第百四話「謁見と、狂王と、あと見覚え」
「陛下がお見えになります」
ついに、その時が来た。
執務官の声が響く。
セレスティアがすぐさま姿勢を正した。
ジェイルも続く。
リアも慌てて二人を真似た。
そして。
一同は、ファスタ王を迎えるため、その場に膝をつき、こうべを垂れる。
リアも一応、それなりには様になっている。
ここへ来るまでの間、グレゴールから散々教え込まれていたようだ。
許可があるまで顔を上げない。
勝手に喋らない。
王へ直接話しかけてはならない。
細かい作法はいくつもある。
リアは途中から半分ほど聞いていなかったが、形だけは覚えた。
問題はアルドである。
当然、突っ立ったままだった。
頭を下げない。
膝もつかない。
そもそもオークに宮廷礼法があったら、逆におかしい。
人間の王を前にして、完璧な臣下の礼を取るオーク。
そんなものを見せれば、一発で怪しまれる。
今のアルドは、ただのテイムモンスター。
ちょっと賢いオーク。
そうでなければならない。
怪しまれないためにも、ここは堂々とオークのふりをする。
実際、見た目は完全にオークなので楽なものだ。
ツカ。ツカ。ツカ。
石床を踏む足音が聞こえてきた。
一人ではない。
かなりの人数。
十人?いや、それ以上。
その集団を見たアルドの表情が変わった。
目つきが鋭くなる。
歩幅も靴音もばらばら。
だが、気配だけは異常に濃い。
ジェイルも何か感づいたようだ。
ほんの僅かに肩へ力が入った。
ファスタ王が玉座へ腰を下ろす音がした。
少し間を置き、側近の男が声を上げる。
「一同、面を上げよ」
セレスティアが顔を上げる。
続いてジェイル。
リア。
グレゴール。
アルドは最初から上げっぱなし。
そして、目に入った光景に、一同が固まった。
異様、としか言えなかった。
まず、王の脇に控える側近。
執務官と思われる男が一人。
そこまでは普通。
問題は、その後ろ。
ファスタ王の背後に、人間がずらりと並んでいた。
一、二、三……。
アルドが数える。
全部で十一人。
装備は統一されていない。
鎧。
ローブ。
革。
剣。
槍。
杖。
弓。
どう見ても正規兵ではない。
おそらく冒険者だ。
だが、ただの冒険者ではない。
立ち姿、それだけで分かる。
強い。
全員あり得ないほどに。
ジェイルが息を呑んだ。
ジェイルほどの強者なら、見ただけ大体の力量は読める。
そして……。
読めてしまった。
一人一人が規格外。
その中でも一人、ずば抜けている男がいた。
ファスタ王のすぐ右後ろ。
細身の男。
二十代後半から三十前後だろうか。
すらりとした体格。
柔らかな栗色の髪。
整った顔立ち。
一見すれば、戦士というより貴族の青年にも見える。
腰には細身の長剣。
そして、背中にはライアー。
筋骨隆々というわけでもない。
威圧してくる様子もない。
むしろ穏やか。優男。
そう表現した方が似合う。
だが、ジェイルの額から、滝のように汗が流れた。
勝てる、勝てない、そんな次元ではない。
自分なら何秒持つ?
十秒。
いや、そこまで持つか?
万全の状態のヴァルデマール。
あの怪物じみた剣豪と同格、あるいは、それ以上。
男は静かに微笑んでいる。
ジェイルと目が合った。
男が、ほんの少しだけ、視線であいさつした。
ぞくり。
ジェイルの背筋に冷たいものが走った。
間違いなく、この男は化け物だ。
しかし、セレスティアが言葉を失った理由は、彼らではなかった。
冒険者たちなど、最初から目に入っていなかった。
彼女が見ていたのは玉座に座る男、ファスタ王だった。
「……陛下……?」
思わず声になりかけた。
以前とはあまりにも違う。
セレスティアも、ファスタ王とは何度か面識がある。
その時の王は、大柄で、背筋が伸び、低く通る声を持つ男だった。
ヴァルデマールとは性格こそ違えど、どこか似たものを感じさせる武人。
王冠よりも剣の方が似合う。
そんな人物だったはずだ。
それが痩せていた。
頬は落ち、目元は深く窪んでいる。
背も僅かに曲がっている。
髪には白いものが混じり、実年齢よりも老けて見える。
何より目。
落ち窪んでいるにもかかわらず、ぎらぎらと光っている。
視線が落ち着かない。
人を疑うように見ている。
まるで、どこから現れるか分からない敵に怯えているように見えた。
アルドは王を見た。
そして率直に思った。
狂人だな。
以前のファスタ王は、もっと違ったはずだ。
アルドは記憶を手繰る。
偉そうで。
頑固で。
口うるさくて。
武人気質。
確か、そんな男だった。
少なくとも、今のように、背を丸めて玉座へ沈み込み、周囲すべてを疑うような老人ではなかった。
一体、半年で何があった?
「どうした!」
鋭い声が飛んだ。
王の隣に立つ執務官だった。
「王の御前であるぞ!」
「――っ!」
セレスティアが我に返った。
「し、失礼いたしました!」
深く頭を下げる。
そして改めて名乗った。
「ガルディアス軍大隊長、セレスティア・ヴァレンシュタインにございます!」
王は頬杖をついていた。
興味なさそうに。
面倒くさげだ。
「それで?」
一言。
それだけだった。
セレスティアの表情が僅かに強張る。
だが。
すぐに騎士の顔へ戻る。
「ガルディアス城奪還のご報告、ならびに城主ヴァルデマール・ヴァレンシュタインより、陛下への書状を預かっております」
セレスティアは書状を両手で差し出した。
執務官が受け取る。
封を確認し、ファスタ王の元へ運ぶ。
王は、それを受け取った。
蝋封。
ヴァレンシュタイン家の印章を一瞥する。
本人からの書状で間違いないと判断したのだろう。
ぞんざいに封を切り、紙を開く。
読む。
ヴァルデマールから、何が書かれているのか。
ガルディアス城の真相。
寄生竜。
魔王軍。
セレスティアには、そのすべてが書かれていると聞かされている。
ファスタ王の目が、文字を追う。
一枚。
二枚。
……最後まで読んだ。
王は無言だった。
セレスティアは返事を待つ。
ぽいっ。
ファスタ王は、手紙を横へ放り投げた。
「……え?」
セレスティアの口から声が漏れた。
ヴァルデマールの書状。
ガルディアスが半年間耐え抜いた記録。
命がけで城を奪還した報告。
それを床へ。
まるで、ゴミのように。
セレスティアは呆気に取られていた。
王は気にしていない。
視線はすでに別のものへ移っていた。
メイト。
ぱたぱた。
小さな翼を動かし、アルドの近くを飛んでいる。
王の目が細くなる。
「そのドラゴン」
低い声。
「そやつが魔王軍の尖兵か?」
空気が変わった。
「その通りでございます」
セレスティアは、すぐに答える。
「このパラスワイバーンが父ヴァルデマールへ寄生し、その肉体を傀儡として操っていたものでございます」
王は、じっとメイトを見た。
メイトは人間の言葉を理解している。
当然、話の意味も分かっている。
そしてファスタ王は言った。
「殺せ」
一同が固まった。
「……え?」
リアが目を丸くする。
「陛下!お待ちください!」
グレゴールが慌てて前へ出る。
「何だ」
「この魔物は確かに敵としてガルディアスへ侵入した個体。しかし現在はテイムを受けております!」
グレゴールは続ける。
「魔王軍内部の情報を有している可能性が高いのです。実際、勇者パーティの一員から直接指示を受けていたとの証言も――」
言葉が止まった。
グレゴールの口が……。
ゆっくり閉じた。
ファスタ王が、こちらを見ていた。
いや。
睨んでいた。
限界まで目を見開いて。
「……勇者?」
低い声。
グレゴールの顔から血の気が引く。
「陛下……」
「あの裏切り者のことか?」
「あ、いえ、私は――」
「ん?」
王が身を乗り出す。
「お前は今」
一語ずつ。
噛み潰すように。
「勇者、と言ったのか?」
「……っ」
「誰をだ」
グレゴールが平伏した。
「も、申し訳ございません!」
「誰を勇者と呼んだ!」
「陛下!どうか、お許しを!」
「アルドか?」
その名を出した瞬間、ファスタ王の身体が震え始めた。
ぶるぶるぶる。
怒りなのか。
恐怖なのか。
「あのクズを……あの裏切り者を……勇者と……のたまうか……」
指が玉座の肘掛けに食い込む。
「余の国を売った……」
ぶつぶつ。
「余を……」
ぶつぶつ。
「魔王に……」
目がぎらつく。
「許さん……」
その場にいる誰も動けなかった。
セレスティアも。
グレゴールも。
ジェイルも。
王の変わりように、ただただ圧倒されている。
どうやら、ファスタ王の前では『アルド』、その名そのものが禁句らしい。
理不尽すぎるだろ。
俺、何もしてねぇ。
やったのはカナだっつーの。
俺は体を勝手に使われた被害者。
ドゥーユーノウ?
「殺せ」
王が再び呟いた。
「陛下?」
セレスティアが顔を上げる。
「殺せ!」
王が立ち上がった。
「こやつらを全員処刑せよ!」
指が震える。
「なっ……!陛下!?」
グレゴールが顔を上げる。
無茶苦茶だ。
ガルディアス城を奪還した報告に来た。
ヴァルデマールの正式な書状もある。
魔王軍の情報も持ってきた。
それが。
いきなり全員処刑。
リアが青ざめる。
「え?え?なんで?」
ジェイルは静かに立ち上がろうとしていた。
重心が低い。
いつでも剣を抜ける姿勢。
セレスティアは茫然としている。
「陛下……私たちは……」
「余に近づけるな!」
ファスタ王が叫ぶ。
その時一人の男が動いた。
王の右後ろに控えていた、あの優男。
十一人の中で、明らかに別格だった男。
静かな足取りで、ファスタ王の隣へ進む。
「ファスタ王、ご安心ください」
穏やかな声だった。
妙に耳へ残る声。
「逆賊アルドの一味を、王に近づけなどいたしません」
男は柔らかく微笑んだ。
「このエルネスト・レイヴァンが、必ず、陛下をお守りいたします」
笑みは崩れない。
王の表情が変わった。
あれほど怯え、怒り、感情に任せていた男の顔に、安堵が浮かんだ。
ファスタ王はエルネストを見る。
「おお……エルネスト……」
「はい」
「そちだけだ……余が信用できるのは……そちだけだ……」
エルネストは深く頭を下げる。
「光栄にございます」
あまりにも異様だった。
狂った王は。
たった一人だけ。
エルネスト・レイヴァンだけを信用している。
メイトはアルドの上を飛んでいた。
「アニキ……」
「何だ」
「俺っち、殺されるみたいなんすけど」
「みたいだな」
「そんな!ひどいっす!」
知るか。
元々お前がやったことだろうが。
自業自得って言葉をしってるか?
「アニキぃ!」
うるさい。
今、考えごとをしてる。
アルドは首を傾げた。
エルネスト。
エルネスト・レイヴァン。
どこかで見たことがあるような、ないような。
アルドは男の顔を見る。
何か引っかかるんだけど、こいつ。




