第九十九話「調理場と、琥珀焼きと、あと肝」
アルドは立ち上がった。
井戸水で濡れた身体から、水滴がぽたぽたと落ちる。
セレスティアは布を持ったまま固まっていた。
「トンソク?」
アルドは答えない。
そのまま歩き出す。
ずんずん。
井戸のある裏庭を抜け、城の中へ向かう。
「アニキ!待ってくれよ!俺っちも行くぜ!」
メイトも、とことこと後ろをついてきた。
セレスティアは、はっと我に返ると。
「ちょ、ちょっと!どこへ行くのですか!」
慌てて後を追う。
オークを追いかけるパラスワイバーン。
それを追いかける女騎士。
通りがかった兵士たちは、当然のように道を開けた。
「セレスティア様、オークを今度はどこへ連れていくんだ?散歩か?」
セレスティアが連れているわけではないので、目的地は知らない。
知っているのはオークだけだ。
着いたのは調理場だった。
ただし、厨房は半壊していた。
それでも。
火を起こす場所は残っている。
大きな作業台も、どうにか使える。
そして何より……山のように食材があった。
てか本当に山だった。
調理場の奥には、討伐されたモンスターの死骸が積み上げられていた。
ガルディアス城で仕留められたモンスターたち。
兵士たちは、ここで解体、調理していたのだ。
だが、量が多い。
種類も。
大きすぎるものもある。
手に余った死骸は、そのまま放置されていた。
アルドは、その前に立った。
そして肉を見る。
旨いものは、経験上分かっている。
強い奴だ。
強い奴ほど旨かった。
この中で一番強いのはどれだ。
一番、格の高いもの。
アルドの視線が、一点で止まった。
そこに、それはいた。
巨大な蛇型モンスター。
体長は五メートルほど。
胴は太く、大人の体ほどもある。
黒緑の鱗は硬く、ところどころに銀色の斑が走っている。
頭部には、短い角のような突起。
顎は大きく、牙は短剣のように鋭い『ギガントファング』。
おそらく、チャンピオン個体。
ただ大きいだけではない。
肉の奥に、濃い魔力の残滓がある。
討伐した兵士たちも、硬すぎて手をつけられなかったのだろう。
普通の包丁、いや刃物では歯が立たない。
だから放置されていた。
もったいないことだ。
宝の山を前にして、掘る道具がないと言っているようなものだ。
イジェクト。
空間が揺れる。
万能包丁が現れた。
包丁は、手の中で形を変える。
厚みのある刃へ。
さらに伸びる。
巨大なバスターソードの姿になった。
「まさか、それで……」
セレスティアが息を呑む。
アルドは、巨大蛇の前に立つと正眼に構えた。
ベルガ聖騎士剣「アークリッパー」。
横なぎの一閃。
だが今、敵ではなく、食材に使った。
戦うためではなく、捌くために振るう。
硬い鱗が、紙のように裂ける。
続けて、もう一振り。
巨体が美しく割れていく。
ごついバスターソードでありながら、動きは繊細だった。
岩を砕くような重さ。
それでいて、絹を思わせるような滑らかさ。
セレスティアは、言葉を失って見ていた。
剣技だ。
これは、間違いなく一流の剣技だ。
これが戦場で振るわれたのであれば、どれほどの威力を発揮するのだろうか。
アルドはモンスターの解体屋のようでもあり、料理人のようでもあり。
そして、どこか剣豪のようでもあった。
「きゅきゅーん……」
メイトも口を開けて見ている。
何やってるか分からないが、すごい。
アルドは止まらない。
万能包丁を、今度は大型の鉈へ変える。
鱗を剥ぎ、皮を引く。
余計な筋を落とす。
使える脂を分ける。
大きな身を、食べやすい幅へ切りそろえていく。
さらに万能包丁を細く変えた。
今度は柳包丁のような形。
骨周りの肉を外す。
内臓を取り出す。
肝を見つけた瞬間、アルドの目が光った。
でかい。
規格外だ。
さすがチャンピオン個体。
肝だけで、メイトほどある。
魔力も、旨味も、明らかに濃い。
これは後回しだ。
アルドは肝を丁寧に分けた。
その動きに、セレスティアが小さく息を漏らす。
「……本当に、何者なのですか」
さて、下ごしらえは出来た。
次は焼く。
串が欲しい。
普通の串では大きさが足りない。
アルドは調理場を見回した。
崩れた棚。
割れた瓶。
煤けた鍋。
折れた木片。
そして、壁際に積まれた修理用の資材。
あった!長めの釘!
