第百三十一話「夢と、鏡と、あと蘇生」
土の匂いがした。
青い空が、やけに高い。
アルドは、地面に大の字で倒れていた。
十七歳。
まだ勇者修行中、生意気盛りの頃だ。
「くっそー……勝てねー……」
息が上がって、肺が焼けるように熱い。
腕も足も、鉛のように重かった。
「なんでだ!なんで一発も当たんねーんだよ!」
アルドは、拳で地面を叩いた。
見上げた先に、男が一人立っている。
無精髭に、着流し。
腰には一本の刀。
刹那だった。
「お前は力任せすぎなんだよ」
刹那は、にやりと笑った。
汗ひとつかいていない。
さっきまで、アルドの全力の剣を受け流していたというのに。
「力が強けりゃ、それで押し切れると思ってる。だから全部読まれる」
「うるせー!」
アルドは、がばっと上半身を起こした。
「俺が本気出せば、ぜってー負けねーし!」
「フルバーストか?」
「そうだよ!」
「ま、確かに強力だわな」
刹那は、顎の髭をざりざりと撫でた。
「よくもまぁ、あんな能力が人間にもたらされたもんだ。神の気まぐれか、悪ふざけか」
感心したように言う。
褒められているのか、けなされているのか分からない。
「でもな」
刹那は、アルドの前にしゃがみ込んだ。
「お前にとって、勝ちと負けってのは何だ?」
「……は?」
意味が分からない。
勝ちは勝ち、負けは負けだろ。
それ以上でも以下でもない。
「相手を殺せば勝ちか?屈服させたら満足か?」
アルドは、あぐらをかいて考えた。
考えたが、答えは一つしか出てこない。
「そりゃ、そうだろ」
「なら」
刹那は、指を一本立てた。
「俺は、殺されもせず、屈服もしなければいいわけだな?」
「……あ?」
「そうすれば、俺の勝ちってわけだ」
「いや、そりゃちがわねーか?」
アルドは眉をひそめた。
なんか、ずるい。
「違わねぇよ」
刹那は、あっさりと言った。
「勝利条件ってのは人によって違う。自分が勝ちだと思えりゃ、それが勝ちだ」
刹那は、腰の刀の柄をとん、と叩いた。
「俺はな、フルバースト相手なら逃げる」
「はぁ!?」
「逃げて、逃げて、逃げまくって、お前のMPが切れるのを待つ。そうすりゃ――」
刹那の目が、すっと細くなった。
一瞬だけ……背筋が、ぞくりとした。
「俺は、お前を殺せる」
アルドは、言葉に詰まった。
確かに。
フルバーストは強い。
だが、MPが尽きれば終わりだ。
その後の自分は、ただの超強い、一般人でしかない。
「つまり、俺の勝利条件は生き残ること。違うか?」
「……まぁ、確かに」
確かに、そうだ。
そうなのだが。
なんだか、腑に落ちない。
アルドは、口を尖らせた。
刹那は、それを見てくつくつと笑った。
「お前は強いよ」
笑ったまま、刹那は言った。
「まさに怪物だ。その歳で、その力。俺が十七の頃なんざ、足元にも及ばねぇ」
「そ、そうか?」
「でもな。どんなに強くても、一人じゃ限界がある」
「そりゃわかってんよ」
アルドは、むっとして言い返した。
「だから、仲間と一緒にいるじゃねーか!」
ライン。
カナ。
トール。
エリス。
世界中から選び抜かれた、最高の仲間たち。
「お前は、仲間を勘違いしてる」
「は?意味わかんね」
アルドは、刹那を睨んだ。
「俺はあいつらを認めてるし。俺についてこれるヤツなんて、あいつらくらいしかいねーよ。今のところ、あいつら以上は見たことねー」
本気だった。
あいつらは強い。
だから、一緒にいる。
それの何が悪い。
刹那は、何も言わなかった。
ただ、大きな手を伸ばして、アルドの頭をぽん、と撫でた。
「俺は、お前が好きだ」
「キモっ」
アルドは、思わず身を引いた。
「何言ってんだオッサン!」
「聞けって」
刹那の声は、いつもの軽口とは少し違った。
「俺は、お前の真っ直ぐさが好きだ。こんな真っ白な魂は、見たことがない」
無明朧流。
魂を読む剣。
その刹那が、アルドの魂を見て言っている。
「でもな。それは、人間の白さじゃないんだ」
「……」
「お前は鏡だ」
「鏡ぃ?」
「見るものを、そのまま写す鏡。心善いものが覗けば、お前は善く見える。邪なものが覗けば――」
刹那は、アルドの目をまっすぐに見た。
「お前は、邪悪に見えるだろう」
風が、二人の間を抜けた。
