11.旅の一座⑥
商館の裏口にひっそりと一台の馬車が止まっていた。
その中でビャクグンを待っているのはシンとセレンだ。
(あの女は不思議なベールをアイサに渡しに行ってしまった。今、誰かに見とがめられ、誰何されたら、私もシンも終わりだわ)
セレンの心臓は破裂しそうだった。だが、途方もなく長く感じられた時間も、実際は僅かだった。何事もなくビャクグンが馬車に戻り、それを合図にスオウが馬に鞭を当て、馬車は夕暮れの迫る町をいずこともわからないところへ走り出す。
「これから、どこに行くのですか?」
セレンは恐る恐るビャクグンに聞いた。
「仲間に会います。そこであなたを安全な場所に連れて行ってもらいます。リョユウ殿も役目が済んだらすぐにあなたと会えるようにしますから、安心して下さい」
ビャクグンは答えた。
「姉上、僕らを信用してください」
シンも言う。
セレンは黙って頷くと、長く待ったそのぬくもりを確かめるように、シンに寄り添った。伝わる温かさは、セレンの心を溶かして揺らし……やがて、馬車は町はずれの質素な宿屋の前で止まった。
「これを」
ビャクグンがセレンに粗末なストールを渡す。そのストールでセレンが身を覆うと、宿屋から主らしき小柄で年を取った男が出てきて、ビャクグン、シン、そしてセレンを店の奥の部屋へ案内した。
部屋には一人の男が彼らを待っていた。
このあたりの者には見えない。体が大きく、若いがその髪の色も白に近いところを見ると、北の国、グランの者のように思われた。
「お待ちしておりました。この方ですね?」
男はビャクグンに聞いた。
「そう。よろしくお願いね」
ビャクグンは男に言い、シンとセレンに目をやった。
「セレンさん、どうかお元気で。シン、お姉様に挨拶をなさい。私は馬車で待っているわ」
ビャクグンと主人が部屋を出て行く。
「相変わらず美しい方ですね。ビャクグン様は」
ビャクグンの姿を見送っていた男が溜息交じりに言った。
「ビャクグン様?」
セレンは初めて黒髪の女の名を知った。そういえば、彼女を始め、旅の一座は名を名乗らなかった。
「とても、尊い方です」
男は気負うこともなく答える。
(ミルの様子を見てもそうだった。ビャクはクルドゥリの中でも高い地位にいるらしい)
「シン」
「あ、はい」
シンはセレンの視線が自分に注がれているのに気がついた。
「姉上、僕も行かなくては。くれぐれもお体を大切になさってください」
シンはセレンに頭を下げ、すぐにビャクグンの後を追おうとした。
「待って」
セレンがシンを引き留めた。
「シン、また会える?」
「多分」
口ごもるシンに、セレンは縋りついた。
「やっと会えたのに……また、別れなくちゃならないなんて嫌だわ。今までずっと近くにいてシンを見守ってきたのだもの……シン、このまま一緒に暮らしてくれないの?」
「姉上、それは無理です」
「でも……だってシン、お父様が言っていたわ。シンが何事もなくファニで大人になれたら、私の夫としてファニで暮らすのもいいって。私、そのつもりでいたのに。私、シンのことならよく知っているわ。それに……ファニには戻れないかも知れないけれど、私たちが一緒になれば、きっとお父様もお喜びになる」
一気にまくしたてたセレンは涙ぐんだ。一方、シンは縋り付くセレンを受け止めながらも、ラダティスの言葉が引っ掛かった。
(僕が何事もなく大人になれたら? それはどういう意味だろう?)
「シン」
セレンはシンを見上げた。だが、その顔には自分が必死で訴えた言葉に対して、歓びも、戸惑いも、嫌悪さえも浮かんでいない。それがセレンには残酷に思われた。
(思えば、いつもそうだった)
うなだれるセレンに答えたシンの声は、やはりいつものように優しかった。
「姉上、誰かを喜ばせるために結婚するものではないでしょう? 家庭を作るために人を好きになるわけでもありません。姉上は……父上を亡くしてつらい気持ちを、僕で埋め合わせようとしている。誰かとともにありたいという気持ちは、もっと……」
「アイサなのね?」
セレンの瞳に怒りがひらめいた。
「どこの娘なのかもわからないのよ? 確かに美しい子だわ。だけど、あの子はいったい何なの? 突然現れて、私からすべてを奪って」
「アイサは何も奪っていない。それに僕はアイサが誰であってもいいんです。アイサはアイサだから。ただ、一緒にいられれば……」
シンの表情が陰る。
「シン、目を覚ましなさい」
セレンの声が部屋に響いた。
「何から、ですか?」
シンは澄んだ目でセレンに聞いた。
「あの、シン様、そろそろ……ビャクグン様がお待ちです」
男が見かねて声をかけた。
「姉上を頼みます」
自分を見つめる姉から目を逸らし、シンは部屋のドアに手をかけた。
「待って、シン。あの火の前に出た者は皆、病気になるか、命を失うかすると言うわ。アイサだって無事ではいられないのよ」
たまらなくなってセレンは叫んだが、シンを振り向かせることはできなかった。




