隠された力が的な
暗闇の中を浮かんでいる。今の状況を一言で説明するのはそんな感じだろうか。
何も見えないけれど、肌を伝わってくるのは心地よい温もり。まるで布団にくるまれているみたいだ。
こんな心地良い感触を感じて眠くならない訳が無い。
段々とウトウトし始めてきた視界の端で進行方向上に見覚えのある花が見えてきた。
向こうが透けて見える程に薄い何枚もの青白い花弁で構成されたその花は、随分と昔の事に感じる地球の記憶の中でも鮮明に残っていた。
その花は僕の体を包み込むように受け止め(大きさがおかしい事はこの際気にならなかった)、花の上で寝転ぶなどというメルヘンチックな体験に感慨深いものを感じ、その以外な柔らかさが眠気を加速していく。
その時ふと脳裏によぎるのは、明るい金色の髪を持った少女の姿だった。
それに呼応するように目の前の何も無い空間に波紋が広がり、件の少女の姿が映る。
こちらに向かって必死に何かを呼びかけているが、それは映像から推測出来るだけで音は全く聞こえない。
……誰だったっけ。
大切な人だったような気もするけど、肝心な部分はモヤがかかったように思い出せない。
……まあ、いっか。思い出せないならそこまで大切じゃないっていうことだろうし。それに今はもうこの心地良い眠気に身を任せていたい。
徐々に瞼が下がっていく。
その隙間からうっすらと、こちらに懸命に呼びかけてくる少女の背後から化物が襲いかかろうとしているのが見えた。
――止めろ。
ああ……眠い。
――その人だけは。
お……やす……み……。
化物が少女の体を貫こうと――
「止めろぉおおおおお!」
◆
ガッ!
気がついたら僕は上体を起こしてお嬢様に襲いかかろうとしていた魔霊の首を鷲掴みにしていた。
「お嬢様に……」
そしてそのまま激情のままに全力で、
「何しようとしてんだこのヤローーーーーー!」
大砲のような勢いで魔霊の群れに投げつけた。
とんでもない腕力だ、さっきのユリアさんに並びそうな程だ。
僕の体に何が起こってこうなったのか、それは今はどうでもいい。お嬢様を守る為に都合が良い程度にしか感じない。
お嬢様は泣きはらした痛々しい目のまま二度三度瞬きをして僕の姿を凝視し、僕が元気に立っているのが確かに現実だと確認すると、悲しみとは違う種類の涙を浮かべて飛び込んできた。
「ユーリ……!」
「うわっ……と」
急に飛びかかられて不安定な体制で受け止めたものの、起きてから身体に起こっている謎の身体能力上昇現象のおかげで支えきれずに倒れこむなんて無様な事態は免れた。
「本物だよね!? 生きてるよね!? 死んじゃって幽霊になってたりなんかしないよね!?」
僕がここにいることを確かめるように何度も何度も顔をこすりつけてくるお嬢様。……やっぱり倒れてる場合じゃなかった。この人を守るなら死んでる場合じゃないよね。
子供をあやすようにお嬢様の背中をポンポンと叩いて落ち着いてもらい、自信を含んだ声色で言う。
「お嬢様、ちょっと待っててくださいね、すぐに魔霊を全滅させますから。そうしたらまた三人でいつもの今を送りましょう」
「……うん!」
悲しくない涙と一緒に浮かべられたお嬢様の笑顔は、僕にどんな敵にも負けることのない不屈の力を漲らせていく。
「行ってきます」
もう迷いはない。
向かうのはユリアさんが戦い続ける魔霊の群れ。
振り返ることはしない、次に振り返るのは魔霊を片付けてまた三人で笑う時だ。
戦いが開始されてから始めて庭に降り立つ。
魔霊の群れに歩み寄っているっていうのに不安は全く湧き上がってこない。というより、負ける気がしない。
ふと手の中に感触を感じて目を向けて見ると、いつの間にか左手には閉じられた状態の扇が握られていた。
理屈でこれは何かと思考する前に、直感でこれは目の前の魔霊と戦うための力の一つだと理解する(もう一つはやたらと上がっている身体能力)。
悠然と歩みを進めていると、前方でユリアさんに死角から攻撃しようとしている魔霊を捕捉した。
それに間に合わせるように大きく一歩を踏み出して一息で距離を詰め、鈍器で殴るように扇を魔霊の顔面に叩きつけて吹き飛ばす。二、三回バウンドした魔霊は拍子抜けするくらいにあっさりと粒子になって消えてしまった。
