第三十六話「無視と、部位と、あと陥落」
「なぁ……さっきは、助かったぜ」
目の前のアルドに向かって、ジェイルがぽつりと言った。
「お前がいなきゃ、俺は死んでた」
「……」
アルドは返事をしない。
口いっぱいに大百足の足を頬張ったままだ。
まるで聞いていない。
いや。
聞こえてはいる。
でも、返事をする気がそもそもない。
「なあ、ブタくん。いや……トンソク」
「?」
「お前、何者なんだ?」
その問いに、周囲の空気が少しだけヒリついた。
ジェイルは覚えていた。
ボス戦の最中。
目の前に現れた異国の剣士。
黒髪を長く後ろで結わえた男。
東方の装束。
見たこともない剣技。
そして、そいつは確かに名乗った。
俺はトンソクだ、と。
間違いなく、いった。
ジェイルの耳に、あの低く静かな声が残っている。
『ここからだ。死ぬには日が悪いぞ?』
あれが聞き間違いなはずがない。
ジェイルはじっとアルドを見る。
「お前、喋れるんだろ?」
「ぶひっ」
アルドは力強く鳴いた。
そしてまた食べた。
むしゃむしゃ。
「いや、そうじゃなくてな……」
「ぶひぶひ」
「ごまかすなよ!」
「……」
アルドは完全に無視した。
当たり前だ。
何考えてんだコイツ。
俺の正体なんぞどうでもいいだろうが!
絡んでくんな馬鹿。
お前おいらの何なのさ!
それに、今はそれどころではない。
大百足の足が美味い。
恐ろしく。
目の前にあるのは、人生最高の食材。
そんな時に、しつこく事情を聞かれても困る。
飯の邪魔をするな。
それが、アルドの結論だった。
「トンソク、まだ食べるの?」
リアが隣に座り、ニコニコ見ている。
「ぶひっ!」
もちろん。
アルドは元気よく鳴いた。
「そっか!いっぱい食べて回復してねっ!私もいっぱい食べるよっ!」
「いや、リアちゃん……」
ミーシャが苦笑いする。
「これ、モンスターだからね?普通は食べちゃいけないものだから、ね?」
「でも、ジェイルさんも食べてるよ?別に毒じゃないし」
「それは……そうだけど」
ミーシャのツッコミは、もはやリアには届かない。
ジェイルは大百足の足を齧りながら、悔しそうに顔をしかめていた。
アルドに相手にされないのは悔しい。
悔しいが、美味い。
口の中に広がる旨味は、あまりにも暴力的だった。
濃厚で。
甘くて。
香ばしい。
なぜ、俺はこんなものを食っている?
最初はトンソクと打ち解けるためだったのに。
リアがそうしているから。
自分も同じことをすれば、少しは心を開いてくれるかもしれない。
そう思った。
思ったのだが。
止まらなくなった。
アルドも無言で食べ続けた。
甲殻類を食べると人は無言になるらしい。
やがて、足がなくなった。
アルドが調理した大量の足。
それをほぼ食べ尽くした。
もちろん一人で全部食べたわけではないが。
リアとジェイルも相当食べた。
アルドが、ふと顔を上げた。
鼻をひくつかせる。
まだだ。
匂いが告げている。
胴体も。
あの太く長い胴体の中にも、極上の身が詰まっている。
アルドは立ち上がった。
「おい、どこ行くんだ?」
ジェイルが声をかける。
アルドは答えない。
とことこ。
迷いなく、デュアルヘッド・デスセンティピードの胴体へ向かった。
切断された巨大な胴体。
アルドが無明朧流で刻んだ断面が、てかてかと輝いている。
硬い甲殻の内側には白い身。
足よりも、ずいぶん分厚い。
「ぶひひ……」
アルドは断面にナイフを突っ込んだ。
白い身を掴み引っ張り出す。
まるで巨大な魚の白身。
いや、魚よりも艶がある。
ふるふると震え、指の間から溢れそうになる。
(うわぁ……)
アルドが思わずため息を漏らす。
まるで生きた宝石だ。
生の状態でも、すでに甘い香り。
焼いた足とは違う。
もっと濃い。
もっと深い。
鍋だ。
これは、鍋にするべき一品。
鍋が必要。
しかし、冒険者の荷物に大鍋などない。
では、どうする?
