第十五話「ダッシュと、MPと、あと切り札」
ジャイアントゴブリンが、立ち上がった。
体当たりされて吹き飛ばされた、あの巨体が。
「ヴッ……ヴオオォ!」
怒りに満ちた咆哮。
まぁダメージは——ないだろうな。
馬鹿みたいに硬い。
ちっ、健康でいらっしゃる。
アルドは内心で舌打ちしていた。
自身のステータスを確認する。
進化したばかりだが、ステータス自体は進化前と変わらず。
だがレベルは1に戻った。
ステータスダウンしてないだけ、御の字としよう。
とはいえ、現状の力ではジャイアントゴブリンに致命傷は与えられない。
今までの戦闘がそれを証明している。
じゃあ、どうやって勝つのか。
答えは——進化にある。
ワイルドオークになって、新しい力を得たのだ。
「ヴオオオオォ——!!」
ジャイアントゴブリンが、棍棒を振り上げた。
アルドめがけて、振り下ろされる。
ブオオオォン!
(試させてもらうぜ、新しい体ってやつをな!)
アルドは、地面を蹴った。
ドンッ。
地面が、爆ぜた。
ワイルドオーク固有スキル——ワイルドダッシュ。
加速倍率二倍。
走れば走るほど、最高速度が上がっていく。
止まる時の制動力も二倍。
急停止、急加速、思いのまま。
本来のワイルドオークは、これを「真っ直ぐ突っ込むだけ」にしか使えない。
猪突猛進、まさにそれ。
冒険者パーティからは「お笑いスキル」と称される、雑魚スキル。
しかし。
アルドにかかれば神スキルと化す。
ベルガ聖騎士剣の体捌き。
それをこのワイルドダッシュと組み合わせたら——
サイコーにぶっ飛ぶぜ!
ジャイアントゴブリンの棍棒が地面に叩きつけられた瞬間には、アルドはすでに巨体の左後ろにいた。
「グ……ッ!ガッ?」
ジャイアントゴブリンが、慌てて振り向くが……。
すでにアルドは右側に移動していた。
走る、止まる。
疾駆するアルドの動きは、もはやオークのそれではなかった。
まるでオオカミ。
それ以上。
もっと、もっと——
竜巻。
ジャイアントゴブリンの周囲を、茶色の影が、ぐるぐると駆け抜けていた。
走り続けることで、加速していく。
円を描けば描くほど、速度が上がる。
ワイルドダッシュの本領発揮。
ジャイアントゴブリンは、目で追う事すらできない。
「ヴッ、ヴッ、ヴオオオォ——!!」
棍棒をめちゃくちゃに振り回すが、空を切るばかり。
アルドの茶色い影は、すべての攻撃の死角を縫って走り続ける。
巨体の腋の下、脚の間、背後、頭上。
木々を蹴り、地面を抉り、高速で方向転換する。
そして——
走る途中で、リアの父が持っていた剣を借りた。
借りたというより、走り抜けざまに「奪った」と言うべきだろう。
父親は、ぽかんと口を開けていた。
何が起きたのか、理解できないままに。
武器を得たアルドは攻撃に転じる。
ならし運転は終わりだ。
ここからが本番。
走り抜けざまに、ジャイアントゴブリンの脇腹を斬る。
次の瞬間には、反対側にいて、太ももを斬る。
また次の瞬間には、背中。
また次は、首筋。
ガキィン、シャッ、ザシュッ、ガキィン。
ジャイアントゴブリンの巨体に、傷が次々と刻まれていく。
が——
やはり深くは入らない。
攻撃力は、進化前と変わっていない。
皮膚を裂く程度で、筋肉の鎧までは貫けない。
届かない。
体捌きと速度だけは別次元になったが、純粋な腕力は、ワイルドオークになっても上がっていない。
これがオーク進化の一つのルール。
進化先によって、強くなる方向性が違う。
ワイルドオークは、機動力特化型。
これで十分。
今はな……。
脅威はないと判断したのか、ジャイアントゴブリンの動きが変わった。
めちゃくちゃに振り回していた棍棒を止めた。
大きく、息を吐く。
そして——
両手を、広げた。
「ヴ……ヴ……ヴ、ヴッ、ヴッ、グ、ガッ、ガハハハ!」
笑った。
地響きのような、低い笑い声。
無防備に、両手を広げて、攻撃を誘っている。
アルドは走りながら、その意図を読み取った。
致命傷にならない以上、攻撃を受けたところで痛くも痒くもない。
ならば、敢えて受ける。
受けた瞬間、その手で、アルドを掴む。
千切る。
潰す。
今度は確実に。
簡単な、しかし確実な作戦。
馬鹿が。
お前は、決定的に思い違いをしてるぜ。
アルドは、心の中で叫んだ。
アルドがワイルドオークに進化して、一番何が変わったか。
ステータスじゃない。
レベルでもない。
スキルでもない。
もっと、もっと、決定的な変化が、ある。
MPが2になった。
たった2。
笑えるくらい、少ない。
最初級の魔法が1発なら何とか撃てる、その程度の量。
だが——
0と2は、違う。
全く、違う。
天と、地ほども。
アルドは駆けながら剣を両手で握りなおす。
ベルガ聖騎士剣の、基本の構え。
ジャイアントゴブリンが、ニヤリと笑った。
来い、と言わんばかりに。
アルドも、ニヤリと笑った。
(さよならだ、デカブツ!)
