第七十六話「蒸し肉と、ステーキと、あと初めて」
アルドは、人生の中で最大に悩んでいた。
これほど悩んだことは、かつてあっただろうか。
いや、ない。
勇者として戦っていた時でさえ。
仲間に裏切られ、オークにされた時でさえ。
リアに拾われ、トンソクなどというふざけた名前で呼ばれた時でさえ。
これほど深く悩んだことはなかった。
だが、決めなければならない。
人生とは決断の連続である。
迷い続ける者は何も得られない。
勝者とは決断する者だ。
そして今、アルドは決断した。
『蒸し』。
これだ。
これしかない。
ランドコカトリスのチャンピオン個体。
この強敵にふさわしい調理法は、『蒸し』である。
焼きも悪くない。
皮をぱりっと焼き上げる誘惑は、最後までアルドを苦しめた。
だが、肉質を考えれば蒸し一択。
巨大な体に発達した筋肉。
硬い羽毛に守られ、戦場を駆け続けた脚。
間違いなく、肉の仕上がりは一級品。
強火で炙れば香りは立つだろうが、中心まで火を通すとムラができる。
ならば、蒸す。
じっくりと熱を入れ、肉の奥の旨味を逃がさず、柔らかく仕上げる。
これが正解。
これが勇者の選択。
アルドのファイナルアンサー。
アルドは万能包丁を握り直す。
鉈形態。
硬い羽毛を剥ぐための、厚みのある刃。
ざく。
ざく。
ざく。
ランドコカトリスの肉へ刃を入れていく。
やはり硬い。
普通の包丁なら刃が欠けていたところだ。
だが、万能包丁は違う。
筋に沿って刃を入れ、関節の隙間を探り、無駄なく切り分ける。
赤黒い羽毛を剥ぐと、内側から白く締まった肉が現れた。
美しい。
アルドは、思わず嘆息を漏らす。
素晴らしい。
戦場で死闘を演じた敵。
腹を抉られた時にはムカつきもしたが。
その見た目。
その重み。
その香り。
命に感謝。
そして、それを食える俺様に感謝。
リアが横から覗き込む。
「トンソク、すごい。お料理上手だね」
当然だ。
お前とは違う。
黒焦げ肉専用製造機とはな。
アルドは、兵士たちに用意させた大鍋を使う。
砦にあった一番大きな鍋。
それでも、チャンピオン個体の肉を丸ごと入れるには足りない。
なので部位ごとに分ける。
まずはもも肉。
厚く、大きく、繊維が美しい。
そこへ塩をすり込む。
さらに、砦に残っていた香草を刻む。
薬草まがいの苦い葉。
野生の香りが強すぎるのが玉にキズだが、モンスター肉相手には丁度いい。
乾燥させた根。
普通なら酸味があり、癖が強い。
だが、ランドコカトリスの肉なら受け止められる。
アルドは塩と香草を肉へ馴染ませ、しばらく置く。
その間に、骨を割る。
白い骨の中から、濃い旨味の匂いが立つ。
骨を鍋底に敷く。
その上に肉を置く。
そして少量の水と香草。
砕いた塩石。
そして、焦げたランドコカトリスの皮を少しだけ。
これは出汁だ。
焦げの香ばしさを移す。
蓋をして火を入れる。
鍋の中で、水が音を立て始めた。
こぽ。
こぽこぽ。
蒸気が立つ。
香草の青い香り。
骨から出る濃い香り。
そして、肉の脂が熱でゆっくり溶ける匂い。
中庭に、たまらない香りが広がった。
兵士たちが、遠巻きに見ている。
誰も近づかない、近づけない。
オークが、モンスターを、砦の中庭で、真剣に調理している。
あまりにも異様な光景。
だが。
匂いも異様だった。
こんな香しい匂いは嗅いだことがない。
その香り、暴力的なまでに人を圧倒する!
腹に響く。
魂の奥をつかむ匂い。
体が勝手に反応する。
誰かが、ごくりと喉を鳴らした。
まだだ。
蒸し料理は時間がかかる。
なら、その間に次。
ラッシュボア。
もちろんステーキ。
これは迷う余地がない。
ラッシュボアは特上の筋肉の塊だ。
突進のために鍛え上げられた体。
脂も適度に乗っている。
香りも強い。
なら、焼く。
今回は、それ以外にない。
アルドはラッシュボアの肉を切り出す。
厚切りか?