「大丈夫ですか、ユリアさん?」
「……その身体能力に魔霊に有効な珍妙な武器……もしかしてあなたは……」
「ん? ユリアさん何か心当たりでもあるんですか?」
「……後で詳しく話をしましょうか。あなたが前に出てきてお嬢様の近くで守る者がいない以上、魔霊の一匹たりとも通すことは許されませんよ」
「わかってますよ。というか――」
パンっと小気味のいい音を立てて扇を開く。骨は薄いものの脆弱さは微塵も感じられない程に力強い。扇面は淡いピンク。その一面に色合いの近い小さな花――桜の花びらが散りばめられた華美な模様のない、それでいて風美さを漂わせる絵柄だった。
扇に脅威を感じ取ったのか、今まで怯むことが全くなかった魔霊達が尻込みするようにあとじさる。
「元々そのつもりでしたから」
不敵に笑って前を見据える僕に釣られるようにユリアさんも口の端を上げる。
「大言壮語結構。わたくしの武器では効果が薄いので主に魔霊を倒すのはあなたに任せますよ。わたくしは補助に回ります」
――さあ、始めよう。
「任されました」
何も無い空間で扇を振るう。するとまるで初めからそこに存在していたかのように桜の花ビラが舞う。
もう一度扇を振るう。また花ビラが舞う。
舞を舞うように何度も扇を走らせ、その度に花びらは増えて僕の周りで舞い踊る。
僕の周りで沢山の桜が舞うその様相はまさに桜吹雪そのものだ。
――頃合だ。
扇を鋭く振るう。それを合図に、僕の周りを漂っていた桜吹雪の一つ一つがまるで意志を持っているように魔霊に襲いかかる。
桜に触れた魔霊の体は、まるで名刀に切られたように抵抗なく切り裂かれる。
それでも一つ一つは小さな花ビラ、魔霊を切り裂くことは出来ても魔霊を倒すには程遠い。
しかし、その花ビラが何十と襲えば話は別だ。一度で数十回の花の刃に切りつけられた魔霊は一瞬でその姿を散らす。
一体を倒したからって満足しない、桜の刃は次、そのまた次の魔霊へと襲いかかり、魔霊を微塵に切り裂いていく。吹き荒れる桜の刃が次々と魔霊を倒していくその光景はさながら桜の嵐と言ったところか。
魔霊も黙って切り裂かれているだけじゃない。風を、石槍を、次々と桜に向かってぶつけてくる。
切れ味が凄くても所詮は花ビラ、攻撃を受けた桜は簡単にちぎれて消えていく。
次々と消えていく桜、けれども多めに見積もってもそれは全体の割合から見れば二十%程度だ。桜の乱舞を止めるには至らない。それどころか僕が扇を振るっている限りはその数はすぐに補完されてしまう。
ちなみに時折僕に直接攻撃を仕掛けようとしてくる魔霊もいたが、戦闘技術的には素人の僕に代わってユリアさんが槍さばきで飛ばし、そこへ間髪いれずに桜の餌食にする。
一匹、また一匹……と数えるには魔霊の減る速度がいささか速い気がするけども、とにかくどんどんと桜によって存在を消されていく魔霊はいつのまにか数えられる程度になっていた。
あと一息かと思ったところで、周りの魔霊よりも強い気配が一つだけこちらに向かっているのを感知した。というかもう遠目に見えてきた。
その姿は――一つ目の巨人。
思わず顔を引きつらせる。
「ユリアさん、あのモノごっついでかいやつも魔霊ですか?」
「地に属する『サイクロプス』です。身長は人間の約五倍で力もかなりのものですが、動きは鈍く撃たれ弱いので見た目ほどの脅威ではありません。ただし、精霊師でない人間が相対したら逃走の一択です」
「ちなみに僕たちだったら?」
「問題なしです」
「イエッサー!」
あのデカ物を相手にしながら他の敵と戦うのは遠慮願いたいので先に周りの魔霊を残っている桜で片付ける。これで後はあいつだけだ。……現実なのに最後にボス的な展開なんて期待してなかったよ。
サイクロプスがここに辿り着く前に出来る限り桜を増やしておく。ついでに牽制として何枚か放ってみたものの、怪我をしても全く怯む様子は無かった。
「サイクロプスは弱点を攻撃するか高威力の攻撃で一気に倒すかの方法でないと倒せませんよ」
「うわっ、それって僕たちと相性最悪じゃあ……」
言っている間にサイクロプスは間近まで迫り、手に持った棍棒を大きく振りかぶっている。
