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第6話:沖合の白船


 翌朝。リヴァーノの東方監視塔が最初に「いわみ」を発見したころ、日本側はまだ上陸するつもりなどなかった。


 巡視船「いわみ」は、港から十分に離れた沖合で速力を落としていた。朝日を受けて、白い船体が輝いている。昨日ガルディオたちと接触した海域よりは西へ進んでいるが、リヴァーノ湾に入るにはまだ遠い位置だ。


「沿岸まで、距離八・四海里」


 艦橋で神谷玲司が報告した。


「予定位置です」


 船長の三浦直哉が頷いた。


「停止。対地速力ゼロ近傍で維持しろ」


「了解」


 推進出力が落ち、百メートル近い巡視船が、ゆっくりと海上で足を止めた。


 これ以上は進まない。理由は単純だった。


 ――まだ、招かれていないからである。


          ◇


「昨日の三人は、領主に報告すると言っていたな」


 三浦が確認した。


「はい」


 言語担当官が答える。


「最後の会話では、“リヴァーノの領主に報告する”“再び話したい”というところまでは、かなり高い確度で取れています」


「正式な入港許可については?」


「ありません」


「なら、待つ」


 神谷が海岸方向の映像を見た。


「向こうは、こちらを把握しています」


「そりゃあ、これだけ目立つ船だからな」


 望遠映像の中には、港の塔や城壁、建ち並ぶ屋根、そして海岸沿いを走り回る人々が映っていた。高倍率の光学系なら、岸壁でこちらを指差している群衆の姿まで見て取れる。


 だが、「いわみ」は動かない。


 三浦は、昨日の接触で得た情報を思い返していた。ヴァレシア王国、リヴァーノ、領主、国王、貴族、魔術師――そして、複数の知的種族。


 理解できる言葉は増えた。それでも、社会そのものについては、まだほとんど何も分かっていない。


「こっちの感覚で港に入ると、危ないな」


 三浦が言った。


「軍事的に、ですか?」


「外交的に、だ」


 神谷の問いに三浦が答えると、高瀬千尋が柔らかく続けた。


「向こうからすれば、昨日会ったばかりの正体不明の巨大船が、翌朝いきなり港まで突っ込んでくるわけですからねぇ」


「巨大ってほどでは」


「向こうの船と比べてみなさい」


「……巨大ですね」


 「いわみ」は、二十四世紀の日本では標準的な大型巡視船にすぎない。しかし、リヴァーノの港に出入りする船から見れば、十分すぎるほど巨大だった。まして、帆もなく沖合で静止しているのだ。その事実だけでも、向こうには理解不能だろう。


          ◇


 実際、理解不能だった。


「止まっています」


 東方監視塔の上で、監視員が報告した。港務官は望遠鏡を覗き込む。


「本当にか?」


「先ほどから、位置がほとんど変わっていません」


「錨を下ろしたのか?」


「見えません」


「風は?」


「南東から、弱く」


「潮は?」


「北寄りです」


 港務官は、再び望遠鏡を構えた。


 白い船は動かない。少なくとも、帆船のように風に流されている様子はなかった。


「昨日の報告通りか」


「はい」


「帆がなくても進める」


「はい」


「そして、帆がなくても止まれる」


「……はい」


 港務官は黙り込んだ。考えてみれば当然のことなのだが、実際に目の前でやられると気味が悪い。


 そのころ、領主館では別の攻防が続いていた。


          ◇


「見に行くだけだ」


「なりません」


「塔までなら」


「なりません」


「港務所は?」


「まだです」


「昨日は、港務所ならいいと言っただろう」


「安全を確認した“後”なら、です」


 忠臣の騎士は、今日も領主の前に立ちはだかっていた。領主は腕を組む。


「相手は沖で待っている」


「だからこそです」


「攻めてくる様子もない」


「それも確認中です」


「礼儀正しいではないか」


「その点については、同意します」


 横から娘が言った。領主が嬉しそうに振り向く。


「だろう?」


「だからといって、お父様が港へ走ってよい理由にはなりません」


「走らない。馬車で行く」


「言葉の問題ではありません」


 机の上には、朝一番に監視塔から届いた報告が置かれていた。白い大型船が湾外で停止。武器の使用なし。小舟の発進なし。信号らしき灯火あり――明らかに、こちらの反応を待っている。


 騎士は、その報告書を指で叩いた。


「相手は、待ってくれているのです」


「うむ」


「ならば、こちらも手順を踏みます」


「手順は大事だ」


「閣下がそれをおっしゃいますか」


          ◇


 結局、先に出港したのは領主ではなく、港務所の小型公用船だった。


 三十トンほどの二檣帆船で、船首にはリヴァーノ領の旗と交渉旗が掲げられている。乗っているのは港務所の次席官と書記、魔術師二名、護衛兵八名、それに昨日「いわみ」に乗ったネリオだった。


「なぜ私が」


 出港しながら、ネリオは呟いた。


「昨日、日本人と話したからだ」


 次席官が答えた。


「私以外にも、ファルネが」


「魔術師ギルドに連れていかれた」


「ああ……」


 ファルネは帰港直後から、ほとんど拘束に近い勢いで魔術師たちの質問攻めにあっている。


「ガルディオ船長は?」


「寝ている」


「……あの人」


「夜明けまで酒場で話していたらしい」


「領主閣下に先に報告するって言ってたのに!」


「報告した後だから問題ない、と本人は主張している」


 ネリオは頭を抱えた。


 船尾では、航海魔術師が《風走り》を使っていた。帆の周囲に空気が集められ、自然の風より一段強い風を受けて、公用船は沖へ向かって速度を上げていった。


          ◇


「小型船一隻、出港」


 「いわみ」のOICに、自動で表示が出た。


「こちらへ向かっています」


 神谷が映像を拡大する。帆船で、旗を掲げ、乗員は十数名だ。


「武装は?」


「小火器らしきものあり。長物が八。刀剣複数。砲は確認できません」


 高瀬が画面を眺めた。


「儀礼的な護衛でしょうかねぇ」


「油断はできませんよ」


「してませんよ」


「高瀬さん、いつもそう見えるんですよ」


「損な顔なんです」


「昨日の人物はいるか」


 三浦が割って入ると、AIが顔貌照合を開始した。


『一致候補あり。昨日同船した書記官と推定。信頼度九九・二パーセント』


「ネリオか」


 昨日一日で覚えた名前だった。


「なら、話は早そうだ」


「高速艇を出しますか?」


「いや」


 神谷の問いに、三浦は首を振った。


「向こうをこちらへ来させよう。船上へ招くかどうかは、先方の意思を確認してからだ」


「了解」


          ◇


 公用船は、「いわみ」から二百メートルほどのところで帆を落とした。ネリオは白い船を見上げた。


「昨日より、大きく見えるな」


「昨日も来たのか?」


 次席官が訊いた。


「乗りました」


「……よく乗ったな」


「私もそう思います」


 通信魔術師が、共鳴器を取り出した。


「これを使いますか?」


「通じるのか?」


「日本語には通じません」


「では、何のためだ」


「音を大きくします」


「なるほど」


 魔術師が術式を起動すると、ネリオの声が海上に大きく広がった。


「日本船『イワミ』!」


 日本側の外部マイクがその声を拾い、AIが即座に処理する。


『呼びかけ:日本船“いわみ”』


 艦橋に、少しだけ安堵の空気が流れた。


「もう、船名まで発音できるようになりましたねぇ」


「昨日、何度も言ったからな」


 高瀬にそう返して、三浦は外部スピーカーへ接続し、翻訳AIを介して答えた。


『こちらは、日本国の船、いわみです。あなた方の話を聞きます』


 現地語はまだ少し硬い。だが、昨日とはまるで別物だった。公用船の上で、次席官が目を見開く。


「……普通に喋ったぞ」


「昨日の夕方より、さらに上手くなってます」


 ネリオが呟いた。


「何だ、それは」


「だから、私にも分からないんです」


          ◇


 ネリオが巻物を開いた。領主府と港務所の印章が押された書状だ。


「リヴァーノ領主より、日本の者たちへ」


 彼はゆっくりと読み上げていく。


「昨日の海上での平和的な接触を、喜ばしく思う」


『昨日の平和的接触を歓迎する』


 「いわみ」のAIが、リアルタイムで翻訳していく。


「日本の代表者と、リヴァーノにて話し合いを行うことを希望する」


『日本側代表との会談を希望』


 神谷が三浦を見たが、三浦はまだ答えなかった。


「ただし、初めての訪問であるため、訪問の人数は小規模とすること」


『少人数での上陸を要請』


「武器は、護衛に必要なものを除き、持ち込まないこと」


『護衛用以外の武器を制限』


「案内なしに、港の区域の外へ出ないこと」


『行動区域の制限』


「互いの安全のため、病および毒その他の危険について、確認を行うこと」


 そこで、検疫官が反応した。


「向こうから、検疫の概念を出してきましたか?」


「“病気を持ち込まないこと”に近いですね。体系的な検疫制度まで意味しているかは不明です」


 言語担当官の答えに、三浦は小さく頷いた。


「十分だ」


 ネリオが、最後の一文を読み上げた。


「これらに同意するならば、リヴァーノは日本の使節を客人として迎える」


 しばらくのあいだ、海上は静かだった。


          ◇


「……普通ですね」


 神谷が言った。


「何がだ?」


「条件です。思ったよりずっと合理的です」


「人が社会を作っているんだ。合理性くらいあるさ」


「まあ、そうですけど」


 高瀬が微笑んだ。


「神谷君、剣と帆船を見て、中身まで昔の人だと思ったでしょう?」


「そこまでは」


「思いましたね?」


「……少しだけ」


 三浦は会議回線を開いた。これは「いわみ」だけで決められる話ではない。


 昨日の接触の後、日本政府側ではすでに、未知文明との接触に関する臨時方針がまとめられていた。沿岸のリヴァーノへ、少人数の調査・外交要員を送る案も準備されている。


 ただし日本側は、リヴァーノの領主館でどのような議論が行われたのかを知らない。誰が日本に好意的で、誰が警戒しているのか。領主がどんな人物なのか。何一つ分からない。分かっているのは、正式な招待が届いたということだけだった。


「本部へ」


 三浦が言った。


「リヴァーノ側より、正式な招待。上陸条件付き。内容を送る」


          ◇


 返答が来るまで、四十二分かかった。


 そのあいだ、リヴァーノの公用船は海上で待ち、「いわみ」も待った。双方とも、相手が何をしているのかよく分からないままだった。


「ずいぶん時間がかかるな」


 次席官が言った。


「上の人と相談してるんでしょう」


「船長が決められないのか?」


「日本では、船長より上の人がいるらしいです」


「海の上なのにか?」


「国の船ですから」


 次席官は少し考えた。


「海軍のようなものか」


「本人たちは、海軍ではないと言っていました」


「では何だ?」


「……海の警備をする役所だとか」


「こんな船でか?」


「はい」


「では、軍艦はもっと大きいのか?」


 ネリオは答えなかった。知りたくない、と思ったからだ。


          ◇


 「いわみ」の臨時会議室には、先遣使節の候補者たちが集まっていた。


 使節団長を務める外務官、政治・地域分析の担当者、言語文化の担当者、そして未知現象――政府文書上はまだ「特異物理・生体現象」と呼ばれている――を扱う科学担当者の四人だ。それとは別に、検疫官が二名と、護衛要員が控えている。


「招待の受諾が決まりました」


 三浦が説明した。


「ただし、これは国交樹立の交渉ではありません」


「初期接触と、情報交換ですね」


 使節団長が頷いた。


「はい。相手側の主権と慣習を、最大限尊重してください」


「武器については?」


 護衛責任者が尋ねた。


「携行は認められます。ただし露出は最低限に。長物は原則として艇内に保管」


「了解」


「接触プロトコルは、昨日より一段緩和できます」


 検疫官が口を挟んだ。


「海水、大気、表面試料から、既知の即時的な危険は確認されていません」


「現地の人との直接接触は?」


「まだ避けます」


「握手も?」


「現段階では推奨しません」


「分かりました」


 三浦は一同を見渡し、少し間を置いてから続けた。


「そして――魔法らしき現象は、実在するものとして扱ってください」


 科学担当の目が輝き、反対に護衛責任者の顔は硬くなった。


「昨日の、帆の加速現象ですね」


「それだけではありません」


 三浦は答えた。


「詳細は、移動中に」


          ◇


 午前九時五十八分。海上に、再び日本語から変換された声が響いた。


『リヴァーノ領主からの招待に感謝します』


 ネリオは息を呑んだ。昨日よりも、ずっと自然な言葉だった。


『我々は、示された条件を尊重します。少人数の代表者を送りたいと考えます』


 次席官が頷き、ネリオが答えた。


「歓迎します」


 一瞬の間を置いて、返答が来る。


『歓迎を確認しました』


 もはや通訳というより、普通の会話に近づき始めていた。次席官は白い船を見上げた。


「どのくらいで来る?」


『準備に少し時間が必要です。一時間程度を希望します』


「構わない」


 やり取りは、それだけだった。


 公用船は進路を西に取った。リヴァーノへ戻り、使節を受け入れる準備を整えるために。


          ◇


 「いわみ」では、後部の搭載艇の点検が始まっていた。


 機関、通信、医療、非常装備、環境センサー、携行翻訳端末、無人観測機。乗り込むのは使節四名、検疫官二名、護衛六名の、合計十二名だ。


 神谷は、甲板でその準備を見守っていた。


「船長」


「何だ」


「本当に、十二人だけで行かせるんですか」


「向こうは、もっと少ないと思ってるかもしれんぞ」


「人口八千三百万の国の代表としては、少なすぎませんか?」


「だから、いいんだ」


 三浦は岸の方を見た。


「最初から大勢で行く意味はない」


「もし、何かあれば」


「そのために、君たちがここにいる」


 「いわみ」のセンサーは、港を見張り続けている。さらに遠方では、日本側の別の海空戦力も待機していた。だが、それを見せつける必要はない。


「相手が昨日、何を考えたのかは分からん」


 三浦は言った。


「日本を歓迎したのか。恐れたのか。利用しようとしているのか。全部かもしれん」


 神谷は黙った。


「だから、話しに行くんだ」


          ◇


 同じころ、リヴァーノの港務所では、戻ってきた公用船から次席官が飛び降りていた。


「受諾した!」


 その一言で、港務所が一斉に動き出した。


 警備兵、港湾労働者、魔術師、書記、教会の関係者が総出で、指定の岸壁から一般の人々を下がらせていく。とはいえ、完全に締め出すことなどできるはずもない。屋根の上、窓辺、運河沿い、橋の上――ありとあらゆる場所に、人が集まり始めていた。


 噂は、もう街中を駆け巡っていた。


 東の異国人が来る。昨日まで、この世界にいなかった国の人間が来る――。


「どんな顔だ?」


「ガルディオは、普通の人間だって言ってた」


「角は?」


「ないらしい」


「全員?」


「知らん」


「魔法が使えないって本当か?」


「そんな人間がいるか?」


「船は魔法なしで動くそうだぞ」


「だったら余計におかしいだろ!」


 港じゅうが、ざわめいていた。


          ◇


「受諾したそうです」


 領主館で、娘が報告した。領主が立ち上がる。


「では――」


「まだです」


 騎士が言った。


「私はまだ何も言っていないぞ」


「港へ行こうとなさいました」


「……君は最近、私の心を読みすぎではないか?」


「二十年近くお仕えしておりますので」


「百歩だったな」


「何がです?」


「岸壁からの距離だ」


 騎士は、一瞬言葉に詰まった。


「覚えておいででしたか」


「私は約束は守る」


「では、百歩です」


「九十では」


「百です」


 領主は不満そうに外套を手に取った。娘も立ち上がる。


「私も参ります」


 今度は、領主の方が振り返った。


「危険だぞ?」


 娘は無言で父を見つめた。騎士までもが、じっと領主を見ている。


「……何だ、その顔は」


「いいえ」


 娘は微笑んだ。


「よくお分かりですね、お父様」


          ◇


 午前十一時七分、「いわみ」後部。


「搭乗完了」


「全員確認」


「通信正常」


「環境モニター正常」


 艇長が艦橋へ報告を上げる。三浦は、カメラ越しに十二人の顔を見た。


「無理はするな」


『了解』


「分からないことを、分かったふりするな」


『了解』


「相手の文化を笑うな」


『了解』


 最後に、三浦は少し考えてから付け加えた。


「できれば、楽しんでこい」


 使節団長が笑った。


『善処します』


 搭載艇が海面へと降ろされ、推進装置が静かに起動する。小さな艇は白い「いわみ」から離れ、西へと向きを変えた。


 遥か前方には、リヴァーノの街が見える。石造りの建物、塔、帆柱、運河――そして、岸壁を埋め尽くすほどの人影。


 十二人の日本人は、まだ知らない。


 その街の領主が、昨日から質問を書き溜めていることも。彼を港へ出すかどうかで、家臣団が何度も揉めたことも。岸壁から百歩のところで、本人が待ち構えていることも。


 日本側が知っているのは、ただ一つ。


 ――招待された。


 それだけだった。


 艇が速度を上げる。


 今度こそ、日本人が初めて、異世界の都市へ向かって進み始めた。


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