いや、今回はサイコロだ。
今は速度重視。
一口大の塊に切り揃える。
砦で使われていた補修用の厚い鉄板。
料理用ではない。
だが、焼ければ同じ、なんでもいい。
むしろワイルド感は、モンスター肉を仕上げるには適当。
火をかけると、鉄板が熱を帯びてくる。
表面に脂をぬる。
ラッシュボア自身の脂。
白く固まった脂身を切り取り、鉄板の上で溶かす。
じゅわっと脂が溶ける音がした。
透明な艶が鉄板に広がる。
そこへ、サイコロ状に切った肉を置く。
じゅうううううっ!
強烈な音が弾けた。
香りが爆発する。
肉の表面が一瞬で焼き固められ、焦げ目がつく。
アルドは木べらで転がす。
ころころ。
表面を焼く。
六面すべてに焼き色をつける。
強火で外を固め、中に肉汁を閉じ込める。
そして、ここからアルドアレンジだ。
砕いた塩石。
辛味のある赤い実。
乾燥させた根草。
さらに、砦に残っていた黒麦酒を少量を鉄板へ垂らす。
じゅわっ!
蒸気が上がった。
焦げた肉汁と黒麦酒が混ざり、濃いソースになる。
甘み。
苦み。
肉の脂。
草の渋み。
すべてが鉄板の上で絡み合う。
アルドは最後に、万能包丁の背で潰した球根を放り込んだ。
香りが跳ねる。
完全に勝った。
これは勝った。
戦場でも勝ったが、鉄板の上でも勝った。
「ぶひひ……」
アルドは笑った。
悪い顔だった。
「いい匂い!」
リアは目を輝かせている。
セレスティアも、兵士たちも、遠巻きに見ていた。
圧倒されていた。
オークの調理技術。
モンスターを食べるという禁忌の行為。
情報量が多すぎる。
誰もついていけない。
やがて、ランドコカトリスの蒸し料理が完成。
蓋を開けると、白い蒸気が一気に立ち上る。
その中から、ふっくらとした肉が現れた。
締まっていた肉は、蒸されることで柔らかくほどけている。
表面には香草と塩が馴染み、脂が薄く光っていた。
アルドは万能包丁で軽く切ると、すっと刃が入る。
肉汁が淡い香りを放つ。
完璧。
次に、ラッシュボアのサイコロステーキ。
鉄板の上で、ころころと艶をまとった肉が輝いている。
表面は香ばしく焼け、中は肉汁を抱えている。
黒麦酒と肉汁のソースが絡み、濃い色に照っていた。
アルドは皿に盛った。
「いただきまーす!」
リアが元気よく言う。
「ぶひ」
アルドも頷く。
まずはランドコカトリス。
口に入れた瞬間、アルドの目が見開かれた。
旨い。
うまくないはずがない。
泥肉を食った後だ。
黒焦げで、生焼けで、土まみれの何かを飲み込んだ後だ。
その後に食べる、きちんと調理された肉。
香草の香り。
塩の旨味。
噛むほどに広がる肉汁。
涙が出るほど旨かった。
染みる。
魂に染みる。
これだ。
飯とは、これだ。
しかも、身体の奥底から力が湧き上がる感じ。
『レベルアップ』
来た。
ハイドオークレベル二。
ランドコカトリスは、リアの黒焦げ料理には入っていなかったらしい。
つまり初食材。
レベルアップ対象。
美味い。
味も美味い。
レベルアップも美味い。
両方美味し。
リアも、ランドコカトリスの蒸し肉を口いっぱいに頬張っている。
「鳥さん、おいしーね!」
じゃねーよ。
お前は少しは料理を勉強しろ。
素材を無駄にするんじゃない!
アルドはラッシュボアのサイコロステーキも口に放り込む。
外は香ばしく中は力強い。
噛むと、じゅわりと肉汁があふれる。
黒麦酒の苦みが脂を締め、赤い実の辛味が後から来る。
これこそ戦場の肉。
文句なし!
その匂いに、また誰かの喉が鳴った。
ごくり。
今度は一人ではない。
あちこちから聞こえる。
兵士たちのギラギラした目が、肉へ向いている。
やめろ。
これは俺のだ。
お前らモンスター食わねーだろがいっ!
