第六十一話「任務と、鳥肉と、あと決起」
「やめなさい!」
セレスティアの声の一言で、兵士たちの動きが止まる。
拳を振り上げていた者。
蹴っ飛ばしていた者。
アルドの上に乗っていた者。
耳を引っ張っていた者。
全員が動きを止めた。
殺気は残っている。
それでも、セレスティアの命令には逆らわない。
彼女はガルディアス臨時砦で、絶対的権威を持つ女騎士なのだ。
セレスティアがゆっくりと歩き出すと、兵士たちが左右へ散っていく。
人垣がほどける。
そこに残ったのは、一匹のオーク。
アルドは仰向けになり、息を切らせている。
体のあちこちに泥と足跡がついていた。
醜い豚。
そう表現するのが、一番しっくりくる。
少なくとも、セレスティアの目にはそう映った。
そうとしか見えない。
だが、そのただのオークが、砦の兵士たちを百人以上も倒した。
常軌を逸している。
セレスティアは、つぶさにアルドを観察した。
筋肉のつき方。
魔力の残滓。
強者の気配。
どこを見ても、あれほどの事ができるようには見えない。
見えないからこそ、不気味だった。
「トンソク!」
リアが駆け寄った。
兵士たちの間を抜け、アルドの前に立ち両手を広げる。
小さな体で、アルドを庇う。
「もうやめて!トンソク、こんなにボロボロなんです!」
アルドは仰向けのまま、片目だけを開けた。
確かにボロボロだった。
かなり痛い。
だが。
誰のせいでこうなったと思っている?
お前が食料泥棒を俺に押しつけたからじゃねーか!
覚えとけよ。
俺は記憶力には自信があるんだ。
セレスティアは、リアを見下ろす。
「そのオークには、明日、モンスターの侵攻を一匹で止めてもらいます」
「……え?」
「明日の昼前後、東の森からモンスターの群れが来ます。その先陣となっていただきます」
「トンソクだけで?そんなの無理です!トンソク、こんなに怪我してるのに!一匹でなんて無理です!」
「無理かどうかは関係ありません、やってもらうだけです」
「だめです!そんなの酷い!」
「酷い?」
セレスティアの声が冷たくなる。
「そのオークが食料を奪ったことに起因して、この砦は危機に陥ってしまいました。その代価を払ってもらわねばなりません」
「でも……」
リアは言葉を詰まらせた。
反論したい。
しかし、できない。
食料を食べたのは事実だから。
「ちょっと待ってくれ。俺も異議がある」
ジェイルが口を挟んだ。
セレスティアの視線が鋭くなる。
「何がですか?まさかとは思いますが、今更『かわいそうだから』、などという気ではないでしょうね」
「違う。勝算の問題だ」
セレスティアはが黙る。
「さっきの動きを見ただろう。確かにアレはすごい。だが、俺の見立てでは短時間の爆発力だ。現に今、ガス欠を起こしてこの通りだ」
「それで?」
「今は消耗している。明日までにどれだけ回復するか分からない。そんな状態で一匹だけ前に出せば潰される可能性がある」
「でしょうね」
「なら――」
セレスティアは、周囲を見渡した。
倒れた兵士たち。
砦の戦えたはずの者が、半分以上が怪我で蹲っている。
セレスティアは、それを見て、ため息を吐いた。
「私の見立てが甘かったことは認めましょう」
その言葉に、周囲がわずかにざわついた。
セレスティアが自分の判断ミスを口にするのは珍しい。
「このオークを侮っていました。百人分の戦力と言われても、半信半疑でした。ですが、結果はこれです」
「明日、砦から割ける戦力はほとんど無くなってしまいました」
「だから、トンソク一匹に行かせるってのか?」
ジェイルの声が低くなる。
「やってもらわねば。ガルディアス砦の存亡に関わるのです」
セレスティアは淡々と語る。
「明日の襲撃で、この砦が持ちこたえられるかどうか。それは、このオークがどれだけ敵戦力を削れるかにかかっています」
「……」
「最大限、前方で数を削ってもらい、残った敵を砦周辺で殲滅する。それしかありません。本来は百名ほどで敵戦力を削る計画だったのですから」
「トンソクの活躍が少なかった場合は?」
「砦が持ちこたえられるかどうかは、微妙なところでしょう」
答えは明確だった。
ジェイルは歯噛みした。
まさか、こんなことになるとは。
トンソクの力を見せれば、場は収まると考えた。
確かに収まった。
だが、その結果がこれだ。
見通しが甘かった。
「なら……俺が行く」
「ジェイルさん!?」
リアが目を見開く。
「俺が一人で先行する。怪我をしたトンソクを出すより、まだ可能性が高いだろ?」
「だめ!」
「ジェイルさんにそんな危ないことさせられません!」
「俺は冒険者だ。危ないことをするのが仕事なんでな」
「だめったらだめ!」
「リア。このままだと、トンソクが行くことになる」
ジェイルは諭すように言う。
リアはアルドを見る。
アルドはまだ地面に転がっている。
痛そうだ。
トンソクを行かせたくない。
けれど、ジェイルを行かせるのも嫌だ。
砦の人たちが死ぬのも嫌だ。
何も選べない。
リアは唇を噛んだ。
そして、アルドの前にしゃがみ込む。
「トンソク……」
アルドは嫌な予感がした。
その目をやめろ。
その目で見るな。
やめろ。
やめろって。
「お願い」
ほら来た。
「戦ってほしいの」
嫌です。
アルドは内心で即答した。
こんな暴力的な連中など、モンスターにやられてしまえばいい。
飯のことで怒り、勝手に殴り、自分の弱さで倒れている。
全部、自業自得。
なんで代わりに戦わなきゃいけない?
自分の砦くらい自分で何とかしろ。
そこのふんぞり返っている責任者に何とかしてもらえ。
女であることは免罪符にならんぞ?
こんな目に合わされて冗談じゃない。
アルドはそう考えた。
その時、ふと耳に誰かの声が届いた。
「明日の群れは、またランドコカトリスか?」
近くの兵士が、仲間と小声で話している。
「斥候の報告じゃ、そうらしい。他にも獣族が何種か」
「数は?」
「多いみたいだ。かなり」
ランドコカトリス。
地を走る大型の鳥型モンスター。
鶏のような胴体に、鋭い嘴。
太い脚。
地面を抉る爪。
退化した翼。
そして、硬い鱗混じりの羽毛。
コカトリスほど強力な能力はない。
嘴や爪でつけた傷から石化が進行させる程度。
完全に石になるまで数時間を要する。
だが、群れで行動するのが厄介だ。
能力よりも力が脅威、嘴の一撃は鎧を割る。
数で押されると面倒。
普通なら、そういう認識である。
しかし。
アルドの脳裏に浮かんだのは、まったく別のものだった。
鳥。鶏。鶏肉。
むっちりとしたモモ、あっさりとした胸。
皮を焼けば、脂がじゅわり。
塩を振れば、香ばしく。
炭火で炙れば、外はぱりぱり、中はジューシー。
骨付きのまま豪快に齧れば、肉汁があふれる。
ランドコカトリス。
つまり、巨大鶏。
アルドの口の端から、よだれが垂れた。
そういえば。
しばらく、鶏肉なんて食っていなかった。
保存食。
硬いパン。
薄いスープ。
俺が求めているのは、そんなものではなかった。
脂の乗った肉。
できれば、たっぷり。
目の前に、明日、それが来る。
向こうから。
群れをなして。
食材が、走ってくる!
アルドは、ゆっくりと体を起こした。
蹴られたところが痛い。
だが。
そんなの関係ねぇ!
アルドは起き上がると、ふんぞり返った。
ぽっこりした腹を突き出す。
よかろう。
やってやる。
リアの顔が明るくなる。
「トンソク……!」
リアはぱっと立ち上がり、セレスティアへ向き直る。
「私たちに任せてください!」
セレスティアは、リアを見る。
「……やる気になった、ということでよろしいのですか」
「はい!トンソクが何とかしてくれます!」
リアは力強く頷く。
完全に丸投げである。
だが、アルドはもう気にしていなかった。
鶏肉。
それが全てだった。




