第五十六話「城と、砦と、あと足りない食料」
遠くに、城が見えた。
山の稜線を背に、灰色の石壁がそびえている。
高い城壁。
角ばった塔。
無骨な門。
弓兵用の狭間。
外壁に刻まれた傷跡。
朝日に照らされているというのに、華やかさはない。
美しい。
というより。
立ちはだかる圧力。
そんな印象だった。
「わー!お城だっ!」
鉄格子の中で、リアの目が輝いた。
「すごい!トンソク、見てっお城だよ!お城!」
見れば分かる。
アルドは鼻を鳴らした。
リアにとっては、城は特別らしい。
ヴェルニードでもはしゃいでいた。
無理もない。
ウルム村には、立派な建物などほとんどなかった。
村長の家ですら、少し大きな木造家屋である。
城など物語の中の存在なのだろう。
だが、アルドの反応は違った。
小さい。
それが第一印象だった。
王都の城などに比べれば、まるで見張り台。
勇者時代に訪れた聖都の大聖壁と比べれば、ただの石積み。
魔王領の黒鉄要塞と比べれば、子供の積み木。
こんなものか?
これで戦線の要?
少し不安になる。
そもそも、この城は造りが違う。
貴族や王族が住むための城ではない。
優雅な庭園もなければ、来客を迎えるための広場もない。
あるのは、防衛のための壁。
敵を撃つための穴が開いているだけ。
機能性だけを重視した、物騒な建造物。
防衛拠点。
そう呼ぶ方が正しい。
「……」
ジェイルは城を見たまま黙っていた。
その目つきは、いつになく厳しい。
軽口もない。
何かを考えているようだった。
「ジェイルさん?どうかした?」
リアが首を傾げる。
「……いや、別に」
ジェイルは短く答えただけだった。
こいつ。
何か知っているな。
そんな気配がした。
だが、追及するつもりはない。
追及する口もないが。
知ったところで何が変わる訳ではないのだ。
知りたいことは、どこにモンスターがいるかだけ。
やがて、馬車は分かれ道に差しかかった。
リアは当然、城へ向かう道に進むと思っていた。
だが。
馬車は城へ向かわなかった。
むしろ遠ざかっていく。
「え?」
リアが格子にしがみつく。
「ちょっと! 道、間違ってますよー!お城、あっちー!」
誰も答えない。
補給部隊の兵士たちは、黙って馬車を進める。
「ねえ!間違ってるってばー!」
やはり、誰も答えない。
ジェイルも黙っている。
リアだけが騒いでいた。
「もしかして、迷子?」
「違う」
ジェイルがようやく口を開いた。
「じゃあ、なんでお城に行かないの?」
「俺たちの目的地は、あの城じゃないからだ」
「え?」
「ある意味では目的地、といえなくはない……か」
リアの顔から、少しずつ笑みが消えていく。
馬車は森へ入った。
道は細くなる。
木々は深く、枝葉が空を覆う。
昼間だというのに薄暗い。
湿った土の匂い。苔の匂い。獣の匂い。
そして、かすかな血の匂い。
アルドの鼻が動く。
いかにもモンスターが出てきそうな森。
実際、出るだろう。
それも大量に。
リアもさすがに異常を感じたらしい。
「……ねえ」
声が小さくなる。
「本当に、ここなの?」
「ああ、ここだ」
しばらく進むと、木の塀が見えてきた。
城壁ではない。
太い丸太を並べ、土で補強しただけの塀。
ところどころ雑に修理されている。
焼け焦げた跡。
爪痕。
矢が刺さったままの場所。
門も木でできていた。
分厚いが、城門と呼ぶには、あまりに貧相。
砦、と呼ぶには心もとない。
簡易宿泊所に毛が生えた程度。
いや。
毛が生えているだけ、まだマシなのだろう。
「……ここ?」
リアが呆然とする。
「ここが、ガルディアス砦?」
「そうだ」
先ほど見えた立派な城。
あれが敵に奪われた城。
そして、ここはそれを取り返すために集められた仮拠点。
そういうことだ。
砦という名の前線基地。
消耗品を集める場所。
兵を留め、物資を設置し、死地へ送り出すための。
嫌な匂いがする。
汗と血と腐った肉。
安い酒。薬。
怒り。
そして……諦め。
戦場の匂いだった。
「止まれ!」
塀の上から、怒声が飛んだ。
いかつい男が二人、弓を構えている。
片方は革鎧。
もう片方は鎖帷子。
装備はバラバラ。
「ヴェルニードからだ!支援物資を運んできた!」
補給部隊の隊長が馬を止め、声を張る。
「灰の鐘は鳴った!」
塀の上の男が叫ぶ。
合言葉だ。
「ならば剣を掲げよ。我が魂は折れていない!」
隊長が答えた。
「よし!」
合言葉が通ったらしい。
木の門が、重い音を立てて開く。
ぎぎぎぎぎ、と嫌な音。
馬車が中へ入る。
次の瞬間、兵たちがあっという間に取り囲んだ。
いや。
これは兵と言っていいのか。