アルドは肉を隠すように抱きかかえる。
その時、ジェイルがふらっと近づいてきた。
「なあ、トンソクさん……」
来るな。
呼んでない。
「モンスター、すげーうまそうだな」
そうだな。
「俺にも分けてくれ」
「ぶひっ!?」
嫌だ。
断固拒否。
だが、ジェイルは勝手に座った。
「ジェイルさんもどーぞっ!」
リアが勝手に差し出した。
嘘だろっ!
「うっま……!」
目を見開く。
「たまらん……しみる……」
ジェイルは本当に美味そうに食べた。
だが、その表情がまずかった。
兵士たちが、一歩近づいた。
出来立ての肉料理。
いつ以来だろうか、この砦で、まともに焼かれた肉の匂いがしたのは。
万年食料不足。
乾いた保存食、薄い粥、硬いパン。
兵士たちは、ずっと耐えていた。
生きるために。
そこへ、これだ。
蒸した肉に焼いた肉。
脂と香草の香り。
熱そして湯気。
誰かが、ふらりと近づいた。
「少しだけ……」
「ぶひっ!」
アルドは威嚇した。
だが、無駄だった。
また一人、また一人と。
料理に群がる。
兵士たちは、最初こそ恐る恐るだった。
本当にモンスターなんぞ食べられるのか。
腹を壊さないのか。
呪われないのか。
そんな警戒があった。
だが、一口食べた者が涙を流した。
「うまい……」
その一言で、我慢の糸が『ぷつん』と切れる音がした。
兵士たちが一斉に群がる。
アルドは大慌てだった。
「ぶひっ!ぶひひっ!」
やめろ!俺の肉だ!触んな!
だが、無駄。
みるみる料理がなくなっていく。
兵士たちは涙を流しながら貪り食っていた。
こうなると、もう歯止めはきかない。
「火を増やせ!」
「鍋を持ってこい!」
「塩はどこだ!」
「こっちの肉も焼け!」
「誰か皮を剥げ!」
残った肉まで、勝手に調理され始めた。
アルドは追い払おうとするが無駄無駄。
ご馳走を前に、目が血走った人間の力は、とんでもなかった。
アルドすら圧倒される。
鍋を運ばれ、鉄板が並べられる。
誰も命じていないのに、いつもより迅速に。
アルドは短い腕で止めようとしたが押し返される。
肉を守ろうとする背後で、別の肉が切られている。
まるで包囲殲滅戦。
しかも敵は餓鬼道に堕ちた亡者どもときたもんだ。
最悪である。
「勝手な行動はやめなさい!」
セレスティアが声を張る。
「私の命令を――」
誰も聞いていなかった。
信じられなかった。
セレスティアの言葉を、兵士たちが聞かない。
こんなことは初めてだった。
彼女の声は、普段なら砦全体を動かす。
誰も逆らわない。
だが今は肉が勝っていた。
兵士たちは、泣きながら食べている。
笑いながら焼いている。
疲弊しきっていた砦に、熱が戻っていた。
もはや宴会、祝賀会!
セレスティアは言葉を失う。
その時、木皿を持ってジェイルが近づいてきた。
切り分けた肉。
ランドコカトリスの蒸し肉と、ラッシュボアのサイコロステーキ。
「なあ、あんた。まあ、食ってみろって。モンスターだって捨てたもんじゃないぜ?」
ジェイルは、いたずらっ子のような顔で笑った。
「私は――」
「いいから」
差し出された皿。
湯気。
香り。
兵士たちの歓声。
目の前のジェイルは、楽しそうだった。
とても、死地から帰ってきたばかりとは思えない。
いや。
死地から帰ってきたからこそ、なのかもしれない。
セレスティアは、気づけば肉を受け取っていた。
大きく切られたランドコカトリスの蒸し肉。
恐る恐る、口へ運ぶ。
噛む。
その瞬間。
セレスティアも目を見開いた。
柔らかい。
塩気は強すぎず、肉の旨味を押し出している。
香草の癖が、獣臭さを消している。
いや、消しているのではない。
旨味をまとめ上げている。
噛むほどに旨味が染み出す。
飲み込むと、体の奥に熱が落ちる。
次に、ラッシュボアのステーキ。
表面は香ばしく、中は濃い。
脂の重さを、黒麦酒の苦みと赤い実の辛味が受け止めている。
粗野だ。
洗練されてはいない。
だが。
まさに戦場の醍醐味、これ以上ない。
「な?うまいだろ?」
ジェイルが笑う。
セレスティアは、何かを言おうとした。
だが、言葉が出なかった。
こくこくと、何度も頷いた。
ジェイルは満足そうに笑った。