アルドは、しばらく黙っていた。
それから、頭をがしがしと掻いた。
「なんだ?ゼンモンドーってやつか?オッサン好きだよな、そういうの」
「まぁな」
刹那は、また笑った。
少しだけ、寂しそうに。
「お前にも、わかる日が来るさ」
立ち上がり、背を向ける。
「いや……来てもらわないと困る。でなければ……」
「なんだよ」
アルドは、立ち上がった。
「はっきり言えよ!」
刹那の背中が、遠い。
さっきまで、手を伸ばせば届くところにいたのに。
一歩ごとに、遠ざかっていく。
輪郭が、白く滲んでいく。
「アルド……」
声だけが、聞こえた。
「仲間を……大切にな……」
「なんだよっ!」
アルドは、走った。
走っても、走っても、追いつけない。
「何がいいたいんだよ!おい!」
刹那の姿が、光に溶けていく。
「行くなって!」
手を伸ばす。
届かない。
「消えてんじゃねーよ!刹那!馬鹿野郎!」
ぼんやりと、天井が見えた。
高い天井。
ひび割れた梁。
謁見の間だ。
アルドは、何度か瞬きをした。
夢。
夢を見ていた。
ずいぶん昔の。
顔の上に、何かが覗き込んでいる。
猫の耳。
金色の瞳。
獣人の娘だった。
確か、ミャルとかいったな。
エルネストのところの。
「お?」
ミャルの耳が、ぴくんと立った。
「生き返ったにゃ」
生き返った?
生き……。
そうだ!
記憶が、一気に押し寄せてきた。
瘴気。
斬られた足。
カイって、だーれ?
転がった手首。
横一文字に裂けた腹。
俺は、カナにやられて――。
「ぶひっ!」
アルドは、跳ね起きようとした。
床に手をつき、足に力を込める。
手が、ある。
足も、ある。
膝の下から消えていたはずの両足が。
ころりと床に転がったはずの両手首が。
ちゃんと、くっついている。
指が動く。
握れる。
だが、腹に力を入れた瞬間。
「……ぶひっ……!」
激痛が走った。
自分の身体を見下ろすと、横一文字の傷が、まだそこにあった。
ふさがりかけてはいる。
だが、薄い皮一枚で、かろうじて閉じているだけだ。
「まだ無茶すんにゃって」
ミャルが、アルドの胸を、軽く片手で押し戻した。
それだけで、アルドの身体は床に戻された。
力が入らない。
「じっとしてるにゃ。お前、さっきまで死んでたんだからにゃ」
ミャルは、両手をアルドの腹の上にかざした。
白い光が、溢れ出した。
柔らかい光だった。
満月の明かりよりも白く、それでいて温かい。
光がアルドを包み込む。
腹の奥から、じんわりと熱が広がっていく。
痛みが、溶けていく。
これは……。
アルドは、この光を知っていた。
エリスだ。
聖女エリスが使っていた、聖光。
傷を癒やし、穢れを祓う、癒しの光。
それに、よく似ている。
いや。
似ているどころではない。
俺は、死んでいたと言った。
腹を裂かれ、手足を落とされ、血を流し尽くして。
確かに、闇に沈んだ。
あれは、死だった。
それが、生き返った。
まさか、この娘――。
蘇生魔法が、使えるのか!
アルドは、目の前の猫の獣人を見上げた。
蘇生魔法。
それは伝説のスキルだ。
死者を、この世に呼び戻す。
神の領域に踏み込む、禁忌の奇跡。
聖女エリスですら、そう簡単には使えなかった。
清められた聖域。
膨大な魔力と、捧げ物。
いくつかの条件を揃えて、ようやく発動。
それほどの大技だ。
それを、この娘は単体でやってのけた。
聖域もない。
散らかった謁見の間の、血の海の中で。
ただ、両手を合わせただけで。
これが、ミャルの秘密。
エルネストが、是が非でも、手に入れようとした理由。
母親を人質に取るという、膨大な手間をかけてまで、縛りつけていた理由。
蘇生魔法の使い手は、世界でも数人しかいない。
だが、条件なしで発動できる者となれば。
もしかしたら。
世界中でも、ミャルだけかもしれない。
「……なんにゃ、その顔」
ミャルが、眉をひそめた。
「言っとくけど、一回だけにゃ。次はないにゃ」
ぷい、とそっぽを向く。
尻尾だけが、落ち着きなく揺れていた。
アルドは、何も言えなかった。
まぁ言えたとしても、ぶひ、としか鳴けないのだが。
ただ、さっきまで見ていた夢の声が、まだ耳の奥に残っていた。
――仲間を、大切にな。




