第百八話「失望と、麗人と、あと演奏」
アルドは黙々と調理を続けていた。
鉄板の上で肉を返し、焼き上がったものからリアへ渡す。
リアはそれを広間へ運び、また空になった皿を持って戻ってくる。
少し前まで、処刑だ何だと散々な目に遭っていたとは思えないほど、はた目には穏やかな時間が流れていた。
「くった、くったにゃー」
ミャルは椅子の背にもたれ、満足そうに腹を撫でている。
「食った食ったって言いながら、まだ持ってるじゃねぇか」
ガストベルグが呆れたように言う。
その言葉通り、ミャルの手にはしっかり肉が握られていた。
「これはお持ち帰りにゃ」
「持って帰る気か!」
「もちろんにゃ!当然にゃ!」
「何で偉そうなんだよ!」
ヴェロニカが口元へ手を添えて笑った。
「この子、食べ物に関しては昔からこうなのよ」
「食える時に食う。余ったら持ち帰る。それが生きる知恵にゃ!」
「勝手に持ち帰っていいわけじゃないけどな」
「うぐっ」
その横では、メイトがまだ肉にかじりついている。
「うまいっす!これもう何枚でもいけるっす!」
小さな身体のどこに入っているのか分からない。
自分の顔ほどある肉へ食らいつき、必死になって噛み千切っている。
エルネストが、その様子を興味深そうに眺めた。
「それが、例の寄生竜ですか?」
セレスティアが僅かに姿勢を正す。
「ええ。そうです。このパラスワイバーンが、父ヴァルデマールに寄生していた個体です」
「テイムを受けているとはいえ、危険ではないのですか?」
エルネストの口調は穏やかだった。
メイトは自分の話をされていることなど気にも留めず、肉を食べ続けている。
「今のところ……危険を感じたことはありません」
「そうですか。では、現在も魔王軍と連絡を取っている、ということは?」
「それもないと思います。テイムされて以降、そのような様子は見られません」
「……そうですか」
ほんの僅か。
エルネストの表情が曇った。
残念そうな、期待が外れたような顔。
すぐにいつもの笑顔へ戻ったため、気づいた者はほとんどいなかっただろう。
だが、アルドはわかっていた。
調理場で肉を焼きながら、気配だけは朧流で掴んでいる。
何だ?
今、ガッカリしたよな?
メイトが魔王軍と繋がっていた方が都合がよかったのか?
エルネストの質問は、どれも自然に聞こえる。
だからこそ分からない。
何が探りたいのか。
「エルネスト殿」
今度はセレスティアが質問をした。
「それで……今夜は、どのようなご用件なのでしょうか?」
ようやく本題へ。
声こそ落ち着いているが、よく見れば指先が僅かに震えている。
無理もない。
数時間前まで存在すら知らなかった男と、いきなり婚姻しろと言われたのだ。
しかも拒否すれば、ファスタ王がまた何を言い出すか分からない。
「用件、と言われてしまうと……」
エルネストは少し困ったように笑った。
「実を申しますと、私も困惑しているのですよ」
「エルネスト殿も?」
「ええ。朝までは、結婚することになるなど、露ほどにも思っておりませんでしたから」
「それは……私も同じです」
「ですよね」
エルネストが小さく笑う。
「ですから、まずはお互いを知るところから始めるべきかと思いまして。私も、あなたがどのような方なのか分かりませんでしたから」
そこで一度、セレスティアを見つめる。
「正直に心情を吐露させていただければ、私も戦々恐々としていたのです」
「私に、ですか?」
「イグナード流の使い手と聞いておりましたので」
「あ……」
「しかも、あのヴァルデマール殿のご息女。どれほど恐ろしい女性なのか、と」
「そのような……」
「ですが、まさか、こんな麗人だったとは」
エルネストは柔らかく微笑んだ。
「そんなことはございません」
「いいえ。あなたは美しい」
「……」
「見た目だけではありません。先ほどから皆に細やかに気を配っている。仲間を守るため、王の前でも言葉を選びながら前へ出る。そして何より、ガルディアス砦を守り通した、その意志」
「私だけの力ではありません」
セレスティアはすぐに否定した。
「多くの者が命を落としました。私一人の功績のように言われても困ります」
「だからこそです」
エルネストは、迷いなく答えた。
「失った者を忘れず、自分だけの功績ではないと言える。その姿勢も含めて、私は素晴らしい方だと思います」
「……」
嘘ではないのだろう。
少なくとも、言葉そのものには不自然なところがない。
それでも、セレスティアの背筋には、冷たいものが走っていた。
声が綺麗すぎる。
小鳥の囀りのように耳へ入り、心地よく響く。
言葉の選び方にも隙がなく、何を言われても嫌な気分にならない。
だからこそ怖い。
突然決められた婚姻相手。
初対面の相手。
それなのにエルネストは、まるで昔から、こうなることを知っていたかのように堂々としている。
困惑も、焦りも見えない。
底が……知れない。
「セレスティア殿?」
「あ……いえ、何でもありません」
セレスティアが微笑む。
エルネストも微笑み返した。
二人とも笑っている。
なのに、なぜか空気が冷たかった。
その間にも食事は進み、やがて皿の上の料理もほとんどなくなった。
「旨かったにゃ!」
ミャルが満足そうに、手でこしこしと顔を洗っている。
「いやあ、本当に旨かった」
ガストベルグも満足げに頷いた。
「久しぶりに、食事を楽しんだ気がするわ」
ヴェロニカも機嫌がいい。
「このような食事をご馳走になってしまって、何か、お返しをしたいところですね」
「そんな、お気遣いなく」
「では……一曲、演奏を披露させていただくというのはいかがでしょう」
「演奏?」
エルネストがライアーへ手をかける。
「まあ!それは素敵ね!」
ヴェロニカの表情が明るくなった。
「おお、リーダーの演奏が聴けるのか!それは最高だ!」
ガストベルグもすぐに賛同する。
二人とも、妙に嬉しそうだった。
「リーダーの演奏は凄いぞ」
ガストベルグが自慢げに言う。
「俺も長いこと冒険者をしているが、エルネスト以上のバードは知らん」
「ガストベルグ。それは大袈裟というものですよ」
「大袈裟ではないわ。王宮の楽師だって、あなたには敵わないもの」
ヴェロニカも続ける。
その瞳は、すでに少しうっとりしていた。
「そこまで凄いの?」
リアが調理場から顔を出す。
「一度聴けば分かるわ」
「それはともかく、ぜひ皆さんにも聴いていただければ幸いです」
エルネストがアルドたちを見る。
「音楽だって。トンソクも聴いてみようよっ」
別に興味はない。
だが、ここで一人だけ調理場へ引っ込んでいる方が不自然だ。
それに、エルネストが何をするのか、近くで見ておいた方がいい。
アルドは、リアと一緒に広間へ戻った。
全員がソファへ腰を下ろす。
セレスティア。
ジェイル。
グレゴール。
リア。
アルド。
メイト。
その向かいには『銀詩の旅団』。
エルネストは椅子へ座り、ライアーを膝に置いた。
「では」
指が弦に触れる。
ポロン。
たった一音。
それだけで、部屋の空気が変わった。
綺麗だ。
素直にそう思った。
続いて二音、三音。
旋律が流れ始める。
派手ではない。
速くもない。
ただ、とても柔らかい。
水が流れるように。
草原を風が撫でていくように。
一音一音が自然に繋がり、耳から頭の奥へ入り込んでくる。
「……きれいな音」
リアが小さく呟いた。
普段なら、長い時間じっと座っていることすら苦手なリアが、動かない。
セレスティアも同じだった。
最初こそエルネストへの警戒心を捨ててはいなかった。
しかし。
演奏を聴いているうちに、その表情が少しずつ柔らかくなっていく。
こんな音を奏でる人が、悪い人なのだろうか。
少なくとも、この音だけは嘘には聞こえない。
婚姻を決めたのはファスタ王だ。
エルネスト自身も、巻き込まれただけなのかもしれない。
そう考えてみれば、先ほどの言葉も純粋な好意だったような気がしてくる。
「…………」
ジェイルも黙っていた。
普段なら音楽など気にもしない男だ。
酒場で吟遊詩人が演奏していても、飯を食って酒を飲み、ほとんど聞いていない。
そのジェイルさえ、今は聞き惚れている。
リアも。
グレゴールも。
メイトですら、いつの間にか羽ばたくのをやめ、ソファの背にちょこんと座っていた。
音が続く。
心地いい。
妙に、心地いい。
腹も満たされた。
長旅の疲れもある。
柔らかいソファ。
暖かな部屋。
そこへ、この音。
眠くなるのも仕方がない。
セレスティアの瞼が少しずつ重くなる。
隣ではリアも、こくり、こくりと頭を揺らしていた。
ジェイルも。
それどころか、『銀詩の旅団』メンバーでさえ。
ガストベルグも。
ヴェロニカも。
ミャルも。
皆、少しずつ目を閉じていく。
……ん?
アルドの記憶の隅で何かが引っかかった。
おかしい。
そう思った。
だが。
その疑問すら、美しい旋律の中へ溶けていく。
ポロン。
最後に、小さな音が響いた。
そして。
全員の瞼が、静かに落ちた。




