第八十八話「結界と、狙撃手と、あと青き光」
「お父様……!」
セレスティアは、ヴァルデマールの身体を抱きかかえていた。
大きな身体、そして重い鎧。
けれど、先ほどまでのような恐ろしい圧はない。
今ここにいるのは、傷つき、疲れ果て、それでも娘の無事を喜んでいる一人の父親だった。
「無理をなさらないでください。今は、どうか……」
セレスティアの声は震えていた。
ヴァルデマールは、弱々しく息を吐く。
「セレス……」
「はい」
「お前たちは……結界を作動させに来たのだろう」
セレスティアは目を見開いた。
だが、驚きはしなかった。
当然だ。
この城にある装置のことを教えてくれたのは、他でもないヴァルデマール自身である。
まだ幼い頃、何度も聞かされた。
いつかお前が、この地を守る時のために。
そう言って。
「はい。城内のモンスターを封じるために来ました」
「ならば……早くした方がいい。だが、気をつけるのだ」
「気をつける?何に?」
「……仕掛けがされているやもしれぬ」
その言葉に、ジェイルが眉をひそめた。
「かもしれない、ってのは?」
ヴァルデマールは、苦々しく目を伏せた。
「記憶の一部が……共有されていた。すべてではない。だが、一部は確実に見られている」
「つまり……装置のことも漏れている可能性が高い、ってことか」
「そう思った方がいいだろう」
ヴァルデマールは頷いた。
セレスティアの手に力がこもる。
「では、装置は破壊されているのでしょうか?」
「いや、それはない」
「なぜ言い切れる?」
ジェイルが問う。
「装置を起動させるは、椅子を壊さねばならぬ」
ヴァルデマールの視線が、謁見室の奥へ向く。
そこには、重厚な大理石の椅子が鎮座していた。
ヴァルデマールが、つい先ほどまで座らされていた場所。
「椅子が無事なら、下の装置も無事ってわけか」
「そうだ。だが、仕掛けを置くことはできる。起動しようとする者を邪魔するためにな」
セレスティアの顔が強張った。
しかし迷っている時間はない。
入口の兵士たちは、今もギリギリの戦いを続けているのだから。
城はいまだ戦場。
「行きます。手伝ってくださいジェイル」
「ああ」
セレスティアは、そっと父の身体を床へ預けた。
ジェイルはすぐに周囲を見る。
「リア、すまんがヴァルデマール卿のそばについていてくれ」
「えっ、私?」
話について行けず、呆然としていたリアが、自分を指さす。
「ここから先、何が起きるか分からないんだ。もしヴァルデマール卿の容体が急変したら、すぐに呼んでくれ」
「わ、分かりました!」
リアは慌ててヴァルデマールのそばへ駆け寄る。
その横で、アルドは鼻をほじっていた。
ほじほじ。
「トンソク……お前はリアとヴァルデマール卿を守ってくれ」
「……」
聞いているのか。
聞いていないのか。
残念ながら、こうなった以上信用するしかない。
「俺はセレスティアにつく」
ジェイルは双剣を構える。
キマイラ戦の傷は決して浅くない。
血も流れている。
だが、まだ動ける。
なら、十分だ。
セレスティアは城主の椅子へ近づいた。
白い大理石で作られた、巨大な椅子。
ヴァレンシュタイン家がこの地を守ってきた歴史の象徴。
子供の頃は、近づくことすら緊張した。
自分が座る姿など考えたこともない。
父がそこにいるを、ただ見上げていただけ。
だが今、その椅子を破壊しなければならない。
セレスティアは両手をかけた。
「っ……!」
重い。
大理石の塊だ。
装飾も多く、土台も深く噛み合っている。
簡単に動くものではない。
セレスティアは全体重をかけ、力を込める。
肩が軋んでも足を踏ん張る。
石床に靴底が擦れる。
「くうっ……!」
少しずつ。
ほんのわずか、椅子が傾いていく。
その時だった。
ジェイルの絶対知覚に反応があった。
キマイラ戦で引き当てた、七十八の効果。
死角の位置から気配。
殺気、呼吸、魔力の揺れ。
この部屋で、誰がどこにいて何をしようとしているのか、すべてが手に取るように分かる。
だから、気づいた。
天井。
梁の影。
そこに何かがいる。
「セレスティア!上だ!」
ジェイルが叫んだ。
天井の影が揺れた。
小さなモンスターだった。
体は細く手足も短い。
飛びかかるための形ではない。
噛みつくための牙も、爪もない。
だが、頭部だけが異様に発達していた。
額に、魔力が集まる。
魔弾。
それだけに特化したフォルム。
城主の椅子を動かし、装置を起動させようとする者を狙い撃つために配置された罠。
魔弾が放たれた。
狙いは、セレスティア。
完全な直撃コース。
だが、セレスティアは椅子に全体重をかけている。
姿勢が悪い。
避けられない。
剣も抜けない。
ジェイルも間に合わない。
まずい。
そう思った瞬間。
魔弾が空中で消滅した。
ぱんっと軽い破裂音がして、魔力の塊が空中で弾けて散る。
アルドだった。
鼻をほじっていたはずのオークが、斬撃を天井へ飛ばしていた。
ラディカルショット。
ジェイルの声に、即座に反応して撃ったのだ。
剣から、まだ淡い光が残っていた。
「助かった!」
ジェイルは叫び、同時に剣を投げた。
剣が、天井の小型モンスターへ飛び、突き刺さる。
ぎぃっ、と甲高い声が響いた。
モンスターは梁にしがみついたまま、震えた。
落ちない。
ジェイルは追撃しなかった。
しばらくして。
ぽとり。
小型モンスターが天井から落ちた。
床に転がるとぴくぴくと震え、そして動かなくなった。
毒が回ったのだ。
キマイラに使った毒付与。
その効力は、投げた剣にまだ残っていた。
「……間一髪だったな」
セレスティアは青ざめた顔で、ジェイルの言葉に頷く。
あの魔弾が当たっていれば、死んでいたかもしれない。
いや、死なずとも装置の起動は不可能になっていただろう。
敵は装置を壊するより、重要人物を消す方法を選んだ。
緻密かつ、性格の悪い戦略。
ヴァルデマールの言葉は正しかった。
彼の言葉がなければ、この戦い負けていただろう。
ヴァルデマールを殺さない判断をしたアルドの勘が、この作戦を打ち破ったのだ。
「続けろ!はやく!」
ジェイルが叫ぶ。
「はい!」
セレスティアは、再び椅子に力を込めた。
ぎぎぎ。
石が軋む。
ひびが走る。
城主の椅子が、ゆっくりと傾いていく。
そして。
ごおんっ!
重い音を立てて倒れた。
大理石の椅子は、床にぶつかった瞬間、砕け散った。
白い破片が飛び、石粉が舞う。
その下に魔法陣があった。
青白い線。
幾重にも重なる幾何学模様。
古い文字とヴァレンシュタイン家の紋章。
地下へと繋がる魔力の根。
これが、起動装置。
セレスティアは、息を整えた。
右手を魔法陣へかざす。
青白い光が、彼女の手のひらへ絡みついた。
一瞬、拒むように揺れる。
光が、セレスティアの血を読んだ。
ヴァレンシュタイン家の血統。
記憶された守護者の資格。
すべてが、魔法陣へ伝わっていく。
そして。
地下深くで、何かが目覚めた。
城全体が鳴る。
地脈の奥から、巨大な鼓動のような音。
城の地下に眠っていた大型魔法陣が起動する。
青い光が、床の隙間から漏れ出した。
壁を走り、柱を駆け上がる。
天井へ広がる。
謁見室から廊下へ。
廊下から階段へ。
階段から城壁へ。
青く、清浄なる光が、ガルディアス城を包み込んでいく。
入口で戦っていた兵士たちが、思わず振り返った。
「何だ……?」
「光だ!」
「結界か!」
押し寄せていたモンスターたちが、苦しげに唸る。
だが、身体が動かない。
青い光が、鎖のように絡みつく。
一体。
また一体と。
モンスターたちの動きが止まっていく。
ガルディアス城内は、青く清浄なる光に包まれた。
セレスティアは、魔法陣の前で膝をつく。
奪われた城。
父を縛り、自分たちを追い出した城。
その城が、今。
再び、ヴァレンシュタイン家に応えている。
「……成功……しました」
セレスティアが呟いた。
ジェイルは、双剣の片方を拾いながら笑った。
「みたいだな」
リアは、ヴァルデマールのそばで胸を撫で下ろす。
「よかった……」
アルドは、青い光に包まれる謁見室を見回した。
やれやれ。
これでようやく一段落か。




