第百三十二話「切り札と、燃え殻と、あと赤い光」
ギィン!
ガガガッ!
謁見の間に、火花が散っていた。
エルネスト率いる銀詩の旅団と、盗賊カナ。
激しい戦闘が繰り広げられている。
ガストベルグの大剣が唸りを上げ、床石を砕く。
ヴェロニカの杖から、魔法弾が雨のように降り注ぐ。
その隙間を縫って、エルネストの細身の長剣が閃く。
だが、当たらない。
ひとつも。
カナの姿は、斬撃が届く寸前にふっと消え、別の場所に現れる。
まるで、最初からそこにいたかのように。
エルネストは、ちらりと壁際に目をやった。
ミャル。
血の海の中に膝をつき、両手をかざしている。
白い光の下で、ピンクのオークがもぞもぞと動いていた。
ちっ。
エルネストは、心の中で舌打ちをした。
何をしているのだ、あの猫は。
よりにもよって。
よりにもよって、あんな豚に。
苦々しい。
ミャルは、エルネストにとって切り札だった。
対フルバースト用の、最後の切り札。
だが、戦場から離れているのは、ありがたい。
カナの刃が届かない場所にいてくれるなら、それでいい。
ミャルだけは、死なせるわけにはいかないのだから。
エルネストの作戦は、単純だった。
アルドに、フルバーストを使わせる。
それだけだ。
フルバースト。
MPを燃やし尽くし、全能力を爆発的に引き上げる、勇者アルドだけの力。
発動したアルドに、勝てる者などいない。
エルネスト自身、勝てるとは思っていない。
おそらく、死ぬ。
それでいい。
それこそが、狙いなのだ。
アルドは、フルバーストを自分で止められない。
一度火がつけば、MPが尽きるまで燃え続ける。
それならば。
エルネストを殺したあと、どうなる?
勝手に、MP切れだ。
燃え殻になったアルドが、そこに残る。
そこで、ミャルの出番。
ミャルが、エルネストたちを蘇生させる。
死の淵から戻った、万全のエルネスト。
万全の銀詩の旅団。
対するは、MPが尽き、立っているのが精いっぱいのアルド。
戦いにすらならない。
一方的な蹂躙だ。
五年分の屈辱を、たっぷりと味わわせてやれる。
ただし、それはミャルが生きていれば、という条件付き。
ミャルが殺されれば、すべてが終わる。
エルネストは死んだまま。
犬死にだ。
だからこそ、ミャルの力は、決して知られてはいけなかった。
敵にも。
味方にも。
あの王にすらも。
それを……あの猫は。
オークごときに、使っている。
エルネストは、奥歯を強く噛んだ。
まだ、バレてはいない。
グレゴールをはじめ、精鋭の長槍隊は、ミャルの護衛として配置してある。
壁のように並んだ兵士たちの陰に隠れて、あの光景は、はっきりとは見えてはいないだろう。
そのためにエルネストは、あえて大立ち回りを演じているのだ。
派手に。
華々しく。
すべての視線を、自分に集めるために。
ミャルの力は、満月の夜に最大限発揮される。
満月の夜でなければ、対価なしに、ここまでの力は出せない。
だから。
満月は、エルネストの味方でもあった。
ミャルは、獣人族の中で神と崇められていた。
月の巫女。
獣人族の宝。
それを、エルネストは自分のものにした。
母親を人質に取り、楔を打った。
下手をすれば、獣人族と戦争になるところだった。
それでも、やった。
すべては、アルドを倒すため。
そのために、ここまで来たのだ。
五年。
地位を失い、家を追放され、泥をすすって、ここまで這い上がってきた。
あと一歩。
あと一歩なのだ。
しかし。
その、あと一歩が遠かった。
「ガストベルグ!右です!」
「おうっ!」
「ヴェロニカ、三番から五番!」
「はい、任せて!」
エルネストは、全力だった。
指示は的確。
判断は一瞬。
剣も、魔法も、互いの死角を完璧に埋めている。
銀詩の旅団のコンビネーションは、最強だ。
ガストベルグとヴェロニカ。
二人は、自分の命など惜しくはない。
すべてを、エルネストに捧げている。
洗脳は、完璧だった。
