1.ゼフィロウ城の緊急会議⑦
シンがやって来るのを待つ間、エアの部屋では冷たい飲み物が用意された。
王は困ったように、大巫女とエアとヴァンは無表情にグラスに口を付ける。アイサも静かにグラスを取った。
ラビスミーナが苛々しながらグラスの中身を飲み干す。そこで、扉が開き、戻った侍従が言った。
「お連れいたしました」
全員が開いた扉の外を見る。
そこにはシンが所在なさそうに立っていたが、シンはアイサの姿を見つけて、明らかにほっとしたようだった。
「あなたがシン殿か。こちらへ」
エアがこう言う間にも、ラビスミーナの視線がシンに突き刺さる。その視線に気づいたそぶりも見せず、シンは丁寧に言った。
「セジュの国の方々、命を救って下さってありがとうございます」
ヴァンが目を丸くした。
「古代アヌ語……アエルの時と同じじゃな」
大巫女が頷いた。
「アイサに会うまでは文字をたどるだけで、発音はおぼつかなかったのですが」
シンは答えた。
「おもしろいのう、実に」
「大巫女殿?」
王は不思議そうに大巫女を見た。
「いやいや、何でもない」
うっすらと笑みを漏らす大巫女を傍目に、エアはエメラルドの瞳をシンに向けた。
「シン殿、紹介しよう。こちらはセジュの王、リョサル殿だ。そちらは大巫女のガルバヌム殿、アイサのいとこのヴァンと姉のラビスミーナ、そして私は父親のエアだ」
「ファニ領主ラダティスの息子、と言っても預けられた身ではありますが、シンと申します」
「シン殿、体の方は、いかがかな?」
リョサルが聞いた。
「はい、おかげですっかり回復いたしました」
「それは結構じゃ」
興味深そうにシンを眺めていたガルバヌムが言い、その小さな体を伸ばした。
「アイサからだいたいの話は聞いた。そこで、シン殿、我々がそなたに聞きたいのは二つじゃ。一つ目は、今、地上に戻っても、そなたには大変な困難が予想されるが、それでも地上に戻りたいかということ、そして、もう一つは……そなたは地上へ戻る際にこのアイサを連れて行きたいかということじゃ」
「はじめの問いに対しては、はい、ふたつめの問いに対しては、いいえとお答えいたします」
すっかり落ち着きを取り戻したシンは、ガルバヌムの問いにきっぱりと答えた。だが、シンの言葉が終わるか終らないかのうちに、アイサが声を上げていた。
「シン、どういう事なの? 私はあなたと地上へ行く気でいるのよ? 今更、なんて事を言い出すのよ?」
「だって、アイサ、よく考えてごらんよ。僕はこれからクイヴルの内乱に巻き込まれるだろう。兄上にはオスキュラやパシパの後ろ盾がある。ススルニュアがオスキュラに屈すれば、ススルニュアも僕の敵になるんだ。その中で、クイヴルの人たちにとって一番良い道を探さなくてはならない。どんなに頑張っても、とても君を守れる自信はないんだ。ここにいれば君は安全だ。君には、ここで平和に暮らしてほしい」
「シン、誰が守って欲しいなんて言ったのよ? いいわ。私は私で思ったようにするんだから」
「アイサ、聞きわけがないぞ」
ラビスミーナが割って入る。
「相変わらず、いざとなると強気だのう」
大巫女は笑いを漏らした。
「シン殿、ということは……あなたはアイサを伴侶にしたいとは望まないのだな?」
エアが言った。
「伴侶……?」
シンは一瞬困った顔をしてアイサを見たが、意を決して答えた。
「自分がこんな面倒な立場ではなくて、アイサがいいと言ってくれたら、どんなことをしてもエア様にお願いしたでしょう。ですが、僕と一緒にいれば、アイサも戦いに巻き込まれる。そんな僕と一緒にいてくれとは言えません。アイサがこの地で幸せに暮らしていると思えば、地上での慰めになります」
「シン、そんなの……」
アイサが混乱している隙にすかさずエアが言った。
「ということだ。アイサ、頭を冷やすんだな」
ラビスミーナがほっと息を吐いたところで、セジュ王リョサルが言った。
「その慰めについてだが、シン殿、こちらでのあなたの記憶は消させていただく。よろしいな?」
リョサルのこの言葉に、今度はシンが顔色を変えた。
「記憶を?」
「なに、たいした手間はかからない。すぐに終わる」
リョサルは言ったが、シンはしばらく答えられなかった。