太さも長さも申し分なし。
これだ。
アルドは釘をまとめて掴むと炉へ向かった。
火を起こす。
薪は少ない。
ならば、潰れた椅子を使う。
燃えやすい木片を選び、火種を移す。
炎が上がると、アルドは釘を火にくべた。
加熱消毒。
釘が熱を帯び、鈍く赤く光る。
それを取り出し、水で冷まし、布で拭う。
次は調味料。
塩だけでは弱い。
この蛇肉の、さっぱりとした旨味を引き出す。
ならば、甘みと香ばしさが欲しい。
焼きながら塗るたれ。
それが合う。
アルドは鼻を動かした。
すんすん。
アルドは床を見た。
違う。
棚じゃない。
もっと下。
地面の中。
そこから、かすかに匂う。
長い時間をかけて、角が取れた深い香り。
アルドは万能包丁の先で、石床の隙間をこじった。
石を外す。
すると、布に包まれた小さな瓶が出てきた。
封は蝋で固められている。
きっと誰かがしまっておいたのだろう。
アルドは蝋を削り、栓を抜いた。
ふわりと香りが立つ。
完璧に熟成されたソース。
豆の旨味と塩気。
糖蜜の甘さ。
わずかな酸味。
年月で深みを出した味。
アルドは指先に一滴つけ、舐めた。
目が見開かれる。
ベストな熟成具合。
これは美味い。
勝った。
アルドは、蛇肉を開き、厚みを均一にする。
表面に細かく切れ目を入れる。
火の通りをよくするためだ。
釘串を通す。
一本。
二本。
三本。
大きな蛇肉を、形が崩れないように固定する。
炭に近づける。
まずは皮側。
脂が落ちる。
じゅう、と音がした。
煙が立つと、香りが広がった。
「きゅ……?」
メイトの鼻が、ピクピクと動いた。
アルドは焼き加減を見る。
急ぎすぎてはいけない。
強火で焦がせば、表面だけが苦くなる。
弱すぎれば、脂が抜けず、臭みが残る。
火からの距離。
それが神髄。
ひっくり返す。
身側を焼く。
表面が白く変わり、やがて薄く黄金色になる。
そこに、黒い熟成ソースを塗った。
じゅっ。
甘く焦げる香りが、調理場に満ちた。
兵士たちが、外から顔を出す。
「何だ、この匂い」
「腹が減ってきたぞ」
「これは反則だろ」
塗る。
焼く。
返す。
また塗る。
余分なたれを落とし、焦げる寸前で火から離す。
再び戻す。
皮に照りが出る。
黒ではなく、茶でもない。
光を含んだ琥珀色。
濃いソースが焼け、肉の脂と絡み、薄い膜になって表面を包む。
香ばしい。
だが重すぎない。
アルドは、さらに香草を砕いて振った。
厨房の隅に残っていた乾燥香草だ。
湿気ていたが、火で炙れば香りは戻る。
最後に、ほんの少しだけ塩。
味を締める。
完成したのは、照り焼き料理。
ファスタでは、甘い熟成ソースを重ね塗りしながら、肉や川魚を焼く料理を琥珀焼きと呼ぶ。
表面が琥珀のように艶めくからだ。
正式なものとは違う。
だが、悪くない。
いや。
これはこれで、素晴らしい。
アルドは焼き上がった肉を皿へ移した。
濃い琥珀色の照り。
ふっくらした身。
焦げたソースの香り。
そして脂。
「きゅいいいい……」
メイトが震えている。
床がよだれまみれだ。
「食ってみろ」
アルドは、細く切った一片を皿に乗せ、メイトの前に置いた。
メイトは勢いよくかじりついた。
そして、固まった。
「きゅ……」
目が見開かれる。
口だけが、ゆっくり動く。
噛む。
飲み込む。
次の瞬間。
「うめええええええええええええ!」
メイトが跳ねた。
床から小さな身体が弾む。
「何だこれ!何だこれ!さっきの肉と全然違うじゃねぇか!」
「ふんっ当然だな」
「外が香ばしい!中がふわっとしてる!甘い!しょっぱい!肉がすげぇ!アニキがすげぇ!」
非常に騒がしいが、悪い気はしない。
「俺っち、決めたぜ!」
メイトが目を輝かせる。
「一生アニキから離れねぇ!」
やめろ。
一生は重いって。
「アニキの行くところに俺っちあり!アニキの飯あるところに俺っちあり!これが食えるんなら魔王様とだって戦ってやんぜ!」
飯で釣れる情報源。
コイツは『宝珠』の情報を握ってやがる。
手名付けておいて損はない。
次に、アルドはセレスティアへ皿を差し出した。
「私に?」
セレスティアは戸惑いながらも、皿を受け取った。
まだ湯気が立っている、琥珀色に艶めく肉。
甘く香ばしい匂い。
セレスティアは、そっと口に運んだ。
一口噛んだ。
言葉が出なかった。
美味しかった。
確かに、とても美味しかった。
これほどの料理は、ガルディアスでも滅多に口にできない。
まして、崩れかけた厨房で、限られた道具と調味料だけで作ったとは思えない。
だが、セレスティアが言葉を失った理由は、それだけではなかった。
この味を、知っている。
ファスタの名物料理。
琥珀焼き。
発祥は、ファスタ王都だと言われている。
祭りの日に屋台で売られる庶民の味であり、祝いの席では、上等な肉を使って振る舞われる格式ある料理でもある。
甘く香ばしい香り。
何度も塗り重ねた熟成ソースの照り。
焦げる寸前の苦み。
肉の旨味を包む、濃い味。
間違いない。
これは、王都の料理だ。
セレスティアは、はっとした。
王都。
自分が向かう場所。
もしかして、トンソクは、そこへ一緒に来てくれるという意志表示だろうか。
言葉では答えられない。
だから、料理で示してくれたのだろうか。
セレスティアは、アルドを見た。
アルドは、親指を立てていた。
任せろ。
そんな顔だった。
不器用な励まし。
同行の意思表示。
これが、彼女の不安に対する答え。
セレスティアは、もう一口食べた。
熱い肉。
噛むほどに広がる旨味。
不思議だった。
先ほどまで胸の奥で固まっていた不安が、少しずつほどけていく。
料理には、作った人の心が表れるという。
なら、この料理は。
荒々しく。
不器用で。
それでいて、温かい。
セレスティアは、小さく息を吐いた。
「……こんなに、心に染みる料理は初めてです」
アルドは首を傾げた。
心?
