうだ。……なんとなく返答は予想できそうだけど。
「申し訳ありませんが、あなたをこのまま屋敷に立ち入れさせるわけにはいきません。僕の主に伺いを立てるので暫しお待ちしてもらってもよろしいでしょうか」
「構わんぞ。元々頼み込んでいるのはこちらだ」
僕の中では貴族といえばお嬢様の家族や祭りの準備期間中に突っかかってきた精霊師達という印象があったので、待たされると気分を害するかとも思っていたけれど、そんなことは無さそうだ。
僕は「では少々お待ちを」と軽く礼をしてから、イルを伴って屋敷の中へ舞い戻っていった。
◆
イルと別れてお嬢様を探すと、幸いすぐに見つけることができた。
最近はどこにいるか分からないことが多いお嬢様は、今は自室で勉強しているところだった。教材らしき書物には僕には理解不明の幾何学模様が描かれていて何を勉強していたのかはサッパリだったけれど、お嬢様が前を向いて行動してくれているようで嬉しい限りだ。
まあそれはいいとして、来客の事を告げるとお嬢様は「は……?」と声を漏らして一瞬停止してしまったが、すぐに復活した。
「それでどうすれば良いのか分からなかったので玄関で待ってもらってるんですけど、どうします?」
「……その人はなんて名乗ってたの?」
「ええっと……ルクルーシェなんとかかんとかって言ってました」
「なんとかかんとか……」
「うっ……」
仕方がないじゃないか、自分に深く関わらないであろう人物のフルネームなんていちいち覚えてられないって。地球にいた頃なんか教師の名前は担任しか覚えてなかったよ、その他は全員『~の教師』としか覚えてなかったさ。
「とりあえずそのルクルーシェっていう人は貴族なんだよね? だったら、その人の目的が何であれ追い返すのはまずいかな」
「それじゃあ屋敷に招いてもいいってことですか?」
「うん。あ、わたしも行くよ、一応この屋敷の主だし」
開いていた教材をパタンと閉じて玄関へと向かうお嬢様。一人にする訳にはいかないので僕も付いていく。
「それにしても驚きが結構小さかったですね。硬直してたのも少しの間だけでしたし」
ふと浮かんだ疑問を投げかけてみると、何故か遠い目をされた。
「少し前にもっと衝撃的な来客があったからかなー」
「ほんっとすいませんでした」
そりゃああんな衝撃的な体験をしたら、ちょっとやそっとじゃ驚かなくもなるか。
そんなこんなでやや早めのペースで玄関へと舞い戻ってきた。扉の向こうにはあのルクルーシェという女性が待っている筈だ。
ちらりとお嬢様の顔を伺ってみると、やはり緊張して顔が強張っていた。それもそうだ、驚きは少なかったとはいえ、この屋敷に人が訪れるなんて初めての事なんだから(僕は除外)。出来れば何事にも冷静なユリアさんを伴って色々助言とかしてもらいたかったけど、道中で見つけることは出来なかった。探せばすぐに見つかるだろうけれど、あまり客を待たせるのも失礼だろう。
扉を開く。
「おお、戻ったか」
ルクルーシェ様は先ほどと同じ場所で腕を組んでジッと佇んでいた。結構待たせてしまったと思ったけれど、幸い苛立っていたりはしないようだ。
お嬢様の手振りで僕は主に控えるように一歩下がる。
お嬢様は普段は感じさせない貴族然とした態度で告げる。
「このような形で失礼いたします。僭越ながらこの屋敷の主をさせていただいておりますジュレリア家が長女、リイル・フォン・ジュレリアと申します。まずはあなた様をお待たせしてしまったことに深いお詫びを申し上げます」
「よいよい、自らの都合でいきなり訪れたのはこちらだ、そちらに非は無い。それに、あんな短時間待たされた程度で気分を害するほど我は狭量でもない」
ルクルーシェ様はニコやかな笑みを浮かべた。そのおかげでお嬢様の緊張もいい具合にほぐれたみたいだ。
この人は、言葉遣いはどこか偉そうだけれど、それは嫌味に聞こえずこの人の個性の一つのようなものとして感じるし、話を聞いていて悪い人にも見えなかった。元々人を見る目は良いお嬢様だから、そういうところはしっかりと理解したんだと思う。
「このような場所で立ち話もなんです、本邸に比べれば些末なものですがどうぞ中へお入りください」
「うむ、邪魔しよう」
ルクルーシェ様は先導するお嬢様に付いていく形で堂々とした足取りで屋敷へと足を踏み入れた。
さて、来客の全く無かったこの屋敷だが、構造的にちゃんと応接間という空間は存在する。ここも一応は貴族の住まう屋敷なのだけれど、この屋敷の懐事情の関係で調度品の関係は殆ど皆無だ。精々申し訳程度に対面して配置されたソファとテーブルがあるだけだ。
