第七話「どんぐりと、ソテーと、あと鼻歌」
牛小屋というのは、思ったより快適だった。
しかし、同時に暇だった。
藁の上に寝転がって、天井を眺めて、また寝転がって。
やることがない。
まぁやることがないのは別にいい。
勇者時代は常に何かに追われていたから、むしろ休息は必要だ。
だが。
腹が減った。
尋常じゃなく。
夕方に井戸の水を飲んだだけで、それ以来何も口にしていない。
オークの燃費の悪さは身に染みてわかっている。
このままではまずい。
本当にまずい。
今、俺はオークだ。
オークは何でも食う。
人間だって食う。
いや、俺は食わないが。
食わないはず。
……多分な。
だが本能は、じわじわと主張し始めている。
駄目だ。考えるな。考えるな俺。いくら何でもそこまで堕ちるわけにはいかんぞ、さすがに。
アルドは藁を力いっぱい握った。
大丈夫だ。
俺には矜持がある。
勇者としての誇りが。
でもなープライドじゃあ腹が膨れんのだな。
嗚呼、腹が減った。
それしか考えられん。
そのとき、牛小屋の扉が開いた。
「トンソク!」
リアだった。
両腕いっぱいに、何かを抱えている。
木の実だ。
どんぐり、野生の小さな果実、木の皮のついた何か。
よくわからないものも混じっている。
そしてリアは、全身泥だらけだった。
頬に、膝に、髪にまで泥が混じっている。
どんだけ走り回ったんだ、この子は。
「集めてきたよ!食べて!ご飯だよ!」
リアがアルドの前に、どさりと木の実を置いた。
キラキラした目でこちらを見上げている。
褒めてほしい、という顔だ。
どう見ても。
(リス……じゃないんだが、俺は)
アルドは木の実を見た。
どんぐり。
生のどんぐりだ。
煮てもいない、炒ってもいない、ただ拾ってきた、生のどんぐり。
背に腹は代えられぬ、か。
一口で全部ほおばった。
渋かった。
異常に渋かった。
えぐみと渋みと、あとよくわからない苦みが一緒に来た。
どんぐりというのは、ちゃんと処理しないと食えたものじゃないらしい。
知識として知っていたが、体験すると想像以上だ。
オークだからどうにかなる、というものでもないらしいな。
まずい上に、量が少ない。
最悪だ。
最悪、だが一口で全部消えた。
全然足りない。
リアがキラキラした目のまま、じっとこちらを見ている。
「どう?おなか一杯になった?」
アルドはふん、と鼻息一つ鳴らし立ち上がった。
そして、藁の上を転がった。
フゴフゴと。
何度も何度も。
「え?え?どうしたの?」
転がり続けた。
全身で不満を露にする。
足りん。
全然足りん。
これっぽっちじゃ腹の足しにもならん。
「トンソク?」
リアの声が震えてきた。
知ったことか。
俺は腹が減っている。
子供は甘やかすとつけあがる。
努力は認めるが、結果が伴っていなければ無意味、無駄無駄。
大人として、世の中の厳しさを教えねばならん。
断じて意地悪ではない!
これは教育だ!
「ひどい……」
リアが小さな声で言った。
振り向くと、しゃくりあげていた。
(泣け!泣いて大きく成長するのだ!苦労を知らずして大人になれると思うなよ?)
ぐぅ……。
それにしても、腹が鳴り止まない。
そのとき、どこからか匂いが漂ってきた。
肉の匂いだ!
血抜きをした後の、生肉の、獣の匂い。
それから香草の匂い。
油の匂い。
どこだ。
聞くまでもなく、鼻が方向を教えてくれた。
牛小屋から出て家の裏手を見ると、石造りの小屋があった。
調理場だ。
なるほど、田舎では調理場を離れに作ることが多い。
火を使うから当然だ。
木造の家が燃えたら一巻の終わり。
だから、石造りの離れを別に作る。
扉が少し開いていた。
中を覗くと、作業台の上に二体のモンスターが横たわっていた。
一体は白い毛並みのウサギ型モンスター。
もう一体は深緑の鱗を持つ蛇型モンスター。
どちらも、すでにバラされていた。
牙が抜かれ、皮が剥がれ、角のある方は角も取られている。
素材だけ取り出した後の、いらない部分だ。
父親がここでモンスターを解体したのだ。
素材を剥いで、残りは捨てるつもりなのだろう。
(いらないなら……もらってしまうか)
アルドは調理場に入った。
作業台を確認。
包丁がある。
鍋がある。
フォークとナイフもある。
棚を開けると、塩、香草、乾燥させたスパイス数種類、油の瓶。
(十分だぜ!)
