第七十七話「宴会と、姫と、あと二つ名」
どこに隠していたのか、酒樽がいくつも準備されていた。
普段の食料不足を考えれば、酒など真っ先に消えていそうなものだが、どうやら秘蔵されていたらしい。
それを兵士たちは、ここぞとばかりに引っ張り出してきていた。
中庭は、もはや大宴会の様相である。
誰かが歌い、誰かが踊り、笑いあいながら肉を頬張っている。
ついさっきまで、確かに、ここは地獄だった。
食料もなく、いつ落ちるか分からない砦で、全員が限界まで張り詰めていた。
それが、飲めや歌えの大騒ぎ。
「おい、オーク!こっちにも肉も焼いてくれよ!」
「こいつ、意外と料理上手いな!」
「ほら、もっと出せって!まだあるんだろ!」
酒に酔ったせいか、ゴロツキどもがアルドに馴れ馴れしい。
肩を組む者までいる。
非常に図々しい。
お前ら、昨日、俺をぼこぼこにしたの忘れてねーぞ。
それを棚に上げて、肉が足りないとはどういう了見だ。
アルドは、牙を剥きながら唸っていた。
これは俺の肉だ。
俺が倒して運んだ。
お前ら何もしてねーだろ。
食う権利があると思うな。
「トンソク、残りのモンスターも出しなさいっ!」
リアが仁王立ちで命令する。
やなこった。
「トンソク!」
出さない。
その瞬間。
首輪から、神経に直接電撃のような痛みが走った。
「ぶぎゃああああああっ!?」
アルドは地面を転がった。
ごろごろびたんびたん。
短い手足をばたつかせ、全身で痛みを表現する。
「あははははははっ!」
リアが腹を抱えて笑い転げていた。
コイツ……酔ってやがる!
誰だ酒を飲ませたのは!
遊び半分でテイムモンスターを弄ぶな。
テイムの証の首輪を何だと思っている。
拷問器具ぢゃねーよっ。
「トンソク、早く出してー」
リアは笑いすぎて涙目になっていた。
一方、兵士たちは真剣だ。
目を血走らせながら肉を待っている。
飢えた野獣の目だった。
人間のくせに、モンスターみたいなツラしやがって。
これは駄目だ。
出さなければ、俺が食われる。
分かる。
もはや、こいつらには、俺のことはブタにしか映っていない。
アルドは諦めた。
イジェクト。
どさっ。
モンスターの死骸が出る。
拍手が起こった。
隠していた分を、次々と吐き出していく。
そのたびに歓声が上がった。
「うおおおおおっ!」
「まだまだあるぞ!」
「肉だ!肉だーーー!」
もう止まらない。
こうなったら、アルドも完全にやけくそである。
食われる前に食う。
それしかない。
アルドは肉を焼き、肉を食い、また肉を焼き、奪われた。
戦場より厳しい。
モンスターの群れなんかより、よっぽど厄介。
飢えた人間の集団ほど恐ろしいものはない。
セレスティアは、その光景を少し離れた場所から見ていた。
どうすることもしなかった。
彼らが、あまりにも楽しそうだったから。
本当に。
本当に楽しそうだったから。
セレスティアは木杯を手にしていた。
中にはキツイ酒。
兵士の一人が、恐縮しながら持ってきたものだ。
本来なら口にすべきではない。
だが、今夜だけは。
この瞬間だけは。
彼女は、木杯を口へ運んだ。
酒の熱が、喉を通って胃の腑に落ちる。
久しぶりだった。
「……こんな日が、また来るなんて」
思わず、胸にこみ上げるものがあった。
笑い声がある。
兵士たちが満たりた顔をしている。
明日死ぬかもしれない者たちが、今だけは生を実感している。
セレスティアは、木杯の中身を見下ろした。
そこへ、ジェイルがやって来た。
「おっ意外、結構飲める口なんだな」
ジェイルも酔っているのか、少し赤い顔をしていた。
セレスティアは横目でジェイルを見る。
普段なら、『無礼』と無視を決め込んでいたかもしれない。
だが、今夜は違った。
酒のせいか。
それとも、この熱のせいか。
「私とて、こうなる前は普通の暮らしをしていましたから」
「姫様なのに、普通なんだな?」
ジェイルの言葉に、セレスティアは少しだけ驚いた。
だが、そこまで大きくは驚かなかった。
彼が、ただの流れ者の冒険者ではないことは、すでに分かっている。
「姫、などではありませんよ」
セレスティアは静かに言う。
「ですが、私のことをご存じなのですね?」
「いや、あんたの父上を知っているだけだ。ほんの少し、な」
ジェイルは木杯を軽く揺らした。
「お父様、ですか」
セレスティアの目が、わずかに伏せられる。
ヴァルデマール・ヴァレンシュタイン。
この地を治める領主であり、ガルディアス城の主。
この地方の防衛を統括していた男。
イグナード流の使い手として、王都にも名を知られていた剣豪。
ファスタ王国の、王族に連なるヴァレンシュタイン家の当主。
地方とはいえ、王家に名を連ねる有力貴族であることに変わりはない。
その娘ならば。
姫と呼ばれても、差し支えはない。
だから、ジェイルはそう呼んだ。
だが、セレスティアは首を振る。
「私には王位継承権はありません」
「そうなのか」
「ええ」
セレスティアは、しばらく宴会の中心を見つめていた。
リアが大笑いしながら、アルドを追い回している。
アルドは悲鳴を上げて逃げ回っている。
その光景を見ながら、彼女はぽつりと語り始めた。
「私はもともと、領主親衛隊の隊長でした」
