第三十八話「勇者と、魔竜と、あと聖女」
一年と、少し前。
アルドはまだ人間だった。
そして、勇者だった。
世界最強の勇名も欲しいままにしていた、これはかつての物語。
黒い炎が、空を裂いた。
森が燃える。
大地が溶ける。
岩が赤熱し、空気そのものが存在を拒絶される。
その中心に、巨大な影がいた。
黒焔魔竜ヴァルグレア。
全長、三十メートル。
漆黒の竜鱗。
ねじれた双角。
翼を広げれば、深淵が落ちたように空を覆う。
かつて一国を滅ぼしたとされる、厄災の魔竜。
その怪物が咆哮した。
グオオオオオオオオオオオオオオッ!!
音だけで周囲の木々がへし折れた。
だが。
その咆哮の真正面から受け止める男がここに。
金髪。碧眼。
白銀の軽鎧。
背には聖剣。
人類の希望、勇者アルド。
本人曰く——
『歴代最強』『人魔の戦いを終わらせる男』『付き合ってもいい勇者歴代No1』。
「うるさいな。近所迷惑極まりないトカゲだ」
アルドは剣を肩に担いだまま、にやりと笑った。
「あんた!余裕こきすぎなのよ!」
横から、少女の声。
短い茶髪。
手にはアーティファクト級の短剣。
盗賊のカナ。
もちろん、ただの盗賊ではない。
斥候、罠解除、陽動、追撃、緊急回復。
戦場で細かい仕事を、何でもこなす万能サポーター。
アルドの背後に回り込みながら、カナは舌打ちした。
「今ので認識されたよ!完全に!激怒してるみたい!」
「わざとだ。怒らせたんだよ。首を下げさせるには、頭に血を上らせるのが手っ取り早い」
「竜って怒ると首を下げるんだ?」
「知らん。そうじゃないのか?多分」
「知らないのに言ったの!?」
「なんだお前、俺が竜の友達に見えるのか?知ってるわけないだろ」
「なっ、いい加減にしなさいよ!」
そのやり取りの間にも魔竜は動いていた。
黒焔が喉奥に集まる。
赤黒い光。
次の瞬間、巨大な炎の奔流が放たれた。
「範囲攻撃!来るぞ!」
重い声が響く。
重戦士ライン。
全身鎧に大盾。
勇者パーティの防壁。
ラインは即座に盾を構え、後方にいる聖女を庇った。
「エリス、俺の後ろから絶対に出るな!」
「はい、ライン様!」
聖女エリス。
白い法衣。
淡い金髪。
祈るように佇む。
彼女は勇者パーティの回復役。
そして——
アルドの生命線。
ラインはエリスを命がけで守る。
それが勇者パーティの戦い方だった。
さらにその後方。
「集中します。みなさん、二十秒だけください」
魔導士トールが杖を掲げた。
長いローブ。
冷静な目。
戦場全体を俯瞰する、知の担当。
「二十秒?長いぞ」
アルドが笑う。
「魔竜の鱗を抜く魔法です。短くはなりません」
「十五秒じゃ無理か?」
「無茶を言わないでください」
「じゃあ十秒」
「減ってるじゃないですか!」
トールが怒鳴った。
だが、魔力集中は途切れない。
彼は魔竜の鱗の性質、炎の周期、翼の動き、魔力の流れを見ていた。
ただ攻撃するだけではない。
敵の情報を引き出し、勝ち筋を作る。
それがトール。
黒焔がアルドを飲み込んだ。
炎の奔流。
地面が溶ける。
視界が真っ黒に染まる。
「アルド!」
カナが叫ぶ。
だが炎の中から声がした。
「この程度?笑わせるな!」
斬撃で黒焔が縦に裂けた。
アルドが炎の中から歩いて出てくる。
鎧は少し焦げている。
頬に火傷もあった。
余裕ぶっていたが、紙一重だったようだ。
だが、不敵に笑う。
「やる気あんのか貴様、そんな炎で勇者が取れるとでも?」
「ちょっと……無茶しすぎだよ!」
「今の炎で、攻撃の癖は読めた」
「今ので読むな!」
カナが叫びながら左へ。
魔竜の眼が動いた。
ほんの一瞬、視線がカナに向く。
その一瞬で十分。
アルドが地面を蹴った。
「ベルガ聖騎士剣、セイバースラッシュ!」
聖剣が白く輝く。
斬撃が魔竜の前脚を襲う。
ガギィィィン!
硬い。
竜爪が斬撃を弾いた。
傷は入ったが、浅い。
「なるほどな。硬いはずだ。魔力を表面に流してやがる」
「アルド、あれ!」
カナの声。
魔竜の尻尾が横薙ぎに走る。
巨木のような尾。
当たれば、人間など跡形もなく爆ぜる。
あろうことかエリスに向かっていた。
「ライン!」
「おおっ!任せろ!」
ラインが割り込んだ。
大盾で尻尾を受ける。
ドゴオオオオン!
ラインの足が地面にめり込み、全身鎧が悲鳴を上げる。
「ぐっ……!重いぜっ、こいつは!」
「生きてるか?」
「当たり前だ!誰に言ってる!」
ラインが吠えた。
エリスはその背後で祈る。
「プロテクション!」
淡い光がラインを包む。
「助かる、エリス!」
「無理はなさらないでください!」
「それは勇者に言ってくれ!」
「アルド様は聞いていません!」
「そりゃそうだ!」
そこにアルドが割り込む。
「おい、聞こえてるぞ」
「聞こえてるだけで聞き流してるじゃないですか!」
「そんな事はない!はずだ!多分な!」
「多分な!じゃないですっ!もうっ!」
魔竜が翼を広げた。
飛ぶ気だ。
空にフィールドを移されれば、まさにやりたい放題。
「カナ!」
「はいはいはい!わかってるよ!」
カナが短剣を投げる。
刃に結ばれた細い鋼糸。
それが魔竜の翼膜に絡みつく。
「今!」
「おう!」
アルドが跳んだ。
カナが鋼糸を引く。
わずかに態勢が乱れ、魔竜の巨体が傾いた。
その隙に、アルドが翼の付け根へ斬り込む。
「ベルガ聖騎士剣——グランドクロス!」
十字の閃光が、魔竜の翼に深い傷を刻み込む。
黒い血が噴き出した。
グオオオオオオオオオッ!!
魔竜が苦痛を叫ぶ。
「いいよ!飛べなくなった!」
カナが笑う。
「トール!」
アルドが叫ぶ。
「準備完了です」
後方で、トールの杖が青白く輝いていた。
空に巨大な魔法陣。
幾重にも重なる術式。
「氷結系第七位階——グレイシャル・コフィン!」
空から、氷の柱が降った。
十本。
二十本。
三十本。
巨大な氷柱が魔竜の周囲へ突き刺さり、黒焔の熱を奪っていく。
魔竜の動きが鈍る。
「凍結は無理です!ですが表面魔力を遮断しました!これで攻撃が通ります!」
「十分だ!」
アルドは聖剣を構えた。
勝ち筋が見えた。
ならば、ここからは勇者の仕事。
全部、背負う。
「イグニッション!」




