第六十五話「石化と、再生と、あと負けないこと」
いつの間にか、アルドは囲まれていた。
前にランドコカトリス。
右にエッジビースト。
左にラッシュボア。
背後にはマッドエイプ。
さらに外側を、スパイクラットがうろついている。
モンスターの群れが、じりじりと包囲を縮めていた。
こうなれば、数の利が活きる。
一方向から突っ込んでくるだけなら、アルドは容易に捌ける。
だが、囲まれたとなれば話は変わる。
逃げ道がなくなり、速度を活かした攻撃ができない。
そして、機動力が封じられれば、回避も困難になる。
遠くから見ていた監視兵の一人が、思わず呟いた。
「なぜ、わざわざ不利な状況に……?」
もっともな疑問だった。
アルドは、あえて群れの中へ踏み込んだ。
結果、包囲された。
普通に考えれば悪手。
だが、アルドは万能包丁を構えたまま、鼻を鳴らした。
遠巻きに囲まれ、じわじわと包囲網を縮められれば、結局は同じ。
ならば、こちらから入る。
追い詰められて、手も足も出なくなる前に主導権を握る。
死中に活を求める。
それが重要だった。
もっとも理屈はそうでも、現実は甘くない。
エッジビーストの鎌脚が、アルドの肩をかすめる。
皮膚が裂けた。
マッドエイプの爪が、背中を浅く抉る。
ラッシュボアの体当たりを避けきれず、横腹に鈍い衝撃が入る。
痛い。
そして、うざい。
囲まれるというのは、こういうことだ。
攻撃に意識を割きながら、全てを見切るのは難しい。
そもそも、こんなに群れてはいるが、一体一体の戦闘力は意外にも高い。
アルドはまとめて吹き飛ばしたが、本来ならグレイウルフを一体狩るのも大変だ。
万全を期すならEランク冒険者3人以上必要だと言われている。
ましてや集団になると、必要戦力は掛け算では済まない。
ランクが上の冒険者でないと、許可そのものが下りないくらいだ。
そんな中、アルドは孤軍奮闘する。
短い足で地面を蹴り、ラッシュボアの突進を避けた。
気を取られたその一瞬、ランドコカトリスが、鋭い嘴を突き出した。
がぶり。
アルドの左腕に食らいつく。
嫌な音がした。
肉を噛み潰す音。
そして、もっと嫌な感覚。
噛まれた部分から、冷たいものが広がっていく。
石化。
ランドコカトリスの嘴に宿る、厄介な効果。
噛まれた傷口から、じわじわと石化が進行していく。
普通のコカトリスほど強力ではない。
それでも、放置すれば確実に死に至る。
噛まれた場所が灰色に変わる。
皮膚が硬くなり、感覚が鈍る。
数時間もすれば、ブタの石像の完成である。
見世物としては悪くないが、本人としては最悪だ。
そもそも、そこまで待つ必要もない。
重要な臓器が石化すれば死亡。
足や腕が石化すれば、戦闘能力は一気にガタ落ちで嬲り殺し。
もっとも、普通の人間なら石化以前に、嘴で腕を食い散らかされていただろうが。
ランドコカトリスが嘴を離すと、周囲のモンスターたちが、すっと距離を取る。
分かっているのだ。
石化が進行することを。
その時を待てばいいことを。
ぎちぎち。
ぎゃあぎゃあ。
鳴き声が響く。
笑っているようにも聞こえた。
アルドは、つまらなそうに左腕を見た。
石化は肘の少し下から進んでいる。
灰色の石肌は、痛みよりも重さがある。
非常に面倒だ。
アルドは万能包丁を持ち直した。
そして。
すとん。
自分の左腕を、切り落とした。
石化した腕が、ぼとりと地面に落ちる。
あまりにも迷いがなかった。
モンスターたちが、たじろいだ。
一瞬だけ動きが止まる。
遠くで見ていた監視兵三人も、思わず目を逸らした。
「うっ……」
「自分で……」
「腕を……」
石化解除のポーションがなく、治癒術師がいなければ誰でもそうするしかない。
石化が広がる前に、切り落とす。
理屈では分かる。
時には、そういう判断もある。
だが、それを実際にできる者は少ない。
まして。
涼しい顔で自分の腕を切り落とすなど、オークとはいえ、異常だった。
「これで命は助かったとしても……勝算はかなり低くなったな」
監視兵の一人が言う。
片腕。
しかも、戦闘中。
モンスターの包囲の中、普通ならここまで。
だが……。
にゅるん。
切断面が震える。
肉が泡立つように盛り上がると、ピンク色の粘性ある肉が腕の形を作っていく。
肘から前腕。
手首から指。
数秒後には、アルドの左腕は元通りになっていた。
「……は?」
監視兵の口が開いた。
モンスターたちも、あっけに取られていた。
石化した腕は、地面に落ちている。
だが、アルドには新しい腕が生えている。
スライムオークの特性。
正確には、腕が再生したというより、スライム状の体が腕の形を作り直しただけ。
質量は減っている。
切り落とした分、体はわずかに軽くなった。
だが、見た目はほとんど元通り。
戦闘に支障はない。
アルドは新しい左手を、ぐっぱぐっぱと動かした。
そして、周囲を見る。
「ぶひ?」
どうかされましたか?
