日常的な その4
街と屋敷を繋ぐ道路を、お嬢様の座る車椅子を押して軽い雑談でも交わしながらゆっくりとしたペースで歩いていく。
「やっぱりあの街だとウンディーネの清涼湖に因んだ物が一番売られてるんだね」
「そりゃあ世界の六大聖域って呼ばれてるくらいですから、観光の目玉になったりもするでしょうし、それを商売の種にするのも当たり前の流れでしょうねー」
街と屋敷は少し離れているものの、しばらく歩けばすぐにジュレリア家の本邸と門が見えてくる。
門番の二人は現れた人影に一瞬警戒を見せるものの、近づいてくるのが僕達だと分かると警戒を解く。
祭りの最終日にお嬢様を同伴して出てきたときは飛び上がらんばかりに驚いていたけれど、最近は慣れたものだ。
お嬢様は最近よく街へ出かけている。
街へ出られる事そのものが嬉しいのもあるんだろうけれど、それ以外に街の事を積極的に知ろうとしているのが見受けられる。色んなことを知ろうとするのは喜ばしいことだし、何よりお嬢様が伸び伸びとしてくれているのが嬉しいので、僕かユリアさんの同伴を最低条件とし、時にはイルも連れたりして街へと繰り出している。
そして目的はもう一つ、お金稼ぎだ。
忘れそうになるけれど、お嬢様に家から渡されるお金はかなり少ない。雇っている人物の数等によって変動するというようなことはなく、完全に固定の額らしい。
それだけでもお嬢様とユリアさんが暮らしていくだけなら何とか本等を買える程度の余裕も出来ていたらしいけれど、そこに僕とイルが加わってやや厳しくなった。
単純に考えて人数が倍になったのだ、それも当たり前と言えるだろう。
そんな訳で、僕達の仕事に『お金を稼ぐ』という項目が追加されたわけだ。なお、街には日雇いの力仕事というのはそこそこあるので、僕とユリアさんなら結構楽だ。
さて、そこで何故お嬢様を連れ出す事と繋がるのかというと、お嬢様もお金を稼いでいるからだ。
発端は前にお嬢様が自分でも何か出来ないかと口にしたことだった。
確かに雇われている立場の僕とユリアさんが屋敷で使う費用を稼ぐのは、確かにお嬢様としては申し訳ない思いだろう。
しかし、言わずもがな力仕事はお嬢様には無理。物を売ったりするのには一人いれば十分(というかユリアさんの交渉が凄すぎるので、売買は全部ユリアさん任せだ)。
悩んでいるところにふとした考えでダメ元でお嬢様の歌はどうかと提案してみたところ、お嬢様はそれを間に受け、そして結構なお金を稼いでしまったのだ。
それからお嬢様は街に出たときは決まって歌を歌うようになった。しかも新しいレパートリーも幾つか身につけてしまった。お金を稼ぐためっていうのが若干気になるけれど、本人はいつも楽しそうなのでよしとする。
閑話休題。
今日も真面目に門番を勤めている二人に労いの言葉を掛けて門をくぐる。
門をくぐってすぐに見えるのは勿論、お嬢様を除いたジュレリア家の人間が住む本邸だ。相変わらず僕たちが住む屋敷よりも大分大きい。
本邸に用は無いので、そちらを避けるようにお嬢様の屋敷へと進路を取る。が、お嬢様の屋敷は本邸の裏手あたりに位置するので、寄り付かないようにしても僕達の姿が本邸の人間の目に入る事は避けられない。
その相手は今の所本邸で働く執事やらメイドやらのみで、幸か不幸かお嬢様の家族はまだ見た事もないけれど、その執事やらメイドやらも、こちらを見つけた時に向けてくる視線には好意的なものは何一つない。こちらを見つけた瞬間に分かりやすい内緒話までやるくらいだ。
それはお嬢様が屋敷の外に出て本邸の住人達の目に直接留まるようになったからかもしれない。
どちらにせよそんな事をされて居心地が良い訳もなく、むしろ胸糞悪くて今にも乗り込んでやりたいと思うところだけれども、その悪意を直接向けられているお嬢様が黙って耐えているのを見ると感情のままに動くことははばかられる。
なんとかしたいと思いつつも何もできない歯がゆさを苦々しく噛み締めながら、今日も僕達の暮らす屋敷への帰還を果たした。
ドアを開いて屋敷に入ると、正面の階段から駆け寄ってくる小柄な人影が一つ。
その人影はそのまま手を広げたお嬢様の腕の中に収まる。
「……おかえり」
「は~いただいま~イルちゃん」「ただいま、イル」
