第百二十五話「上書きと、謁見の間と、あと隠れんぼ」
『最高レベルを持つ者は、そのまま。それ以外の者は、礼拝堂の受け陣へ』
なるほど、よくできた命令式だ。
アルドだけを応接室に残し、銀詩の旅団で迎え撃つ。
だが、それでは困る。
身体を取り戻すチャンスがない。
戦闘が始まってしまえば、メイトの取りつく隙が潰されてしまう。
だから命令式をいじった。
エルヴィント魔剣術「リャクレイの鏡」の応用。
相手の魔法の命令を書き換える技。
炎の向きを変えたように、ベクトルを変えられる。
書き換えたのは、行き先だけ。
『そのまま』を、『謁見の間へ』に。
条件はいじらない。
最高レベルの者は応接室ではなく、謁見の間に降りてくる。
エルネストたちは、来ない客を待ち続けることに。
「アニキ、アニキ。なんでココなんすか?」
「広いからな。それに、ごちゃごちゃしてるだろ」
謁見の間には、籠城のために運び込まれた物資が山積みになっていた。
木箱。
樽。
予備の甲冑。
丸めた旗。
王の調度品。
隠れる場所に事欠かない。
「それに、誰も来ない。王は地下倉庫に避難するらしい。玉座に忍び込むアホはいないからな」
「なるほど!さすがアニキ、頭いいっす。天才っす。オーク一っす!」
「それ褒めてんのか」
「めっちゃ褒めてるっす」
誰もいない玉座。
月明かりが、高い窓から差し込んでいる。
その光の届かない隅。
木箱と樽の隙間。
そこに影二つ。
アルドと、メイト。
気配を断つ。
呼吸を細く、心を沈める。
アルドの身体は、影そのものだった。
確かに、そこにいるのに、いないような。
無明朧流、止水の心。
「アニキ、俺っち、退屈になってきたっす。飛んできていいっすかね」
「黙れ。食うぞ。大人しくしてろ」
「了解っす!」
メイトは、小さく身体を丸めた。
パラスワイバーンは寄生型の竜。
獲物に気づかれずに近づくのは、お手の物だ。
気配を殺し、息を潜める。
ここは応接室。
エルネストは、ライアーを抱えていた。
ガストベルグが長剣を抜き、ヴェロニカが杖を構える。
ミャルは、窓の外を見ていた。
満月。
猫の耳が、ぴんっと立つ。
「ミャル」
エルネストが、静かに語りかけた。
「分かっていますね。アルドがフルバーストを使った時。その時が、あなたの出番です」
「……分かってるにゃ」
ミャルは、窓から目を逸らした。
満月の夜は、嫌いだ。
昔から。
応接室の外の回廊には、グレゴール隊。
槍を構えた兵士たちが、扉を囲んでいる。
「皆の者!槍を構え!」
グレゴールの額に、緊張の汗が浮かんでいた。
天井の魔法陣が、脈打ち始めた。
どくん。
赤黒い光。
「来ます」
ヴェロニカが言った。
エルネストが、ライアーの弦に指をかける。
(来い、アルド。五年前は油断していた。私はお前に劣っているのではない。お前の汚い戦術に不覚を取っただけ。今度は貴様が、そのまま喰らうがいい!先にやったのはお前だ!)