何の話だ。
染みているのは、ソースだろう。
セレスティアは、静かに皿を置いた。
「ありがとうございます、おいしかったです」
「ぶひ」
礼には及ばん。
俺が天才だっただけだ。
アルドも、自分の分を切り分け、焼き立ての蛇肉を口に運んだ。
熟成ソースの甘みと塩気。
うむ、上出来だ。
かなりうまい。
即席でこれなら上等だ。
それに、やはりチャンピオン個体は格が違う。
肉に魔力があるような。
腹ではなく、血に染み込むような感覚。
そして。
来た。
腹の奥で、熱が弾ける。
レベルアップだ。
新種だったからだろう。
ハイドオーク、レベル三。
アルドは、にやりと笑う。
悪くない。
だが、まだ終わりではない。
メインは、こちらだ。
肝。
アルドは、別に取っておいた肝を取り出した。
セレスティアとメイトの視線が、自然とそちらに向く。
「それは……」
「きゅい?」
肝は、常識外れの大きさだった。
普通なら、小さく切って煮る。
臭みを抜く。
香草を使う。
酒があればなお良し。
だが、今はない。
ならば。
アルドは肝を大きめに切った。
あえて小さくしない。
厚みを残す。
表面に塩を振り、少し置く。
余分な水分を出す。
その間に、火を整える。
強すぎる炎は駄目だ。
肝は繊細。
焼きすぎれば粉っぽくなる。
中心にわずかに柔らかさを残し、外側だけを香ばしく焼く。
そこを狙う。
釘串に刺すと、ずしりと重い。
アルドは串を火にかざした。
じゅう。
肝の表面が焼ける。
脂とは違う香りが立った。
鉄のような。
土のような。
そこへ、熟成ソースを薄く塗る。
身の時とは違う。
肝は味が強い。
たれを厚く塗りすぎると、肝の苦みと喧嘩する。
薄く……。
香りだけを重ねる。
表面に軽く焦げ目がつくと、中から濃厚な旨味が膨らむ。
完成した。
蛇肝の串焼き。
見た目は豪快だが、火入れは繊細。
アルドはまず、自分でかじった。
身とはまったく違う。
濃い。
とにかく濃い。
苦みとコク。
噛むたびに、重い旨味が舌へ沈んでいく。
これは美味い。
そして、また来た。
腹の奥で、二度目の熱が弾ける。
連続レベルアップ。
ハイドオーク、レベル四。
王都行きの前に、戦力が上がるのはありがたい。
やはり飯は大事だ。
飯は世界を救う。
いや、俺を救う。
「アニキ!俺っちにも!」
メイトが跳ねる。
「あんまり食べ過ぎるなよ?鼻血が出るぞ」
アルドは小さく切った肝を渡した。
メイトは食べると、また震えた。
「うめぇ……」
今度は叫ばず静かだった。
あまりの旨さに、逆に静かになっていた。
「アニキ……俺っち、もう戻れねぇっす」
どこへだ。
知らんけど勝手に行くな。
セレスティアも、恐る恐る肝を口にした。
そして、目を伏せた。
「……力強い味ですね。苦いのに、芳醇で。重いのに、温かい。まるであなたのように」
セレスティアは、アルドを見る。
「不思議です。料理に対しては、怖いくらい真っ直ぐなのですね」
セレスティアは、微笑んだ。
何かを勝手に受け取っている顔だった。
まあいい。
そんなことは、どうでも。
その後、アルドは片付けるふりをしながら、こっそり動いた。
熟成ソースの瓶。
使えそうな調理器具。
塩。
まだ使える鍋。
ついでに、余った蛇肉の良い部位。
全部収納。
誰のものかだって?
俺のものだ。
そもそも、あいつらが勝手に食ったモンスター肉の代金がまだだ。
なら、これは正当な対価である。
アルドは、ふふんと鼻を鳴らした。
ストレージ便利すぎ。
「トンソク?何をしているのですか?」
セレスティアがこちらを見る。
アルドは何食わぬ顔で、親指を立てた。
「ぶひ」
問題ない。
完璧だ。
セレスティアは少し不思議そうにしたが、すぐに微笑んだ。
「王都まで、よろしくお願いします」
アルドは、琥珀焼きの残りを口に放り込む。
王都へ行ってカナを探す。
デモンレイアを見つけ宝珠を奪う。
腹は満ちた。
レベルも上がった。
情報源も餌付けした。
アルドは、にやりと笑う。
世界が敵だろうが知ったことか。
俺は俺の身体を取り返してやる!




