第百二十三話「救いと、覚悟と、あと一回」
「ミャルさん?」
セレスティアが振り返った。
「どうしてここへ? エルネスト殿のお手伝いをしなくてもよいのですか?」
「いいにゃ、いいにゃ。どうせ難しい話は、あたいには分からんにゃ。あっちは勝手にやってるにゃ」
ミャルは片手をひらひらと振っていたが、その手がぴたりと止まった。
「それより、あんたに訊きたいことがあるにゃ」
「私に?」
「さっきのあれにゃ」
「あれ?とは何でしょう?」
「…………とぼけるにゃ!」
ミャルの尻尾が、ぶわっと膨らんだ。
「あたいを解放しろって言ったことにゃ!」
「ああ……そのことですか」
ようやく思い出したように頷くセレスティアの態度が、余計に腹立たしい。
「何であんなこと言ったにゃ!同情なら余計なお世話にゃ!見ず知らずのあんたに、そんなことされる覚えはないにゃ!結婚まで駆け引きに使って、勝手なことすんなにゃ!」
本気で怒っていた。
セレスティアは黙って聞いている。
「どうせ、可哀想だと思ったんにゃろ!?母親を人質に取られて、逃げられない哀れな獣人だって!」
「そうですよ」
「……にゃ?」
ミャルの勢いが止まった。
セレスティアは否定するどころか、真っ直ぐにそれを認めたのだ。
「家族が、自分の意志に反して誰かに囚われている。それを目の前で見せつけられる……私は、とても耐えられませんから」
父ヴァルデマールはメイトに寄生され、半年間も身体の自由を奪われていた。
再会したとき、目の前にいる父は、父であって父ではない。
逃げろ、と叫びながら襲いかかって来た。
あの時の恐怖を、忘れられるわけがない。
「私も同じでした。父を助けたかったのに、何もできませんでした。目の前にいて、声も聞こえるのに、どうしていいか分からなかった」
ミャルの耳が、少しだけ動いた。
「ですが……」
セレスティアは僅かに笑った。
「私は救われました」
「……誰ににゃ?」
セレスティアの視線の先で、アルドが走っていた。
というか、逃げていた。
「ぶひぃぃぃ!」
その頭上を、背中にメイトを張りつけたジェイルが飛んでいる。
「うわぁぁぁ!下ろせぇ!」
ズドォン!
ジェイルの放つ衝撃波で、雑アルド二号が木っ端微塵に吹き飛び、その余波が本体のアルドをかすめていった。
「ぶひぶひぶひぃ!」
危ねぇだろ!もう終わり!試験終了!やめろ!
アルドは必死だった。
しかしメイトには、愛しのアニキが喜んで『もっとやれ』と言っているように見えた。
ズドォン!ズドォン!ズドォン!
ここぞとばかりに連射。
もはや、アルドも逃げるのに必死だ。
「私は、あの方に救われたんです」
そんなアルドを、セレスティアは愛おしそうに眺めていた。
「ですから今度は、私も誰かを救いたかった……のかもしれません」
ミャルはアルドを見た。
空から攻撃されながら、ぶひぶひ言って必死に逃げ回る豚。
次にセレスティアを見ると、うっとりしている。
もう一度アルドを見て、もう一度セレスティアを見た。
「……お前、あのオークが好きなのかにゃ?」
「なっ!?」
「頭おかしいにゃ?」
「ち、違います!そういう意味ではありません!」
セレスティアが一瞬で真っ赤になった。
ミャルはふんと鼻を鳴らしたが、先ほどまでの怒りはなかった。
「期待しない方がいいにゃ。リーダーは嘘つきにゃ。あたいを逃がすなんて、絶対しないにゃ」
「約束しても?」
「約束は破るためにある、と思ってるにゃ」
ひどい答えだった。
「欲しいものは絶対に手放さない、それが銀詩のリーダーにゃ。約束なんて、その場かぎり。後からいくらでも屁理屈つけて、ぽいっにゃ」
ミャルはセレスティアを睨む。
「だから、あんただけでもリーダーから逃げた方がいいにゃ」
「……そう、かもしれませんね。それが賢明だと思います」
セレスティアは少し困ったように笑った。
薄々は分かっている。
エルネストが約束を守る保証などないし、むしろ守らない可能性の方が高い。
それでも、あの場で自分にできることをしたかったのだ。
セレスティアはもう一度アルドを見た。
あの日、あのオークは父を救い、自分を救ってくれた。
少なくともセレスティアにはそう見えている。
そして、何一つ見返りを求められなかった。
「誰かを助けるのに、見返りが必要なわけではないでしょう?」
もちろん、それは大きな勘違いである。
アルドにはアルドの事情があり、目的も打算もある。
聖人などではないし、むしろ聖人からは程遠い存在。
なにせ、聖女に嫌われているのだから。
それでも、セレスティアを絶望から救った、という事実だけは変わらない。
ミャルは何も言わなかった。
しばらくして、メイトがようやくジェイルの背中から離れた。
侵入した時とは反対に、するっと一瞬で抜ける。
着地したジェイルはふらふらと足元が怪しい。
「くそ……酷い目に遭ったぜ」
だが、ちゃんと立てている。
腕も指も動くし、意識もはっきりしている。
アルドがじっと観察していると、メイトがドヤ顔で近づいてきた。
「きゅいきゅい!」
(どうっすかアニキ!俺っちの働き!スゲーっしょ!)
褒めて、と表情に書いてある。
ごん。
「ぎゅいっ!?」
げんこつを食らったメイトが地面に沈んだ。
調子に乗りすぎだ!殺す気か!
地面で目を回しているメイトを無視して、アルドは考え始めた。
身体の完全な制御までに、約三秒。
意外と長い。
しかし、背中に張りついてしまえば、本人だけではすぐに剥がせない。
一対一なら十分に有効。
ただし、相手に仲間がいれば話は変わる。
触手を侵入させようとする間、メイトはほぼ無防備。
手練れなら、〇・一秒あれば殺せてしまう。
「何だよ?」
視線に気づいたジェイルが顔をしかめた。
少し酔ったようにふらついているが、それだけだ。
後遺症はほとんどない。
ヴァルデマールの場合は、半年にわたって寄生され、神経も身体も精神も酷使され続けたからこそ後遺症が残った。
つまり短時間寄生しただけでは、相手を戦闘不能にはできない。
解除すれば、ほぼ元通り。
寄生後に戦闘不能にする追加効果は、期待できない。
アルドの頭の中で、可能性をつなげていく。
カナ、デモンレイア、エルネスト。
乱戦の中の、三秒の隙。
勝ち筋を拾う。
まだ細いが、確かに見えてきた。
そんなアルドを、セレスティアがまたうっとりと眺めている。
ミャルはアルドとセレスティアを交互に横目で見た。
「今度の戦い、甘くないにゃ。あんたも、ある程度は覚悟決めておいた方がいいにゃ」
ミャルは少し言い淀み、それから意地悪そうに笑って、指を一本立てた。
「一回だけにゃ」
「え?」
「あのオークがピンチになった時、一回だけ、あたいが最優先で助けてやるにゃ」
「ミャルさん……」
「ミャルでいいにゃ。堅苦しいの嫌いにゃ」
セレスティアの表情が柔らかくなった。
「じゃあ……ミャル。ありがとう」
「それでいいにゃ」
ミャルは踵を返すと、そのまま中庭を駆け出した。
木の幹を蹴って宙へ跳び、壁の僅かな足場を伝って一気に跳び上がる。
「え?」
セレスティアが視認しようとした時には、もうどこにもいなかった。
残ったのは、僅かに揺れる枝葉だけだ。
「……速いな」
ジェイルが呟いた。
獣人が人間以上の身体能力を持つのは珍しいことではない。
だが、今の動きは尋常ではなかった。
少なくともセレスティアには、ミャルがどこを蹴ってどこへ消えたのか、最後まで目で追えなかった。
セレスティアは、ミャルが消えた壁の向こうをしばらく見つめていた。
一回だけ。
それでも、あれほど掴みどころのなかったミャルが、自分から差し出してくれた約束だった。
セレスティアの胸の奥に、小さくても温かなものが、確かに残っていた。




