第五十七話「不足と、責任と、あと犯人」
「食料です!食料が……足りません!」
その一言で、ガルディアス砦の空気が変わった。
物資確認をしていた兵以外にも、多数の人間が次々と袋や箱を開ける。
小麦袋。
干し肉の樽。
乾燥野菜の袋。
塩漬け肉の箱。
豆。
芋。
干し魚。
再確認。
数え直し。
帳簿との照合。
結果は変わらなかった。
「……食料が、およそ半分しかありません」
報告した兵の声が震えていた。
半分。
たった二文字。
だが、この場では致命的な意味を持つ。
ガルディアス臨時砦には約三百人がいる。
兵士。
冒険者。
徴用労働者。
負傷者。
雑用係。
いつ死んでもおかしくない者たち。
彼らの食料は、一応自給自足で賄われている。
森で採れる変な野菜や、正体の怪しいキノコ。
硬い根菜に、時々捕れる小動物。
食えるのか食えないのか分からない草。
それらを煮込んだ、紫色の何か。
食事。
というより、ただの生命維持。
まさに『食餌』そのもの。
だからこそ、一週間に一度届く補給物資は貴重だった。
もちろん豪華な物はない。
王都の貴族なら、豚の餌だと吐き捨てるかもしれない。
だが、ここでは違う。
死にゆく戦士たちの、わずかな娯楽。
ある者にとっては、思い残すことなく死ぬための最後の楽しみ。
ある者にとっては、もう一度これを食べるために生き残ろうと思う希望。
そんなものだった。
それが足りない。
つまり、誰かが食べられない。
分配を減らすのか。
負傷者から削るのか。
労働者から削るのか。
それとも?
答えは見えていた。
奪い合いだ。
そうなれば自滅。
そうなれば自壊。
ただでさえ、砦の人間は限界に近い。
飢えに疲労に恐怖に怒り。
負の感情の掃きだめ。
そこに食料不足が加われば、火種は一瞬で燃え広がる。
すでに兵たちは殺気立ち始めていた。
補給部隊へ向けられる視線が、鋭くなる。
武器を握る手に力が入る。
冒険者らしき男が、舌なめずりをした。
冗談ではない。
獲物を見る目だ。
リアは、鉄格子の中で小さく身を縮めた。
「……なんか、怖い」
「当然だな。ここじゃ、食料は命以上に重い」
ジェイルが低く答える。
アルドは他人事のように鼻をほじっていた。
いや。
実際に他人事だった。
食ったのは自分だが。
『たかが飯のことで大袈裟な』、そう思っている。
自分のことは高い高い棚の上にあげておいて。
「何かの間違いではないのですか」
セレスティアの声は静かだった。
だが、その静けさが怖い。
補給部隊の隊長は、顔面蒼白になっていた。
「い、いえ、その……」
「出発時点での確認は?」
「も、もちろん、行っております!」
「では、途中で消えたということですね」
「そ、それは……」
隊長は振り返った。
その視線の先にいたのは、カイルだった。
「カイル!」
「は、はいっ!」
カイルの肩が跳ねる。
「お前、荷の確認をしていただろう!何か見ていないのか!」
「え、ええと……」
カイルは目を泳がせた。
見た。
見ている。
鉄格子をすり抜けて食料を貪り食うオークを。
だが、言えるか?そんなこと。
言えるわけがない。
「やっぱり最初から足りなかったんじゃないですか?」
カイルは言った。
自分でも最低だと思った。
隊長の顔がさらに歪む。
「そんなはずがあるか!出発時点で俺も確認しているんだぞ!」
「じゃ、じゃあ……途中で落としたとか?」
「食料だけをか!?」
「風で飛んだとか……」
「干し肉の樽が風で飛ぶか!」
正論だった。
だが、カイルは引けない。
ここで引けば終わりだ。
真実を話しても終わり。
黙っていても終わり。
なら、黙っていた方がまだ可能性はある。
アルドは、それを見て内心でニヤついていた。
いいぞ。
とぼけろ。
もっととぼけろ。
パンを渡した甲斐があったぜ。
実に素晴らしい。
もめろ。
もっとだ。
そして……うやむやになれ!
