13.パシパ脱出④
ビャクグンとスオウが立ちはだかるパシパやオスキュラの兵を着実に退け、逃げ道を開いていく。そして、シャギルとシンがアイサを乗せたルリの後ろ固める。さらに一行の周囲には馬で乗りつけたクルドゥリの仲間が援護に入った。
パシパの町を駆け抜ける彼らは嵐のように追っ手を退け、ぐんぐん引き離していく。それでも追いすがろうとするパシパやオスキュラの兵たちを仲間を率いたナッドやストーが食い止める。
シンとアイサをパシパから脱出させるための十分な仲間がいる。相手が誰であろうと、クルドゥリの四人組を止められる者はいなかった。
(この調子で川まで行ける)
クルドゥリの四人がそう思ったときだった。
「おい、シン」
遅れ始めたシンにシャギルが気付いた。
「ビャク、ちょっと休めるところはないか?」
有無を言わせぬ声でシャギルが叫ぶ。
「どうしたの、シャギル?」
意外な言葉にビャクグンを始め、全員が速度を落とした。
「シンの様子が変だ。おっと」
シャギルがバランスを崩し、落馬しそうになったシンを慌てて押さえた。
「おい、シン、どうしたんだ?」
スオウが馬を寄せ、シンの手綱を抑えた。
「何でもないよ、スオウ。少し、ふらふらしただけだから」
シンは懸命に手綱を握ろうとしているが、力が入らないようだった。
「目がうつろだわ」
ルリも素早く馬を寄せ、首元に触れた。
「熱がある」
「しまった、毒だな」
肩の傷口を見たシャギルは低い声で言った。
「あの感じからして……ススルニュアの者のようだった。厄介だな」
スオウが呟く。
「この解毒剤で効くかどうか」
熱に浮かされ始めたシンにルリが素早く解毒薬を注射する。スオウが有無を言わさずシンをマントで包み込み、自分の馬に乗せた。
「スオウ、どうした?」
「シン様に何があったんだ?」
一行を援護していたクルドゥリの仲間が近づく。
「毒だ。シンは俺が運ぶ。急ぐぞ。おい、ビャク」
シンを押さえ、馬に乗ったスオウがビャクグンを見た。
「スオウ、ちょっと後を頼むわ」
「ビャク……行くのか?」
「ええ、かすっただけでこの症状。あいつら、ただ者じゃなかった。ここで解毒薬が手に入れば、それに越したことはないわ。先に行っていてちょうだい。お前はルクルだったわね。一緒に来て」
ビャクグンは一行を守るクルドゥリの男たちの中にいた一人に言った。ビャクグンに近づいたその男には、全く気配がない。それだけではなかった。どこにでもいそうなその男には、不思議なほどにこれといった特徴がない。これが人の間に紛れるこの男の特技だった。
「ビャク」
シャギルとルリがビャクグンとスオウを見た。
「仕方ないな」
ビャクグンの気質を呑み込んでいるスオウは頷いた。
先頭を走るシャギルに、アイサを乗せたルリ、シンを乗せたスオウが続く。
シャギルはパシパの僧兵から槍を奪った。騎馬での戦いとなるとこちらの方がずっと効率がいい。
馬を狙ってくる矢を弾き、飛び出して来る兵を退けながらシャギルが進む。
この町に滞在している間に、脱出に有利なルートはいくつも頭に入れてある。本能的に最適なルートを選びつつ、敵にそのルートの先読みをさせない。相手の裏をかきながらシャギルはルーフスの街路を駆け抜けた。
(もうすぐルーフスを抜ける。そうしたら、荒れ地を突っ切り、ポン川の川辺にある林に逃げ込んで、川で待つ仲間の船に乗り込む)
シャギルは後ろを振り返り、スオウの操る馬に揺られているシンを見た。シンは意識が途絶えたようで、がっくりと頭を垂れている。
(まずいな。おっと)
ルーフスを出て荒れ地を駆ける一行の前にパシの僧兵とオスキュラ兵が立ちはだかる。だが、彼らは一人二人と倒れて行く。クルドゥリの仲間が薬を撒いておいたのだ。立っている兵も動きが鈍い。それでも、シャギルに向かって矢が飛ぶ。
「ちっ、止めようとしたって無駄なんだよ」
飛んでくる矢を退けながらシャギルは叫んだ。
(出来るだけ早くこの荒れ地を駆け抜ける)
シャギルはこれほど時が惜しいと思ったことはなかった。
「あの毒は誰にも知られていない。解毒は不可能だ」
アイサを連れた一行を見送ったティノスの客、そしてルーフスの屋根から矢を射かけた集団を率いていた男は笑った。
「奴らは船で逃げる気だ。ポン川の見張りを強化し、怪しい船を見つけ出すよう伝えろ。兵を川沿いの林に向けさせるんだ」
男の指示を持った伝令が僧院へ馬を走らせる。
「我々はこのまま追わなくていいのですか?」
部下が聞く。
「ああ。急ぐことはない。これからじわじわと奴らを追い詰めてやる」
男は逃亡者の先回りをすべく、部下を率いて荒れ地に向かった。荒れ地の手前、ルーフスの市場に差し掛かかる。いきなり轟音が鳴り響き、周囲の建物が崩れた。
男の乗る馬が怯える。
「ちっ、ここにもいたか。生意気に邪魔をする気か?」
男はあたりを見回した。
敵の気配はない。
がれきの山が、もうもうと粉塵を巻き上げているだけだ。
「どういうつもりだ? こんなことぐらいで俺たちを足止めできると思ったか?」
男は粉塵越しに敵の気配を探り、それから感じたことのない違和感に背筋が冷えた。
そういえば……部下たちの反応がない。
慌てて振り返った男の目に、ずるずると落馬していく部下たちが映った。
そして次の瞬間、男は嗅ぎ慣れた血と埃の匂いの中に、場違いではあるが花の香りがしたと思った。
男は息を飲んだ。
右肩が痛む。
信じられない思いで見てみれば、肩に細いナイフが食い込み、血が流れている。
(逃亡者を助けていた一団は逃亡者を守るようにルーフスを移動している。ルーフスに潜んでいる奴らもパシパやオスキュラ兵に食らいつくのに精一杯で、俺たちを追ってきた様子はなかった。現に、ここにはさっきまで人影はおろか、潜む敵の気配もなかったじゃないか……)
「誰だ? どこに隠れている?」
男は肩に刺さったナイフを引き抜くと、辺りを見渡し、声を張り上げた。
「ここよ」
崩れた路地の脇から現れたのは、黒髪の美しい女。神殿を破壊した娘とクイヴルのお尋ね者を連れてパシパを突破しようとしていた一行の先頭に立っていた女だ。
「さっきのお返し。これ以上私たちの邪魔をさせるわけにはいかないのでね」
「お前か……俺が荒れ地に先回りすることを読んだか? 大したものだと言わねばならんな。クイヴルのシン……ファニであいつを助けたのも、お前たちだな?」
「だったら?」
ビャクグンは嫣然と微笑んだ。
「こちらにも情報網はある。あいつがクイヴル王家の最後の生き残りだということは知っている。このパシパで動き回っている奴らの中に、クイヴルの王統派がいることもな。だが、お前たちはそれとはまた毛色が違うようだ。お前は何者だ? 何をしようとしている?」
男は油断なく目の前の女を観察した。ビャクグンがくすりと笑う。
「自慢の情報網に、ものを言わせてみたらどう? それも、命があればのことだけど」
その声が冷たい。
「生意気なっ」
馬から飛び降りた男は肩の負傷をものともせずに、ビャクグンに剣を振り下ろした。
だが、振り下ろした先にビャクグンの姿はなかった。それどころか……男の脇には、またナイフが刺さっている。
「ぐっ」
ススルニュアの暗殺集団の中で育ったこの男には、この状況が信じられなかった。自分の力を頼りに生き抜いてきたが、今までとは勝手が違う。
「解毒薬をちょうだい。そうすれば命は助けてあげてもいいわ」
ビャクグンは言った。
「くっ、無理な話だ。そんなものを作るものか。毒は殺すためだけにあるのだからな」
それ以外生き方を知らなかったこの男は、自分のわきに刺さったナイフを乱暴に引き抜いて放り出すと、再びビャクグンに切りつけた。
「残念だわ」
ビャクグンが軽々と男の剣を躱す。そして男が剣を返す間に、ビャクグンの短剣が男の首の急所を払った。
血しぶきを上げて男が地面に倒れる。
騒ぎを聞いて駆けつけたパシパの兵が馬から落ちて倒れている外国部隊と目の前で絶命した男を見て、じりじりと後ずさった。
「この男の言う通り、解毒剤はないようね」
素早く男の服を調べ、ビャクグンは毒薬の入った革の袋を注意深く取り出した。
「お、お前、何をしている?」
「一人のようだぞ」
「捕まえろ」
及び腰の兵からようやく声が上がる。
「さあ、私を追って来られるかしら?」
独り言のように言って、ビャクグンは街路に身を消した。
「ビャクグン様」
街路の先で身を隠していたルクルが駆け寄った。
「これをクルドゥリへ。早く解毒剤を用意するようにと」
ビャクグンはルクルに革の袋を渡し、ルクルに預けていた馬を駆った。