洗脳といっても、操り人形にしているわけではない。
二人は、自分の意志で動いている。
自分の意志で、エルネストを愛し、エルネストのために刃を振るっている。
だから、強い。
愛する者のために戦う人間は、恐れを知らない。
迷いがない。
限界を超えてくる。
エルネストは、それを最大限に利用していた。
ガストベルグが、身を捨ててカナの退路を塞ぐ。
ヴェロニカが、魔力の限界を超えて詠唱を重ねる。
その間を、エルネストが駆ける。
長剣が、月光を弾いて銀の弧を描く。
エルネストが、煌めく。
まさに、英雄。
物語に謳われる、勇者のように。
しかし。
カナは、つまらなそうだった。
三人を相手にしながら、あくびでもしそうな顔をしている。
短剣一本で、大剣を流し、長剣を払い、魔法弾を躱す。
汗ひとつ、かいていない。
そして、デモンレイアに至っては、一歩も動いていなかった。
聖剣に手すらかけず、退屈そうに戦いを眺めている。
まるで、子供の喧嘩を見下ろす大人のようだ。
カナは、ある意味で燃え尽きていた。
アルドをこの手で殺した。
殺したら、どんなに気分が爽快だろうと思っていた。
胸がすっとするだろうと。
カイの仇を討てたと、笑えるだろうと。
そう思っていた。
実際は、そんなことなかった。
じめじめとした何かが、身体の内側を這い回っている。
べったりと。
ねっとりと。
嫌な気分だ。
なんだ、これ。
人を殺したからか?
いや。
人など、いくらでも殺してきた。
魔王軍に寝返ってから。
いや、勇者パーティに入る前から、何人も。
その時は、こんな感情にはならなかった。
どちらかといえば、無。
何も感じなかった。
なのに……今日は、違う。
アルドの、最後の目。
なぜ斬られているのか、本当に分からないという目。
それが、頭から離れない。
今日は、これ以上殺す気になれなかった。
適当に、相手をしている。
そうでなければ、とっくに銀詩の旅団は全員死んでいただろう。
「いい加減にしろ」
低い声が、謁見の間に響いた。
デモンレイアだった。
「いつまで、こんなことを続けるつもりだ」
カナは、ちらりとデモンレイアを見た。
確かに。
ずっとこのまま、というわけにはいかない。
面倒くさい。
でも、そろそろ終わらせないと――。
その時だった。
「今です!」
エルネストの声。
ガストベルグが、大剣を床に叩きつけた。
衝撃で、カナの足元が揺れる。
同時に、エルネストが背のライアーを掻き鳴らした。
弦の一本切れたライアーが、歪な和音を奏でる。
ほんの一瞬。
カナの三半規管が、エルネストの音で揺れた。
ヴェロニカの杖は、すでに天高く掲げられている。
杖の先に、光が渦を巻く。
魔力が膨れ上がる。
謁見の間の空気が、悲鳴を上げた。
銀詩の旅団の、究極連携。
「――極大魔法!アルジェント・レクイエム!」
轟音。
閃光。
灼熱の光の奔流が、一直線にカナを呑み込んだ。
かに見えた。
カナの姿が、ぶれた。
それは残像。
光の奔流が貫いたのは、カナの残像だけだった。
本体は、もうそこにはいない。
いつの間にか、真後ろに立っていた。
ほんの少し、本気を出しただけ。
それだけで、これだ。
神足通。
とんでもない。
エルネストの顔が、引きつった。
そして。
標的を失った極大魔法は、止まらなかった。
あらぬ方向へ。
その先の床には、小さな黒い影が転がっていた。
翼を広げたまま、白目をむいているメイトだ。
まだ、気絶したまま。
光の奔流が、メイトに迫る。
直撃。
その、寸前。
赤いオーラが、よぎった。
灼熱が床を溶かし、石の破片が舞い、土煙が謁見の間を覆う。
誰もが、息をのんだ。
土煙の向こうに、何かが浮かび上がる。
ずんぐりとした小さな影。
全身から、赤い炎のようなオーラが噴き上がっている。
フルバースト。
ピンクのオークの身体が、真紅に燃えていた。
その腕の中には……メイトが、しっかりと抱きかかえられていた。