お世辞にも貴族が客を迎える場所としては適切とは言えない。ユリアさんがこの辺は念入りに掃除するようにしているので塵一つ落ちていないのと、ソファとテーブルがそこそこ高級らしいのでまだましだけど。
そんな応接間にルクルーシェ様は嫌な顔一つせず、純粋に興味のみを瞳に宿してキョロキョロと辺りを見回している。凛とした雰囲気でそんな仕草をするものだからギャップで萌えてしまいそうだ。……ここのところ地球にいた頃の趣味が再燃している気がしてならない。
お嬢様が「どうぞ」とソファーを勧めてルクルーシェ様がソファーに座る。そしてお嬢様が対面のソファーまで移動して僕が車椅子から移す。
お嬢様とルクルーシェ様が対面する形になってルクルーシェ様が世間話でも始めるように切り出した。
「ちなみに我の名は聞いたか?」
「はい、わたくしもルクルーシェ様とお呼びすればよろしいでしょうか?」
「うむ、それでよい」
実は僕が苗字を覚えてなかったなんて言えないだろうな。というか聞いてなかったフリをしてもう一回名乗ってもらった方が良かったんじゃないだろうか。殆ど他人と接する機会が無かったにしては驚くくらいに態度は道に入っているけれど、駆け引きの類はまだまだっていうところかな? ……まあ僕のせいだけどね。
ルクルーシェ様は「それにしても」と応接間に視線をやりながら、
「違和感が凄いな。本当に貴族の屋敷かと疑ってしまうぞ」
遠慮を欠片も感じさせずにあっけらかんと言った。
開始数秒でお嬢様は早速何も言えなくなってしまった。
その様子を見たルクルーシェ様は手を振って軽く謝罪した。
「ああいや、嫌味のつもりで言ったわけではない。それに、お前達の様子を見ていれば大体の事情は察した」
訳知り顔のルクルーシェ様の視線は、お嬢様の動かない足へと向けられていた。
「動かないんだろう?」
「…………はい」
ルクルーシェ様はそこで溜息をついて苦々しい顔で、
「ジュレリア家も、中々に面白くないことをするじゃないか。調度品の類が殆ど置かれていなかったり、使用人もさっきから全く見かけないのを見るに、そういうことなんだろう?」
全くじゃなくてどこかにもう一人はいるんだけれど、それでもやっぱり貴族の屋敷としては異常か。
「まったく、王室が王室なら、その庇護下にある貴族も貴族か。ジュレリア家でさえ民にそこまで負担を強いていないだけましという程度とは……。この国もそろそろ危ないかもな」
「ちょっ……!」
お嬢様が慌てて静止の声を出すのも仕方がない。ルクルーシェ様が今言った事は、下手をすれば不敬罪で捕えられてもおかしくない発言だ。王政が縁遠かった僕でもそれくらいは分かる。
コンコン。
「「…………っ!?」」
異常事態パート2! 今度は誰!?
まさか今の聞かれたりしてないよね? ルクルーシェ様は完全に赤の他人だけど、目の前で捕まるところなんか見たくないよ。
若干テンポを上げた心臓を感じながら、玄関の扉を開けようと――
ドガシャァアアアン!
まさかのパート3! 今度は何!?
「…………」
振り向いた先では、ユリアさんがルクルーシェ様を凝視して固まっていた。足元にはモップやらバケツやらの掃除道具が転がっている、何らかの理由で固まった拍子に落としてしまったみたいだ。
今の音で扉の向こうから緊張した気配が漂ってきた。何やら突入や戦闘と物騒な単語や金属が擦れるような音が漏れ聞こえてくる。
いやーな予感がして僕は扉から離れた。もはや今更何をしても止められないような気がする。もうこれ絶対に扉の向こうで戦闘準備完了してるって。
こんな時に一番に適切な対応をとりそうなユリアさんは信じられないものを見るような目でルクルーシェ様を見ながら、
「あ……あ……あなた様は……」
「おお、アスラの者がメイドとはこれはまた……。我が名はルクルーシェ・ティル・リーンヘイル、使用人に名を名乗りたいと思うとは予想していなかったぞ」
ルクルーシェ様のフルネームを聞いた瞬間、何故かお嬢様まで固まった。
事態は止まらない。
次の瞬間――
バァン!
「「動くな!」」
踏み込んでくると同時に鋭い声を発したのは、前に見たのとデザインは少し違えど、間違いなく精霊師の制服を着込んだ男女の二人組だった。各々油断なく武器を構えてどんな状況でも対応できるように警戒している。
が、踏み込んでからの光景を目にして表情が怪訝なものに変わる。
その間を縫うようにお嬢様がポツリと、
「リーンヘイル……この国の……名前……」
最後に、僕が固まった。




