第七十話「殺気と、覚悟と、あと首」
やられた。
アルドは、腹に突き刺さった鉤爪を見下ろした。
ランドコカトリスのチャンピオン個体。
そいつの爪が、アルドの胴体を貫いている。
油断はしていなかった。
と言えば、嘘になるだろう。
あれだけの策が決まった直後だ。
残った魔法弾をすべて誘爆させ、モンスターの群れを一掃した。
作戦は成功。
完全勝利。
そう思った……ほんの一瞬だけ。
そこを突かれた。
普通なら、生き残っても混乱していて当然。
何が起こったか、状況を把握するまで様子を見る。
そこから体勢を立て直す。
だが、このチャンピオン個体は違った。
爆風の切れ目。
勝利を確信した、その心の隙間。
そこへ、致命的な反撃を差し込んできたのだ。
人間には想定不可能。
モンスターだからこそできる芸当。
そして、その一撃は本当に致命傷だった。
アルドの胴体に空いた穴。
そこから、石化が始まってしまっている。
灰色の硬質化が、傷口の縁からじわじわと広がる。
もし人間だったら?
そう、負けていた。
もし人間だったら?
そう、死んでいた。
その事実がアルドを激高させた。
「大丈夫かっ!」
ジェイルの声。
アルドは、思わずそちらに顔を向けた。
目が合う。
ジェイルは硬直した。
トンソクの目。
いつもの余裕たっぷりの腹立たしい目ではない。
ふざけて、他者を見下している目でもない。
そこにあったのは、殺気。
かつてないほど濃く、純粋な殺意だった。
ジェイルは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
アルドはキレていた。
目の前のチャンピオン個体に。
そして何より。
もし自分が人間だったら死んでいた、という事実に。
アルドの中で、何かが逆鱗に触れた。
ランドコカトリスは、鉤爪を引き抜く。
ぐちゃり。
アルドの胴体から爪が抜けると、肉とも粘液ともつかないものが地面に落ちた。
だが、チャンピオン個体は、ここで焦らない。
距離を取った。
勝ったと慢心しない。
反撃の余地を残さない。
なんという冷静さ。
なんという冷徹さ。
時間は、自分の味方だと理解している。
アルドが何かをしようとすれば、そこを狙い撃てばいい。
不用意に近づく必要はない。
アルドは万能包丁をショートソードへ変えた。
すぐ処置できるように。
その間にも、胴体の石化は進んでいく。
このままではまずい。
すぐにでも対処を始めなければならない。
だが、ランドコカトリスが見ている。
追撃の機会を窺いながら。
とどめを刺す気はない。
アルドの中に、まだ何かがあると感じているから。
だから牽制する。
近づきすぎず、離れすぎず。
いつでも踏み込める距離で。
実に嫌な間合いだった。
アルドが無理をするのを待っている。
そこへ、危機を感じ取ったジェイルが割って入った。
アルドは制止しようと、声を出す。
だが、胴体を貫かれた影響か上手く鳴けない。
無理だ。
やめろ。
無謀すぎる。
やはり冷静さを欠いているのか?そう思った。
だが、今度は違った。
ジェイルは焦って前に出たのではない。
シチュエーションに酔って突っ込んだのでもない。
アルドを救うため。
時間を稼ぐため。
自分が前に立つしかないと理解していた。
ジェイルは双剣を構える。
三人のジェイル。
そのすべてが、チャンピオン個体の前に立つ。
「ここは、俺が何とかする!急げ!」
ジェイルはこの時になって初めて理解した。
自分のスキルの本質を。
デュエルフォーチュン。
運任せの使えない力。
有用な効果を引けなければ意味がない。
肝心な時には、いつもは外れて終わり。
ずっと、そう思ってきた。
違う。
アルドを見てきて、今、理解できた。
欲しい能力を引き当てる?
