第六十三話「万能包丁と、無視と、あと爆散」
太陽が真上にきた頃、東の森が揺れ始めた。
最初は、ただの風のようだった。
木々の葉がざわめき、枝が震える。
だが、すぐに違うと分かる。
地面を蹴る無数の足音。
低い唸り声。
獣の息遣い。
そして、血の混じった匂い。
それはモンスターの群れだった。
先頭にいるのはランドコカトリス。
地を走る大型鳥。
鶏に似た胴体。
太い脚。鋭い嘴。退化した翼。
鱗混じりの硬い羽毛。
その後ろには、複数の獣型モンスターが続く。
灰色の毛並みを持つグレイウルフ。
猪に似た突進型のラッシュボア。
鎌のような前脚を持つエッジビースト。
猿のように木々を跳び回るマッドエイプ。
地面を這う毒牙持ちのヴェノムバイパー。
さらに、角の生えた鹿型のホーンディア。
棘だらけの小型獣スパイクラット。
雑多。
統率された軍勢というより、飢えと殺意に突き動かされた獣の群れだった。
だが、数は多い。
百を超えている。
これが砦へ正面からぶつかれば、ただでは済まないだろう。
いや。
万全の状態のガルディアス臨時砦でも、持ちこたえられない可能性が高い。
その圧倒的な群れの正面に、一匹のオークが立っていた。
アルドである。
見た目は、どう見てもただのオーク。
しかも小太り。
だが、その目だけは違っていた。
アルドは迫りくる群れを前に、不敵に笑う。
危機が迫れば迫るほど、血が熱く燃える。
理不尽な戦場ほど、頭が冴える。
絶望的な状況ほど、魂が燃える。
それが勇者。
それが漢。
それがアルド。
今はただの豚だが。
アルドはずぶりと腹に手を突っ込んだ。
ぜい肉に手首まで入る。
アルドは、腹の中から何かを引き抜いた。
出てきたのは、一振りの包丁。
料理を始めるのか?
違う。
いや、半分は合っている。
料理「にも」使える。
しかし、その包丁には小さな魔石が埋め込まれていた。
刃の根元に淡い光が灯る。
アルドの意志に反応するように、包丁の形が変わっていく。
刃が伸び、柄が長くなり、厚みが増す。
銀色の光をまといながら、包丁は一振りのロングソードへ姿を変えた。
そうこれは、アルドが拝借した、もとい、リアが愛の証として譲り受けたマジックソードである。
持ち主のイメージに合わせて、刃の形を変える魔法の剣。
ただし、変えられるのは刃のついた武器だけ。
ロングソード。
ショートソード。
ナイフ。
包丁。
大剣。
そういったものに変化する。
だが、槍や斧にはならない。
あくまで剣。
刃系統の武器。
普段は携帯しやすいよう、包丁の形にしていた。
腹の中にしまうため。
どういう携帯方法だ。
だが、スライムオークであるアルドにとっては便利だった。
アルドは、その剣に名前をつけていた。
万能包丁。
ネーミングセンスが終わっていた。
勇者時代からそうだった。
かつて聖剣の技に「最強斬り」と仮名をつけ、仲間に真顔で止められた男である。
そこから成長していない。
いや、オークになって退化した可能性まである。
アルドはロングソード形態の万能包丁を構えた。
刃渡りは十分。
手触りも悪くない。
これで料理にも使えるのだから最高である。
森から、ランドコカトリスたちが飛び出してきた。
太い脚で地面を蹴り、嘴を開き、群れとなって突っ込んでくる。
リアは遠くの安全地帯で、両手を握りしめていた。
「トンソク……」
ジェイルも緊張した面持ちで見ている。
「さて、どう出る?」
アルドは剣を構え、真正面から群れを迎え撃つ。
来い鳥肉ども、俺が相手だ。
ランドコカトリスの群れが近づく。
三十メートル。
二十メートル。
十メートル。
そして。
そのまま通過した。
「……ぶひ?」
アルドはぽかんとした。
モンスターの群れは、アルドの左右を駆け抜けていく。
グレイウルフも。
ラッシュボアも。
マッドエイプも。
ホーンディアも。
特に攻撃してこない。
完全に無視。
オークが突っ立っている。
ただ、それだけの認識だった。
モンスターにとって、オークは敵ではない。
邪魔な岩。
変な木。
太った同類。
その程度。
わざわざ戦う理由がない。
リアとジェイルが、同時にずっこけた。
アルドはしばらく固まっていた。
そして、怒りで震える。
おい。
待て。
無視するな!
