第十四話「聖騎士剣と、串刺しと、あとブヒーッ(後)」
分厚い緑の皮膚に、浅い切り傷。
緑の血が筋になって流れていた。
ジャイアントゴブリンが、自分の血をぬぐう。
次に、アルドを見た。
目が、赤く光る。
「ヴォオオオオォ——!!!」
怒号。
森が震え、木々の葉が、ざわざわと騒いだ。
(やっべ、怒ってらっしゃる)
ベルガ聖騎士剣、初級の初級なら発動する。
威力はクソ以下だけどな!
だが、「技は出る」。
希望、ゼロじゃねー、まだやれる。
そう思った、瞬間——
巨体が、踏み込んだ。
速い。
デカブツの踏み込みじゃない。
アルドが反応したときには、もう棍棒が振り下ろされていた。
必死に横に跳んで避ける。
ドゴオオォン!
棍棒が地面に叩きつけられた。
地面が、爆ぜた。
土砂が噴水みたいに舞い上がる。
当たったら死ぬやつだ、跡形も残んねーぞコレ!
アルドは転がるように距離をとる。
剣を構え直して——
突きを放った。
無明朧流「紅」。
意識の隙間を搔い潜る突き。
ブスリ。
刃が、ジャイアントゴブリンの太ももに直撃。
が、深く刺さらない。
皮膚が硬すぎるし、筋肉が鎧みたいに厚い。
元々が本来の威力が出ていない不発技だ。
アルドが習得している流派の一つ、無明朧流は繊細な剣技。
オークの体では、「紅」の神髄には届かない。
ジャイアントゴブリンが、自分の太ももに刺さった剣を、無造作に握った。
ぐにゃり。
鉄の剣が、曲がった。
そのまま投げ捨てる。
アルド唯一の武器が、数メートル先で地面に落ちた。
(あ、終わりましたね)
心のどこかで、妙に冷静な声がする。
ジャイアントゴブリンの、手が伸びてきた。
ガシッ。
アルドの右腕が、掴まれた。
「ブヒィィィィ!?」
そのまま持ち上げられた。
オークの体重、平均二百キロ。
それを片手で軽々と持ち上げた。
力の……次元が、違う。
ジャイアントゴブリンが、新しい玩具でも観察するみたいに、アルドの体を見た。
無造作にアルドの右腕に力を込める。
ミシ、と嫌な音がした。
ちょ、待——
ブチッ。
引き千切られた。
アルドの右腕が、ジャイアントゴブリンの手の中にあった。
自分の右腕なのに、他人の腕みたいに見えた。
赤い血が、噴水のように吹き出す。
これから……片手でどうやって調理すんだよ……俺。
現実逃避。
アルドはもはや戦意を喪失している。
ジャイアントゴブリンが、オークの巨体を軽々頭上にかかえ上げ。
ぶん投げた。
ゴブリンが串焼きになっている、あの穴の方へ——
アルドの体が、夜空を舞い、そして落下。
下から迫る、ゴブリンの死体の山と、とがった木の先——
ズブッ。
ドシュッ。
アルドの体に、杭が三本、貫通した。
腹、肩、太もも。
運が良かったのは、心臓と首を外したことだ。
運が悪かったのは、致命傷じゃなかったことだ。
「……ブ……ヒ……」
口から、血が溢れた。
視界が、ぐらぐらする。
頭上では、ジャイアントゴブリンが興味を失ったのか、背を向けていた。
村の方角へ、足音が遠ざかっていく。
右腕はない。
体は串刺し。
出血多量。
勇者時代なら、エリスが治癒魔法を唱えていた。
ラインが敵を引き付けていた。
トールが魔法で援護していた。
カナが敵の動きを読んで、手を打っていた。
……全員、裏切り者だけどな!
思い出したら腹立ってきたぞ!
