第八十六話「寄生と、侍と、あと踏みつけ」
アルドは、ヴァルデマールへ向かいながら考えていた。
どう勝つか、ではない。
問題は、別にあった。
寄生モンスターを殺すべきか否か。
寄生型のモンスターにも、いくつか種類がある。
皮膚に張りつくもの。
内臓に巣食うもの。
血を吸うもの。
魔力を奪うもの。
そして、宿主の神経に根を張るもの。
ヴァルデマールに寄生しているのは、最後のタイプだ。
背中から黒い翼が広がっている。
見た目は分かりやすい。
だが、本体はそこではない。
この手の寄生種は、宿主の脊髄と一体化している。
運動神経を掌握し、脳からの命令を乗っ取り、身体を操る。
厄介極まりない。
では、単純にモンスターだけを殺せばいいのか。
そうではない。
寄生されたままモンスターを殺せば、脊髄が損傷する可能性がある。
身体を動かすための根幹。
そこを壊されれば、どうなるか。
首から下が動かなくなる。
最悪、呼吸すら止まる。
ショック死しても不思議ではない。
神経の損傷まで回復させるには、かなり高価なポーションが必要になる。
あるいは、ハイレベルのヒーラーか。
だが、この状況でどちらも期待できない。
ガルディアス城は壊滅。
砦は物資不足。
高級ポーションなどあるはずもない。
優秀なヒーラーがいるなら、とっくに前線に出ているだろう。
治癒魔法とは、基本的に身体を修復するもの。
もっと正確に言えば、あるべき状態へ戻す、に近い。
だが、損傷が時間と共に固定化されると、その壊れた状態が今の身体として認識される。
すると、回復させようとしても効果が出ない。
そんなことが起きる。
もっとも、聖女クラスになれば話は別だが。
本当にあるべき状態へ復帰させる。
魂の形。
神が与えた本来の肉体。
そういう領域に手が届く。
まさに神の御業である。
アルドは、聖女をMPの予備くらいにしか考えていなかった。
だが、本来、世界中で崇められる存在なのだ。
話は逸れたが、モンスターのついでに、ヴァルデマールを殺してしまうかもしれない。
では、なぜアルドはそんなことで悩んでいるのか。
セレスティアが悲しむから?
可哀想だから?
父娘の再会に胸を打たれたから?
ない。
そんな殊勝な心掛けは、アルドにはない。
あるのは勝利への執着。
どう勝つか。
人類の最後の希望として、勝つためだけに生まれた存在。
それが勇者だ。
勝利に必要なものを嗅ぎ分ける本能だけは、オークになっても消えていない。
ヴァルデマールを殺してしまって大丈夫か。
考える。
考える。
考える。
どうでもよくなった。
戦いが近い。
思考の余計な部分は捨てていく。
ジェイルとセレスティアは、まさに絶体絶命だった。
壁際まで追い込まれている。
左右に散れば、どちらかは助かるかもしれない。
だが、それは同時に、どちらかが死ぬという意味でもある。
ジェイルが逃げれば、セレスティアが斬られ、セレスティアが逃げれば、ジェイルが斬られる。
では、また二人で受けるか?
今度こそ、二人そろってあの世行きだろう。
ヴァルデマールを中心に、絶対領域が展開されていた。
そこに踏み込めば、死あるのみ。
見えない線。
越えてはいけない間合い。
戦士なら、本能で分かる。
だから、踏み込めない。
だから、動けない。
だから、追い詰められる。
その領域を悠々と踏み越えた者がいた。
ぽてぽて。
丸い腹にピンクの肌。
万能包丁を肩に担いだオーク。
アルドだ。
あまりの場違いさに、セレスティアが唖然とした。
「オーク……?」
なぜ。
どうして。
下がれ。
そう叫ぼうとしたが、すぐに我に返る。
これは、チャンスかもしれない。
ヴァルデマールの意識が、わずかでもアルドへ向いた。
今なら間合いを取れる。
あるいは、逆に踏み込める。
セレスティアの足が動こうとした。
だが、できなかった。
アルドの身体が崩れたはじめたからだ。
ぐにゃりとオークの輪郭が溶ける。
そして身体は収束していく。
もうオークはいなかった。
変わりにその場に現れたのは、一人の侍だった。
鋭い眼光。
研ぎ澄まされた刃のような佇まい。
無明朧流継承者――刹那。
まぁもっとも、中身はアルドだが。
手には、万能包丁が変化した日本刀。
セレスティアは、頭が追いつかなかった。
オークが人間に変化した。
「そこから動くなよ?死ぬには日が悪いぞ」
刹那の姿をしたアルドが言った。
その声は落ち着いていた。
まるで、散歩のついでに戦場に来たような、気を抜いた声だった。
「え……?」
セレスティアは声を漏らす。
何を見ているのか分からない。
頭がついていかない。
隣でジェイルが笑った。
「いいから……任せよう」
血だらけの顔で、それでも、どこか楽しそうに。
その顔は、今までのジェイルに見えなかった。
好戦的で、獲物を見るような、子供が悪戯を思いついた時のような、キラキラしていた。
笑っているようにも見え、怒っているようにも見える。
まるで、ネズミを見つけた猫だ。
セレスティアは、息を呑んだ。
この男は、今から何が起きるのか分かっているのかもしれない。
刹那の姿をしたアルドは、ヴァルデマールと真正面から対峙した。
ヴァルデマールもまた、驚いていた。
オークが人に変わったからではない。
いや、それは驚きだった。
だが、そんなものは些末なことだ。
重要なのは佇まい。
構え、呼吸、視線……そして間合い。
そこに立つだけで分かる。
達人だ。
これほどの使い手を、ヴァルデマールは見たことがなかった。
剣を握る者なら分かる。
刃を交えずとも分かる。
目の前の男は、ただ強いのではない。
深い。
底が見えない。
静かで軽やかで。
それでいて、どこまでも遠い。
ヴァルデマールの中で、何かが吹き飛んだ。
娘を逃がしたい。
自分を殺してほしい。
この身体を止めてほしい。
もちろん、その願いは消えていない。
消えるはずはない。
だが、その奥から、剣士としての欲求が噴き上がった。
この強者と手合わせしたい。
磨き上げた技を試したい。
己の剣が、どこまで届くのか知りたい。
寄生種が身体を支配している。
それは変わらない。
だが、心が動いた。
技が応えた。
体が反応した。
心、技、体。
三つが揃った。
剣圧が、一気に跳ね上がる。
「っ……!」
セレスティアは息ができなかった。
膝が勝手に折れる。
父の本気。
いや。
本気などという言葉では足りない。
これほどだったのか。
自分が知っていた父は、まだ甘かった。
稽古の時の父。
それでも、剣に命を捧げた鬼だった。
だが、今目の前にいるのは違う。
剣士ヴァルデマール・ヴァレンシュタイン。
剛剣イグナード流の体現者。
人間が立ち向かえるものではない。
そう思った。
刹那の姿をしたアルドは、そんな圧を浴びながら、薄く笑った。
「それで精一杯か?」
あまりにも自然な挑発。
ヴァルデマールの目が見開かれる。
刹那は、日本刀を上段に構えた。
強者の構え。
そして、攻撃特化の構え。
受けない。
打ち合おう。
イグナード流に対し、真正面から攻撃で。
ヴァルデマールの血が一瞬で沸騰した。
滾る。
剣士としての魂が燃える。
寄生種に操られた身ではなく、一人の剣士として。
彼は、獣のように吠えた。
空気が衝突する。
ヴァルデマールの剣圧と刹那の剣圧。
重い嵐と、流れる風。
ぶつかっている。
セレスティアは目を見開いた。
こんな剣の達人が、この世にいたのか。
父と同じ強さ。
父と同じ領域。
それなのに穏やかだった。
父より静かだった。
まるで雲のよう。
力があるのに、押しつけてこない。
鋭いのに、尖っていない。
眩しかった。
セレスティアは、刹那の背中を見つめる。
父の背中を追ってきた自分が、今、別の背中を見ている。
それが少しだけ悔しくて。
それ以上に、息を呑むほど美しかった。
アルドとヴァルデマールが狙うものは、同じだった。
一撃。
先に剣を当てた者の勝ち。
それだけ。
剣戟の応酬はない。
初太刀にすべてを賭ける。
互いに、意識の隙を探る。
考えて動くのではない。
考えた時点で遅い。
反射。
いや、それより深いもの。
剣に刻まれた魂に委ねる。
刹那が先に動いた。
そこにいたはずの身体が、滑るように前へ出た。
ヴァルデマールは考えなかった。
考える必要がなかった。
無意識で、何十年と振り続けてきた軌跡を描く。
剛剣イグナード流の初太刀。
八相の構えから振り下ろされる、必殺の一撃。
勝った。
確かにそう見えた。
刹那の頭を、両断した。
はずだった。
だが。
刹那は、数歩後ろにいた。
確かに、そこにいたはずなのに。
剣は、ソレに届いたはずなのに。
ヴァルデマールの剣は、完全に空を斬る。
巨大なバスターソードが、石床へ叩きつけられ、地面が抉れる。
それでも勢いは止まらない。
刃はそのまま床を砕き、石を裂いた。
重すぎる剣。
それでも止まらず、ヴァルデマールは地面を転がる。
がしっ。
ヴァルデマールの頭が押さえつけられた。
刹那の足だった。
いつの間にか、倒れたヴァルデマールの後頭部を踏みつけていた。
「だから言っただろ?それで精一杯かってな」
静かな声だった。
勝負あり。