何を都合のいいことを考えていたのか。
引いた能力が何であれ、自分の使い方次第。
強い能力を持っているから強者なのではない。
能力の強みを引き出せる者が強者なのだ。
どんな姿であろうとも。
どんな能力であろうとも。
情けなかろうが醜悪であろうが。
自分の持っている手札を勝ち筋に変える。
出た目を嘆くな。
使え。
勝ち筋に変えろ。
ジェイルはもう祈らない。願わない。
ただ、振る。
「ロール・ザ・ダイス!」
二つの十面ダイスが、ジェイルの頭上に浮かぶ。
くるくると。
そして、ダイスは止まる。
出た目は。
六十一。
ジェイルの体に、淡い光が宿った。
何の効果かは分からない。
少なくとも、見た目には変化がない。
だが、ジェイルは笑った。
「やってみせるさ!」
アルドは、その声を聞いた。
そして、応えるように万能包丁を構える。
悔しいが。
本当に腹立たしいが。
今だけは……。
アルドはショートソードを自分の胴体に突き立てた。
突き立てた万能包丁へ意志を込める。
変化。
ショートソードから、先ほどの最大サイズの剣へ。
刃が巨大化すると、アルドの胴体を押し広げ、一撃で真っ二つにした。
石化が始まった胴体を、切り離すため。
下半身が落ちる。
灰色に染まりつつある肉塊が、地面にぼとりと転がった。
残ったのは上半身だけ。
上半身アルド、再誕。
実にひどい姿だった。
質量は大きく減ったが、致命傷は回避。
アルドは万能包丁を、文字通り包丁の形へ戻した。
そして、それを口に咥える。
両腕で地面を掴む。
下半身はない。
足もない。
どうやって戦うのか。
ランドコカトリスが、わずかに動きを止めた。
ジェイルも、固唾を飲んで見守っている。
次の瞬間。
アルドは逃げた。
ダッシュで。
両手だけで。
がしがしがしがしっと地面を掻きながら、上半身だけで器用に走っていく。
妙に速い。
まるで妖怪だった。
ランドコカトリスとジェイルは、一瞬あっけに取られた。
だが、先に動こうとしたのはチャンピオン個体だった。
アルドを追う、そう判断したのだろう。
しかし。
「行かせねーって!」
ジェイルが前に出た。
三人のジェイルが、チャンピオン個体の前に立ち塞がる。
勝てないかもしれない。
勝っても石になるかもしれない。
ジェイルにとって、それは問題ではなかった。
これは、プライドの問題。
背中を任された。
ならば、止める。
何が何でも。
ランドコカトリスの嘴が閃いた。
狙われたのは、正面のジェイル。
速い。
嘴がジェイルの肩を貫く。
だが、そのジェイルは幻影だった。
光が揺らぎ、幻が崩れる。
本体は横。
ジェイルの双剣が奔る。
二閃。
刃がチャンピオン個体の胴を狙う。
しかし、硬い。
ランドコカトリスの赤黒い羽毛は、刃を通さない。
金属を斬ったような感触。
双剣が弾かれる。
ジェイルの手首に痺れが走った。
それでいい。
攻撃してくれてありがとう。
ランドコカトリスは最初から、倒すつもりはなかったのだ。
本体を見切るためにわざと攻撃させた。
チャンピオン個体の濁った黒色の目が、ジェイルの本体を捉える。
嘴が引かれ……。
次の一撃は、本体に来る!
避けきれない。
ジェイル絶体絶命。
だが。
そこで、ダイスの効果を発動させた。
ジェイルの体が、激しく発光する。
ただ、光った。
それだけだった。
攻撃力が上がるわけでもなく、防御力が上がるわけでもなく、速度が上がるわけでもない。
ましてや石化を無効できるわけでもない。
本当に光るだけの能力。
昔のジェイルなら、外れだと思っただろう。
ふざけるなと毒づいたかもしれない。
しかし、至近距離で、いきなり激しい光を見たら、どうなる?
ランドコカトリスの目が焼かれた。
ギャアアアアアッ!
巨体がのけぞる。
チャンピオン個体は悶絶しながら地面を転がった。
狙っていたのは。
チャンスを待っていたのは。
相手だけではなかった。
ジェイルもまた、この瞬間を狙っていた。
どどどどどどどっ!
戦場のどこからか、凄まじい足音が響いた。
来る。
何かが来る。
地面を蹴り砕き、土煙を巻き上げ、一直線に!
ワイルドオークだ。
いつの間にか、完全復活を遂げていた。
速い。
速すぎる。
疾風どころではない。
まさに暴風。
アルドの手には万能包丁。
走りながら、それを両手で掴むと、包丁は瞬時に巨大化した。
バスターソード。
分厚く、重く、破壊のための刃。
アルドは跳んだ。
悶絶しているランドコカトリスのチャンピオン個体へ向かって。
目は潰れ、体勢は崩れている。
動けない相手に容赦なし。
それが絶対勇者アルド。
ベルガ聖騎士剣「ヘビィ・ダスト」。
渾身の一撃が、振り下ろされた。
轟音と衝撃。
巨大な刃が、ランドコカトリスの首を叩き斬る。
いや。
斬るというより、吹き飛ばした。
赤黒い羽毛が舞い、鋼の嘴が砕け散る。
頭は、どこかへ飛んでいったのか不明。
頭部を失った胴体が、ピクピクと痙攣したのち。
地面へ沈む。
戦場に、静寂が落ちた。