俺を誰だと思っている!
勇者アルド様だぞ!
空気を読めや!
アルドは地面を蹴った。
ワイルドダッシュだ。
一気に群れを追い抜く。
短い脚からは想像できない速度で、先頭のランドコカトリスたちの前へ回り込む。
ずざざっ。
アルドは再び正面に立ち剣を構える。
「ぶひいいいいっ!」
俺を無視すんじゃねぇ!
そう吠えた。
実際には、ただのオークの鳴き声であるが。
だが、今度は違った。
明確に敵意を向けている。
ランドコカトリスの一体が足を止めた。
鋭い嘴を開くと、喉の奥から、ぎちぎちと嫌な音が鳴る。
敵の数は百以上。
今のガルディアス砦の戦力では敗北必至。
これまでも、魔道具や地形、罠、戦略でどうにか凌いできたのだろう。
力だけで勝てる相手ではない。
アルドとて、真正面から全てを相手にすれば話にならない。
フルバーストを使っても、全滅させる前にMPが切れる。
ならば、必要なのは分断。
数を削り隊列を乱す。
冷静さを奪う。
追わせる。
誘導する。
だが、問題があった。
相手は、アルドを舐めている。
たかがオーク一体。
脅威と見なしていない。
ならば分からせるしかない。
ランドコカトリスの一体が、アルドへ襲いかかった。
じゃまだ、と言わんばかりに。
太い脚で地面を蹴り、嘴を突き出す。
速い。
が、直線的。
アルドは半歩さがり、ロングソードを横に振る。
一閃。
刃が首を捉えた。
ランドコカトリスの首が飛んだ。
胴体が数歩走り、そのまま倒れる。
頭が地面を転がった。
万能包丁。
名前は悪いが、性能は悪くない。
最初は沈黙。
群れの動きが、一瞬だけ止まる。
そして、伝播した。
こいつは敵だ。
こいつは人間側だ。
ランドコカトリスたちが、一斉に鳴いた。
グレイウルフは牙を剥き、ラッシュボアが地面を掻く。
エッジビーストが前脚の鎌を鳴らすと、ヴェノムバイパーが毒舌を出す。
群れの殺気が、すべてアルドへ向く。
よし。
それでいい。
最初からそうしてろ。
アルドはにやりと笑った。
そして……。
逃げた。
一目散に。
ワイルドダッシュで一気に跳ぶ。
敵意むき出しのモンスターたちを後目に、そのまま平野を走る。
「え、逃げたの!?」
リアが叫ぶ。
「違う。誘ってるんだ」
ジェイルもつられて叫ぶ。
足の速いモンスターたちが、すぐにアルドを追ってくる。
グレイウルフ。
全体ではない。
速い奴だけが、群れから飛び出した。
その数十体ほど。
アルドは後ろをちらりと見る。
追いつかれそうな距離。
いや。
追いつかせている。
速度を調整しているのだ。
近すぎず。
遠すぎず。
あと少しで届く、そう思わせる距離。
逃げる獲物を追う習性があるのは、獣型モンスターの悲しい性。
走り出したモンスターは止まらない。
そして。
アルドは、地面に埋まった魔法弾地帯へ踏み込んだ。
ここだ。
アルドは振り返り、剣先に闘気を込める。
ラディカルショット。
小さな衝撃波が放たれた。
もちろん、狙いはモンスターではない。
地面の魔法弾。
直撃した次の瞬間。
轟音と爆炎と衝撃。
地面がめくれ上がり、追ってきた十体ほどのモンスターが爆風に呑まれた。
グレイウルフが吹き飛ぶ。
爆発は見事だった。
威力も十分。
成功。
初手としては完璧。
だが。
アルドは爆煙の向こうを見て、固まった。
失敗した。
肉片は黒焦げの土まみれ。
食材回収できるの、コレ?




