第百十一話「選抜試験と、吟遊詩人と、あと狂気(後)」
狂気を含んだ白刃が、静かな会場に煌めいた。
もっとも、会場が静かなのは当然だった。
王も。
勇者機関の重鎮も。
審査員も。
他の候補者たちも。
エルネストの演奏によって、全員ぐっすり眠っている。
起きているのはアルドとエリス。
そして、怒りで顔を歪めたエルネストだけだった。
「私は英雄になる男だ!勇者すら超える力は、私にはあるのだ!」
剣を構える。
先ほどまでの優雅な立ち居振る舞いは、もうどこにもない。
アルドはそれを見て。
「へえ」
少しだけ笑った。
構えは悪くない。
いや、かなりいい。
重心。
剣先。
足運び。
感情的になっている割には、身体に染み込んだ基本が崩れていない。
さすがSランク。
音楽だけで昇ってきたわけではないらしい。
「アルドさん」
エリスが呼ぶ。
「ん?」
「速やかにご退場していただいてください」
「まあ、そうなるわな」
「勇者の力を超えているそうなので『全力』で。お願いします」
「…………」
アルドの笑顔が消えた。
「いや」
「はい?」
「全力って……いくらなんでも……」
「アルドさん」
「はい」
「私のお願いは、聞けませんか?」
笑っている。
ものすごく笑っている。
さっき胸を触られそうになったこと、めちゃくちゃ怒ってるな。
「……やらせていただきます」
アルドは渋々立ち上がった。
エリスは満足そうに頷く。
「よろしくお願いします」
「……」
どっちが勇者だよ!
戦闘役間違ってませんか!
アルドは頭を掻きながら、会場中央まで歩いていく。
対するエルネストは剣を構えたまま、その様子を睨みつけていた。
「随分と余裕だな」
「いやぁ」
アルドは面倒くさそうに首を回す。
「あんたも災難だったな」
「……何?」
「エリスにちょっかいかけるからだよ。ああみえて怖いんだぜ」
アルドは苦笑した。
「ま、せめて素手で相手するからさ。恨まないでよ」
そう言って、両手をぷらぷらと振る。
剣すら抜かない。
「…………」
エルネストの頬が引きつった。
「なめるなと……」
剣を握る手に力が入る。
「言っただろうがっ!」
完全にキレた。
「ガキがァッ!」
地面を蹴る。
速い。
エルネストの身体が一気にアルドとの距離を詰めた。
その踏み込み。
その速度。
迷いなき剣筋。
確かに強い。
Sランク。
その看板に偽りはなかった。
普通の冒険者なら、視認する前に斬られている。
いや。
Aランクですら、まともに対峙するのは無理。
誰が見ても純粋に強い。
ただし、今回は相手が悪かった。
「イグニッション!」
アルドの全身から、赤いオーラが噴き上がった。
次の瞬間。
消えた。
「……は?」
エルネストの目から、アルドが忽然と消えた。
赤い閃光だけが、視界の端を走る。
どこだ?
そう考える暇すらない。
ドボォッ!!
「がっ――!?」
腹へ。
拳が突き刺さっていた。
アルドの右拳。
エルネストの身体が、くの字に折れ曲がる。
足が地面から離れた。
「ぐっ……!」
そのまま浮く。
いや。
吹き飛ばされた。
「があああああっ!」
凄まじい勢いで天井へ向かって飛んでいく。
何が起きた?
どこから現れた?
理解が追いつかない。
エルネストが顔を上げた時。
「なっ……」
いた。
自分より上。
天井付近。
そこにアルドがいた。
「よっ」
先回りしていた。
一瞬でエルネストを殴り飛ばし。
さらに、飛ばされたエルネストより先に、天井へ到達している。
アルドは天井へ両足をつけた。
まるで、そこが地面であるかのように。
「悪りーな。これで終いだ」
にっ。
「全力でって言われてるから」
「ま――」
ドンッ!!
天井を蹴った。
赤い閃光。
真正面。
今度は顔面へ。
ドガァァァァン!!
「ぶっ……!!」
アルドの拳が、エルネストの顔へめり込んだ。
いや。
エルネストの体ごと、床にめり込ませた。
強固な魔法障壁を貫通して、会場全体が揺れた。
轟音。
衝撃。
床の結界が眩しく明滅する。
「うわっ!」
「な、何だ!?」
「敵襲か!?」
その音で眠っていた者たちが、一斉に目を覚ました。
「な、何が起きた!?」
「ここは……?」
「私は、眠っていたのか?」
みな周囲を見回す。
状況が分からない。
ただ、会場中央を見て、全員が固まった。
「…………」
そこにいたのは、赤いオーラを全身から噴き上げたアルド。
そして、床にめり込んだエルネスト。
顔は大きく腫れ上がり、つい先ほどまで誰もが見惚れていた美貌は、見る影もない。
「……何があった?」
誰かが呟いた。
答える者はいない。
アルド自身も、少し困った顔をしていた。
やべ。
やりすぎたか。
エリスに言われるまま、全力でやってしまった。
しかも、現在はフルバースト使用状態。
一度使用した以上、MPが尽きるまで自分では止められない。
ぼうぼうと赤いオーラを出したままだ。
アルドは倒れたエルネストを見下ろしている。
どう見ても、勇者が一方的に候補者を殴り飛ばした傷害事件現場だった。
「えーっと……」
アルドが周囲を見る。
視線がものすごく痛い。
その時。
「皆様」
エリスが立ち上がった。
いつもの聖女らしい笑顔。
「こちらの方ですが」
倒れているエルネストを指差す。
「人の皮を被ったクズです」
「…………」
「いえ!豚です!」
「豚!?」
各国の王が思わず振り返った。
エリスは無視した。
「不採用ですので、退場させてください」
「は、はぁ……」
事情を知らない係員たちが顔を見合わせる。
しかし。
聖女がそう言うのなら。
二人の係員が恐る恐るエルネストへ近づき、両脇から抱え上げる。
「う……」
一応、生きている。
係員たちはほっとしたような顔をして、そのままエルネストを運んでいった。
アルドはその背中を見送りながら。
「あーあ。俺は好きだったぜ。ああいうの」
ぼそっと呟く。
隣から視線。
アルドがゆっくり横を見る。
エリスが。
キッ。
睨んでいた。
「…………」
アルドが小さくなる。
「いや、仲間にするとは言ってないよ?」
ぼそぼそ。
「…………」
「面白いかなって……」
「アルドさん?」
「はい」
勇者アルド。
魔王討伐のために選ばれた、人類最強の男。
その日。
Sランク冒険者を二発で沈めた男は。
聖女の視線に縮こまっていた。