***
場面は変わり、ウルムの村。
「お、おい……ゴブリンどもがいなくなったぞ……」
村の入り口。
松明を構えた男たちが、困惑していた。
さっきまで攻めてきていた十匹のゴブリン。
それが、急にざわめき出し——
そして、一匹残らず、退却していった。
東の森へ。
「な、なんだったんだ……」
村人の一人が、額の汗を拭った。
被害は、軽傷者数名。
誰も死んでいない。
助かった、と誰もが思った。
直後——
ズシン……。
村中の大人たちが、足を止めた。
ズシン、ズシン。
「な、なんだ、この足音——」
巨大な何かが歩いてくる。
松明の光に、それが浮かび上がった。
三メートル半の巨体。
鉄塊のような棍棒。
鎖にぶら下がった、五つの生首。
そして——
口に咥えられた、オークの右腕。
「……ひっ」
誰かが、息を呑んだ。
腕の付け根。
いまだ、そこから血がぽたぽたと滴っていた。
村人たちの顔から、一斉に血の気が引いていく。
「バ、バケモノだーーー!に、逃げろ——ッ!!」
村中が、地獄になった。
ジャイアントゴブリンは、家を棍棒で叩き潰しながら無造作に歩いた。
木造の家屋が、紙のように崩れた。
逃げ惑う村人。
泣き叫ぶ子ども。
腰を抜かした老人。
男連中が農具を構えて立ち向かおうとする。
が、一振りで、三人が吹き飛ばされた。
悲鳴。
怒号。
血のにおい。
村が、死んでいく。
---
一方、アルドは。
串刺しになったまま、考えていた。
意識が薄れていくが、まだ死んでない。
オークの生命力も、なかなかのもんだ。
そして、目の前には——
大量のゴブリンの姿焼き。
こんがりと焼けて、肉汁が滴り、香ばしい匂いを放っている。
油で揚がって、皮はパリパリ。
意外と食欲をそそる。
(助かったぜ、ジャイアントゴブリンさん)
皮肉ではなく、心からの感謝。
穴に叩き込んでくれたおかげで、目の前に食糧が山積みだ。
オークの基本ルール。
モンスターを食えば、レベルが上がる。
レベルが上がれば、傷が治る。
(食えば、勝機がある。てか食わなきゃ、死ぬ)
選択肢は、一つだけ。
アルドは、杭に刺さったまま、左手を伸ばした。
一番近くにあった、ゴブリンの焦げた太ももに、指を食い込ませる。
引きちぎって、口に運ぶ。
ガブッ。
噛みしめた。
(……意外と、旨い?見た目はグロいけど、これはこれで……)
油の焦げた香ばしさ。
ゴブリンの肉独特のクセはあるが、火が通って消えている。
表面はカリカリ、中はジューシー。
(調味料なしでこれかよ。塩こしょうあったら、もっと旨いんじゃねーの)
いや、そんな場合じゃない。
アルドは次々と、ゴブリンの肉を貪った。
焦げた腕、胴体、脚。
口に押し込んで、飲み込んで、また食った。
胃の中で、熱が生まれた。
それが、体中に広がっていく。
傷が塞がる。
失った血が補われる。
ピコーーーン。
頭の中に、軽快な音が響いた。
『レベル10に到達しました』
『進化条件を満たしました』
『進化しますか?』
……進化だと?
アルドの目が、見開かれた。
オークとして、上位種の何かに変わる。
何に進化するのかは指定できないようだ。
神のみぞ知る、か。
人間に戻れなくなる可能性もある。
逆に、弱くなる可能性もある。
賭けだ。
完全な、賭け。
どうせこのままじゃ勝てない。
やるしかない!
アルドは、串刺しのまま、目を閉じた。
進化、する。
そう決めた瞬間、体が光に包まれた。
---
ジャイアントゴブリンが、立っていた。
そこはリアの家の前。
扉の前で父親が、震える手で狩猟用の剣を構えていた。
完全に膝が笑っていた。
呼吸が浅かった。
「……お、お父さん……」
リアが父親の背中にしがみついていた。
母親はリアを抱きしめていた。
父親は、気丈に振る舞おうとするが格が違いすぎる。
一歩も動けなかった。
「リア……はやく母さんと一緒に……村から逃げるんだ……」
震える声で、父親が言った。
「や、やだ、お父さんも——」
「いいから!父さんがコイツの気を引いているうちに!」
ジャイアントゴブリンが、棍棒を振り上げた。
リアは、叫んだ。
「トンソク! トンソクーーー!!」
叫んだ。
何度も、何度も。
叫んだ。
「トンソク、助けて、トンソクーーーッ!!」
だが、返事はなかった。
いつもなら、「ブヒ」と返してくれるはずだ。
いつもなら、あの丸い鼻で、どこからかやって来るはずだ。
来ない。
(……殺されちゃったの?私のトンソク……)
リアの目から、涙がこぼれた。
ジャイアントゴブリンの棍棒が、振り下ろされ——
「トンソクーーー!!おとうさんを——助けて——ッ!!」
リアが、叫んだ、その時——
ドガアァァンッ。
ジャイアントゴブリンの巨体が、横に吹き飛んだ。
家の壁に激突し、木材が砕け散る。
何が起きたのか、誰も分からなかった。
父も、母も、リアも。
ジャイアントゴブリンを、横から体当たりで吹き飛ばした、何か。
松明の光の中に、それは立っていた。
全身が、茶色の剛毛に覆われている。
オークのピンクの肌は、もうない。
体型は、以前よりスリム。
しかし筋肉の密度が、段違いに増している。
口から二本、鋭い牙が生えていた。
イノシシ。
そう、まるでイノシシだ。
オークと、イノシシを混ぜたような——
「ブヒッ……」
鳴き声は、トンソクのそれと似ているが、低く、獰猛だった。
リアが、目を、見開いた。
「……トン、ソク……なの?」
そのモンスターが、振り向いた。
鋭い目がリアを見た。
口の端が、吊り上がる。
ブタ顔のそれは、ニヤリ、と笑った。
進化体・ワイルドオーク。
それが、アルドの新しい姿だった。