光が、強くなる。
そして。
消えた。
「……?」
応接室には、誰も現れなかった。
静寂。
月明かりだけが、部屋を照らしている。
「ヴェロニカ。どういうことですか?」
「転移は……発動したわ。確かに発動した」
ヴェロニカが、天井を見上げた。
「でも、出口が……ここじゃない」
「では、どこだというのですかっ!」
「分からない。陣は確かに命令式どおり動いた。でも……」
エルネストの笑顔が、引きつった。
グレゴールが、扉の外から恐る恐る顔を出す。
「エ、エルネスト殿……逆賊アルドは……?」
「黙りなさい!」
礼拝堂。
四隅に、人の背丈ほどのクリスタル柱。
その周り、百人近い兵士たちが膝をついている。
生命力を、クリスタルへ捧げるための祈り。
中央の受け陣を、セレスティア、ジェイル、ミスリルの刃、宵闇の燐が囲む。
受け陣が光った。
シュパッ。
山羊の頭に、蝙蝠の翼。
黒い皮膚に、赤く光る目。
アークデーモン。
一体、二体、三体。
次々と受け陣から現れる。
満月の光を浴びた身体から、黒い靄が立ち上る。
ウガアアアアアアッ!
咆哮。
礼拝堂のステンドグラスが震えた。
兵士の何人かが、悲鳴を上げそうになる。
「祈りを止めるな!」
セレスティアが叫んだ。
十体。十五体。二十体。
そこで、光が止まった。
「今です!聖域展開!解放!」
セレスティアの声に合わせ、魔導士たちが一斉にクリスタルを起動する。
礼拝堂の四隅に光の柱が伸びる。
白い光の玉が、礼拝堂を包み込んだ。
アークデーモンたちが、苦しげに身をよじる。
膝をつく者もいた。
確かに効いている。
兵士たちの顔に、希望が浮かぶ。
しかし。
ジェイルだけは、受け陣を見つめたまま動かなかった。
「……いない」
「何がだ?」
ミスリルの刃の大男が問う。
「カナがいない」
空気が、凍った。
アークデーモン二十。
それだけ。
来るはずだった元勇者パーティのカナが、どこにもいない。
ジェイルの背中を、冷たい汗が流れた。
……今回の襲撃には参加していなかった?
それとも……。
「嫌な予感がするぜ」
呟いた。
だが、ジェイルはここを動けない。
目の前には、アークデーモン二十体。
結界が持つうちに、少しでも数を減らしたい。
「……頼むぜ、トンソク」
無意識にアルドの名前が口から零れていた。
そして、謁見の間。
高い天井の下、月明かりの中に光が落ちた。
二つの影が、床に降り立つ。
そこは、アルドが用意していた魔法陣。
降り立った人物は。
金色の髪。碧い目。黒の軽鎧。
そして、背中には聖剣。
勇者アルド。
もう一つは、小柄な影。
短い茶髪。腰に短剣。
カナだった。
エルネストの誤算。
カナの力を見誤った。
アークデーモンをはるかに凌ぐ力、最高レベルに匹敵する者は二人いたのだ。
勇者の身体を使うデモンレイアと。
神足通のカナ。
身軽なだけの小娘。
条件から漏れると、エルネストは勝手に思い込んでいた。
とんでもない。
カナは、アークデーモン二十体束ねても届かない場所にいる。
木箱の陰で、アルドは息を止めた。
カナ。
そして、俺の身体。
二人まとめて、ここへ来た。
予定通り。
状況はかなり悪いが、これでも次善。
あとは、三秒の隙が作れるかどうか。
それが勝負の分かれ目。
「……あれー?」
カナが、きょろきょろと周りを見回す。
「ここ、応接室じゃないよね?謁見の間じゃん」
「……そのようだな」
勇者の身体が、低い声で答えた。
アルドの肌が泡立った。
俺の声だ。
俺の喉から出る、俺じゃない声。
アルドの奥歯が、ぎしりと鳴った。
「デーモンたちいないし。トールの陣、失敗したのかな?珍しい」
「……」
勇者は、それ以上答えようとしなかった。
なぜ、ここに転移したのか。
なぜ、アークデーモンがいないのか。
分からない。
だが、焦りは一切ない。
分からないなら、分からないでいい。
どこに落ちようと、自分たちが負ける理由にならないのだから。
余裕。
それが、四天王と四天聖、デモンレイアとカナだった。
デモンレイアは、ゆっくりと謁見の間を見回した。
木箱。
樽。
甲冑。
旗。
月明かりの届かない隅。
視線が、アルドの隠れている木箱の上を、すうっと通り過ぎた。
止まらなかった。
アルドは、気配を断ったまま動かない。
心を沈める。
無明朧流『止水』。
その心、清き水面の如く。
精神統一したアルドは、そう簡単には見つからない。
「王様もいないし。つまんないの」
カナは、玉座に、ぴょんと腰かけた。
足をぶらぶらさせる。
「ねぇ、デーモンたち、どこ行ったのかな?」
「あちらだ」
勇者は、城の外を、窓から見下ろした。
「あそこから、デーモンたちの気配を感じる。祈りの声……か。それも百近い。それに、聖なる気配。結界だな」
「あー、そこにデーモンたち、連れていかれたんだ」
「魔法陣に細工がしてあったのだろう。アークデーモンだけを別の場所へ落とし、結界で縛る。どうやらすべてお見通しだったようだ」
勇者は、つまらなそうに続けた。
「そして、我らをここに孤立させて……待ち伏せ」
「待ち伏せ?」
「強者を数で囲むのは愚策。少数の手練れで待ち構え、殲滅する。そういう男が、この城にいる」
「あー、エルネストとかいう吟遊詩人がいたね。Sランクの」
カナは、玉座の上で伸びをした。
「でも意外だったなー。あのニヤケ、そんなにできる奴だったんだ。トールの作戦を利用するなんてさ。それってトールより上ってことじゃん?」
「上、か」
デモンレイアが、わずかに笑った。
「あの男の知略は底がしれぬ。存外、これこそがトールの狙いだったやもしれぬ」
「いやーそれはないっしょ?いっつも余裕ぶってるけど、あいつ小心者だもん」
カナは、珍しく楽しそうに語っていた。
アルドは、木箱の陰でその言葉を聞く。
トール。
元勇者パーティの頭脳。
あの二人が、トールを語る。
まるで仲間のように。
なぜか死ぬほど腹が立つ。
「でもさ、待ち伏せされてないじゃん。あんたの読みだと、罠なんでしょ?」
「そうだな」
「どうでもいいんだ?」
「出口が変わろうが、待ち伏せがどうであろうが、やることは変わらない」
「さっすがー」
カナは、けらけらと笑った。
何が起きているのか分からないまま、それでも、少しも揺らがない。
隙がない。
アルドは、まだ動かなかった。
カナがいる。
あの女に、気取られるわけにはいかない。
メイトが飛び出した瞬間、カナの短剣が飛んでくる。
いかに素早かろうが無駄。
メイトは死ぬ。
だから待つ。
二人の意識が、別の方へ逸れる瞬間を。
その一瞬が来るまで、影になる。
その時だった。
玉座の上で、カナの足が止まった。
ぶらぶらさせていた足が、ぴたりと。
「……ねぇ」
カナの声が、少しだけ低くなった。
「あんた誰?」
その言葉にデモンレイアも振り返る。
「何かいるのか?」
「分かんない」
カナは、玉座から降りた。
短剣の柄に、指をかける。
「見えないし、音もないし、気配もない」
カナの目が、細くなる。
「でも、いる」
アルドに、冷たい汗が流れた。
気配は、完全に断っている。
それでも。
この女は、そこに『何か』がいることだけを嗅ぎ取った。
誰なのか。
何なのか。
そこまでは分かっていない。
オークだとも、メイトがいるとも。
ただ、いる。
それだけ。
だが、それだけで十分すぎた。
「鼠か?」
「そうだね。確かに大物じゃない。でも、そこにいるの。気持ち悪い」
カナの視線が、謁見の間の隅を、一つずつなぞっていく。
月明かりの届かない、暗がりを。
アルドは動かない。
動けない。
カナの気配が、こちらへ近づいてくる。
そして。
アルドの隠れている、木箱の前で。
止まった。




