誰かの声が聞こえた
村人から逃げるため、社殿の裏に回り込んだアヤノ。
視線を切ることに成功したが、左腕が折れていて、激痛が走り、満足に走ることが出来ない。
すぐに追いついてくるであろう村人から、どうすれば逃げ切ることが出来るか、痛みでまともに回らない思考を無理やり稼働させる。
神社の敷地は柵で区切られていて、外側は背の低い草が生えている荒地だった。
身を隠すことは出来なそうだし、荒地を走り切って森に隠れるまでに、捕まってしまう可能性の方が高そうだ。
敷地内には、小さな物置小屋のようなものが建っている。
一見隠れやすそうだが、この状況ではまず真っ先に調べられるだろう。
扉に鍵がかかっていなければ、中に入って立てこもることは出来るだろうが、袋のネズミ確定。
他の選択肢は?
他には何もなかった。
迷っている暇はない。
瞬時に森まで逃げ切ることにかけて、走り出そうとしたアヤノの耳に、聞こえるはずのないものが聞こえた。
『社殿の下』
社殿の下。
はっきりと、そう聞こえた。
つられて見ると、足元にそれはあった。
珍しく基礎がコンクリートで作られている社殿。
その一部に床下換気口の穴がある。普通は鉄格子や、カバーがしてあるはずのそこには、何も取り付けられていなかった。
アヤノは咄嗟にかがんで、小さな長方形のその穴に身体を突っ込む。
自分の身体が小さいからこそ、入れる方に賭けた。
顔を通しながら、予想以上の狭さに不安を感じるが、心配が杞憂だというくらい、身体はすんなりと換気口を通過した。
床下に入り込むと、すぐに古くなったカバーが内側に落ちているのを発見し、静かに立てかけて通気口に設置する。
幸い、少し斜めになりながらも、カバーは倒れることなく立てかけることが出来た。
すぐに足音が聞こえてくる。
外から見えないように、奥の方に身を潜めてじっと息を殺す。
「はぁはぁ、どこさ行っだ⁉」
追ってきた村人はアヤノの姿が消えたことに驚いたような声あげた。
まぁ、腕が折れて上手く走れない小柄な少女が急に消えたのだから当然かもしれない。
少しウロウロとしている足が、換気口から見えていたと思うと、すぐにガタガタと音がしてくる。
どうやら物置のような所を探そうとしている様子。
この音からすると、鍵はかかっていて、あそこに隠れることは不可能だったようだ。
そのままアヤノが身を潜めていると、何人か追加の追手がやってきた。
「どうした? 何をしている?」
一人は店主だった。
もう目は回復したのか、換気口から見える足取りは、しっかりとしたものだった。
「何⁉ 見失った⁉ あんな状態の少女をか? 片腕が折れてる怪我人だぞ?」
「おめまなぐどごさついてらんだ」
「しがたねぇ」
「まぁいい。だが、おかしいな、ここから森まで、あの状態の少女がそんなに早く走れるものかな。それとも民家の方に行ったか、あるいは……」
立ち止まったままの足が、こちらに向きを変えたのが見えた。
じっと、伺うような視線を感じる。
アヤノがもう少し奥にみをかがめようとすると、痛いはずの折れた左腕に痒みが走った。
痒みの元を見ると、腕に茶色い羽根を持った親指大のゴキブリが這いまわっていた。
外にある足が一歩を踏み出した。
声がもれそうになって、口を右手で塞ぐ。
外からはこちらに近づいてくる二つの足音がしている。
さらにもう一匹のゴキブリが現れた。そいつは、傷口からにじみ出る血にたかり、口をつけて飲んでいるようだった。
自分の身体から、直接血を飲んでいるゴキブリというショッキングな光景に、流石に我慢できなくなり、右手で追い払おうとすると、今度は背中から何かが這ってきた。
うねうねを動いている触覚を便りにして、身体の側面に隙間なく生えている沢山の足を絶え間なく動かし、その長い身体を前進させているのは、大きな百足だった。
アヤノの肩から腕の先までありそうな長さの百足は、傷口の血を吸うことに夢中になっていたゴキブリに向かって、何本もある脚を素早く動かす。
村人の足が換気口のすぐ近くに来た時、一瞬で移動した百足はゴキブリにかみつき、いくつもある足で押さえ込んだ。
驚いたもう一匹のゴキブリがそそくさと換気口から外に逃げていく。
「うわぁ、ゴキブリだ。 ま、入れるわけないか」
そうつぶやく声が聞こえたあと、足音は少しずつ遠ざかっていった。
ただ、油断は出来ない。
アヤノは足音が消えてからも、しばらくは床下で自分の動かない腕の上で食事をする百足を見ながら過ごした。
そうして、ゴキブリが少しずつかじられて小さくなっていく様を眺めているうちに、雨の音が止んでいた。
アヤノはゆっくりと身体を傾けて、百足を地面に降ろし、換気口のカバーを外して外に出た。
先ほどまで空を覆っていた雲は、すでにどこかに行ってしまたようで、暗くなった空が広がっている。
都会では見ることのできない星空に、けれどもアヤノは見惚れていることなんてできない。
何か折れた腕を固定できるものがないか当たりを見渡していると、ポケットの中で何かが振動した。
右手で振動するスマホを取り出す。
着信だった。画面には、加村と表示されている。
昨日、押し切られるような形で交換していた連絡先だったが、こんな形で役に立つとは、アヤノも思ってもいなかった。
どうやら向こうも逃げ切れたことに安堵して、通話のボタンを押す。
「やぁ、蓮実君。こんばんは」
聞こえてきた声に、思わず眉間に皺がよるのがわかった。
「おじさん。それ加村君のスマホじゃないの?」
「そうだよ。今借りてるんだ。一応聞くけど、警察に連絡はしたかい?」
「……してない」
「ふむ、信じようか。あ、これからもしちゃいけないよ。加村君が死んでしまうからね」
アヤノの口からため息が漏れる。
加村は結局捕まったらしい。
警察というワードも、言われるまでまったく思い浮かばなかった。
ただ、実際に何かなければ動いてくれないのが、警察だ。村人に襲われてからのタイミングで、電話をするタイミングはなかった。そして、今はもう先手を取られてしまい、その手は封じられた。
「加村君はどうでもいいって言ったら?」
「へぇ、蓮実君は案外度胸があるみたいだねぇ。じゃあこうしようか」
店主の声が途切れてすぐ、けたたましい叫び声が聞こえてきて、耳に当てていたスマホを引き離す。
もはや泣き叫びすぎて、聞き取れないその悲鳴は、加村の声ということだけは伝わってきた。
「もしもし、もしもーし、蓮実君?」
「聞こえてます」
「あぁ、こういうこと、警察に電話したら、加村君が死ぬより酷い目にあって、それから死ぬ。蓮実君のせいでね。だから警察に電話はダメだ。わかったかい?」
「……なんでこんな事するんですか?」
「さっきも言った通りだ。この村の神様にお供えする生贄が必要でね。村人からは出せない。そこに天からの贈り物、キミたちがやって来たんだ。ここに来ることは誰にも言っていないんだろう? まさに天からの恵みだよ」
「本気でそんなこと言ってるんですか? ここは頭がおかしいカルト宗教の団体ですか? 神様なんているわけ」
「いる」
アヤノの言葉を遮って聞こえてきた声は、それまでのどことなく飄々とした話し方とは違い、真剣そのものだった。いや、声が少し震えている。まるで怖がっている本心を無理やり隠す子供のような話し方だった。
「神様はいるんだ。私たち人間なんかが知るべきではない、絶対的な存在として、神は存在している。けっして怒らせてはいけないよ。穏やかに過ごしてもらうんだ。それが私たちが生きていくために必要な唯一の方法。生贄は大切な役目なんだ」
「それで、生贄を捧げれば、神様は何かしてくれるんですか?」
「何も、ただ我々が存在することを許される。それだけだが、一番大切なことだろう?」
「そうですね。どうでもいいです」
「そうかい? 蓮実君も興味あると思うけどなぁ。この村ではね、十年ごとに生贄を捧げてきた。生贄は巫女として神様を招き入れる重要な役目でね。今年の巫女はスミレなんだよね」
その言葉を聞いただけで、アヤノは全身の血液が沸騰しそうなほどの怒りがこみ上げてくるのを感じた。
「スミレちゃんは、どこにいる?」
「はは、怖いなぁ。そんな声が出るのかい? 教えてあげたいけど無理だ。それよりそっちがどこにいるか教えてくれ、迎えに行くから」
「言うわけない」
「これでもかい?」
店主がそういうと、すぐに別の人間の声が聞こえてきた。泣きじゃくり、嗚咽混じりのその声は、加村だった。




