第百九話「催眠と、服従と、あと精神統一」
セレスティアが静かに寝息を立てていた。
眠っているのはセレスティアだけではない。
ジェイルも、グレゴールも、リアも、メイトも。
それどころか『銀詩の旅団』のガストベルグ、ヴェロニカ、ミャルまで、全員が深い眠りへ落ちていた。
ガストベルグはソファへ身体を預け、ヴェロニカは静かに目を閉じている。
ミャルに至っては、持ち帰ろうとしていた肉を抱えたままだ。
その中でたった一人。
エルネストだけは目を開けていた。
「…………」
ライアーから手を離す。
演奏はもう終わっている。
それでも誰一人として目を覚ます様子はない。
エルネストは満足そうに立ち上がると、まずセレスティアの前へ歩み寄った。
「……美しい」
眠るセレスティアの前に膝をつき、そっと頬へ触れる。
整った顔立ち。
長い金髪。
騎士として鍛えられていながら、女性らしさを失っていない身体。
エルネストは、しばらくその姿を眺めていた。
美しいもの。
芸術。
そして、才能。
エルネスト・レイヴァンは、それらを何よりも愛する男だった。
だからこそ、セレスティアは彼にとって好ましい。
美しく。
剣の才能があり。
あのヴァルデマールの娘。
価値がある。
逆に。
エルネストの視線が、眠っているグレゴールへ向いた。
「…………」
そこには何の感情もなかった。
いや。
あるとすれば、軽蔑。
愚鈍な者。
才なき者。
エルネストは、そういった人間に向ける興味を持ち合わせていない。
すぐに視線をセレスティアへ戻す。
「あなたも、じきに私の物だ。セレスティア」
口元に笑みが浮かぶ。
だが、先ほどまでの柔らかな笑顔とはまるで違った。
冷たく、感情がない。
美しい美術品を眺めるような笑み。
エルネストはセレスティアの頬から手を離し、呼吸や瞼の動きを確認する。
催眠は完全に効いている。
安心して立ち上がった。
本命は別にいる。
「さて……」
今度はリアの前へ移動する。
少女はソファに座ったまま、規則正しい寝息を立てていた。
エルネストが、その耳元へ顔を寄せる。
「リア」
「…………」
「私の声が聞こえますね?」
「……はい」
眠ったまま答えた。
エルネストの口元が僅かに持ち上がる。
「リアよ。私はお前の主だ」
「……主……」
「今日から、私の命令に、絶対、服従するのだ」
一言ずつ。
ゆっくりと。
意識の奥へ刻み込むように語りかける。
「私の名は、エルネスト。私が、お前の、ご主人様だ」
「ご主人様……エルネスト……」
リアの唇が、うわごとのように動いた。
「命令に……服従……」
「そう。それでいい」
催眠状態を利用した刷り込み。
意識の深い場所へ命令を植えつけ、目覚めた後にも残す。
エルネストはリアの顔を覗き込み。
ぺろり、舌なめずりをした。
セレスティアも魅力的だが、今夜の本命はこちら。
エルネストが欲しいのは、リアが持っている情報だった。
「では、いくつか質問に答えなさい」
「……はい」
「お前はモンスターテイマーですね?」
「はい」
「寄生竜をテイムしている」
「はい」
エルネストが、眠っているメイトを見る。
「名前はあるのですか?」
「メイト」
「メイト?」
少し意外そうな顔をした。
「なぜ、そのような名前をつけている?存外、大事にしているのか」
「…………」
「では、メイトを通じて、魔王軍と連絡を取れますか?」
「たぶん……無理」
「たぶんとは?」
エルネストの眉が僅かに動く。
「どういう意味です?」
「トンソクしか……メイトの言葉が分からないから」
「トンソク?」
「私は……メイトと話せない」
「…………」
エルネストの笑みが僅かに消えた。
「そのトンソクとは何です?」
「私の……一番大事なもの」
「意味が分かりません。もっと明確に答えなさい」
「オーク」
エルネストが止まった。
「あのオークですか?」
「はい」
「…………なるほど」
ようやく話が繋がった。
リア自身が寄生竜と会話できるわけではない。
あの知能の高いオークが間に入り、言葉を仲介している。
だから、あれほど異常な情報量を引き出せたのだ。
「では、あのオークを通じれば、あなたは魔王軍の情報を得られるのですね?」
「わからない」
「分からない?」
「いつも……トンソクが勝手に教えてくれるから」
「……何?」
エルネストの顔に、明確な驚きが浮かんだ。
「モンスターが自分で判断している?」
「はい」
「お前が命令しているのではなく?」
「いつもトンソクが……考えてやってる」
「なん……だと!」
エルネストが眠るアルドを見る。
ピンク色のオーク。
今はソファに座ったまま、だらしなく涎を垂らしている。
「テイムモンスターのオークが、自分の判断でテイマーへ情報を共有しているというのか?」
これは想定していなかった。
普通は逆だ。
テイマーが考え、判断し、命令を与える。
それが、この二人は反対。
あのモンスターが状況を判断し、テイマーがそれに従っている。
「あのオークは……何なのだ?」
料理をする。
人間並みの知能を持つ。
モンスターの言葉を理解する。
さらにテイマー以上に状況判断を担っている。
普通ではない、明らかに。
そして。
そんなオークを従えている、この少女も。
「…………」
エルネストは少し考えた。
何であれ、利用できる可能性がある以上試してみる。
「リア」
「はい」
「お前はアルドの居場所を知っていますか?」
「いいえ」
「アルドがいつ王都へ攻めてくるのか知っていますか?」
「いいえ」
「では、どこから来るかは?」
「知りません」
「…………本当に何も知らないのですか?」
「はい」
「ちっ」
小さく舌打ち。
爪を噛む。
「クソッ……ハズレだったか」
先ほどまでの優雅な口調が消えていた。
「いや……そう断ずるには早計か」
誰かに話しているわけではない。
独り言。
エルネストは爪を噛みながら、ゆっくり部屋の中を歩き始めた。
「何かあるはずだ。何か……アルドへ繋がる情報が」
声が少しずつ大きくなる。
「私がアルドよりも優秀だと、皆の前で示さねばならぬというのに……!」
その名を口にした途端、端正な顔が歪んだ。
「せっかく、あのクズが勝手に堕ちてくれたのだっ!」
勇者アルド。
世界最強。
人類の希望。
そして。
自分を貶めた男。
「この機を逃すわけにはいかない。他の者に奪われるわけにはいかんのだ」
拳を握る。
「あのクズだけは……!」
余裕のある笑顔は、もうどこにもなかった。
「あの時の屈辱!何倍にもして返してやるぞ……アルド!」
部屋に声が響いた。
誰も動かない。
聞いている者などいない。
全員、エルネストの演奏によって深い眠りへ落ちている。
少なくとも彼は、そう思っていた。
だが。
まあ……そうだろうな。
アルドは目を閉じたまま思った。
最初から全部聞いていた。
寝てなどいない。
狸寝入り、もとい豚寝入りである。
演奏を聴いた瞬間は少し危なかった。
そこで思い出した。
エルネスト・レイヴァン。
五年前、勇者パーティ選抜時に、候補へ上がった男。
そして、こいつの得意技。
催眠。
音を媒介にした精神干渉。
思い出した瞬間、アルドは即座に精神防御へ切り替えた。
ベルガ聖騎士剣――『アイアンハート』。
その意志は、鋼の如く。
無明朧流――『止水』。
その心、清き水面の如く。
エルヴィント魔剣術――『ヴァイチャクーム』。
その魂、侵されぬ聖域の如く。
三つの流派。
三つの精神統一。
それぞれ考え方、方法も違う。
アイアンハートは意志を強固に保ち、外部からの精神干渉を押し返す。
止水は感情を波立たせず、心を限りなく静かな状態へ置く。
ヴァイチャクームは、外から入り込む思念を遮断する。
それらを同時に展開した。
本来なら一つ使うだけでも、精神干渉への抵抗力は大きくはね上がる。
三つ重ねれば……突破できるはずがない。
本気を出したアルドに、催眠など効くものか。
まぁ万能ではない。
精神干渉だから防げただけ。
物理的な催眠ガスでも撒かれれば、普通に寝る。
直接、高位の睡眠魔法でも撃ち込まれれば、さすがに抵抗できる保証はない。
精神統一で毒が消えるわけでも、魔法そのものを無効化しているわけでもない。
だが今回は違う。
音を媒介にした、純粋な精神干渉。
相手が悪かった。
アルドは寝たふりを続けながら、エルネストの気配を追う。
もちろん、ここまで万全に対応できたのには理由がある。
アルドはエルネストの催眠を知っていた。
知識として知っていたのではない。
実際に受けたことがある。
勇者だった頃。
勇者パーティを選抜するため、候補者を集めた『あの日』。
アルドがエルネスト・レイヴァンを仲間にするかどうか。
見極めた日のことだった。