ドンッ!と地を蹴った。
ワイルドダッシュ、最大加速で突っ込む。
ジャイアントゴブリンの、腹に向かって、真っ直ぐに。
突き。
ベルガ聖騎士剣、最も基本にして、最も強い突きの型。
ブスッ。
刃が、ジャイアントゴブリンの腹に、突き刺さった。
刃渡り半分ほど。
そこで止まった。
ジャイアントゴブリンの腹筋が、剣を受け止めていた。
鋼鉄のような筋肉。
刃が、それ以上入らない。
アルドが、両手で動かそうとするも、どうにもならない。
押すことも、引くことも。
ジャイアントゴブリンが、見下ろした。
「グ……ガハハハ……ガハハハハハ!!」
笑った。
大笑い。
腹を揺すって、笑った。
刃が、揺れた。
馬鹿が引っかかった、と。
俺に挑むことが間違いだった、と言わんばかりに。
片方の手が迫る。
アルドの頭を、潰す気だ。
アルドも、笑った。
——イグニッション!
心の中で、唱えた。
勇者固有スキル。
フルバースト発動の呪文。
その瞬間。
ボッ、とアルドの全身が、真紅のオーラに包まれた。
炎ではない。
燃え盛る、闘気の塊。
勇者の証。
全ステータスが二倍に跳ね上がる、アルドの切り札。
MPを消費して、ありとあらゆる能力を倍化する。
自力では解除できない。
MPが尽きるまで、持続してしまう。
今のアルドのMPは——
2。
一秒。
MP2では持続時間はたった一秒。
それで充分。
充分すぎる。
止まっていた剣が、ぐぐ、と動いた。
ジャイアントゴブリンの目が、見開かれる。
「ヴッ……!?」
腹筋が、押し負けた。
刃が、ずぶり、と根元まで沈んでいく。
アルドの腕が、ぐん、と力を込めた。
そのまま——
逆袈裟。
刃が、腹から胸へ、斜めに駆け上がった。
骨を断ち。
肉を裂く。
ザシュウウウウゥ——ッ!
心臓を、両断した。
ジャイアントゴブリンの目が、限界まで開かれた。
口から、大量の血が溢れる。
「ヴ……ガ、ハ……ヴ、ヴ……」
断末魔。
巨体が、ぐらりと傾いた。
膝から崩れ、地面に倒れ込む。
ドゥウウンッ……。
森が震え、村が震え、夜が震えた。
チャンピオン個体の、ジャイアントゴブリン。
森の支配者が、いともあっさりと絶命した。
同時に、アルドの全身を包んでいた真紅のオーラも、すうっと消えた。
たった一秒の、勇者の証。
MPが尽きた。
アルドの、膝が、笑う。
「ブ……ヒ……」
倒れた。
ジャイアントゴブリンの、巨大な死体の、すぐそば。
空が、見えた。
月が、綺麗だ。
体はもう動かない。
フルバースト後の、定番の反動。
全身疲労で力が入らない。
しかし、勝った。
倒した。
あのバケモノを、倒した。
……俺もまだまだ捨てたもんじゃないってか。
ふっ、と笑いがこぼれた。
ブタ顔の、笑み。
今だけは、達成感に満ちた、いい笑顔だった。
「トンソク——!!!」
リアの声だ。
駆け寄ってくる足音。
泣き叫びながら、リアが走ってくる。
「トンソク、トンソク、トンソク——!!」
涙でぐしゃぐしゃの顔を、アルドの茶色い剛毛に押し付けてきた。
ぎゅっと、抱きしめられた。
「無事で、無事で、よかったぁ——っ!」
しゃくりあげながら、リアが言った。
(おうっ、ぜんぜん気持ち良くない。昔だったら、こう……ナイスなボディの麗しき女性の祝福があったのに)
アルドは内心でこっそり思ったが、声には出さない。
というか、出せない。
オークなんだから、しょうがない。
リアの成長に期待しよう。
リアの後ろから、父親と母親も、走ってきた。
二人とも、目が真っ赤だった。
全員、無事。
村の方を見ると、家屋は何軒か潰されたが、もうゴブリンはいないようだ。
犠牲者がどのくらい出たかは——正直分からない。
ただ、最悪の事態は、避けられたはずだ。
アルドは、再び空を見上げた。
穏やかな、勝利の余韻——
ぐぅーーー。
アルドの腹が、鳴った。
大きな音で、鳴った。
リアが顔を上げる。
父親も、母親も、固まった。
「……あ」
ぐぅーーー、と。
もう一度、アルドの腹が鳴った。
リアが、ぷっと吹き出す。
父親が、肩を震わせて笑った。
母親が、お腹を抱えて笑った。
夜の村に、家族の笑い声が響いた。
戦いは、終わったのだ。