そんな顔だった。
実に腹立たしい顔だった。
監視兵三人も、開いた口が塞がらない。
「あれは……何だ?」
「オークじゃないのか」
「いや、オークだろ」
「じゃあ何で腕が生えるんだよ」
「知るわけないだろ」
アルドがここまで目立つ行動をしているのには理由がある。
ふざけているわけではない。
視界の端で動く影を見ていた。
ジェイルだ。
混乱に乗じて、戦場の端から端へ移動している。
倒したモンスターの死骸を、素早く回収。
使える部位を選び、リアの待つ安全地帯へ。
グッジョブ。
アルドは内心で頷いた。
そうだ。
そのために、俺はここにいる。
敵を引きつける。
その間に、ジェイルが回収。
リアが調理。
飯を持ってくる。
俺が食う。
完璧。
実に完璧な作戦だ。
腹が減っているわけじゃないぞ。
これぞ戦術である。
アルドは万能包丁を構え直した。
同じ種類のモンスターでも、個体差がある。
弱い個体。
速い個体。
力のある個体。
よく見ると、群れの中には特殊個体と呼ぶべきものが混じっていた。
通常より体が大きいラッシュボア。
エッジビーストの鎌脚が、金に鈍く光る個体もいる。
その他ににもチラホラと。
先ほどアルドに噛みついたランドコカトリスも、その一体。
石化の進行が速かった。
異質な圧を放つもの。
一回り、いや二回りは大きいランドコカトリス。
羽毛は赤黒く、嘴は鋼のように太く、目は濁った黒色。
周囲のモンスターたちが、無意識に道を開けている。
チャンピオン個体。
群れのリーダーか。
得てして、こういう個体は知能も高い。
単純な突撃だけではない。
こちらの動きを見て学ぶ。
仲間を使い、最も嫌なタイミングで仕掛けてくる。
あれを正面からやるには、フルバーストが必須だろう。
だが、問題がある。
フルバーストは非常に強力だが、一度発動すると自力で止められない。
魔力を使い切るまで、燃え続ける。
昨日、ガス欠を起こして袋叩きにされた。
ここで同じ轍は踏めない。
ならば、最後に回す。
それまでは温存。
勝負どころまで、耐える。
ジェイルの姿が消えた。
食材回収を終え、リアの方へ戻ったと思われる。
つまり、次にジェイルの姿が見えた時が、食事の受け渡しの時。
レベルアップするだけなら、一口でいい。
一口食えば、傷も体力も回復する。
もっとも、MPは回復しないが。
そこが痛い。
だが、それでも大きい。
幸いにも、石化はスライムオークにとって致命的な脅威になりえない。
石化した部分を切り捨て、形を作り直せばいいのだから。
ただし、削られ続ければ別。
体は小さくなり、ステータスは下がる。
つまり、無限に攻撃は受けられない。
今、重要なのは勝つことではない。
負けないことだ。
ジェイルが戻るまで。
リアの料理ができるまで。
レベルアップ回復の一口が届くまで。
耐えて、凌ぐ。
さあ、来い。
勝つことがすべてじゃない。
負けない。
それも、勇者の戦い方だ。




