第6話 城壁都市レイゼン
翌朝。
悠太郎は宿のベッドの上で目を覚ました。
「……腰いてぇ」
身体を起こすと、背中が小さく鳴った。
昨日は散々だった。
悪霊と戦い、死者の親子を再会させ、家の掃除に修理までやらされた。
しかも、全部無償だ。
「……完全にボランティアじゃねぇか」
ぼやきながら、枕元の眼鏡をかける。
窓の外には、朝日を浴びた村の景色が広がっていた。
石造りの家々。煙突から立ち上る煙。荷車を引く男。
見慣れない光景だが、昨日よりは多少落ち着いて見られる。
「……さて」
悠太郎はベッドから立ち上がった。
まずは、帰る方法を探さなければならない。
そのためには情報が必要だ。
村人から聞いた話では、東にある城壁都市には魔法を研究する施設があるらしい。
霊力と魔力。
似ているようで、まったく違う二つの力。
この世界で霊界との接続ができない理由も、そこへ行けば何か分かるかもしれない。
「……行くしかねぇか」
腰に差したスパナを確認する。
銀色の金属が、朝日を反射した。
「お前だけは頼りになるな」
そう呟いてから、悠太郎は宿を出た。
*
村の出口まで来たところで、悠太郎は一度だけ振り返った。
遠くに、小さな木造の家が見える。
ミアとハロルドの家だ。
昨日、掃除して、壊れた箇所を直して、《マスキング》まで施した。
普通の人間なら、あの家にはほとんど気づかないはずだ。
「……しばらくは大丈夫だろ」
二人がこれからどうなるのかは分からない。
霊界へ送る方法も、まだ見つかっていない。
だが、少なくとも今は一緒にいられる。
それで十分だと思うことにした。
「……じゃあな」
誰に聞かせるでもなく呟き、悠太郎は村を後にした。
*
街道は思っていたより整備されていた。
土を固めた道が、緩やかな丘の向こうまで続いている。
両脇には草原が広がり、ときおり低い石垣が現れた。
遠くには山脈が見える。
空は青い。
雲も白い。
日本と変わらない。
「……異世界っつっても、空は普通なんだな」
歩き始めて一時間ほど。
後方から車輪の音が聞こえてきた。
振り返ると、二頭の馬に引かれた荷馬車が近づいてくる。
御者台に座った中年の男が、悠太郎を見て声をかけた。
「おう、兄ちゃん! 歩きか?」
「……見りゃ分かるだろ」
「ははっ! そりゃそうだ!」
男は豪快に笑った。
「どこまで行くんだ?」
「東の街だ」
「おっ、城壁都市レイゼンか!」
「……たぶん、そこ」
「なんだ、名前も知らねぇのか?」
「昨日聞いたばっかなんだよ」
男は悠太郎の格好を上から下まで眺めた。
濃紺の作業つなぎ。
黒い安全靴。
腰にはスパナ。
「変わった格好してんなぁ。職人か?」
「……まあ、そんなもんだ」
「だったら乗ってけよ。俺もレイゼンに向かうところだ」
悠太郎は荷台を見た。
木箱や麻袋が積まれている。
「……金取るのか?」
「がはは! そんなケチなこと言わねぇよ!」
「……助かる」
悠太郎は荷台に乗り込んだ。
馬車がゆっくり動き出す。
木製の車輪が地面の凹凸を拾い、荷台が大きく揺れた。
ガタン。
「……おい」
「どうした?」
「これ、サスペンションねぇのか」
「さすぺん……なんだって?」
「……いや、何でもねぇ」
悠太郎は木箱に腰を下ろした。
尻に振動が直接伝わってくる。
「……二日これかよ」
歩くよりはマシ。
そう自分に言い聞かせた。
*
御者の男はガルドと名乗った。
村々を回りながら、食料品や生活用品を売っている商人らしい。
「兄ちゃん、レイゼンは初めてか?」
「ああ」
「なら驚くぞ。あそこはこの辺りじゃ一番でかい街だからな」
「……へぇ」
「冒険者ギルドもあるし、魔道具屋も多い。魔法研究院まである」
悠太郎は顔を上げた。
「魔法研究院?」
「おう。魔法の研究をしてる連中が集まってる施設だ」
「……一般人でも入れんのか?」
「さあなぁ。研究員でもなきゃ難しいんじゃねぇか?」
「……だよな」
悠太郎は腕を組んだ。
研究施設。
つまり、専門家がいる。
霊界との接続ができない原因を調べるなら、まずはそこだろう。
「……ちなみに、魔力ってのは誰でも持ってんのか?」
「そりゃそうだろ。多い少ないはあるけどな」
「使えない奴も?」
「ああ。魔力があっても、魔法を使えるとは限らねぇ」
「……なるほど」
悠太郎は自分の手を見た。
この世界に来てから、霊力を使うことはできている。
だが、それがこの世界の魔力とどう関係しているのかは分からない。
似た性質なのか。
まったく別物なのか。
それとも――。
「兄ちゃん、魔法に興味あんのか?」
「……まあな」
「だったら魔道具屋でも覗いてみるといい。面白ぇもんがいっぱいあるぞ」
「……高ぇのか?」
「物によるな!」
「……だよな」
悠太郎はため息をついた。
問題は金だ。
日本円なら財布に入っている。
だが、ここでは紙切れに等しい。
昨日の宿代は、村で手伝った仕事の礼として払ってもらえた。
しかし、今後もそう都合よくいくとは限らない。
「……まず仕事探しかよ」
「ん? 何か言ったか?」
「いや、こっちの話」
異世界に来てまで働くことになるとは。
人生、何があるか分からない。
*
途中、小さな宿場で一泊した。
ガルドが荷物運びを手伝わせてくれたおかげで、夕食と寝床を確保できた。
翌朝も馬車に揺られ、昼を少し過ぎた頃。
「おっ、見えてきたぞ!」
ガルドが前方を指さした。
悠太郎は荷台から身を乗り出す。
「……おお」
遠くに、巨大な城壁が見えた。
灰色の石を積み上げた壁が、左右へ長く伸びている。
その向こうには、赤茶色の屋根が幾重にも重なり、中央には高い塔がそびえていた。
街道には馬車や旅人が増え、門の前には長い列ができている。
「……でけぇな」
「だろ?」
「……これ、補修するとき足場どう組むんだよ」
「ん?」
「……いや」
悠太郎は城壁を見上げた。
石と石の継ぎ目。
雨水が流れた跡。
ところどころに補修された形跡もある。
どうやら、この世界でも設備の維持管理は必要らしい。
「……どこ行っても保全は大変だな」
*
城門の前には、鎧を着た兵士が立っていた。
旅人たちは順番に身分証のようなものを提示している。
悠太郎は列を眺めた。
「……身分証か」
財布には運転免許証が入っている。
もちろん、日本語だ。
見せたところで通じるとは思えない。
やがて順番が来た。
「次!」
兵士が悠太郎を見た。
その視線が、頭から足元までゆっくり動く。
「……変わった服装だな」
「よく言われる」
「身分証を」
「……ねぇ」
「ない?」
「ああ」
兵士の眉が動いた。
「どこから来た?」
「……遠いところ」
「国の名前は?」
「……言っても分かんねぇと思うぞ」
兵士の表情が険しくなった。
「ふざけているのか?」
「……ふざけてねぇよ」
面倒なことになった。
悠太郎が頭をかいたところで、後ろから声がした。
「おーい! そいつは俺の連れだ!」
ガルドだった。
「道中一緒だったんだ。怪しい奴じゃねぇよ!」
「ガルドさんの知り合いか」
「おう! ちょいと変わってるが、悪い奴じゃねぇ!」
「……ちょいと、は余計だろ」
兵士はため息をついた。
「身分証がないなら、仮登録が必要だ。こちらへ」
「……はいはい」
悠太郎は兵士に案内され、門の脇にある小さな詰所へ入った。
名前、出身地、滞在目的。
いくつか質問を受けた。
出身地については、遠方の小さな集落ということで話を通した。
兵士は疑わしそうだったが、ガルドの証言もあり、最終的には入門を認めてくれた。
ただし、仮登録の手数料が必要だった。
「……金ねぇんだけど」
悠太郎が呟くと、ガルドが笑った。
「仕方ねぇな! 荷運びの追加報酬ってことにしとけ!」
数枚の硬貨を手渡される。
「……悪いな」
「気にすんな! 街で困ったら商業区に来い。俺の店があるからよ!」
「……おう。助かった」
悠太郎は軽く手を上げた。
こうして、ようやく城門をくぐった。
*
「……おお」
門の向こうには、想像以上に賑やかな街が広がっていた。
石畳の大通り。
両脇に並ぶ商店。
色とりどりの布を張った露店。
焼きたてのパンの匂い。
肉を焼く煙。
行き交う人々の服装もさまざまだった。
鎧を着た冒険者。
ローブ姿の魔法使い。
大きな荷物を背負った商人。
中には、耳の尖った者や、獣のような耳を持つ者までいる。
「……マジでファンタジーだな」
悠太郎は思わず立ち止まった。
街の中央には噴水があり、その周囲では子供たちが走り回っている。
頭上には、淡い光を放つ球体が浮かんでいた。
「……なんだありゃ」
近くの店先にも、同じような球体が吊るされている。
電球に似ているが、配線がない。
どうやら魔道具らしい。
「……便利なもんだな」
悠太郎は少しだけ感心した。
電気がなくても明かりが使える。
仕組みが分かれば、現場でも応用できそうだ。
もっとも、現世へ持ち帰れるかどうかは別の話だが。
しばらく歩くと、大きな建物が見えてきた。
入口の上には、剣と盾を組み合わせた紋章が掲げられている。
中からは、賑やかな声が聞こえていた。
「……冒険者ギルド、か」
悠太郎は入口を眺めた。
仕事を探すなら、こういう場所なのだろう。
だが、魔物退治をするつもりはない。
「……まあ、後でいいか」
そのまま通り過ぎる。
次に見つけたのは、魔道具屋だった。
店先には小さなランプや、奇妙な模様の刻まれた金属板が並んでいる。
悠太郎は足を止めた。
「……へぇ」
手のひらほどの金属板。
表面には細かな線が彫られていた。
どこか、電子基板の回路にも似ている。
「……これ、何に使うんだ?」
店主らしい老人が顔を上げた。
「それは簡易加熱板だよ。魔力を流せば熱を出す」
「……ヒーターか」
「ひーたー?」
「……こっちの話」
悠太郎は金属板を持ち上げた。
思ったより軽い。
「魔力ってのは、どうやって流すんだ?」
「手を当てて、意識を集中するだけさ」
「……ふーん」
悠太郎は金属板に手を当てた。
試しに、ほんの少し霊力を流してみる。
だが、何も起こらない。
「……反応なし、か」
「魔力が弱いのかもしれんね」
「……そうかもな」
悠太郎は金属板を元の場所へ戻した。
少なくとも、霊力をそのまま流しただけでは動かないらしい。
これは覚えておく価値がある。
「……ありがとな」
「ああ、またおいで」
店を出た悠太郎は、通りの向こうに見える高い塔を見上げた。
あの辺りが魔法研究院なのだろうか。
聞きたいことは山ほどある。
だが、その前に。
「……腹減った」
悠太郎は腹をさすった。
朝からろくに食べていない。
しかも、今夜の宿も決まっていない。
「……研究は明日だな」
*
夕方。
悠太郎は裏通りにある小さな宿を見つけた。
看板には『眠り猫亭』と書かれている。
店内は清潔で、食堂も併設されていた。
受付にいた女性に宿泊料金を聞く。
「一泊、銅貨八枚です。夕食付きなら十枚になります」
悠太郎は手持ちの硬貨を数えた。
ガルドから受け取った報酬の残り。
どうにか一泊分は足りそうだ。
「……夕食付きで」
「ありがとうございます!」
女性が笑顔で鍵を渡してくれた。
二階の小さな部屋。
ベッドと机と椅子。
窓が一つ。
豪華ではないが、十分だった。
悠太郎はベッドに腰を下ろす。
「……はぁ」
長い一日だった。
いや、二日か。
村を出てから、馬車に揺られ、ようやく目的地に到着した。
腰からスパナを外し、机の上に置く。
続いてスマートフォンを取り出した。
画面を点灯させる。
圏外。
当然だ。
「……そりゃそうだよな」
悠太郎はスマートフォンを机に置いた。
窓の外では、街の明かりが少しずつ灯り始めていた。
魔道具の光が、通りを淡く照らしている。
遠くから鐘の音が聞こえた。
日本ではない。
夢でもない。
自分は本当に、異世界にいる。
「……さて」
悠太郎はベッドに仰向けになった。
明日やることを頭の中で整理する。
まずは魔法研究院の場所を確認する。
次に、魔力について調べる。
霊力との違いが分かれば、霊界へ接続できない理由にも近づけるかもしれない。
そして、金を稼ぐ方法も考えなければならない。
「……やること多すぎだろ」
天井を見つめる。
現世では、仕事が終われば家に帰れた。
風呂に入って、飯を食って、寝る。
それだけでよかった。
今は帰る家すらない。
「……めんどくせぇ」
悠太郎は目を閉じた。
だが、不思議と絶望はしていなかった。
原因が分からないなら、調べる。
異常があるなら、切り分ける。
現場で何度も繰り返してきたことだ。
世界が変わったところで、やることは大して変わらない。
「……まずは現状把握だな」
そう呟いて、悠太郎は寝返りを打った。
窓の外では、城壁都市レイゼンの夜が静かに更けていく。