そのまま頬ずりを始めたイルを撫でるお嬢様、それによりさらに頬を緩ませるイル。画家がこれを見たら迷わずに筆を取ること間違いなしの微笑ましい光景が目の前で繰り広げられている。
ちなみに、イルが留守番の時は帰ってきた相手に抱きつくのが恒例の事になりつつあるけれど、誰に抱きつくかはその時々によって違う。特に偏っているという事はないので、全員等しく懐かれていると思う(ちなみに僕に抱きついてきた時は高い高い、ユリアさんに抱きついてきた時は抱き返しという対応をとっている)。
とそこへもう一人の留守番であるユリアさんが通りがかった。
戻ってきた僕達を見つけるとユリアさんは居住まいを正して模範的な挨拶を。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「うん、ただいま~」
「あの、ユリアさん、僕には?」
「おっと失敬。お帰りくださいませ、ユーリさん」
「……言い間違いか冗談ですよね? ね?」
「今回もお楽しみになられたようですね」」
「お~い」
「うんっ、ほら見て、こんなにお金貰えたよ」
「お嬢様が無理してお金を稼がずとも……」
「色んな人がわたしの歌を聴いてくれるのが凄く楽しい。でも、ついでにお金も稼いじゃうけど仕方ないよねっ」
「……お止めするべきか非常に悩ましいところです……おや? こんなところに見慣れない置物が」
「どうせ僕なんて置物程度の価値しかない役たたずですよ~。そりゃあ無視されても仕方ないですよね~」
傷心の僕は壁に向かって床にのの字を書いていた。
そんな哀れな僕を慰めるようにポンポンと叩かれる感触が。
「……ユリアの分もお帰り、あにさま」
「イル~~~~~~!」
「わぷっ」
やっぱりイルは天使だ。僕のようなクズ野郎にも等しく優しさを向けてくれる。
そうだ、僕は一人じゃないんだ、誰かに冷たく当たられても、温かく接してくれる人もいるんだ。こんなことで腐っていないで前を向いて日々を過ごそう。
「……わたくしが言うのもなんですが、あまりにもお労しいですよ」
言わないでっ! 今の僕を客観的に評価しないでっ!
「ゆ、ユーリが駄目になっちゃった……」
口に手を当てて目の端に涙を浮かべたお嬢様の悲壮な表情が逃避しようとする僕の精神を掴んで離さない。
「どうしようユリア! このままユーリがダメダメになっちゃったらわたし……っ!」
「ご安心をお嬢様、腑抜けたおバカ様をすぐに元のヘタレ執事に戻します」
僕の普通ってヘタレ執事っていう認識なんですね。
――殺気!
本能が命ずるままに手を動かし、脇腹を抉る様に打たれたパンチを間一髪で受け止めた。
「ユーリさん、受け止めては精神的苦痛のせいで現実逃避に逃げたあなたを救うことが出来ません」
「ユリアさん、受け止めなかったら今度は肉体的苦痛で現実逃避したくなるので止めてください」
「何をおっしゃいますか、王霊であるあなたが一般人の打撃でどうこうなる訳が無いではありませんか」
「ユリアさんが自分を一般人っていう括りに入れているのが驚きです。そ、それにほら、僕もう元気ですよ。殴らなくても大丈夫です、今ならどんな困難が立ちふさがっても乗り越えられそうな気がします」
「ならばもう一発!」
「もう一発される理由に物申しぬおっ!」
続けて放たれた拳もなんとか受けきる。
というか『ならば』ってなんですか『ならば』って。ヘタレていない僕が僕じゃないってことですか?
「ホントにそろそろ止めましょうって! このノリ結構辛いんですよ!」
「そうですね、わたくしもそろそろ仕事に戻らねばいけませんし…………ちっ」
「今の舌打ちは何に対する不満ですか? まさか僕を殴れなかったのが残念っていう理由じゃないですよね? 本当にそっちの趣味に目覚めたりなんかしてないですよね? 違うと言ってくださいっ!」
「失礼な。わたくしに被虐趣味があるなど心外です。他人を傷つけて悦に入るなど最低の行為ですよ」
「で、ですよねー。っていうかユリアさんにその気があったら結構他の人危険ですし――」
「ただ全力を出しても受け止め切れる相手がいてくださるのが楽しいだけです」
「ピンポイントで僕だけが危険だった!」
字面だけ見たら良い話みたいに聞こえるけど、これ僕の被害的には結構ヤバイ事態なんですけど!
