第十一話「樽と、六十匹と、あと首輪」
牛小屋は、すっかりアルドの家になっていた。
藁の敷き方も、寝転がる位置も、もう決まっている。
入り口から二歩入って右側。
そこが一番風通しが良くて、朝の光が顔に当たらない。
我ながら、順応が早すぎるぜ。
アルドは調理場からくすねてきた樽を眺めた。
液体がなみなみと入った樽だ。
それなりに重い。
俺のメシを食った代金だ。
これで済んだのなら上等だろ、なぁ?
ブタは全く悪びれる様子は全くなかった。
むしろ当然だと思っている節がある。
きっとリアの一家も泣いて喜ぶに違いない。
まぁ無くなったことに気が付くのは、いつになるか知らんけど。
アルドは樽の縁を軽く叩いた。
いい音がした。
天井を見上げながら、アルドは考える。
正体を明かすべきか否か。
伝える方法はあるんだよなー。
答えは超簡単、筆談だ。
土の上に文字を書けばいい。
俺はアルド、勇者で魔王四天王にオークにされて、ここまで転移させられた、と。
それだけで、ただのオークではないと説明できる。
しかし。
信じるか?
仲間に裏切られてブタになった勇者……。
文字にしてみると、我ながら相当ひどい話だ。
嘲笑と疑惑の眼差しが容易に想像できる。
しかもテイムされている。
テイム出来るのはモンスターだけ。
どこをどう見ても怪しい。
それだけじゃない。
モンスターの中には人間の言葉をしゃべるやつがいる。
人間に化けて近づいて、言葉巧みにだますのだ。
賢いモンスターほど、人間を利用しようとする。
俺が村人の立場なら絶対信じないね。
断言できる。
実際しゃべるモンスターなど一刀両断にしてきた。
聞く価値なし。
元に戻れる保証もない。
身体は正真正銘オークだ。
勇者に戻れる見通しが立たない以上、下手に正体を明かしても混乱を生むだけ、か。
今は様子見だな……。
その時だった。
「ゴブリンだーーー!!!」
かなり近くで、叫び声が聞こえた。
アルドは即座に跳ね起きる。
次々と声が上がる。
悲鳴。怒号。子どもの泣き声。
牛小屋から飛び出すと、村の入り口の方角が騒々しくなっていた。
松明の光が集まっている。
男たちが農具や斧を持って走る。
やはり来たか。
アルドは冷静だった。
村の入り口に向かおうとして——止まった。
(違う!)
嗅覚が、別の方角を指していた。
東側だ。
血と土と、ゴブリン特有の腐臭。
それが村の入り口ではなく、森との境目から漂ってくる。
やはりそうだ。
村の入り口に現れた十匹程度は、囮だ。
村人の目を引きつけておいて、本命を別のルートから侵入させる。
ゴブリンの古典的な手口。
アルドは牛小屋に戻り樽を担いだ。
反対の手には松明を持ち……
走った。
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「トンソク!?どこに行くの!」
後ろからリアの声がした。
振り向くと、リアが走ってついてきている。
その後ろを、父親が追いかけている。
二人とも血相を変えていた。
なんで付いてくるんだよ!
お前らが来ても意味ねーだろ!
時間が惜しい。
構わず走った。
東側の森の境目を目指して。
嗅覚が叫んでいた。
近い。
すぐそこだ。
木々の間から、それが見えた。
やはりゴブリンだ。
一匹、二匹ではない。
三十、四十……。
(五十近いぞ!)
アルドは立ち止まった。
月の光に照らされたゴブリンの群れが、じわじわと村の方角に向かって進んでいる。
村の入り口にいたのは十匹程度か。
こいつらと合わせれば、六十近い。
村人は二百人。
しかしまともに戦える人間がどれだけいる?
農夫、老人、女性、子どもは戦力外。
実際に戦えるのは百もいないだろう。
しかも、戦闘職でない村人なら、三人がかりでやっと一匹倒せるかどうか。
侵入を許せば終わりだ。
ゴブリンの習性は知っている。
若い女をさらう。
自分たちの種族を増やすために。
残りは皆殺し。
それがゴブリンというモンスターだ。
リアと父親が追いついてきた。
父親がゴブリンの群れを見て、顔から血の気が引いていた。
当然だ。
数が多すぎる。
「……こんなに……ゴブリンが……」
呟いた声が震えていた。
アルドは父親を見ると目が合った。
次にリアを見た。
村の方向を指差す。
父親が、数秒だけ考え、頷いた。
通じた。
父親がリアの腕をつかみ走り出す。
「行くぞ!」
「え、でも、トンソクが——」
「いいから行くんだ!」
リアが振り向いた。
「トンソクーーー!!」
何かを叫んでいた。
が、その声も次第に遠ざかっていく。
これで懸念していた問題は解決。
人質にでも取られたら厄介だからな。
アルドは前を向いた。
ゴブリンたちは、アルドに気づいたようで、先頭の数匹が立ち止まった。
オーク。
それがわかると、一瞬、動揺が群れ全体に波及した。
ゴブリンとオークは、同じモンスター陣営だ。
敵対する理由はない。
なのに、なぜ?
だから止まった。
しかし。
先頭のゴブリンが、アルドの首元に見つける。
青白く輝く首輪を。
テイムの証を。
ゴブリンたちがざわめいた。
この声なき会話が、アルドにも理解できた気がする。
こいつは人間に飼われているオークだ。
人間の味方だ。
なんと情けない。
しょせんはオーク。
小馬鹿にした目だ。
先頭のゴブリンが、薄ら笑いを浮かべ、何かを叫ぶと群れが動き出した。
アルドに向かって。
ゴブリンは武器が使える。
人間から奪ったもの。
ゴブリンが槍を構えた。
錆びた刃がついた、粗末な槍。
先頭の一匹が踏み込んだ。
アルドは半歩だけ横に動くと、槍が虚しく空を切った。
すれ違いざまに剣を振る。
ドサッ……
ゴブリンが倒れた。
何が起きたのか、一瞬誰も分からない。
それでも弾かれたように、次の一匹が来た。
斧を振りかぶって、全力で、正面から。
アルドは剣で受けた。
衝撃があったが無造作に弾いた。
オークとはゴブリンでは力が違いすぎる。
そのまま返す刀で仕留めた。
二体。
あっという間の出来事だった。
群れの動きが止まり、先頭から順番に表情が変わっていく。
余裕から——困惑へ。
このオーク、何かがおかしい。
アルドは剣の血を払った。
五十近いゴブリンが、目の前にいる。
さて……
アルドの口角が自然と上がる。
ブタ顔でも、この表情は作れるらしい。
下卑た笑みにゴブリンたちが戦慄する。
ゴブリン退治と行きましょうか!




