13.パシパ脱出⑤
ビャクグンから預かった袋をしっかりと懐へ入れたルクルは、薄暗いルーフスの路地裏を急いだ。
いつもなら、この時刻は夕食の支度で忙しい女たちが子供を呼ぶ声や、店の片づけをする人たちのおしゃべりが聞こえて賑やかなものだ。しかし、今、街は死んだように静まり返っている。人々は騒ぎに巻き込まれまいとしっかりと戸を閉ざし、息を殺して家にこもっているのだ。
ルクルはその裏路地を慣れた様子で歩き、小さな食堂の勝手口を叩いた。
「どなた?」
かすかに女の声がした。
「ルクルだ」
そっと戸が開く。
「ルクル、どうしたの? ビャクグン様たちはご無事なの?」
ルクルを招き入れながら中年の女が聞いた。
「ああ、だが、シン様が毒の矢を受けられて……」
「まあ……でも、ルリ様がいる。毒ならなんとかなるでしょう?」
「それが、解毒剤が効かないようなんだ。俺はこれから国へ戻り、解毒剤をつくってもらう」
ルクルは胸に入れていた革の袋を女に見せた。
「それは?」
「シン様が受けた毒だ。ビャクグン様が奪ったのさ」
ルクルは革の袋を
「まあ、ビャクグン様が?」
「見事だったよ。さあ、俺のことを仲間に知らせてくれ。俺はもう行く。急がないとシン様が……」
「ええ、ああ、ルクル、ちょっと待って」
頷いた女はルクルを中へ入れてしっかり戸を閉めると、奥へ急いだ。
食堂では、突然の騒ぎに帰るに帰れなくなった客たちが身を寄せ合っていた。
表通りの方からは馬の蹄の音、怒鳴る兵の声や駆けまわる彼らの足音が聞こえてくる。そこに路地に残された樽や、縁台がひっくり返される派手な音が加わった。
さらに時折聞こえる爆発音。
「ひゃあ」
「これはいったいどうなっちまったんだ?」
「さっきまで、祭り一色だったじゃないか?」
客たちは声を落として言った。
「おや?」
裏口を覗いた客の一人がルクルに気づいた。
「あんた、外の様子がわかるかい? これはいったいどういうことだ?」
「私にもわからないんですよ。いきなりすごい音がしたと思ったら、あちこちで火の手が上がり、パシパの兵が賊を追い始めた。すると、賊の仲間が現れて追う兵の邪魔をはじめるといった具合で……」
ルクルは答えた。
その様子は明らかに動転しているように見える。
「このパシパでそんなことが……?」
「ここは大陸中でも一番安全な場所じゃないのか?」
「しかも、今は教祖様の生誕祭の最中だぞ?」
客たちは顔を見合わせた。
「私は小さくなって物陰から見ていたんだが、それでも何が何だかわからない。商売ついでにパシパの生誕祭を見物していこうと思ったのが間違いだったんだ」
ルクルの声は震えていた。
「よそから来たのかい?」
「だが、旅の人、今出て行っては危ないですよ」
「これが収まってから出た方がいいんじゃないか?」
地元の客がよそからの客を気遣い、外の様子を窺った。
「いいえ、私は帰りますよ。嫌な予感がするんです。家には小さな子供がいる。早く行ってやらなくては」
「だが、なあ。もう少し待ってみたらどうだい?」
「いいえ、こんな物騒なところはこりごりだ」
「まあ、無理にとは言わないが」
「用心して行ってくれよ」
「ありがとう。皆さんも気をつけて下さいよ」
不安そうに自分を見つめる客たちの前で、女がそっととろりとした飲み物を差し出す。
「長旅になるから」
「ありがたい。これで多少無理しても体が持つ」
女にだけ聞こえるようにそっと感謝して飲み干すと、ルクルは裏口から出て行った。