装備はばらばら。
統率も取れていない。
列も乱れている。
だが、やたらと殺気立っている。
まるで落ち武者の集団。
いや、野盗に近い。
リアが息を呑んだ。
「……ここ、どこ?」
ジェイルが答える。
「言っただろ。ここが目的地だって」
「でも、砦って……」
「奪われた城を取り返すための前線拠点。命令で送られた兵、ランク落ちした冒険者、徴用された労働者。そういう連中が集められた場所だ」
ジェイルの声は淡々としていた。
「ここでは、人の命は消耗品さ」
リアの顔が青ざめる。
アルドは黙って周囲を見た。
なるほど、ジェイルの言う通りだ。
ここにいる連中の目は普通ではない。
飢え。恐怖。苛立ち。諦め。
死への慣れ。
全部が混ざっている。
まともな場所ではない。
「道を開けなさい!」
その時、凛とした声が響いた。
ざわついていた兵たちが左右へ割れる。
現れたのは、場違いな美女だった。
二十代は後半だろうか。
長い金髪。
青い瞳。
整った顔立ち。
纏っているのは白銀の鎧。
泥と傷で汚れてはいるが、作りは良い。
かなりの高級品だ。
腰には細身の剣。
肩には青いマント。
おそらく、貴族か、それに近い身分。
だが、ただの飾りではない。
歩き方。
姿勢。
視線。
戦い慣れている。
女騎士は、馬車の前で足を止めた。
「ヴェルニードからの補給部隊ですね」
「はっ!」
補給部隊の隊長が、露骨にほっとした顔で敬礼した。
さすがに肝を冷やしていたのだろう。
この殺気立った連中に囲まれて、平然としていられる者は少ない。
「ご苦労でした」
女騎士は静かに言った。
セレスティア・ヴァレンシュタイン。
このガルディアス臨時砦の指揮を預かっている騎士だった。
セレスティアの凛とした声に、周囲の兵たちが少しだけ姿勢を正す。
隊長は慌てて書類を取り出した。
「こちらが補給物資一覧です!」
「確認します」
セレスティアは書類を受け取り、目を通した。
そして、部下に渡す。
「物資確認を。食料、医薬品、矢、ポーションは優先して数えなさい」
「はっ!」
数人の兵が荷馬車へ向かう。
木箱を下ろし、中を確認する。
その横で、セレスティアはもう一枚の書類を見ていた。
護送者の名簿。
その中の一つで、彼女の目が止まる。
「……ジェイル。双天のジェイル?」
セレスティアの視線が、鉄格子の荷馬車へ向いた。
ジェイルは、格子の中で片膝を立てて座っている。
いつもの軽い笑み。
だが、目は笑っていない。
セレスティアは檻の前まで歩いてきた。
「あなたがジェイルですね?」
「そうだが」
ジェイルは肩をすくめる。
「俺の顔に、何かついてるか?」
その態度に、周囲の兵たちが殺気立つ。
「口の利き方に気をつけろ!」
「セレスティア様に無礼は許さんぞ」
だが、ジェイルは動じない。
むしろ、目つきが鋭くなる。
空気が張り詰めた。
その眼光に、周囲の兵たちが、わずかに気圧される。
鉄格子の中にいるはずの男が、外にいる兵たちを威圧している。
だが、セレスティアは平然と受け流す。
「どうやら、本当に双天のジェイルのようですね」
「なぜ俺のことを?」
「あなたが思っているより、あなたは有名なのですよ」
「不本意だな」
「でしょうね」
セレスティアは淡々と返す。
「こんな場所に、何の用ですか」
「ちょいと野暮用でな」
「こんな死地に?強制労働者に混じって野暮用ですか?」
「変わった旅も、たまにはいいもんだろ」
「趣味がいい、とは言えませんね」
「よく言われる」
二人の視線がぶつかる。
火花が散るような沈黙。
リアはその間で、きょろきょろしていた。
「ジェイルさん、有名人なんだ……」
「ぶひ」
今さらか。
アルドは鼻を鳴らした。
アルドの注意はセレスティアにも向いていた。
この女。
弱くはない。
少なくとも、周囲の連中とは違う。
剣を抜く前から分かる。
隙が少なく、立ち位置もいい。
俺を気配だけで把握している。
ふむ。
面白い。
そう思った時だった。
「セレスティア様!」
荷馬車の方から、慌てた声が上がった。
物資確認をしていた兵の一人だ。
顔が真っ青だ。
「どうしましたか」
「補給物資が……!」
兵は書類と荷台を見比べながら叫んだ。
「足りません!」
補給部隊の隊長の顔から血の気が引く。
カイルは露骨に目を逸らしていた。
アルドは、何食わぬ顔で鼻をほじっている。
「何が足りないのですか」
兵は震える声で答えた。
「食料です!食料が……足りません!」
全員の視線が、補給部隊へ向く。
そして。
なぜか。
「ぶひ?」
アルドは首を傾げた。
何のことですか。
そんな顔で。




