第四話「狼と、丸焼きと、あと捕獲」
森を進みながら、アルドはずっと引っかかっていたことがある。
弱い。
モンスターが、弱すぎる。
昨夜のリザードマンも、アーマービートルも——確かに一般人にとっては脅威だろう。
だが勇者だったアルドの感覚からすれば、どちらも下の下といったところだ。
魔力なし、力はそこそこ、知能もなし。
おかしい。
アルドは立ち止まって、記憶を掘り起こした。
勇者として各地を転戦してきた経験が、一つの法則を教えてくれていた。
モンスターは、魔王城に近いほど強くなる。
単純な話だ。
魔王の魔力が濃い場所ほど、モンスターは強力になる。
だから魔王城に繋がるダンジョンの最深部では四天王クラスの化け物が出て、辺境では駆け出しの冒険者でも狩れる雑魚が出る。
つまりここは、魔王城から遠い。
(転移させられたか?)
デモンレイアの儀式。
あれは単なるモンスター化だけじゃなかったのかもしれない。
わざわざ魔王城から遠い場所に飛ばした。
なぜだ?
面倒なことをしなくても、魔王城の近くに放せば、強いモンスターに即座に処理してもらえる。
わざわざ遠ざけたということは——
(まぁ、考えても今はわからん)
アルドは歩みを続けた。
わからないことを考え続けたところで、今の状況では腹の足しにならない。
まず食う。それだけだ。
夜明けの光が、木々の間から差し込んでいた。
嗅覚が、何かを捉えたのはそのときだった。
人間。
生きた人間の、体温と、衣服と、髪と——それから若い女特有の、淡い匂い。
(こんな森の中に女?)
アルドは身を低くして、匂いの方角へ急いだ。
すぐ傍に獣臭が漂っている。
危険だ。
茂みを抜けると、開けた場所に出る。
いた。
少女だ。
年の頃は十二、三だろうか。
薄茶色の髪を後ろで束ねて、旅装束を着ている。
手にはナイフ一本。それだけ。
その周りを、五体のフォレストウルフが囲んでいた。
緑色の体毛、鋭い牙、鋭利な爪。
一体一体は大型犬程度だが、五体が連携して動いているのが厄介。
少女はナイフを構えて、必死に視線を巡らせていた。
逃げ道を探しているのだろう。
しかし、それはさせじ、とフォレストウルフ。
(助けてやるか!)
アルドは迷わなかった。
腐っても、もとい太っても勇者。
颯爽と茂みを飛び出した。
その音に少女が振り向く。
そして——絶叫した。
「ぎゃあぁぁぁ!!」
フォレストウルフではなく、アルドを見て。
まあ、そらそうなるわな。
森の茂みから突然オークが飛び出してきたら、そうなる。
(でもな、救世主に向かって悲鳴?最近の小娘は……躾がなっとらんな!)
だが構っていられない。
アルドはフォレストウルフの群れに向かって剣を構えた。
本能なのか、敵味方の識別すらせず、一体目が跳んできた。
横に躱して、すれ違いざまに一閃。
フォレストウルフが地面に落ちた。
このブタ、動きがいちいち華麗すぎる。
直後、二体目が横から来た。
速い!
回避が間に合わない!
左腕で受けた。
牙が外皮に食い込む——が、深くはない。
人間のときなら骨まで達していただろう。
(おお!オークの皮膚って、硬いんだな!)
しかし感心している場合ではない。
振り払って、そのまま剣で仕留める。
三体目と四体目は同時に。
連携攻撃、これが厄介だ。
一体を躱すともう一体が背後に回る。
(っ!)
爪が肩に突き刺さった。
引っかかれた。
脇腹にも入った。
痛い。
普通に痛い。
だが……致命傷じゃない。
アルドは痛みを無視して、三体目の腹に剣を当てた。
四体目の突進を逆手に取って、勢いのまま地面に押し付ける。
二体同時に串刺し。
そのまま決着をつけた。
残るは五体目。
仲間が全滅したのを見て、少し逡巡したようだったが。
その一瞬を、アルドは逃さなかった。
剣は地面に刺さったまま。
しかし拳が、空気を裂いた。
勇者たるもの、当然素手での戦闘経験もあり。
武道家顔負け。
しかも、オークの腕力で振るわれた拳だ。
楽々フォレストウルフの頭蓋を粉砕する。
決着。
静寂。
全滅だ。
アルドはゆっくりと息を吐いた。
肩が痛い。
脇腹が痛い。
腕の噛み傷がじくじくしている。
だが生きている。
(オークの体、頑丈だな。ありがとよ)
率直にそう思った。
他のモンスターだったら、今頃どうなっていたか。
「ありがとうございます。あなたは私の恩人です。良ければお食事でもお持ちいたしましょうか?」
その言葉を期待して、少女の方を振り向いた。
いなかった。
匂いが遠ざかっている。
逃げやがった。
マジか……。
まあ、仕方ない。
(助けられたんだ。俺は勇者だ。正しいことをしたんだ。それで納得しよう……)
泣くな俺!
それはそれとして、倒れたフォレストウルフたちを見回した。
五体。
(おいおいおい!大量だぜ!食いきれるのか、これ?)
