第八十五話「格上と、対の型と、あと学べる男」
一合。
たった一合、打ち合っただけで分かった。
やっべ。
ジェイルの背中に、冷たい汗が流れた。
間違いなく格上。
力で劣っている、とは思わない。
純粋な腕力だけなら、互角の可能性はある。
正面からぶつかることに関しては、そこらの剣士には負けない。
だが、剣を通して伝わってきたものが違った。
技。熟練。年月。研鑽。
剣士として積み上げてきたもの。
それが、あまりにも芳醇に香った。
まるで磨き上げられたクリスタル。
透明で、硬くて、純粋で。
才能も。
年月も。
情熱も。
何もかもが、剣から流れ込んでくる。
正面からでは勝てない、それだけは、はっきり分かった。
混戦、乱戦、奇襲に奇策。
何でもありなら、そこそこ戦えるかもしれない。
使えるものを全部使えば、勝ち筋を拾えるかもしれない。
だが、今、それは無理な話。
切り札のデュエルフォーチュンもキマイラ戦で使ってしまった。
MPが足りない。
下手な小細工は命取りだ。
ヴァルデマール・ヴァレンシュタイン。
一人でBランク冒険者相当。
いや、実力だけで言えば、Aランク冒険者パーティに所属していてもおかしくない。
それほどの剣士。
セレスティアが、ジェイルの横に並んだ。
まだ涙の跡が残っているものの、剣は構えている。
「一人では無理です」
セレスティアが小さく言った。
「そうか?なら二人なら、何とかなりそうか?」
ジェイルが問う。
「二人でも無理です!」
即答だった。
ジェイルは双剣を構え直す。
軽口を叩いてはいるが、余裕はない。
やるしかない。
時間がないのだ。
入口では、兵士たちがモンスターを必死に食い止めている。
だが、どれだけ持つのか。
城中のモンスターが、謁見室に雪崩れ込んできた時点で終わりだ。
ヴァルデマールをかいくぐって、城主の椅子の下にある装置を起動させる。
それができれば理想。
だが、現実的ではない。
あの剣を無視して、別のことをするなど。
倒すしかない。
セレスティアは、その事実を受け止めた。
父をこの手で討つ。
いや。
心のどこかでは願っている。
助ける方法があるのではないか。
寄生モンスターだけを斬り離せるのではないか。
父を殺さずに済むのではないか。
だが、考えている時間はない。
セレスティアは、レイピアを構え直した。
「打って出ます!」
受けに回れば、イグナード流の威力は半減する。
イグナード流は、攻めてこそ真価を発揮する剣。
ならば、受け身になってはいけない。
恐怖に呑まれてはいけない。
怯えてはいけない。
「合わせる!」
ジェイルが応じる。
二人が同時に踏み込んだ。
セレスティアのレイピアが走る。
速い。
細い銀の線が、ヴァルデマールの喉元を狙う。
ジェイルの双剣が左から斬り込む。
角度をずらし、タイミングをずらし、視線を散らす。
受けに回させる。
そのはずだった。
だがヴァルデマールの大剣は、華麗に動いた。
本来なら、振るうだけで遅れるはずの、超重量のバスターソード。
それが、まるで細身の剣のように角度を変えた。
セレスティアの突きを、刃の腹で逸らす。
ジェイルの斬撃を、鍔元で受ける。
もう片方を、柄で弾く。
無駄がない。
剛剣でありながら、繊細。
重く、鋭く、正確に。
そして。
返す刃が、とんでもなかった。
横薙ぎ。
ヴァルデマールのバスターソードが、空間ごと薙いだ。
重い金属の奔流。
ジェイルとセレスティアは、同時に剣を合わせた。
受ける。
受けた。
受けてしまった。
次の瞬間、二人の体が吹き飛んだ。
五メートル。
謁見室の床を滑るように転がり、石柱に当たりようやく止まる。
「ぐっ……!」
「っ……!」
かろうじて剣で受けた。
致命傷は避けた。
だが、それだけだ。
腕が痺れ、肩が悲鳴を上げる。
肺の空気が抜けていく。
二人がかりで受けて、ようやくこれ。
もし一人で受けていたら?
剣ごと両断されていたかもしれない。
ジェイルは歯を食いしばって立ち上がる。
セレスティアも、震える膝を叱りつけるように立った。
態勢を立て直す。
だが、ヴァルデマールはすでに次の構えに入っていた。
八相の構え。
巨大なバスターソードを、顔の横に悠々と構えている。
重量があるはずだ。
それを、まるで竹刀のように扱っている。
『剣鬼』、その言葉がふさわしい。
立ち昇る圧は、一振りで絶命へ至らしめるに十分。
身体に染みついた技。
染み込んだ型。
剣技には、心、技、体がある。
その三つがシンクロすることで、初めて最大限の力を発揮する。
だが、今のヴァルデマールは心が欠けている。
本人の意思は、殺したくないと泣いている。
それで、なおこれ。
技と体だけで、この圧。
体の一部となったイグナード流は、嘘がつけない。
剣士としての年月が、勝手に剣を振るわせる。
その絶技を前に鼻をほじる男が一人。
いや、豚が一匹。
オークとなりし勇者、『アルド』である。
アルドは、心底どうでもよさそうな顔をしていた。
相変わらずのアホの剣だな。
イグナード流を完全に馬鹿にしていた。
かつて、アルドはイグナード流の達人と酒を酌み交わしたことがある。
その男は、剣に対して、やたらと熱かった。
そして、面倒くさかった。
イグナード流は一撃必殺。
不退転を信条とする、初太刀に命をかける必殺剣。
鍛錬を欠かさず、日々己を磨き続ける剛の流派。
そこまではいい。
問題は、その後。
練習試合でも怪我人が出る。
下手をすれば、再起不能者が出る。
さらに下手をすれば、死人が出る。
当然、他流派は試合を嫌がった。
そりゃそうだ。
相手どころか自分も大怪我する剣など、誰も相手にしたくない。
試合禁止。
交流戦禁止。
結果、稽古相手不足。
当然の帰結である。
だが、イグナード流の者たちは、それでも剣を磨きたかった。
では、どうするか。
練習相手がいないなら、作ればいい。
そこで彼らは、様々な流派を研究した。
イグナード流が苦手とする動き。
速度、柔軟性、間合いのずらし、受け流し、懐への入り方。
そうしたものを組み込んだ。
そうして完成したのが『イグナード流、対の型』。
イグナード流を倒すために完成させた、練習相手用の剣。
これを誰かに会得させ、それを打ち負かすことで本流を磨く。
そういう発想だった。
だが問題が起きた。
対の型は、意外にも出来が良かった。
良すぎた。
速度、技、柔軟性に優れ、扱いやすく、習得しやすい。
実戦でも使いやすい。
結果、世間の評判は、対の型の方が高くなった。
本末転倒である。
何がしたかったのだろう。
この話を聞いて、勇者パーティの重戦士ラインは涙ぐんでいた。
「不遇だ……あまりに不遇だ……。世間に認められず、それでも己の剣を信じ、一心不乱に打ち込む姿……誠の武士なり」
やたら感動していた。
対して、アルドは腹を抱えて笑った。
「アホだ!アホの子がおるぞ!」
遠慮なく笑った。
「物には限度ってもんがあんだろ!誰か僕に自爆特攻を研鑽する意味を教えてください!」
勇者パーティの面々は、ドン引きしていた。
ラインは本気で怒っていた。
聖女は額を押さえていた。
イグナード流の者たちは総じて直情型である。
ここまで言われれば、後には引けない。
当然のように、決闘を申し込まれた。
アルドは快く受けた。
そして、圧勝した。
ぐうの音も出ないほどに。
地面に伏した、相手の頭を踏みつけていた。
終わり。
勇者アルドの勝ち。
勇者パーティの空気は凍った。
さらにドン引きである。
だが、学んだこともある。
アホに関わっても、ロクなことにはならない。
勝っても負けても面倒くさい。
だから、そっとしておいてあげるのが一番。
今回も、そうするつもりだった。
セレスティアとジェイルが頑張ってはる。
無理なら知らん。
装置が起動しなければ、別の手を考える。
できるだけ、イグナード流には関わらん方がええ。
そう思っていたのに。
むにっと腹をつままれた。
リアだった。
柱の陰から出てきて、アルドの腹をつまんでいる。
おい。
それはつまむものではない。
高貴なる勇者様の腹ぞ。
リアは、泣きそうな顔をしていた。
「トンソク……」
何だ。
「二人を助けてあげて」
アルドは、きょとんとした。
そして、露骨に嫌な顔をした。
嫌だ。
面倒くさい。
「トンソクっ!」
リアが腹をつまむ手に力を入れる。
「お願いっ!」
はい、出ました、『おねがい』。
わがまま。
そして面倒ごとのぶん投げ。
結局、損な役はアルドに回ってくる。
だが、ここで断ればどうなるか。
首輪から激痛。
ほぼ確実に「トンソク、めっ」だ。
学習した。
俺は学べる男である。
同じ過ちは繰り返さない。
アルドは、深いため息をついた。
はいはい。
やりますよ。
やればいいんでしょ。
アルドは万能包丁を肩に担ぎ、ヴァルデマールへ向かって歩き出した。
短い足でぽてぽてと。
だが、その目だけは、元勇者のそれだった。




