第八十四話「狩る者と、剛剣と、あと割り込み」
謁見室の中から、轟音が響いた。
石床が震え、壁が軋む。
入口を守る兵士たちは、思わず振り返りそうになった。
中で何が起きているのか。
セレスティアは無事なのか。
気になる。
気になるに決まっている。
だが、そんな余裕はなかった。
謁見室の外、廊下の奥から、モンスターが続々と押し寄せてきていた。
城内、いや、城外のモンスターさえも集まっている。
兵士たちは、それを食い止めていた。
並大抵のことではない。
しかも、指揮官は不在なのだ。
ジェイルも、アルドも中だ。
今までなら、ほんの少しでも状況が悪くなれば、総崩れになっていただろう。
誰かが怯え、誰かが下がる。
隙間ができると、モンスターがなだれ込む。
それが、今までのガルディアス砦の兵だった。
寄せ集めの捨て駒。
命令でかろうじて並んでいるだけの者たち。
だが、今日は違った。
戦えている。
こんなことは初めてだった。
肉を食ったからか。
酒を飲んだからか。
久しぶりに心が満たされたからか。
最初は、そう思っていた。
だが、違う。
もちろん、それもある。
腹が減っていては剣は振れない。
だが、それだけではない。
皆が、率先して自分の役割をこなしていた。
「盾、下げるなよ!」
「槍は前に!むやみに突くな、目を狙え!」
「弓隊、足だ!足を狙え!胴じゃない、足だ!」
「倒れたら引っ張れ!休ませるな!」
ガードに徹する者。
牽制に専念する者。
弓でモンスターの機動力を奪う者。
隙を見て、剣でダメージを与える者。
それぞれが、自分にできることを最大限やっている。
自分が英雄になる必要はない。
自分が敵を倒し切る必要もない。
盾持ちは止めればいい。
槍持ちは近づけなければいい。
弓持ちは足を潰せばいい。
剣持ちは傷をつければいい。
たったそれだけ。
だが、それが噛み合う。
連携が取れると、人間はここまで戦えるのだ。
モンスターの一体が、唸りながら突っ込んできた。
ラッシュボア。
盾持ちが受ける。
完全には止められないが、勢いが落ちる。
横から、こん棒で足を払う。
転ぶ。
槍が目を突く。
悲鳴を上げたところを、剣が喉を裂いた。
倒した。
兵士たちは、一瞬だけ息を呑んだ。
そして、誰かが言った。
「……こいつも旨そうだな」
沈黙。
それから、別の誰かがいった。
「焼いたら旨かったよな?」
「皮は硬そうだが、煮ればいけるだろ」
「脂も乗ってそうだ」
「昨日の肉、最高だった」
「酒もな」
昨日の宴会が忘れられない。
モンスター肉は美味かった。
酒も最高だった。
モンスターは恐ろしい。
そのはずだった。
だが、同時に『こいつらは旨い』、そう思えるようになっていた。
それは、決定的な変化だった。
モンスターがなぜ怖いのか。
強いから?
牙があるから?
魔法を使うから?
それもある。
だが、本質はもっと単純だ。
奴らは人間を捕食する。
食物連鎖の上位にいる存在。
狩る側。
食う側。
だから恐ろしい。
だから竦む。
だから逃げる。
恐怖心で全身を塗り固められる。
目の前に現れた瞬間、心が折れる。
今ここにいる者たちにとって、モンスターは人間の上位存在ではなかった。
獲物だ。
狩れば食える。
倒せば肉になる。
焼けば旨い。
そう知ってしまった。
その心の在りようが、行動に出る。
人間とは狩るべき存在。
そう思っていたモンスターからすれば、青天の霹靂、寝耳に水だった。
いつもなら、人間は怯え泣き叫ぶ。
だが、今日の人間は違う。
目の色が、まるで腹を空かせた獣だ。
いや。
獲物を前にした狩人だ。
モンスターたちは、連携など取らない。
狭い城内では、互いの存在が邪魔になる。
その隙間を、人間たちが突く。
昨日までとは、まるで別の集団だった。
冒険者はなぜ強いのか?
単に腕が立つからではない。
彼らはハンターなのだ。
モンスターを、倒すべき敵として、狩るべき獲物として見る。
情報を集め弱点を狙い、役割を分ける。
今、ここにいる者たちもまた、ハンターになっていた。
しかも、食欲という根源的な欲求に従う、モンスター狩りのモンスターに。
これなら、簡単に抜かれることはない。
入口は持つ。
少なくとも、今すぐには崩れない。
あとはセレスティアが装置を起動させるだけ。
だが、そのセレスティアこそが問題だった。
謁見室の奥、城主の椅子の前。
セレスティアは、ヴァルデマールと対峙していた。
親子対決。
その言葉だけなら、悲劇的で、美しい響きすらある。
しかし、現実はそんな綺麗なものではない。
ヴァルデマールに、戦う気はなかった。
「逃げろ!セレス!」
ヴァルデマールが叫ぶ。
「頼む……逃げてくれ……」
懇願だった。
父が娘へ向ける、最期の願い。
だが、その身体は、まるで別の意志があるかの如く大剣を構えている。
黒く歪んだ翼が背中で震える。
寄生モンスターが、彼の肉体を操っているのだ。
ヴァルデマールは、言葉とは裏腹に、今にも斬りかかってきそうだった。
剛剣イグナード流。
その名に恥じない、巨大なバスターソード。
切っ先が、セレスティアを狙う。
対するセレスティアの手にあるのはレイピア。
細身の剣。
速さと技を重んじる、イグナード流派生の『対の型』。
同じ流派ではある。
だが、本筋ではない。
セレスティアは気圧されていた。
父をどうするのか。
殺すのか殺さないのか。
救う方法はあるのか。
決めかねている。
本当はそんなことを考えられる立場ではなかった。
なぜなら、セレスティアは父に一度も勝ったことがない。
剣の稽古や模擬戦で、何度挑んでも。
一度として。
イグナード流は、一撃必殺の剣である。
半端な防御をしない。
初太刀に命をかける。
まさに剛剣。
その一撃は、鋼鉄に匹敵する鱗を持つドラゴンさえも両断するという。
対して、対の型は速度、技、柔軟性に特化した剣だ。
バランスが取れている。
誰でも習得しやすい。
才能と鍛錬によって、いくらでも強くなる。
だが、それはあくまで人間レベルの話。
真のイグナード流は違う。
恵まれた体躯。
磨かれ抜いた魂。
死中に活を求める技。
相打ち上等。
玉砕覚悟。
一度放たれれば、相手が死ぬか、自分が死ぬか。
そういう剣だ。
セレスティアが勝つには、初太刀をいなしてカウンターを狙うしかない。
受けるのは駄目。
押し返すのなど論外。
正面から止めれば、剣ごと身体を断たれる。
だから、いなす。
紙一重で逸らし、懐へ入り、急所を突く。
それしかない。
ヴァルデマールが構える。
大剣が、ゆっくりと持ち上がる。
それに引きずられるように、セレスティアも構えた。
レイピアの切っ先が震える。
対峙して、はっきりと分かった。
父には勝てない。
自分はここで死ぬ。
剣ごと、真っ二つにされて。
受けることも。
避けることも。
いなすことも。
無理。
まるで、嵐だった。
剣を構えているだけなのに。
まだ振ってすらいないのに。
もう、斬られた未来が見える。
セレスティアの目から、涙があふれた。
前が見えない。
それでも、父の姿だけは見える。
敬愛する父。
憧れた背中。
追い続けた剣。
その剣で終われるなら……。
それは、それで幸せなのかもしれない。
そんな言葉が、自分の中から聞こえた。
死を受け入れようとする甘い声だった。
ごめんなさい、お父様……愛しています。
胸の中で浮かんだそれは、まるで遺言だった。
ヴァルデマールも泣いていた。
それでも、身体は止まらない。
大剣を握る手に力がこもる。
その瞬間。
二筋の斬撃が、ヴァルデマールへ走った。
ギギンっ!
ヴァルデマールは、バスターソードでそれを受け止めた。
火花が散る。
なんと、そこに立っていたのはジェイルだった。
息は荒い。
頬からは血が流れている。
だが、双剣を構え、笑っていた。
「おい!オッサン!先に俺の相手をしてもらおうか!」
ジェイルは叫んだ。