このまま何となく終われば全員幸せだろうが。
食料は減ったが、細かいことを気にしてはいけない。
人間おおらかに生きないとな。
心の余裕が大事だよ、心の余裕が。
「そうですか。では、補給部隊には責任を取ってもらうしかありませんね」
セレスティアが言った言葉に、場が凍る。
ごくり。
カイルの喉が鳴った。
「責任……ですか?」
「ええ」
「兵士を……辞めろってことですか?」
それなら、いい。
望むところだ。
故郷へ帰り、母の畑を手伝う。
山の猿と戯れる生活。
悪くない。
いや、今なら最高に思える。
だが、セレスティアは首を横に振った。
「明日、モンスターの襲撃が予想されています」
カイルの顔が固まる。
「は?」
「斥候からの報告です。東の森にモンスターの群れが集まりつつあります。今までのパターンからすれば……おそらく、明日の昼前後に来ます」
セレスティアは淡々と言う。
「そこで、あなた方に対処していただきます」
「た、対処……?」
「魔法弾があります。それを敵の中央で炸裂させれば、敵の勢いを削げます」
意味が分からない。
いや。
意味は分かる。
分かりたくないだけだ。
「敵の中央って……」
「モンスターの群れの中心です」
「そこまで、どうやって行くんですか?」
「行かなくても待っていれば来ます」
「それ、死んじゃうんじゃ……」
「大丈夫です。魔法弾は時限式。死んでいても爆破できます」
「えぇーーー!それって死ねってことでは……」
「そうですね」
即答だった。
冗談。
そう思いたかった。
だが、セレスティアの顔は至って真面目だった。
冗談を言っている顔ではない。
周囲の兵たちは、にやついている。
補給部隊を見る目が冷たい。
哀れみではない。
ざまあみろ。
そんな目だ。
カイルの体温が冷える。
「この砦では……」
セレスティアが言う。
「食料盗難は死罪と決まっています」
空気がさらに重くなる。
「ただし、むやみに殺しはしません」
慈悲ではなかった。
「少しでも、生きている者たちの利になる形で死んでもらう。それが、ガルディアス流です」
カイルは泣きそうになった。
ここにいる連中は、本気だ。
本気でそう言っている。
生と死の境に身を置きすぎて、感覚が壊れている。
人の命を、何とも思っていない。
いや、違う。
命を重く見ているからこそ、無駄にしない。
死ぬなら、役に立って死ね。
そういう場所なのだ。
「ち、違います!」
カイルは叫んだ。
「俺じゃありません!俺は盗んでません!」
「『俺は』?では、誰が盗んだのですか」
セレスティアが問い返す。
「そ、それは……!」
口が滑った。
カイルは言葉を詰まらせる。
誰が盗んだのか。
知っている。
オークだ。
檻をすり抜けて、食料を盗み食いしていた。
今さら、そんなことを誰が信じる。
鉄格子をすり抜けるオーク?
食料を盗んだ後は檻へ戻る?
馬鹿馬鹿しい。
どう聞いても、苦し紛れの嘘だ。
鉄格子の中の小さな少女と、テイムモンスターに罪をなすりつける補給兵。
そう見えるに決まっている。
万事休す。
カイルは、絶望した。
「やめてください!!」
その時、声が響いた。
リアだった。
鉄格子の中から、必死に叫んでいる。
「その人は悪くないです!」
セレスティアが振り返る。
「すみません、後にしてもらえますか。今は取り込み中です」
「でも!」
「これは補給部隊の責任問題なのです。あなた方には関係ありません」
「違います!」
リアは格子を掴んだ。
「食料を盗んだのは、その人じゃありません!」
周囲がざわめく。
セレスティアの目がリアを捉える。
「ほう」
冷たい声だった。
「では、誰だというのですか?」
おい!
まさか!
まさか、こいつ!
自分が食べました、と言う気ではないだろうな。
確かに、お前は食った。
そこそこ食っていた。
だが、今じゃないだろ。
ここでそれを言ったら面倒になるだろうがっ。
TPOをわきまえなさい!
このじゃりン子が!
頼むから黙っていろ。
余計なことを言うな。
リアは、涙目のままセレスティアを見ていた。
そして。
大きく息を吸った。
「食料を盗んだのは……」
やめろ。
やめろっ。
やめろって!
アルドは全身で念を送る。
しかし、リアは迷わなかった。
「トンソクですっ!」
「ぶひっ!?」
俺かよ!




