第百十三話「洗脳と、人質と、あと種」
「人間を……所有する?」
セレスティアは言葉の意味を理解しかねていた。
いや、理解したくなかった、という方が正しいか。
「それは……自分の配下に加える、という意味でしょうか?」
最後の希望を託して、恐る恐る尋ねる。
ミャルはしばらくセレスティアを見ていたが、やがて呆れたように溜息を吐いた。
「奴隷にゃ」
「…………」
「あらゆる意味で、にゃ」
尻尾が一度だけ左右へ揺れる。
「分かるにゃろ?」
セレスティアの全身に鳥肌が立った。
先ほど、眠っている自分の頬が触れられていたことなど、当然知らない。
エルネストのあの柔らかな笑顔を思い出す。
あの男が。
自分を。
奴隷に?
「じゃあ」
ジェイルが声を絞り出した。
ミャルを見る目が変わっている。
「あんたも、そのうちの一人ってわけか」
蔑むような視線。
だが、ミャルは怒らなかった。
「違うにゃ。いや……違わにゃいか」
「どっちだよ」
「所有されてるって意味なら同じにゃ。でも、あたいは操られてないにゃ」
「操られて……?」
ジェイルの眉が動いた。
「どういう意味だっ?」
「そのままにゃ。リーダーは、催眠状態にある人間に強力な精神操作をかけられるにゃ」
「なんだと!?」
顔が一気に青ざめる。
催眠状態。
つまり。
眠っている時。
「ま、まさか……」
さっきまで、自分たちは全員、エルネストの目の前で寝ていた。
誰一人として警戒することなく。
よだれを垂らして、アホ面引っさげて、完全無防備。
「もう種は撒かれてるはずにゃ。誰だか知らにゃいけど」
ミャルが平然と言った。
「…………!」
ジェイルが周囲を見る。
セレスティア。
リア。
グレゴールはもう帰った。
「私では……ありませんよ?」
セレスティアが自分の胸へ手を当てる。
「私も!」
リアも慌てて首を振る。
ジェイルも自分の身体を見る。
別に何も変わっていない。
エルネストが好きになったわけでもない。
従いたいとも思わない。
頭も正常、だと思う。
「…………」
ジェイルがミャルを睨む。
「本当なのか?」
「何がにゃ?」
「俺たちに嫌がらせをしてるわけじゃねぇだろうな」
ミャルは面倒そうに頭を掻いた。
「だから!自分じゃ分からんにゃ」
「何?」
「他人が見ても分からんにゃ!」
ミャルは自分のこめかみを指でとんとん叩く。
「刷り込みにゃから」
「刷り込み……」
「人格そのものが変わるわけじゃにゃい」
ジェイルも、セレスティアも黙って聞いている。
「常識の一部が書き換わるにゃ」
「常識を……?」
「そうにゃ」
例えば。
エルネストの命令を聞くのは当然。
エルネストを疑わないのは当然。
そういうものとして。
最初からそうだったかのように。
自然と、自分の中へ入り込む。
だから、本人は気づかない。
やられた。
最初からそのために来たのだ。
婚約者への挨拶などではなかった。
寄生竜の話を聞くためだけでもない。
演奏を披露したのも。
全部最初から。
「じゃあ……俺たち全員が、もう……」
ジェイルの声が震える。
「それはないと思うにゃ」
「え?」
予想外の答えだった。
「何で分かる?」
「理由は、あたいがここにいることにゃ」
ミャルが自分を指差した。
「……?」
確かに。
それはずっと疑問だった。
なぜ銀詩の旅団の一員であるミャルが、一人だけ残り、わざわざエルネストの手の内を教えている?
「リーダーは、一度に何人でも洗脳できるわけじゃないにゃ」
「限界があるのか?」
「あるにゃ」
ミャルが頷く。
「だから、一人をある程度仕上げたら、そいつが自分から離れられないようにするにゃ。身も心も全部捧げるようにさせるにゃ」
「自分から……」
「そんで、次に行くにゃ」
催眠。
刷り込み。
依存。
服従。
それを少しずつ積み重ねる。
一人。
また一人。
時間をかけて。
「じゃ、じゃあ」
セレスティアがミャルを見る。
「あなたは、なぜ……?」
「…………」
ミャルが少しだけ顔をしかめた。
「あたいは洗脳の効きが悪かったみたいにゃ」
「効きが?」
「全部入らなかったにゃ」
「では……」
なぜ、今も銀詩の旅団にいる?
なぜ、逃げない?
ミャルは少しだけ視線を落とした。
「あたいを手に入れたかったリーダーは」
一拍。
「あたいの母親に手を出したにゃ」
「…………え?」
「母親を押さえられたにゃ。あたいが裏切ったら、母親が何されるか分からんにゃ」
「そんな……」
セレスティアが口元を押さえた。
「酷すぎる……」
催眠が効かない。
なら。
別の方法で縛る。
エルネストにとって手段は問題ではない。
欲しいものが手に入るなら、何でもいい。
「まさか……そんな使い方までしてるのか」
ジェイルが呟く。
「するにゃ」
ミャルは淡々としている。
諦めている。
怒ってすらいない。
それが余計に不気味だった。
「なら、セレスティアかリアのどっちかが、洗脳を受けているってことか?」
ミャルは首を横に振った。
「違うのか?」
「分からんにゃ」
「またそれかよ」
「だって」
ミャルは全員を見る。
「リーダーは、美しいものが好きにゃ」
「?」
「物でも、人でも……女でも男でも関係ないにゃ」
ジェイルが固まった。
「ちょっと待て!」
「うちのパーティメンバーは、みんな、そういう関係にゃ」
ミャルは何でもないことのように続ける。
ジェイルの顔から血の気が引いた。
「おい。それって……」
ミャルが指を上げた。
セレスティアでもない。
リアでもない。
その指先がジェイルへ向く。
「むしろ、あんたが一番危ないにゃ」
「…………」
ジェイルが膝から崩れ落ちた。
「顔いいにゃ」
「強いにゃ」
「才能あるにゃ」
「やめろ!」
ジェイルが両手で頭を抱えた。
「何でそんなこというんだよ!」
リアが困った顔でミャルを見る。
「つまり……どういうことですか?」
「簡単にゃ。リーダーに逆らうなってことにゃ」
「…………」
「全員を一度に洗脳することはできにゃい」
でも。
「お前らの中から、もう人質は取ってるにゃ」
「人質……」
「誰が何をされたか分からんにゃろ?」
誰が洗脳された?
誰が操られている?
誰が。
すでにエルネストの傀儡?
分からない。
「だから」
ミャルはセレスティアを見る。
「逆らったらどうなるか分からんぞってことにゃ」
「…………」
「あたいはもう諦めたにゃ」
自嘲するように笑う。
「あんたたちも、そうした方がいいにゃ」
「そんな……」
「大丈夫にゃ。有能な人間は可愛がってくれるにゃ」
ミャルは軽く言った。
しかし、その言葉に、誰も安心などできなかった。
むしろ背筋が寒くなる。
セレスティアは俯いた。
ジェイルも黙っている。
リアだけが、いまいち状況を理解できていないように首を傾げていた。
そういうことか。
ようやくジェイルにも分かった。
ミャルがここに残った理由。
裏切りではない。
警告でもない。
恫喝。
同じ立場の者。
すでに逃げられなくなった者。
そんな人間から、「諦めた方がいい」、そう言わせる。
恐怖によって、自分たちの心をへし折る。
誰が人質なのか分からない以上、下手には動けない。
セレスティアは何も言えなかった。
部屋の空気が重く沈む。
エルネスト・レイヴァン。
ただ強いだけではない。
ただ催眠を使えるだけでもない。
人の心に巣くう、恐怖、欲望、弱み。
全部使う。
そして。
相手自身に、逃げることを諦めさせる。
最悪だ。
その場にいる全員の顔が暗くなる。
ただ一人を除いて。
アルドは、悪い顔でにやり。
笑っていた。




