人外だった的な
この章のエピローグ的な感じです。
「…………」
意識が覚醒して最初に目に入ったのは、そろそろ慣れつつある部屋の天井だった。
魔霊の群れとサイクロプスを倒した後の僕の身体は冗談抜きで限界だったらしく、格好つけてお嬢様の所まで戻ったところまでは良かったのだけれど、そのまま気を失ってしまったらしい。運んでくれたのはユリアさんだろう、彼女の呆れ顔が目に浮かぶようだ。
寝ている間にどれくらいの時間が経っていたのかはわからないけれど、とりあえずは着替えてお嬢様の所に行ってみよう。あれからどうなったのかも気になるし。
腹筋に力を入れて上体を起こして掛けられた布団を払う――と、そこで違和感に気づく。
「……傷が……無い?」
すぐに姿見で背中も確認してみる。
包帯も巻かれていない僕の体は、魔霊との戦いで身体のあちこちに出来ていた擦り傷のような小さな傷はおろか、お嬢様を庇った時に背中に受けた大きな傷も跡形もなく消え、男にしては少々綺麗過ぎる傷一つない肌に戻っていた。
……まさか夢オチ?
あの体験が全て夢だとはにわかに信じ難い。けれど、あの魔霊との戦いが現実だと思うにはあまりに傷一つない僕の身体が現実味を与えてくれない。
――それとも今が夢? いやいや、流石にここまで意識がはっきりした夢なんてあってたまるもんか。まだ魔霊の群れに大立ち回りをしたあれが夢だっていう説の方が現実味はある。
ごちゃごちゃしてきた思考を振り払うように壁に掛けられた執事服を身に付けようと手を伸ばす。が、その執事服の惨状に思わず手を止めた。
一言で言うなら……ボロボロだった。
無事な部分を探すのが難しいほどに全体傷だらけ、しかも裏を確認してみると一際大きな切り傷が背中を縦断するように走っている。その酷い状態の執事服は記憶の戦いが夢ではなかったと明確に語っていた。
だとするとこの傷一つない身体はどういう事なんだろう?
……そういえばユリアさんが僕の身体について心当たりがありそうなことを言ってたっけ。
脳内の予定表のお嬢様を訪ねるの項目の次にユリアさんを探すを付け加えて、その満身創痍といった体の執事服を身につけていく。……仕方ないじゃないか、他に着るものがないんだから。
◆
――――――♪
廊下を歩いていると聞こえてきたのはお嬢様の歌声。このまま立ち止まって聞き入っていたくなる衝動を必死に堪えながら歌の聞こえてくる方向に足を進める。
聞こえてくる方向がお嬢様の部屋がある方向と違うのは、魔霊の攻撃を受けたお嬢様の部屋が使えたものじゃないからだろうか。他の部屋は僕が掃除していたからベッドがある部屋なら移そうと思えばすぐに移せる筈だし。
そうしてそのまま歩くこと数分、やっぱり歌が聞こえてくるのはお嬢様の部屋ではなく、僕が掃除した部屋の一つだった。
「失礼します」
ドアを開けて中に入ると同時にノックを忘れたことに気づいた。僕の頭はまだ半分寝ているらしい。
意図せずいきなり部屋の中に入ってしまったことでお嬢様の歌は途切れてその深い蒼の瞳をこちらに向け、その拍子に集まっていたらしい小鳥が飛び去る。
突然部屋に誰かが入ってきた事に対して一瞬驚いたお嬢様の表情は、その人物が僕であることを確認するとみるみると喜色に染まっていった。
「ユーリ、目が覚めたんだね!」
「はい、この不肖ユーリ、傷一つ無く元気です」
「身体は傷一つなくても格好はそこいらの家無しのようにボロボロですが」
もはや毒を吐くのがデフォルトになりつつあるユリアさんの声が聞こえてきたので振り向いてみれば、彼女はカートを押しておりそこから立ち昇る香ばしい香りが胃袋を刺激する。
「あなたは丸三日寝ていたんですよ」
「三日ですか!? 気を失う前と外の明るさが変わってないから丸一日は覚悟してましたけど……」
「あんな大怪我したんだもん。むしろ三日で目を覚ませて良かった方だと思うよって……傷一つ無く?」
僕の言葉を今更ながらに疑問に思ったお嬢様がボロボロ執事服着衣の僕の身体を確認する。背中の大きな傷も確認して最後に首を傾げてクエスチョンマークを浮かべる。
「ホントだ、傷一つない。でも何で? もしかしてユーリもアスラ?」
はて、傷一つないことが何でアスラに繋がるんだろうと思ってユリアさんの方を向いてみる。メイド服に隠れて肌は殆ど見えないけれど、手のひらや顔には傷一つ見えない。
僕の意図を理解してくれたユリアさんが説明してくれた。
「アスラの卓越した身体能力は免疫力や自己治癒能力にも及びます、大きな傷でなければ三日もあれば完治します。ちなみにあなたは次の日に様子を見に行った時には背中の傷を含めて完全に消えておりました。そもそもアスラの特徴である左右非対称の瞳があなたにはありません」
「え、一日で消えてたの!?」
それはつまり卓越した身体能力を持つアスラを回復能力だけとはいえ上回っているということだ。
そんな存在がすぐに思い浮かばいらしく、お嬢様はうんうんと唸りだした。
それにユリアさんが手がかりを与えた。
「お嬢様、三日前にユーリさんが戦っていた時の様子は見えておりましたか?」
「うんうん、結構遠かったから大まかにしか見えなかった」
「やはりそうですか……」
そりゃあそうだ、お嬢様に被害が行かないように出来る限り離れるようにして戦ってたんだから。
と、次にユリアさんは話の矛先を僕に向けて唐突な事を訊いてきた。
「ユーリさんあの時に出していた武器ですが、今それはどこに?」
「え?」
突然言われて戸惑う。
ユリアさんが言っているのがあの扇の事だろうというのは分かっているけれど、あの時はいつの間にか手に持っていた物を体が命じるままに使っていただけでどういったものなのか僕もわかっていない。サイクロプスを倒したら勝手に消えてしまったし。
そういえばあれってどんなやつだったっけ? 確か骨は漆喰みたいな真っ黒で、扇面は桜の花が散りばめられた淡いピンクで……。
頭の中で使っていた扇を思い描いた瞬間、いつの間にか僕の周りに桜の花びらが舞い、手の中に集まったと思ったら記憶にある通りそのまんまの扇が手の中に握られていた。
今の一連の現象にお嬢様、そしてそれを起こしたであろう僕も目を丸くさせた。ユリアさんは予想していたのか涼しい顔だ。
信じられないような物を見るように動揺をあらわにしたお嬢様が震える指で僕の手の中を指す。
「それ……もしかして……」
「魔霊に対してかなりの効力を発揮していたことから、わたくしは霊器ではないかと考えております」
「でも……ユーリは霊装を……」
「そこまではわたくしも分かりかねます。……ユーリさん」
「は、はい……」
ユリアさんとお嬢様の真剣な二対の瞳に射抜かれて胸中に不安が立ち込める。
「あなたは、本当に、ご自分がどのような存在か分かっていないのですね?」
「……はい……」
何か不味いことでもあったんだろうか。渦巻く不安のせいで声が掠れる。
「ご自分の存在としての名すらも分からないのですか?」
「い、一体何のこと――っ」
急に言葉を詰まらせた僕にお嬢様とユリアさんが怪訝な表情を向けてきた。けれどそちらを気にしている余裕は今の僕には無かった。
――口の自由が利かない!
ユリアさんが存在としての名と口走った瞬間、僕が何かを喋ろうとしても舌が全く言うことを聞かなくなってしまった。
必死に口を動かそうとする僕を嘲笑うように、意識に反して口が勝手に動いてしまう。
「――世界を支え、命を育む豊穣の大樹」
自分が喋っているとは思えない程の威厳に満ちた声。
尊大な声色にも関わらず、それがまるで自然であるように、存在の格が違う者が持つ圧倒的な重圧がその言葉には含まれていた。
言葉の重圧にあてられたようにユリアさんとお嬢様の息が荒くなる。
「水と地を司りし草花の王。名を――『ユグドラシル』」
そこまで喋るだけ喋って、口の制御が僕の元に戻ってきて思わず膝を付いて肩で息をする。
息を荒くしていたお嬢様とユリアさんも重圧が消えたことで大きく息を吐く。
三人共が息を整えている中、いち早く立ち直ったのはユリアさんだった。
「……決まりですね」
「はぁ……はぁ……うん、もう疑いようはないね」
まだ息の整わないまま結論が出たらしい二人へと視線だけで問いかける。僕は……何者なのかと。
意を決したようにお嬢様が告げた。
「ユーリ。あなたは精霊だよ」
衝撃的な筈のその宣告に、思ったよりも驚くことは無かった。
そもそも地球にいた時の最後の記憶では自分は死んでいたんだ、それがどういうわけか今を生きていることができる。その事実の前には人間かどうかなんて些細なことのように感じる。
むしろ、自分がどういう存在か明確な答えを得られてスッキリした気分だ。今思えば始めて自分の今の姿を見たときに狼狽したのは、混乱が残っていたのと状況が分からない不安から来たものだったのかもしれない。
「……なんかあっさりしてるね」
「なんか自分でも以外ですけど、そこまでショックじゃないんですよね」
「では更に衝撃的な事実を」
「――?」
「ユーリさん。あなたは精霊は精霊でもその中で上位の存在――『王霊』です」
「はぁ……」
なんとなくとんでもないということは分かるのだけれど、事前知識の無い僕だと気の抜けた返事をするしかない。空気を無視した僕の反応に二人はどこか呆れを含んだ無知の子供に向けるような生暖かい笑みを浮かべた。
王霊とやらの事を僕が知らないのは折り込み済みだったんだろう。すぐにお嬢様が説明してくれた。
「王霊とは名が示す通り、精霊の上に立つ王である存在って言われてる。一番の特徴は精霊であるにも関わらず人の姿をしているということなの」
「普通の精霊って人の姿になることはないんですか?」
「ありません。人の姿をとれるのは強大な力を持つ個体のみ。だからこそ人の姿をとる精霊は全て王霊と呼ばれて、通常の精霊とは別格の存在と言われているのです」
「でもそれだけじゃあ僕が精霊であることの証明にはならないんじゃないですか?」
「それそれ」
お嬢様が指しているのはさっきから持ちっぱなしの桜の扇。
「王霊が戦う時に力を具現化させた武器――霊器は精霊にも脅威になる。今具現化したそれは間違いなく霊器だよ。魔霊もそれで攻撃したら簡単に倒れたんでしょう?」
「動かない証拠が欲しいのならユーリさんが先程おっしゃった言葉がまさにそうでしょう。あれは力のある精霊が存在の故事と力の鼓舞を目的にした『霊句』です。意図して言っていたわけではないようですが間違いありません」
確かにさっきのは今まで僕の見に起きてきた事の中でダントツの異様さだった。今も自分があんな威厳のある声を出したことが信じられない。
ユリアさんがこうまで断言するなら信じるしかなさそうだ――僕は精霊で、更にその上位の王霊という存在だと。
…………で、だからどうしたというんだろうか。
僕がその王霊だとして何か困ること、もしくは嬉しいことでもあるんだろうか。
「その顔だとまだ王霊についてイマイチわかっていないようですね」
「いやいや、僕が強い精霊なんだっていうことは理解しましたよちゃんと」
「ではその強いというのがどれくらいかわかっていますか?」
どれくらいか……さっきからすごい存在だって言ってるんだから倍数で表してもいけるかな?
「えー……精霊師レベルの五倍くらい?」
「数が集まれば国落としが出来ます」
「…………え?」
「単騎でも軍と渡り合うことが出来ます」
「…………」
何その戦略兵器。
「しかし王霊といっても強さはピンからキリ。あなた程度では軍に挑んだところで一瞬で負け犬になるのがオチでしょう」
上げて落とすとはこのことか。この人はいったい僕に何を説明したいんだろうか。王霊は凄い? 王霊は珍しい? 王霊は弱い?
「でも王霊は色々特有の力を持ってるらしいからユーリがどれくらい強いかはまだ分からないんじゃないかな」
「というか疑問なんですけど、僕以外の王霊ってどれくらいいるんですか?」
「理論上は十二体、現在確認されているのは七体、その内で人と関わりを持っているのは神聖アルス聖国の教皇であるウルスラ猊下の契約精霊である清浄の王――セフィラのみで残りは文献や伝聞で記述に残っているのみです。ああ、あなたで確認されている王霊としては八体目ですね」
「そのセフィラっていう王霊ってやっぱり凄いんですか?」
「風の噂で聞いただけなのですが、戦火に巻き込まれた街の住人全てを一瞬で癒したという逸話が」
チートですやん。
僕なんて花ビラでチクチク攻撃する程度しか出来ないのに。
……うん、気にしないでおこう。お嬢様に仕えるのにそこまで大仰な力なんていらない。お嬢様を守るの必要な力を手に入れてラッキー程度に思うようにしよう。
「ユーリ落ち込まないで! ユーリにはそんな凄いことは今は絶対に出来ないだろうし――」
グサッ。
「王霊とは思えないくらいにヘタレだし――」
グササッ。
「ユリアに言いようにからかわれて可哀想になるくらいだけど――」
ドスッ。
「それでもわたしにとっては最高の執事だから! ……ってあれ?」
それ……最初に言って欲しかったです。
「というよりもお嬢様、王霊を普通に執事扱いするとは……」
なんかユリアさんは勝手にお嬢様に感服してるし。
「え……あ……。どうしようユーリ、わたし王霊をよりにもよって執事扱いなんて~~~~!」
「落ち着いてくださいお嬢様、彼自身に聞くとまた話がややこしくなります」
「あのー……というか王霊が執事だと駄目なんですか?」
まさか人間限定だったりとか? そしたら正直僕凹んで落ち込んで野垂れ死んでしまうと思う。
「駄目というわけではなく、王霊が執事になることの是否を訊くこと自体が前代未聞で一考にすら値しないバカバカしいことなんですが……言っても無駄のようですね」
「別に駄目じゃないよっ! ユーリが執事のままでいてくれると嬉しいよっ!」
「そうですか。あ~良かった~」
張り詰めていた糸を緩めるように肩を弛緩させる。
するとお嬢様が口元に柔らかい笑みを浮かべた。
「……? どうかしましたか、お嬢様?」
「ふふ……うんうん。やっと三人共元通りになったなって思ったらつい」
言われてみれば、重要な話が終わった今の僕たちの間を流れる雰囲気は魔霊が出てくる前の和やかでゆったりとした居心地のいいものに戻っていた。
そのことを実感して僕も、ユリアさんも思わず頬を緩める。
「では元通りになったのならわたくし達は早急にいつもの仕事に戻らねばなりませんね」
「それじゃあ僕掃除に行ってきますね」
自分で言いながら何だか掃除が固定の仕事になっている気がする。まあそれはそれでいつもの日常っていう感じで心安らぐんだけど。
「お待ちを、ユーリさん。あなたはその格好のまま仕事をするおつもりですか?」
「あ、そういえば。部屋にこれ一着しかなかったからこれを着てきたんです。流石に直すのも無理そうなんで新しいのが欲しい所なんですけど……」
おねだり的な視線をユリアさんに送る。
「もう用意してあります。すぐそこの部屋にあるので取って来ましょう」
そして本当にすぐそこだったようで、退出していったユリアさんはものの数十秒で戻ってきた。
そういえば新しい執事服ってやっぱりお金を払わないといけないんだろうか。最初は支給で次からは有料みたいに。そうなると詰みだ、僕はしばらくこのボロボロの執事服でしばらく過ごすしかなくなる。どうか次回以降も支給でありますように!
――などと考えていた僕の考えは予想の斜め上を行く結果でいい意味と悪い意味で裏切られた。
「……ユリアさん、僕の目はどうかしてしまったんでしょうか」
「いえ、あなたの目はこれ以上ないくらいに澄み渡っており、至って健康であると断言できます」
「わーい、珍しくユリアさんが手放しで嬉しいことを言ってくれたのに全然嬉しくないですよー」
いや本当に。ユリアさんが普通にこんなことを言うなんて珍しい、いつもならクールな表情で罵倒や嘲りを混ぜてくるのに。
普通なら珍しいと思いながらも素直に嬉しいと感じるだろうその言葉は、ユリアさんが手に持っている物のせいでいつもの酷い言葉よりも僕のハートにクリティカルなダメージを与えてくる。
――その……真新しい僕の体格に合っていそうなメイド服のせいで。
「ぶっ、くく……」
色々と察したらしいお嬢様の、堪えようとして堪えきれずに漏れた笑いがアイスピックのように僕の心を削っていく。
「つかぬことを伺いますけどユリアさん、それはどこからどう見ても僕が着るにふさわしくない服ではないでしょうか?」
「サイズは違っていない筈ですし、あなたがこれを着れば十人が十人はあなたが着るにふさわしいと言うと思うのですが……なにか違いますか?」
「せ・い・べ・つ! サイズ云々、人がどう言う云々以前に性別的にそのチョイスが間違ってるんですよ!」
「しかし困りましたね。執事服の予備は無いのですが……」
「何でメイド服の予備だけ!?」
「ええいつべこべ言わずに着替えてください。お嬢様に仕える者がいつまでもそんなみすぼらしい格好をするとは言語道断です」
「もっともらしいことを言うのはその喜悦で釣り上げた口元を元に戻してから言ってください!」
メイド服を片手にジリジリと迫ってくるユリアさんから一歩、また一歩と下がっていく。
ある程度下がったところで突然腰に抱きつかれる感触が。
僕と目の前のユリアさん以外にこの場にいる人物といえば一人しかいない。
「お嬢様、後生ですからその腕を離してもらえないでしょうか」
お嬢様の細腕なら振り払うのは容易い。しかしお嬢様が離れようとしなければそのままベッドから落ちてしまうわけで。
「ユーリなら絶対似合うよ」
その上邪気の欠片も無いお嬢様の無垢な目に見つめられて抵抗できる筈もなかった。
「往生なさい!」
「イーヤーーーーーー…………!」
「あははははははは!」
三人しかいないけれど、僕たちの知る騒がしくて温かさで満ちた今がここにあった。
『ユグドラシル』――皆さんご存知、ゲームであまりに有名な世界樹です。神話では北欧神話の九つの世界を支えているという内容ですね。花で戦う主人公を書いてみたい→主人公が植物関連の力を持っている→神話の植物といったら世界樹的な感じです。
次は新しい章です。