アルドは包丁を握る。
まず二体の下ごしらえ。
ウサギ型から始める。
残っている余分な部分を取り除いて、肉を整える。
関節に沿って、丁寧に分けていく。
骨の周りの肉まで無駄にしない。
蛇型は長い胴を扱いやすい大きさに切り分ける。
皮が剥がれているので、あとは火の通りを考えた厚みで。
塩を振り、しばらく置く。
その間に鉄鍋に油を引いて、火にかけた。
薪をくべて、温度を上げていく。
油が温まってきた。
いい感じだ。
香草を刻む。
スパイスを確認。
この赤いのは辛み、この黒いのは香りをつけるやつ。
勇者パーティ時代にカナが使っていたものと似ている。
そして、おもむろにウサギ型の肉を鍋に入れた。
ジュ、という音がした。
途端に匂いが変わる。
生の匂いが消えて、加熱された肉の香ばしい匂いが広がっていく。
油と肉の脂が混ざって、複雑で濃い香りに変化する。
表面に焼き色がついてきた。
頃合いをみてひっくり返す。
香草を加える。
スパイスをひとつまみ。
蛇型も隣の小鍋で同時に進める。
こちらは油を少なめにして、皮目からじっくりと。
蛇の身は水分が多いから、丁寧に火を通す必要がある。
二つの鍋から立ち上る煙が、調理場の天窓に向かっていく。
うまそうな匂いだ。
自分で言うのもなんだが、最高だな。
それに最初に気づいたのは、リアだった。
「なに……この匂い」
牛小屋の前でしゅんとしていたリアが、匂いにつられて調理場の扉を覗いた。
「え……ちょっと待って」
目が丸くなった。
次に来たのは母親だった。
夕食の準備をしていたらしく、エプロンをつけたままだった。
「なんでオークが……リア、あなた——」
調理場を覗いて、固まった。
最後に来たのは父親だった。
外から戻ってきたらしく、手に道具を持ったままだった。
「飯の匂いがする……旨そうだ……」
三人が調理場の扉の前に並んだ。
中では、ピンクのオークが鍋を二つ操りながら、慣れた手つきで盛りつけをしていた。
作業台の上に、二枚の皿。
ウサギ型のソテー。
香草の香りが立ち上り、表面はきつね色に焼き上がっている。肉汁が皿の上でわずかに光っている。
蛇型のソテー。
スパイスの赤みが食欲をそそる色をしている。皮目がぱりっと仕上がって、断面から湯気が出ている。
三人の喉が、ほぼ同時に鳴った。
父親が呟く。
「……夢でも見てるのか、俺は」
そんなことは知らん。
アルドはフォークとナイフを取り上げた。
背筋を伸ばし、皿を手前に引いた。
ナイフでウサギ型のソテーを切り分ける。
断面が現れた。
中まできちんと火が通っている。
肉汁が、じわりと染み出してくる。
一切れを口に運んだ。
うましっ。
表面の香ばしさと、中から溢れる肉汁が同時に来る。
香草が肉の臭みを完全に消して、スパイスが奥に余韻を作っている。
噛むほどに旨味が出てきて、嗅覚が全ての層を拾い続けている。
(調味料というのは偉大だな)
リザードマンのときも、アーマービートルのときも、フォレストウルフのときも——全部素のまま食べていた。
それでも十分うまかったが、調味料を使うと次元が変わる。
素材の良さを引き出して、弱点を消して、旨味を重ねる。
次に蛇型のソテーを切り分けた。
こちらはスパイスの香りが強く、皮目のぱりっとした食感と、中の柔らかい身の対比が面白い。
あっさりした旨味に、スパイスの刺激が加わって、後を引く味だ。
(二種類だから、飽きないぞこれ!やばいな!)
交互に食べることで、口の中がリセットされる。
どちらも旨い。
どちらも違う旨さだ。
身体の内側で、何かが弾けた。
ステータスを確認するとレベル6。
一気に二つ上がった。
(やっぱり新種を二体食ったからか?)
ウサギ型と蛇型。
今まで食べたことのない種族を二つ同時に食べた。
それぞれにレベルアップが発生したのだろう。
アルドは最後の一切れを丁寧に口に運んだ。
少しだけ足りない気もしたが、満足だった。
食べ終わると、アルドは椅子から立ち上がった。
意図せず、鼻歌が出た。
自然と。
勇者時代によく歌っていた、旅の歌だ。
歌詞は出てこないが、メロディは覚えている。
それをブヒブヒと、オークの声帯で再現した。
フゴフゴフゴ、フゴフゴ。
我ながらひどい音程だが、俺は気にしないね。
使った鍋を洗い、作業台を拭いた。
包丁も元の場所に戻し、油の瓶の蓋を閉めた。
後片付けも完了っと。
振り向くと、扉の前に三人が並んだまま突っ立っている。
父親が、まだ何か夢で見ているような顔をしていた。
母親はリアを見た。
「……あなた、とんでもないもの、テイムしてきたわね」
呆れ声だった。
リアが胸を張り、泥だらけのまま、誇らしそうに。
「だから言ったじゃない」
胸をどんと叩いた。
「トンソクはすごいの」