そうやって戦々恐々としていると、僕を守るようにイルが立ち塞がる。
「……あにさま叩いたらダメ」
その子供らしい純真な瞳を向けられたユリアさんは少しだけ怯んだ。
しかしすぐに体勢を立て直してイルに言い聞かせるように囁く。
「イル、いいですか? ユーリさんは叩かれたら嬉しいんです」
「断じて違います! っていうか子供になんてこと教えてるんですか!」
「ユーリ……」
「お嬢様、本気で信じちゃったなら僕本当に現実逃避しちゃいそうです」
「……痛いのに嬉しいの?」
「そのような方もいるのですよ。実際にイルもユーリさんに試してご覧なさい、喜んでくれますよ」
「……あにさま喜んでくれる」
違うって言おうとしたけれど、こっちを向いたイルの目はそれはもうキラキラと輝いていた。その目には純粋に僕を喜ばせて上げたいという想いに満ち溢れていた。
……仕方がない、取り敢えずはイルの好きにさせて上げて後でしっかりと、それでいてやんわりと言い聞かせよう。
子供らしく手をぐるぐる回しながら僕に向かってくるイル。その必死な姿は直前までバイオレンスに晒される直前だった僕の心を温かくしてくれる。
――けれど僕は忘れていた。
「……むーーーーー」
――イルが王霊で、僕やユリアさんには及ばないにしてもその小柄な体躯からはかけ離れた程度(具体的には普通の青年男性程)の力は持っているということに。
イルの微笑ましいぐるぐるパンチが僕に当たる効果音はポカポカなんて生易しいものなんかじゃなかった。強いて言えばボカボカだった(ユリアさんだったらバコーン)。
王霊が人間より遥かに丈夫だとはいえ、痛いものは痛い。
そして僕は、現在イルが叩きやすいようにしゃがんだ状態だ。
しかも、まるで狙いすましたかのようにイルのぐるぐるパンチは的確に僕の鳩尾を連打してくる。
正直、すっごく痛い。
けれどここで痛がる素振りを見せればイルは僕を傷つけたと思って落ち込んでしまう、それは断じて許せない。
なので僕は――
「わーい、殴られて嬉しいなー」
痛みを微塵も表情に出さず、終始イルに笑顔を向け続けた。
「男ですね、ユーリさん」
「ヘタレなんて言ってごめんね、ユーリ……っ」
嬉しいけど止めてください。
◆
「はー、酷い目にあった」
「大変でしたね」
「全部ユリアさんのせいですけどね」
結局あの後イルにしばらく叩かれて(殴られて?)から開放された僕は、イルにやんわりと人を叩いたりしないように(そして僕が殴られて喜ぶ性癖を持っていたいことを)言い聞かせてから解散し、未だにジクジクと痛む腹をさすりながらユリアさんと屋敷の廊下を歩いていた。
すると、何気なく覗いた窓の外にいつもとは違う光景を見つけた。
「――? どうかしましたか?」
「いえ、ほらあれ」
窓の外に見えるのはジュレリア家の本邸だ。
そして僕が指差した先では、普段は閉じられている門が今まさに開けられようとする場面だった(この屋敷は本邸の裏手に近い位置関係だけれど、屋敷の端っこの方なら門がギリギリで見える)。
「ふむ、ジュレリア家に客分でしょうか」
「僕が来てから多分一回も無かったと思いますけど、貴族の家に客が来るのって珍しいんじゃないですか?」
「特に珍しい事ではありませんよ。親交のある貴族同士なら様々な用事で訪れる事もあります。実際にユーリさんが来てからも一度来客があったこともありましたよ」
「え、そうなんですか? 全然気づかなかった」
「ジュレリア家に用はあっても、この屋敷に来る人物は皆無ですからね」
この屋敷はお嬢様を厄介払いするがごとく作られた隔絶された環境だ。普段は家族を含めて誰もこの屋敷を訪れようとしない。まるで、そこに何も無いかのように。そんな屋敷に客人が来るはずも無いということか。
まあ僕達も本邸の人間達は使用人含めて不干渉を貫いてるけど。
「今回もわたくし達にはなんら関係は無いでしょうね」
「じゃあ無視の方向で」
来客の事は頭から追い出し、僕達はいつもの仕事に戻っていったのだった。




