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ただ必死だった


 恐怖を感じるほどの突風。

 半壊した社殿は吹き飛び、村人たちが転がっていくのが見え、さらには蠢ていた触手までもが、風を受けてよろめいていた。

 アヤノはその光景を、何故かものすごく高い位置から見下ろしている。

 かなりの高さで、離れた位置にある集落の民家も見えた。そちらも突風の影響を受けて、所々が崩れているように見える。

 不思議な感覚だった。一瞬前までは地面に這いつくばっていたはずが、今では大きな触手達よりも高い位置にいる。

 アヤノは、あの突風で自分の身体が高く舞い上げられたのだと理解した。

 すぐに地面が近づいてきて、とてつもない衝撃を受けるのだろう。

 どんでもなく痛そうだが、両足を失い、沢山の血を流している自分など、もうどうなってもよかった。

 いずれ死んでしまうアヤノにとって、唯一気がかりなのが、スミレのこと。

 あの突風でスミレは触手から飛ばされて、社殿の端に落ちていた。

 あまり高さはなかったと思う。

 それでも、気絶していたようで、受け身も取れないまま落ちていたスミレが心配だった。

 どうか生きていて、出来ればなんとか生き残って欲しい。

 アヤノはそう願って、来るべき衝撃に備えて目を閉じた。


 が、いつまで経っても衝撃は来なかった。

 不思議に思って目を開けたアヤノは、自分がまだ先ほどと変わらず上空にいることに気が付いた。

 どうして落下しないのか、素朴な疑問の答えはすぐに見つかる。

 下を見ようと自分を足元を見たアヤノは、様々なことがあった今日の中で一番の衝撃を受けた。

 なくなったはずの自分の足から、太くて、長い、いくつもの触手が生えていた。

 地面からこの高さまで、そびえ立つようにして、触手がアヤノの身体を支えている。

 何時の事だったか、テレビでダイオウイカという、恐ろしく大きなイカを見たことがある。テレビに出たのはまだ小型らしかったが、あれが比べ物にならないような触手が自分の千切れた足から伸びている。

 その大きさや形状は、顔こそついていないものの、海からやって来た神様にそっくりだった。

 とても理解が追い付かない。

 何故自分の身体がこんな事になっているのか。

 それともこれは自分の見ている幻覚で、すでに自分は狂ってしまったのか。

 アヤノの思考が空回りする。

 いくら考えたところで答えは分からなかった。

 それならと、アヤノは一番重要なことだけに集中する。

 スミレが無事なのかどうかということだけに。

 アヤノは、自分にとって大切な事はそれだけだと、そう思い込んで気持ちを落ち着ける。

 分からないことだらけの現状でも、それだけがアヤノの道しるべになってくれた。

 まずはスミレに近づこうと、足を動かす感覚で触手を動かしてみる。

 その瞬間、細胞の一つ一つを把握したような、とてつもない情報が衝撃となって脳を襲った。

 理解してはいけないほどの情報量が頭に流れ込んでくる。

 その情報は、すぐに頭が割れそうなほどの激痛に変わり、アヤノを襲う。

 気が狂いそうな痛みに、それでもアヤノは歩みを止めない。

 触手は動いた。動かせたのだ。

 触手を滑らせるように動かして、瞬時にスミレに近寄る。

 一挙手一投足が、凄まじい情報量になり、痛みとしてアヤノを襲う。それでも、脳の何かが焼き切れてしまいそうな痛みに耐え、アヤノはスミレを抱き上げた。

 目立った怪我はない。

 どこかにぶつけたのか額に小さなコブが出来ている。気を失っているスミレは目を閉じたままぐったりとしていた。

 いつ気絶したのかが問題だった。

 社殿が破壊される前。悲鳴が聞こえた段階で気絶していたならまだいいが、もし、その時はまだ意識があって、神様を見てしまっていたのだとしたら……。


「スミレは見ていない」


 アヤノが考えても仕方がない事に思考を巡らせていると、聞き覚えのある声と、薄ら笑いが聞こえた。


「……おじさん。生きてたんだ」

「あぁ、なんとかね。まぁこれでは半分死んでいるようなものだ」


 そう言って笑う店主は、自分の腹に鎌を突き立てていた。

 おそらくは正気を保つための苦肉の策だったのだろう。しかし、傷口からは血が溢れ、普通なら致命傷になるその傷でも、正気を取り戻すには不十分だったのかもしれない。

 店主は目や口からも血を流し、身体を小刻みに震わせながら笑っている。

 まるで笑いたくもないのに笑っていて、必死に止めたがっているように見えた。


「スミレは、先に殴って気絶させた」

「丁重に扱うように約束したはず」

「頭にコブでもあるかもしれんが、こうなるよりはマシだろう?」


 口から血が吹きこぼれた。店主はそれでも笑うのをやめられない。


「しかしなんだ、蓮実君は頭だけじゃなくて、身体もおかしいんじゃないか」

「自分でも驚いてる」

「そんななりで蓮実君が生きてるのか死んでるのかも分らんが、それでもまだスミレは大切かい?」

「当たり前でしょ。死んだところでそれは変わらない」

「そうか、なら、これからもスミレを守ってあげてくれ」

「なにそれ。おじさんに言われるまでもなくそうするけど、スミレちゃんは私が守る」

「ふむ、さすが蓮実君。やるじゃない」


 アヤノがスミレを守ると言ったその瞬間だけは、店主の笑みが少し違うものに変わったように見えた。

 そんな状態も長く持たないのか、すぐに店主はまた苦しみながら笑い出す。


「あぁ、腹が痛いな」

「別に助けないよ」

「いいさ、ただ、妻が気になる。民家は無事だろうか」

「民家は……」


 アヤノがどう答えるか迷ったその瞬間、大きな音とともに、目の前で話しをしていた店主が消えた。

 店主のいた場所には神様がいて、店主は押しつぶされたようだった。

 床に押し付けられた触手の下から、ぐちゅぐちゅと、咀嚼するような音が聞こえてくる。

 アヤノは、特にどうしようとも思わなかった。

 突風で一時的に場が収まったとはいえ、すでに神様は動き出し、餌を探しているようで、辺りは阿鼻叫喚の地獄に戻っていた。

 逃げようとする村人は、真っ先に捕まり、動けないでいる者も、ただ順番を待っているだけだ。

 さらには、集落の方からも悲鳴があがる。

 どうやら壊れた箇所から神様が侵入しているようだった。

 目の前の光景を見ていると、とても生贄一人で収まるようには見えない。

 村人たちはそれを知っていた。だからこそ、身を隠して静かにしていようとしたのだろう。

 だが、こうなってしまってはもう遅い。すべての建物が壊れた今、もうこの集落に隠れるところはない。全滅することになるのは目に見えていた。

 アヤノは、この状況を、好都合だと考えることにした。

 普通なら、できるだけ多く、一人でも多く助けるべきなのだろう。

 しかし、助けた村人はスミレを放っておくだろうか、この先、スミレが平穏に生きていくためには、ここの村人たちはいない方がいいのではないか。

 さらに、今アヤノの腕の中には、気絶したスミレがいる。

 目が覚めた時、スミレにこの光景を見せるわけにはいかなかった。

 そこまで考えたアヤノに向かって、店主を食べきった神様が、恐ろしいスピードで突っ込んできた。

 アヤノは咄嗟に自分の触手を動かす。

 感じるのは異常なほどの頭痛。

 叫び声をあげてその痛みを誤魔化す。

 突っ込んできた神様を触手で思い切り殴りつけた。

 加減なんてものは分からない。

 ただがむしゃらに触手を叩きつける。

 神様の吸盤のようについている顔が、プチプチっと沢山潰れる感触が触手を通して伝わってきた。。

 触手は感度が良いらしく、顔を何個潰したかまで詳細にアヤノには感じ取れた。

 殴られた神様は衝撃で飛んでいき、大きな音を立てて地面に落ちると、そのまま動かなくなった。

 一瞬、場に静寂が訪れる。

 蠢いていた神様達は、アヤノの周りに近寄ってこない。

 それがアヤノには、相手がビビっているように見えた。

 チャンスだと思った。

 アヤノは触手を使って、力いっぱい地面を蹴る。

 すると、身体が浮き上がり、その勢いのまま空を飛ぶようにして集落を離れた。

 様子を伺っていた他の神様も、海から上がって来た人影たちも、誰もアヤノを邪魔しようとはしなかった。

 アヤノが空を飛ぶ。

 集落は遠くなり、辺りに響いていた悲鳴も聞こえなくなる。

 惨劇が起こっている集落から、少し離れるだけで静寂な空間が広がっていた。

 まるで何も起こっていないかのように、集落での出来事はさして重要ではないかのように、広い世界は回っている。

 しばらく飛んでいたアヤノには、いつも通りとでもいうように、水平線の向こうから昇って来る朝日が見えた。

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