鈍重なその動きは僕でも回避できるほどだったけれど、感じる風圧の凄さに冷や汗を垂らす。食らったらタダじゃ済まなそうだ。
今の僕じゃあ扇で桜を出して攻撃するしか無い訳だけど、傷はどんどん増えていっているのに一向に消える気配がしない。今は目くらましと牽制でサイクロプスの周りに桜を散らせながら時折攻撃してるけど、これじゃあ埒があかない。幾つはやりようはありそうなんだけど……。
その時、思案する僕の傍にユリアさんが移動してきた。
「拉致があきませんね。ユーリさん、一つ提案があるのですが」
「なんです?」
ユリアさんから語られたその提案は、実行出来れば確かにこのデカブツを倒せるが、実行出来るかは僕次第という内容だった。
「……それって僕に可能ですかね?」
「やらねば打開策もないままこちらが不利になるだけです。それに、先程のあなたの身体能力なら可能な筈です」
「……先輩の言うことは信じるべき、ですね。それじゃあ早速――」
「終わらせましょうか」
ユリアさんをその場に残して僕はサイクロプスに正面から突撃する。振り上げられる巨大な棍棒は、たとえ鈍重で避けるのが簡単でも正面から突っ込むというのは本能的に恐怖を感じる。
恐怖を意思で押さえ込み、頭上から振り下ろされた圧倒的破壊力を持つ棍棒に対して、今度は跳ぶのではなく数歩横に移動するだけの最小の動きだけで避け、僕は地に付けられた棍棒に飛び乗った。
そのまま棍棒を伝って腕まで移動し、尚も駆け上がってくる僕をサイクロプスは振り払おうと力を込めるが、突如飛来した槍によってそれは叶わない。
動かずに機を窺っていたユリアさんが渾身の力を込めて投擲した槍は見事にサイクロプスの顎にカチ当たる。元々酷使していた上にユリアさんの全力を受けた槍は粉々に砕けたのに対し、サイクロプスに目立った傷が増えた様子は無い。が、衝撃は受けたようで顎を大きく仰け反らせる。
その一瞬の時間で僕はサイクロプスの腕を一気に駆け上がってサイクロプスの弱点――その目立つ一つ目の目の前まで跳躍する。
「いい加減に――」
扇を閉じて腕全体を目一杯引き絞り――
「くたばれこのデカブツーーーーーー!」
その弱点に向かって体全体の力を一点に込めた突きを放つ。
サイクロプスは手に持っていた棍棒を取り落として両手で目を抑え、地平線の向こうまで聞こえそうな断末魔の叫びを上げ、一際多い粒子となって完全に消滅した。
気配を探るも、周りに魔霊の気配は感じない。
「……もう終わりですかね?」
「はい、もう終わりです」
その言葉を聞いて一気に体から力が抜けてヘタリこんでしまう。極度の緊張から解放された身体は一刻も早い休息を求めている。
戦う相手がいなくなったからか、僕がもう大丈夫と判断したからか、手の中の扇は数多の桜の花ビラとなって散っていた。
「もうダメです。一歩も動けないです。というかこのまま寝てしまいたいです」
「そのようですね。無理をするのも身体に毒です。そのまま此処で休んでいたらどうでしょう。わたくしは先に戻りますので」
「あれ、運んでくれるとかないんですか? というか気遣うフリして何気に放置するっていう意味ですよね、ね? 良い感じに共闘したのに終わった途端えらい冷たいですね」
「それではご機嫌よう」
「ああっ、待った待った! 行きます、僕もちゃんと歩きますから!」
疲労困憊で傷だらけの身体に鞭打ってゆっくりと立ち上がる。
振り向いた先で目に入った屋敷の外壁は魔霊の風やら石槍やらでボロボロ、窓から見える室内も荒れ放題、これは掃除やら補修やらで泣く羽目になりそうだ……ユリアさんはいつもの仕事があるだろうから主に僕が。
けれどそんなものより、僕たちが一番守りたかった人は――窓から落ちそうな勢いで大きく手を振っている僕たちのお嬢様は、今も元気で温かい笑顔を浮かべながら僕たちを迎えてくれていた。
『サイクロプス』――ギリシャ神話で登場するキュクロプスを英語読みした一つ目の巨人です。神話ではなんと鍛冶技術を持った下級ですけど神として描かれています。力があるけれど動きが遅い、弱点が分かりやすそうというという条件に合っていたのでボスとして使いました。
次でこの章のエピローグです




