第百二十二話「寄生と、操縦と、あと空中戦」
「ミャルさんのお母様を解放してください。そして……ミャルさんを自由にしてください」
セレスティアの要求を聞いた瞬間、エルネストは僅かに目を見開いた。
この要求は、まったく予想していなかったのだろう。
代わりに何かを求めるとしても、金や地位、あるいはヴァレンシュタイン家に関する要求が出てくるものだとばかり。
それが、まったく関係のないミャルと、その母親の解放ときた。
エルネストは微笑みを崩さないまま、頭の中だけで考えを巡らせる。
ミャルには価値がある。
ただの獣人ではない。
世界中を探しても、そう簡単には見つからない稀有な能力の持ち主。
だからこそ多大な手間をかけてでも手元へ置き、逃げられないように押さえたのだ。
もしかして、セレスティアはそれを知っているのか?
いや、そんなはずはない。
ならば、ミャルが何か喋ったか。
一人で残したのは、失敗だったかもしれない。
エルネストの視線が一瞬だけミャルへ流れたが、猫の獣人は知らん顔をしていた。
まあいい。
何かを話していたとしても、それはそれで対処すればいい。
今は何よりも優先すべきものがある。
アルドだ。
それ以外は、後回しで構わない。
「申し訳ありません。少々、仰っている意味を理解しかねますが……」
エルネストは柔らかな笑顔を作ったまま言い、ちらりとグレゴールを見た。
「?」
グレゴールは、本当に何も分かっていない顔をしていた。
ミャルの母親だの自由だの、なぜそんな話が出てくるのか、まるで理解していない。
さすが脳筋。
余計なことに気づかないのは、こういう時はありがたい。
エルネストは再びセレスティアへ視線を戻した。
「貴女が私との婚姻を受け入れてくださるのであれば、その望みは最大限叶えさせていただきます」
「本当ですか?」
「もちろんですとも」
にこやかに、誠実そうに、まるで嘘など一度もついたことがないような、天使の顔で答える。
ただ一人、当のミャルだけが苦い顔をしていた。
「それでは、私は戦いの準備がありますので。また後ほど」
エルネストが一礼すると、ガストベルグとヴェロニカも続いて扉へ向かった。
ミャルも何も言わずにその後を追う。
去り際、ほんの一瞬だけ、ミャルとセレスティアの目が合った。
だがミャルは何も言わず、そのまま扉を閉じた。
部屋の中に、何とも言えない気まずい空気が残る。
「んー……コホン」
グレゴールがわざとらしく咳払いした。
「私は、その……情報でも集めてくるかな。城内の兵にも、いろいろと指示を出さねばならんし。うむ。それではっ!」
逃げるように、というか実際に逃げていった。
エルネスト関係は本当に嫌なのだろう。
しかもアルドの名前。
処刑騒動はこりごり。
グレゴールが退室すると、ジェイルはすぐさまリアの前へ駆け寄った。
「リア、ちょっと確認させてくれ!」
「えっ、なになになに?」
「身体に変なところはないか?頭が痛いとか、気分が悪いとか。それか、急に何かをしなきゃいけないような気がするとか」
「うーん……」
リアは両手を広げて自分の身体を見回し、肩を回し、首を傾げ、その場で軽く跳んでみた。
「別に何もないよ?」
表情も自然で、声も普段通りだ。
少なくとも外から見ただけでは、洗脳されているようには見えない。
ジェイルは、もう一歩踏み込む。
「エルネストに何か言われたりしてないか?」
「ご主人様に?うーん……特にないなぁ」
「…………」
ジェイルの顔が歪んだ。
答え、出てますね。
「……そうか」
ジェイルは深く息を吐いた。
やはり本人に自覚はない。
自分の中の常識が、ほんの一部だけ書き換えられている。
「今のところは……あいつの言う通りに動く方が賢明か……」
悔しそうだった。
リアを勝手に操られ、しかもそれを取引材料に使われたのだ。
本当なら今すぐにでも、エルネストの顔面に拳をぶち込みたい。
それでも、今回の戦いはジェイルにとっても千載一遇の機会だった。
裏切ったとされる英雄、勇者アルド。
その本人へ直接近づけるかもしれない。
何が起きたのか、確かめられるかもしれないのだ。
ジェイルの中では激しい葛藤があった。
アルドは、そのやり取りを軽く聞き流していた。
リアの暗示については、全く焦っていない。
最悪の場合は解除すればいいだけ。
無明朧流には、精神へ食い込んだ外部からの支配を断つ技がある。
物理的なものではなく、魂や意識に絡みついた糸を斬るのだ。
今すぐ解除しないのは、単にその必要がないから。
むしろ現状は、アルドにとって都合がいい。
リアがエルネストへ情報を運び、エルネストはそれを利用して動く。
それは他者へ波及していく。
銀詩、ファスタ軍、冒険者たち、魔王軍、カナ、そしてデモンレイア。
思惑を抱えた連中が一堂に会し、戦場が混乱に至る。
非常にいい。
盤面が勝手にぐちゃぐちゃになっていく。
アルドにとっては、それこそ望むところ。
ここが正念場だ。
なら、一つ確認しておきたいことがある。
「ぶひ!」
「なに、トンソク?」
「ぶひぶひ!」
アルドは身振りを交えて、全員ついて来いと伝えた。
「そうなの?分かった!」
満足して歩き出したアルド。
数歩進んで振り返ると、リアたちはまだ部屋にいた。
通じてねぇ。
後ろにいたのは、雑アルド一号と二号だけ。
ぬぼっとしている。
てか、お前らは俺についてくるのかよ!
結局リアの通訳を挟み直し、全員で中庭へ移動した。
「それで、何をするんだ?」
ジェイルが腕を組む。
アルドは答えず、偽アルド二体をジェイルの正面に立たせた。
ジェイルとアルド二体が、無言で見つめ合う。
「こいつらと戦えばいいのか?」
「違う?じゃあ何なんだよ」
アルドはメイトを見た。
行け、と目で合図を送り、それからジェイルを指差す。
「きゅいぃ!」
(ラジャーっす!)
次の瞬間、メイトの姿が消えた。
「なっ!?」
正確には消えたのではない。
小さな身体からは想像できないほど大きく翼を広げ、一気に加速したのだ。
急加速、急停止、急旋回。
パラスワイバーンは本来、空中機動に優れた寄生型の飛竜である。
その本領だった。
「なんだ!」
ジェイルが周囲を見回すが、視界のどこにもいない。
「ジェイル!後ろ!」
「何っ!」
セレスティアの叫びに振り向いた時には、もう遅かった。
「きゅい!」
「うおっ!」
ぺたり、とメイトがジェイルの背中へ張りついた。
「何だコイツ!離れろ!」
ジェイルは慌てて腕を背中へ回したが、右から回しても左から回しても、絶妙に届かない。
その間に、メイトの額から、ぬるりと触手のようなものが伸びた。
先端は枝分かれし、さらに細い糸のようになって、ジェイルの首筋へ潜り込んでいく。
「はぅぅ……うっ!?」
「ジェイルさん!?」
駆け出そうとしたリアを、アルドが手で制した。
「でも!」
大丈夫だから、まぁ見てろ。
「う……お……」
ジェイルの身体が強張り、三秒ほどで、ぴたりと動きが止まった。
「ジェイル?」
セレスティアが警戒しながら声をかけた、その時。
ジェイルの右腕が、すっと上がった。
「……何だ?」
ジェイル自身が、不思議そうに自分の腕を見ている。
右腕がさらに上がり、下がり、今度は左腕が上がる。
「おい、ちょっと待て!俺、動かしてねぇぞ?」
右足が一歩前に出て、左足が一歩後ろに下がる。
「何じゃこりゃあ!」
アルドは面白くなってきた。
メイトに指示を出し、右腕と左腕を交互に上げさせる。
「おい!」
ばんざい。
「やめろ!」
屈伸。
「人の体で遊ぶな!」
片足立ちからの、その場で高速回転。
「やーめーろー!」
完璧だった。
ジェイルの意識はちゃんと残っているのに、身体の主導権は完全にメイトにある。
アルドは観察を続けた。
どこまで能力が使えるのか。
試しに指を一本立ててみると、メイトが即座に反応し、ジェイルの腕が勝手に動いた。
ロール・ザ・ダイス。
ストレンジャーの固有スキル。
一番驚いているのはジェイル本人である。
勝手にスキルまで発動した。
二つのダイスが頭上で回転し、二十七で止まる。
「こんな時に当たりかよ!」
ジェイルの両手が勝手に双剣を抜き、刃に戦気が集まっていく。
「おい待て!やめろって!それはマズい!」
双剣が交差した。
ズドォン!
放たれた衝撃波が雑アルド一号を直撃し、分身は木っ端微塵になって雲散霧消した。
スキルまで使える。
ジェイル本人が知っている技を、メイトもそのまま使えるのだ。
つまり神経や筋肉を動かすだけではない。
記憶や戦闘技術、能力そのものまで読み取れるということ。
いいぞ!やるじゃねーか!
アルドは素直に褒めた。
メイトは嬉しかった。だが寄生中は声が出せない。
ならば身体で表現するしかない。
ばさぁっ、と巨大な翼が限界まで開いた。
そして、羽ばたきとともに、ジェイルの足が地面から離れた。
「待て。待て待て待て!嘘だろ?」
身体はさらに上へ昇っていく。
「うぉぉぉぉぉぉお!」
ジェイルの絶叫が中庭に響き渡った。
宿主を操ったまま、自分の翼で人間一人を持ち上げて飛べる。
そのまま飛行できるらしい。
「高い!高いって!うわぁぁぁ!」
急旋回。
「しぬぅぅぅう!」
急降下からの急上昇。
「誰か止めろぉぉぉ!」
アルドはそれを見上げていた。
「何遊んでるにゃ?」
中庭の端で、呆れた顔で空を見上げている獣人がいた。
ミャルだった。