迷いはなかった。
まず下ごしらえだ。
五体を一列に並べた。
リザードマンの剣が、ここでも役立つ。
毛皮を剥ぐ。
慣れない作業だが、勇者時代の野営経験がある。
一体ずつ丁寧に。
剣の先を使って、毛皮と肉の間に慎重に入れていく。
内臓を取り出す。
これは手早く。
臭みが肉につく前に終わらせる。
血抜きをする。
足を上に向けて、幹に立てかけた。
五体、全部同じように処理する。
無駄なく、淡々と。
(俺、こういう作業、向いてるかもしれん)
勇者時代は調理は他の仲間に任せていた。
主にカナが担当だった。
あいつ、料理うまかったな——
いや、余計なことを考えるな。
気を取り直して、火を起こした。
枯れ枝を集める。
剣の刃を石に打ち付けて火花を散らす。
一度、二度、三度。
細い煙が立ち上る。
枯れ枝をくべて、火を育てていく。
さて。
串がない。
アルドは手元の剣を見た。
まあ、これでいいか。
処理した一体目を剣に貫いた。
長さも太さも申し分ない。
なかなかサマになる。
(リザードマンの剣便利すぎだろ。お前の愛刀は俺が肉串として大事に使うからな。成仏しろよ?)
そう思いながら腹をさする。
そう、彼はとっくにブタの脂肪になっていたのだから。
香りが変わり始めたのは、しばらくしてからだった。
獣の体臭が、熱によって別の何かになっていく。
脂が滲み出す。
それが火に落ちて、ぶわりと香ばしい煙が上がった。
嗅覚が、全部拾う。
獣肉特有の野性味あふれる独特な匂い。
脂の甘さ。
皮が焦げる、煙の香り。
その奥に潜む、肉の繊維から染み出す旨味の予感。
(……うー、たまらんいい匂い!)
腹が盛大に鳴った。
焼き色がついてきた。
表面がきつね色に。
脂が滴るたびに火が跳ねる。
もう少し。
もう少しだ。
最高の状態でいただくのだ。
ひっくり返す。
反対側も同じように。
火から離して、少し休ませる。
肉汁が落ち着くまで待つ。
ここから大事だ。
急いで齧ると肉汁が逃げる。
丁寧に、優しく、お迎えするように一口かぶりついた。
あーーーーー
予想通り、濃い。
リザードマンとは全然違う旨味だ。
脂の甘さと肉の力強さが一緒に来る。
噛むほどに獣の野性が口の中に広がって、嗅覚が香ばしさを拾い続けている。
うまい。
うまいぞ、フォレストウルフ。
(こんなに美味いのか……!)
気づいたら骨まで綺麗になっていた。
身体の内側で、何かが弾けた。
ステータスを確認。
レベル4。
(やったぜ、レベルが上がった!)
全能力が、また少し上昇していた。
それだけじゃない。
肩の傷が、塞がっていく。
脇腹の引っかき傷が、薄くなっていく。
噛み傷がじくじくするのが、止まった。
(レベルが上がると、傷が治るのか)
これは重要だ。
回復魔法がなくても、食ってレベルが上がれば傷が治る。
つまり——食い続ける限り、死なない。
アルドは静かに、しかし確かに、その事実を頭に刻んだ。
てことは……
二匹目を剣に刺した。
火の上に掲げる。
においが変わっていく。
さっきと同じ過程を、嗅覚が丁寧に追いかけた。
焼き色がついた。
ひっくり返した。
休ませた。
かぶりついた。
うまい。
さっきと同じように、うまい。
完食。
(うほほ。レベルアップ祭りじゃ!)
ステータスを確認した。
が、レベル4。
変わっていない。
(……上がってない)
アルドは首をひねった。
確率で上がる、のか?
それとも一日にレベルが上げられる回数に制限がある、のか?
もう一匹試してみよう。
三匹目を剣に刺した。
食った。
うまかった。
ステータスを確認。
レベル4。
やっぱり上がらない。
(まさか、同じ種族を続けて食っても駄目、ってことないよな)
アルドは骨を置いて、腕を組んだ。
もしそうなら、いろんな種族を食わないといけない。
同じ種族を何体食っても、最初の一体分しかレベルに反映されない、のであればだが。
どちらにせよ——
(多様性が必要だな、食事に)
食事に多様性。
元勇者の使命感が、また妙な方向に向かいつつある。
残り二体は——
と、足元に違和感を覚えた。
光っている。
地面が、薄く光っている。
足元から広がる、青白い幾何学模様。
魔法陣だ。
いつの間に。
どんどん広がっている。
中心にいるのは——俺だ。
跳び出そうとしたが、足が動かない。
光の線が足首に絡みついていた。
拘束魔法。
しかも、精度が高い。
こんな魔法陣を、誰が、いつ——
匂いだ。
人間特有の、淡い匂い。
さっきの少女。
茂みの向こうに、薄茶色の髪が見えた。
逃げたんじゃなかったのかよ、おい!
恩人に何してくれとんじゃ!
「捕まえた」
少女の声が、静かな森に響いた。