アルドの視線が、あるものに止まった。
バルドのシールド。
大きくて頑丈。
少し凹んでいるが、深さ十分。
完璧なフォルムしてやがるぜ。
どうせ役には立たないんだ。
ここで活躍してもらおう。
「おい、待てよ!それ俺の——」
バルドが嫌な予感が走る。
しかし遅い。
そのまま火にかけた。
「俺のシールドーーーっ!?」
バルドの悲鳴がボス部屋に響いた。
「ぶひっ」
問題ない。
新しいのを買え。
アルドはそう言いたげに親指を立てた。
「いや、ふざけんじゃねぇよ!」
バルドが怒鳴る。
しかし、誰も止めなかった。
なぜなら。
すでにシールドの中からは、芳醇な香りが漂っていたからだ。
じわり。
身から水分が出る。
じゅわ。
じゅわじゅわ。
やがて、それは溜まり。
ぐつぐつ。
煮え始めた。
水など入れていない。
調味料もない。
ただ身を火にかけただけ。
なのに、透明に近い白濁した汁が湧き出てくる。
濃厚な香り。
足の焼きとは違う。
もっと妖しい。
甘さ。
旨味。
そこへ、濃厚さを感じる匂い。
これはたまらない。
全員が黙った。
バルドでさえ、盾への怒りを一瞬忘れた。
「……おい……なんだよ、この匂い」
ゴッツが喉を鳴らす。
「ダメよ。みんな、正気を保って」
ミーシャが震える声で言う。
しかし、そのミーシャの腹が。
くぅ。
小さく鳴った。
「……」
「……」
「違うから!」
ミーシャが真っ赤になった。
アルドは待てなかった。
まだ完全に煮えていない。
それで、もう十分。
それがいい!
当然熱い。
だが、それでも取り出す。
白く煮えた身。
ぷるぷると震える塊。
アルドはそれにかぶりついた。
ほふほふっ。
「……っ!」
身が、口の中で弾けた。
足とは違う。
ぷりっぷり。
いや、ぷるんぷるん。
白子のような食感。
噛むと抵抗する。
さらに噛むと、とろける。
そこから濃厚な汁が溢れる。
舌にまとわりつく旨味。
危険なほどに濃い。
これは肉ではない。
魚でもない。
甲殻類とも違う。
生命力そのものを煮詰めたような味。
(うっ……うますぎるだろ、胴体ーーーっ!)
アルドの体が震えた。
その瞬間。
じわっ。
体の奥から力が湧いた。
レベルアップ。
(……は?)
アルドは目を見開いた。
さっき足を食べた時にも、レベルアップした。
普通なら、同じ種族を食べても一度しかレベルアップは起きない。
オークになってからの経験則だ。
同種族につき、一回。
しかし。
デュアルヘッド・デスセンティピードは違う。
足。
胴体。
部位ごとに成長がある。
(新発見じゃねぇか……!)
これは重要。
ボスモンスターは、部位によって成長判定があるもよう。
普通のモンスターとは、格が違う。
だが。
そんなことよりも。
(うめぇぇぇぇぇぇっ!)
アルドは二口目、いった。
今はこの快楽に抗えない。
「……なあ」
バルドが、じっとシールド鍋を見た。
「ちょっと、いいか?」
「ぶひっ!」
アルドは当然のごとく拒否した。
しかしバルドは聞かなかった。
熱い身を摘まむ。
口に入れる。
「……」
「おいっ!大丈夫か?」
ゴッツが尋ねる。
バルドは顔を歪めながら答えた。
「……うめぇ」
その一言で、全員が動いた。
「俺にもちょっと食わせろ!」
ゴッツが手を伸ばす。
「わ、私の分も残して!」
ミーシャも結局加わった。
「おいしいね、トンソク!」
リアは当然のように隣で食べている。
奪い合いだった。
シールド鍋の中身が、見る見る減っていく。
結果。
「……まあ、食われた冒険者も本望だろうさ。俺たちが仇を討ったんだから……な」
陥落した。
バルドは誰よりも大きな塊を頬張った。
「ずるい!」
「うるせぇ!俺の盾使ってんだ!俺に食う権利がある!」
冒険者たちは、完全にボス部屋で宴会を始めていた。
「なあ、トンソク」
「ぶひ」
「何とか言ってくれよ。俺、お前と話したいんだ」
「ぶひ?」
「お前は俺を信じてくれた。俺のことを分かってくれた。なんでだ?なんでそんな事できたんだ?」
「……」
「お前なぁ……」
ジェイルのこめかみに青筋が浮かぶ。
「おい、いい加減にしろよ。無視すんな!喋れるんだろうが!本当は!」
ところが。
喋れません。
そういうブタ顔だった。
「いや、絶対嘘だろ!」
「ジェイルさん?トンソクは喋れないよ?」
あまりの剣幕に、リアが間に入った。
「トンソクに何かいいたいなら私が通訳するよっ。この子は賢いからわかってくれると思うよ?」
「……」
ジェイルは口を閉じた。
この子の前で、これ以上は追及できない。
リアにとってトンソクは大切な相棒。
喋れる、喋れない関係なしに、信じている存在。
そこに踏み込むのは、違う気がした。
「……悪い。気にしないでくれ」
「うんっ。何かあったらいってね。私テイマーだもんっ!」
リアが笑う。
その笑顔を見て、ジェイルは何も言えなくなった。
だが。
気になる。
なぜこんなに気になるのか、自分でもわからない。
ただのテイムモンスターではない。
そんなことは、もうわかっている。
でも、それだけではない。
あの立ち姿。
ジェイルの胸の奥に、何かが引っかかっていた。
どこかで見た。
どこかで見たと感じた。
「……まさか、な」
ジェイルは小さく呟いた。