「アイサについての記憶は……どうなりますか?」
シンはやっと言った。
「全て失われることになるだろう。だが、何の不自由もないはずだ」
王は答えたが、シンは返事をしなかった。
「シン……」
呟くアイサを見て、ラビスミーナはシンに更にきつい目を向けた。
「おもしろいものを見る。のう、エア、そうは思わんか?」
ガルバヌムは戸惑うシンから、エアに目をやった。
「失っても何の損失もないはずなのにな? むしろ、恋しいが決して手の届かない相手の記憶など、持っていれば苦しいだけなのではないか?」
ガルバヌムがシンに問う。
「この中で一番冷酷なのは、王とおばばだな」
エアは溜息混じりに言った。
「私が?」
リョサル王は言った。
ガルバヌムがうっすら笑みを浮かべる。
「のう、エア。わしはシン殿にシェキの門を開いてやってはどうかと思うが?」
ラビスミーナとヴァンは思わず顔を見合わせた。
アイサも驚いて大巫女を見る。
「おばば様には、シン殿がそれに耐えられると見えるのか?」
エアが腕を組んだ。
「わからんな」
「なぜ、そのようなことをする必要があるのだ? 正気を失う危険を冒してまで守らねばならない記憶などがあるのか?」
リョサルが言った。
「王よ。人はそれがないと、もう自分ではなくなってしまうと思われるものに出会うことがあるのだ。のう、エア?」
大巫女は言い、エアは静かにシンを見つめた。
「そんな……」
アイサが動揺したのを見て、シンはガルバヌムに尋ねた。
「シェキの門とは何ですか?」
「ここ、セジュの試しの地への入り口だよ。そこに入った者は、己と己を試す者に出会う。それに耐えられない者は正気を失う。そんな場所だ」
「さっぱりわかりませんが」
首をかしげるシンに、ガルバヌムはシェキの洞窟の話を聞かせた。
「セジュには九つの核がある。その一つ、このゼフィロウは、ある若い王子が気まぐれで見つけた洞窟から始まるのじゃ。洞窟に入った王子は洞窟から出てくると、すっかり様子が変わっていた。そして、王子とともに洞窟に入った者のほとんどが正気を失ったそうじゃ。王子はその後しばらくして学者たちを連れ、再び洞窟に赴き、調査をし、洞窟の近くに神殿を建てた。時の大巫女がその神殿を住処と定め、王子はその洞窟を含む一帯を自分の領地とした。こうして末の王子はゼフィロウの基礎を築いたのじゃ。その当時から、このゼフィロウでは特に学問研究が奨励されている。そして、シェキの洞窟と我々巫女の神殿を守護するのは、セジュを束ねるレンではなく、代々このゼフィロウなのじゃ」
「王子はそこで何を見たのでしょうか?」
ガルバヌムの話に耳を傾けていたシンは言った。
「それじゃ。自分の道を指し示されたとも言われるし、別の世界を見たとも、あの世を見たとも言われている。だが、それだけに危険な場所なのじゃ。あの内部には、その後、入る者を選ぶよう制限が加えられている。お前ならば、中に入る資格があるだろうし、わしならばその門を開くことができる」
「危険だわ。シェキの洞窟はそこに入った者を追い詰める。そこで迷い続ける者もあれば、逃げ出そうとして正気を失い、命を落とす者もいる、そういうところなのよ?」
アイサはシンに言った。
「じゃが、無事に戻る者もいる。このエアも、お前の母もそうだった」
ガルバヌムは静かに言った。
「そこから無事に帰れば、僕の記憶は奪われないのですね?」
「ああ。シェキから無事に戻った者はこの地で厚遇され、その意志は尊重される」
ガルバヌムは保証し、シンはほっとした。
「アイサ、確か君、ビャクに五日で戻ると言っていたよね? シェキではどれほどの時間が必要だろう?」
「何とも、大胆な坊やだ」
ラビスミーナが呟くと、ヴァンが囁いた。
「無知だということもある。だが、どっちにしろ、やつは行くだろうよ」
「お前がアイサの言うような人物ならば、約束の時までに地上に戻れるだろう」
エアがシンに答えた。
「わかりました。それでは、すぐにでもそこへ連れて行って下さい」
「決まりじゃ。王よ、そして、アイサもそれで良いな?」
「シン」
アイサはシンに駆け寄った。
「シン殿、こちらじゃ」
ガルバヌムが言った。
「行ってみるよ」
シンは顔を上げ、ガルバヌムについて行った。




