風向きが変わりました①
「で、どうしていきなり神社に? 神頼みは少し休憩してからでもよかったんじゃないの?」
重苦しい空の下、湿度の上がった空気が体感温度をじわじわと上昇させている。
近くで見るとより巨大で荘厳な鳥居の端をくぐり、すぐに現れた階段を上りながら、愚痴のように質問をぶつけてくる加村に、アヤノはパーカーの袖をまくりながら、自分が気になったことを話して聞かせることにした。
「この村やっぱり危ないかもしれない」
「どういうこと?」
「店を出る前、私がおじさんにいろいろと聞いてたでしょ。話しをしているうちに違和感を感じたんだけど、あのおじさん、私たちのこと知ってたんじゃないかな?」
「そ、そんなわけないじゃん。予知や予言でもあるまいし」
「正確には、私たちを知ってたんじゃなくて、スミレちゃんを知ってるのかもしれない」
「桑野のことだって知らないって言ってたじゃないか」
「嘘ついてるのかも。スミレちゃんを知ってたから、探しに来た私たちが高校生で、しかもここからかなり離れた都会から来たことも知ってた。それが無意識に会話に出ちゃったんじゃないかな」
「いや、考えすぎでしょ。見た目的に高校生に見えるだろうし、あのおじさんも言ってたじゃないか、ここからしたら他はみんな都会だって」
「それが一番引っかかる。ここが一番田舎なら、どうしてあの二人は標準語で喋れるの? 電車で会った人はかなり訛ってたのに」
「……あのおじさんは、町まで仕入れに出るって言ってただろ。そこで話すうちに訛りがとれたんじゃないかな」
「いくら町に行ってるところで、この地域であることには変わりないんだから、そこも結局は訛ってるはず。それに、訛りって地方ごとに特有のものでしょ? 町の言葉に影響されてるなら、それこそ私たちと同じ標準語で喋るのはおかしいと思うの。それこそ、長い間私たちと同じ土地に住んでいて、つい最近、引っ越して戻ってきたみたい」
「そ、それって、桑野の?」
「加村君の言う通り、考えすぎなだけかもしれないけど、辻褄は合うようにも思える。親切なふりをして、荷物まで預かったのは、私たちを泊まらせたいなにか理由があるのかもしれないね。それにほら、見て」
それほど長くない階段を丁度上り終えた先に広がっていたのは、それなりに広い境内と、堂々とした佇まいの社殿だった。特におかしなところを見つけられない加村は困惑しているように見える。
「特に、普通の神社じゃない? 何もないけど」
「そう。何もないの。今日は神社でお祭りがあるって言ってたのに」
「……あっ」
血の気が引いたように固まった加村の口から、小さく声が漏れた。
ようやく、加村もこの集落の異様さに気付いたようだった。
アヤノには、他にも気になったことがあった。
この神社には何かが足りないような気がする。
「何か足りない気がする。何が足りないんだろう?」
「足りない? あ、あれじゃない? 狛犬」
加村の閃きに、アヤノはたしかにと納得した。
どこの神社でも参道の脇に必ずと言っていいほど置かれている狛犬。
たしか邪気を払うとか、そんな意味があったはずだと、その程度しか知らないアヤノでも、神社に置いてあるのが普通だと思っていた。
それがこの神社には、どこにも見当たらない。
狛犬がないことは、どんな意味があるのだろうか、そんな事を考えていたアヤノの腕に何かが当たった。
冷たい。
ポツリ、ポツリと地面に点が出来る。
すると瞬く間にその点は増えていき、すぐに本降りの雨が降ってきた。
「屋根の下に!」
その場しのぎで社殿の屋根の下に入る。
おそらく夕立であろうその雨は、勢いよく降り注ぎ、少しでも外に出る者があれば、身体の芯まで冷えるように濡らしてしまうに違いないと、そう確信できるほどの強さだった。
「クソッ、ついてないね。それにしても臭いな」
やはり余裕がないのか、端々にイライラをのせた口調で喋る加村。
スミレの手がかりが見つかったかもしれないことを考えると、ついていないという事には同意できないが、臭いについてはその通りだとアヤノも鼻を押さえた。
例の海から漂ってくる生臭さ、この神社にいてもする耐えがたい臭いは、気のせいか少しキツくなっているように感じた。
屋根の下という安全地帯で、一歩踏み出せばハチの巣にされそうな雨を眺めるながら、無言の時間が過ぎる。
雨音しか聞こえない空間、二人の間に少し緊迫した空気が漂っていた。
「あそこに泊まるのは危ない、気がする」
「うん、それは同意見」
「やっぱり帰ろう。荷物は……諦めて、戻ったらどうなるか分からない」
「加村君は帰って、そのために私の財布を持ってきた。これをあげる。帰りの代金にはなるから」
「何を言ってるんだよ。蓮実さんも一緒に帰るんだ。こんなところに置いていけないよ」
「私はいいの、スミレちゃんの手がかりがあるかもしれないなら、帰るわけにはいかない」
「まだそんなことを! いいかい、あの店主を思い出して、あんな大男に襲われたら、僕だって何もできないよ。蓮実さんが捕まっても助けることができない、だから今のうちなんだよ!」
「別に、加村君に助けてもらおうと思ってないから安心して、私だけでいいの。気にしないで帰って、何があっても恨んだりしないし」
「何だよその言い方! 俺は頼りにならないってこと⁉ せっかく心配して付いてきたのに、蓮実さんは、少しくらい人に合わせることを覚えた方がいいと思うよ」
「一応、初めから私は一人で行くって言ってたよ。付いてきたのは加村君。それにこれ以上巻き込まないようにずっと前から帰ってほしいって伝えてる」
「だからさぁ! そういうとこだよ? 流石に自分勝手すぎると思うな、一人じゃインターフォンも押せなかったくせに、俺と別れて何が出来るっていうのさ! 蓮実さんは大人しく俺に付いてくればいいんだよ!」
「……落ち着きなよ。私は別に加村君の友達にもなったつもりはないけど」
「なっ⁉」
イライラしていたことは分かっていた。
長旅をして疲れているところに、この悪臭のせいで息苦しさを感じていた。さらにはおかしな村と、何かを隠していそうな村人。目的を達成できないという無力感。緊張が極限に達して、普段ならどうでもいいような、細かいことに腹が立つようになってくる。
すこしでもいい方に、少しでも自分の考えたように、少しでも自分の思い通りに、何かを支配して安心したい。そういう心理でも働いたのだろうか、途中から加村は明らかに切れやすくなっていたし、常にアヤノに自分の意見を聞かせようとしてきた。
アヤノはなんとか自分を押さえていたが、スミレの手がかりがあるのに、自分をそれから引きはがそうとする加村に嫌気がさした。初めから必要なかったと本音を隠すことが出来なくなった。
結果、逆上したように顔を赤くした加村に思い切り、掴まれることになった。
手加減や遠慮のない男の力が襲い掛かる。
アヤノの小枝のような細腕は、ミシミシと不気味な音を立てて軋む。
強い痛みに顔をしかめ、腕を振り払おうとするも、タガが外れた加村はびくともしない。
「いいか、俺は蓮実さんのために言ってやってるんだ! それを理解しない蓮実さんが悪いんだぞ。これからは俺の言うことを聞いた方がいいって、それが分かったら手を離してやる」
「……分からない。私は自分と、スミレちゃんの言うことしか聞かない」
「このっ⁉ 分からず屋がぁあ!!」
もう片方の手を振り上げる加村。
咄嗟に掴まれていない左腕で頭を庇う。
次の瞬間、アヤノは生まれて初めて骨が折れる音を聞いた。
ゴキッと、これは折れたと確信させるような、聞くに堪えない音だった。
理性のリミッターが外れた渾身の一撃。衝撃で雨の中に吹き飛び、濡れた地面に倒れながら、アヤノは自分の左腕がおかしな方向に曲がっているのを見た。
折れていない右腕を地面に伸ばす。
しかし、元々非力なうえ片腕では倒れた衝撃を受け止めきれない。
無様に地面を転がり、勢いが止まる頃には、雨と泥で全身がぐちゃぐちゃだった。
今の衝撃で口の中を切ったようで、血の味がする。身体中もあちこちに傷が出来て血が滲んでいる。
それでもアヤノは、倒れたまま顔を上げて加村を力いっぱい睨みつけた。
負けてたまるか、そう意志を込めて。
しかし、さぞ満足気な顔をしていると思った加村の表情は、後悔で埋め尽くされていた。
「あ、ぁあ、蓮実さん、僕は、こんなつもりじゃ」
呆然とした足取りで、屋根の下から出て、雨に打たれながら近づいてくる。
アヤノは距離を取るため、なんとか片腕で立ち上がろうとする。
なかなか立ち上がることさえできないアヤノを、加村は止まったまま待っていた。
否、固まっていた。
その目はアヤノを捉えておらず、もっと後ろを、そして周囲を見回している。
ふらふらとした頭で神経を耳に集中する。
雨の音に混じって、何人もの足音がした。




