風向きが変わりました②
雨の音に混じって、何人もの足音がした。
「こらこら、喧嘩はよくないぞ。ましてや男が女の子を殴るなんて最低の行為だ。これだから最近の若者は」
聞き覚えのある声だった。
先ほど聞いたばかりの声、特に、口調も、抑揚も変わらない。
振り返ると、傘をさした坊主頭の巨漢が、変わらぬ朗らかな笑みを浮かべて立っていた。
その肩には、猟友会の人たちが持っている猟銃のような物をかけている。
アヤノは、テレビでクマが出たニュースが流れた時にしか見たことはなかったが、その形状から、それが銃であることは間違いは無さそうだった。
さらに周りには、こちらを囲むように数人の人影が見える。
おそらくは、どこにも見当たらなかった村人たちだろう。
それぞれの手には、鎌や鍬、電動のノコギリまで、この場に持ってくるには物騒な物が握られている。
酷い光景だった。
外界から閉ざされた限界集落、気の狂った村人に襲われる。それはまるでホラーゲームの世界のようで、酷く現実味がない。
それでも、普段なら絶対に曲がらない方向に曲がったまま、ピクリとも動かせない左腕から伝わってくる焼けるような痛みが、この光景が現実であるということをアヤノに教えてくれていた。
少し息をするだけで、折れた腕が揺れて、えぐられたような感覚になる。
痛くて叫びたいのに、そんなことをすればどうなるかを考えると、口をキツく閉じることしかできない。
泣いているような気もするけれど、雨に打たれて、どれが涙かなんて、分かりっこなかった。
アヤノの後ろで、先ほどから続く、あまりの展開に、限界を迎えたのか、加村はただただ呆然とした様子で口を開いた。
「あ、おじさん、どうして? この人たちは?」
「なに、加村君が神社で暴れているというのでね、キミは若いだろう? 私のようなおじさんでは太刀打ちできないからね、応援を呼んだんだよ」
「来るの、早すぎませんか?」
「まぁ本当は逃げられないように後をつけていたんだ。蓮実君は勘がよさそうだったからね。二人とも大事な生贄候補だ。どちらかをダメにされても困るんだよ」
「い、生贄ってなんだよ。何言ってんだよアンタ!」
「あれ、最近の若者は、生贄なんて言葉知らんか? 言ったろ、今日は祭りがあるんだ。この村ではね、神様にお礼を込めて、人間をプレゼントするんだよ」
「ふざけんなぁあ! 頭おかしいんじゃねぇのか!」
加村が叫ぶ、その瞬間には鋭利な刃物が周りから突きつけられていた。
村人たちの動きに躊躇はなく、動けば怪我ではすまないことは見ているだけで理解できた。
「ぁぁ、た、助け」
「あはは、情けないぞ、女の子の前なんだ、男ならもっと堂々としていないか。さぁ蓮実君立てるかい? もう大丈夫だよ」
「……」
「ん? あぁ腕が折れてるじゃないか、これはひどい。肩をかそう、右腕で捕まって」
「……」
かがみ込んで顔を近づけてくる店主。アヤノは右腕だけで必死に捕まり、寄りかかるような形でなんとか立ち上がることに成功した。
「よく頑張ったね。歩けるかい?」
立ち上がれたアヤノに、店主がまじかで微笑みかけてくる。
その笑顔に、その目に向かって、アヤノは、口の中に溜めていた血を思いっきり吹きかけた。
「ぐぁああああ!!」
響き渡る大声に、加村を囲んでいた村人たちが、一瞬身を固くする。
その隙を見逃さない。
アヤノは後ろから村人の一人に体当たりをする。
バランスを崩した村人が倒れ、隣にいた村人の腕に持っていた鎌が刺さる。
鎌が刺さった方の村人も、悲鳴を上げて、倒れ込み、その際に持っていた鍬が、手を離れて飛んで行った。
流石に鍬は誰にもあたらなかったが、包囲を崩すのには充分だった。
「走って!」
「ッ! 分かった!」
呆けている加村を叱咤して、走り出す。
「逃がすな! 追え!」
まだ目を開けられないだろう店主が声を張り上げる。
振り向くと、すぐに体勢を立て直せた村人が三人、駆け出すところだった。
まだこちらとの距離は少しある。
けれど、アヤノは上手く走れなかった。
片腕を振れないことが、こんなにも影響するのかというくらい、走りづらい。
ただでさえ激痛の走る左腕を、なるべく揺らさないように抱えると、どうしてもいびつな走り方になってしまい、まったくスピードが出ない。
少し前を走る加村が肩越しに振り向いてくる。
アヤノの状況を気にして、加村も全力を出せないでいた。
このままでは捕まる。
瞬間的に悟ったアヤノは、右腕で森を指さす。
「森に入って!」
遮蔽物の多い森なら、視線を切れば見失ってくれる可能性も上がる。
加村は頷いて森にむかって曲がって行った。
後ろでそれを見て、アヤノはそれでも真っすぐに進む。
「蓮実さん⁉」
「いいから走って!」
「でもっ!」
「早く!」
これ以上は何も言わないと視線をそらして走る。
立ち止まりそうだった加村も森に入っていくのが、視界の端に見えた。
村人は少し逡巡して、追いづらい加村よりも、アヤノに三人ついてきた。
狙い通りだった。
これならなんとか加村だけでも逃がせるかもしれない。
「別れて追え! どちらも逃がせない、捕らえるんだ!」
店主の声が響く、目が見えないながらも冷静に支持を飛ばしてくるのは厄介だった。
アヤノについて来ようとしていた三人は、一旦立ち止まり、結局は二人が加村を追って森に向かってしまった。
こうなっては、もうアヤノには何もできない。時間は稼いだ。
後は、加村に頑張ってもらうのみだ。
アヤノも追ってが止まった隙に、必死に走って社殿の裏に回り込み視線を切る。
だが、満足に走れない今、アヤノが追い付かれるのは時間の問題だった。