ジェイルは黙って聞いた。
「女だてらに、とよく言われましたが、剣の腕だけは認められていました。父に次ぐとまで言われていたものです」
「剛剣・イグナード流か」
「私の場合、『対の型』ですが。父から直接叩き込まれました」
セレスティアの表情に、ほんの少しだけ懐かしさが混じる。
だが、それはすぐに消えた。
「半年前のことです」
声が低くなる。
「父が、反乱を起こしました」
ジェイルの目が細くなる。
「領主が?一人で?」
「はい。一人で」
セレスティアは木杯を握った。
「父は城下の者たちに襲いかかりました。兵も、使用人も。見境なく」
「……」
「ですが、奇妙だったのです」
「奇妙?」
「父は叫んでいました」
セレスティアの指に力が入る。
「逃げろ、と」
宴会の喧騒が、少し遠くなった。
その中で、セレスティアの声だけが静かに沈んでいく。
「セレスティア、逃げろ。近づくな。私から離れろ。そう叫びながら、父は人を斬っていました」
ジェイルは何も言わない。
「同時に、モンスターの襲撃が起きました。城は混乱し、ガルディアス城は落ちました。いとも簡単に。私は生き残った者たちを連れて逃げました」
「それで、この砦か」
「はい。ここは、もともと訓練用に作っていた拠点です。臨時防衛地点として使う予定もありましたが、本来、砦ではありません」
セレスティアは周囲を見る。
粗末な壁。
応急の柵。
継ぎ接ぎの防衛設備。
それでも、半年間、ここは人々を守ってきた。
「私たちはここに立てこもり、ガルディアス臨時砦として迎撃を始めました」
「王都には?」
「もちろん報告しました」
セレスティアは短く答える。
「ですが、王都も籠城に入っていました。王立軍は動かせない。そう返答がありました」
「それで、あんたが司令官に?」
「はい。ファスタ王より命を受けました。セレスティア・ヴァレンシュタインを司令官とし、ガルディアス城を奪還せよ、と」
言葉だけなら立派だった。
王命。
奪還作戦。
名誉ある任務。
だが、実態は違う。
「援軍で送られてきたのは、犯罪者。冒険資格を剥奪された者。税を納められなかった者。そして、わずかな補給物資だけです」
ジェイルの顔が険しくなる。
「捨て駒か」
「そう言ってしまえば、そうなのでしょう」
セレスティアは否定しなかった。
「もちろん、王都にも余裕はありません。援軍を出せない事情も理解しています。ですが、現実として、ここへ送られてきた者で生きて帰れた者はいません」
半年。
長い半年だった。
敵の戦力は増大するばかり。
ガルディアス城は奪還どころか、近づくことすら困難。
補給は少ない。
人材は足りない。
士気は低い。
それでも、セレスティアは持ちこたえてきた。
今日まで。
毎日、誰かを失いながら。
明日は自分かもしれないと怯えながら。
「私が持ちこたえられたのは、死ねなかったからです」
セレスティアは小さく笑った。
諦めに近い表情だった。
「父のしでかした罪を償わなければならない。ヴァレンシュタイン家の名誉を取り戻さなければならない。そう思って、ここまで来ました」
「酷い話だ」
ジェイルは静かに言った。
慰めではない。
ただ、率直な感想だった。
「ここに来た時点で、生きることは半ば諦めていました」
兵士たちが笑い、肉を食い、酒を飲んでいる。
泣きながら、生きる喜びを嚙みしめている。
「でも、今日は……こんなにも楽しい」
ジェイルは何も言わない。
彼女は、少しだけ恥ずかしそうに木杯を握り直した。
「感謝します、ジェイル。最期に、いい思い出ができました。全部あなたのおかげです」
ジェイルは苦笑した。
「俺じゃない」
セレスティアが目を瞬かせる。
「では、誰?」
「トンソクだよ」
ジェイルは宴会の中心を指差した。
「あのオーク?」
「ああ。それと、リアかな。トンソクのテイマーだしね」
セレスティアは、改めてリアとトンソクを見る。
彼女たちは祭りの中心にいた。
小さな体で、やたら目立っている。
昨日までは他人だったはずの者たちが、今では長年連れ添った家族のようだ。
「あの子は……何者ですか?」
セレスティアが尋ねる。
ジェイルは首をひねった。
「さあ?俺も最近知り合ったばかりでね」
「どういった人なのですか?」
「うーん」
ジェイルは考える。
リア。
小さく見えるが、成人しているらしい、よく分からない。
変わったオークを相棒にしているテイマー。
冒険者になりたて。
で、すぐに剥奪。
モンスター肉を普通に食べる。
そして、周囲を巻き込んでいく。
説明が非常に難しい。
ぱっと出てきた言葉は。
「食い意地が張ってる」
「……はい?」
「さしずめ、死骸漁りのリア、ってところか」
言ってから、ジェイルは少し後悔した。
もう少しまし表現があった気がする。
だが、セレスティアは真剣な顔で頷いていた。
「死骸漁りのリア」
そして、心の中で反芻する。
スカベンジャー・リア。
オークを従え、兵士たちに肉をもたらし、飢えた砦に宴を起こした少女。
なるほど。
奇妙なほど、しっくり来る。
セレスティアは、その名を心に刻んだ。
死骸漁りのリア。
スカベンジャー・リア。
本人が聞いたら全力で否定しそうな二つ名が。
この夜、静かに生まれた。




