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第21話:測れるもの、測れないもの


 日本視察、三日目。


 ヴァレシア王国の視察団は、この日初めて、少しだけ安心していた。


 ◇


「今日は」


 魔術師代表が確認した。


「我々の方が、詳しいのですね」


「少なくとも」


 日本側の担当者が答えた。


「魔法については、間違いなく」


「本当に?」


「本当にです」


「昨日までは」


「はい」


「何を見ても、あなた方の方が詳しかった」


「今日は、逆です」


 魔術師は、ほんの少しだけ胸を張った。アレシナはそれを見て、何も言わなかった。


 ◇


 訪れた施設は、大学と国立の研究機関が共同で使っている、魔法現象の研究区画だった。


 その名称自体が、まだ新しい。転移前には存在しなかった研究分野だからだ。日本人に魔法が発現してから、まだそれほど日は経っていない。


 廊下の案内表示にも、「暫定」という文字が目立った。「暫定魔力計測室」「暫定生体影響評価室」「暫定魔法現象安全基準」「暫定術式分類」──。


「暫定ばかりですね」


 アレシナが言った。


「まだ、分からないことばかりなので」


 研究員が答えた。


「分からないまま名前を決めてしまうと、あとで困るんです」


「それでも、名前はつけるの?」


「名前がないと、会話ができませんので」


「大変ね」


「ものすごく」


 ◇


 最初の部屋の中央には、一台の机が置かれていた。その上に、透明な箱と球、そして各種のセンサーが並んでいる。壁には、何本もの線が表示されていた。


「これは」


 アレシナが気づいた。


「日本人が初めて動かしたという、あの球?」


「同じ型のものです」


 転移から六日目。二十九歳の藤井真帆が、管理された環境の中で、一・七グラムほどのガラス球を、ごくわずかに動かした。日本政府が魔法の存在を公式に認めるきっかけとなった、あの実験である。


 ◇


「では」


 研究主任が言った。


「ファルネさん」


「はい」


 リヴァーノから視察団に同行してきた航海魔術師のファルネが、前に進み出た。彼は昨日、新幹線に乗ってから、ずっと機嫌が良かった。


「何をすれば?」


「まず」


 主任は言った。


「何もしないでください」


「……」


「五分間」


「魔法を?」


「使わずに、です」


「それが、実験なのですか?」


「実験です」


 ファルネは、何とも言えない顔をした。


 ◇


 五分間。呼吸、心拍、皮膚の温度、脳の活動、筋肉の活動、血流、そして周囲の空間に生じる微弱な変動。さらに、日本側がまだ名称すら確定できていない、魔法が発現するときにだけ現れる複数の物理量。研究者たちは、それらすべてを同時に記録していった。


 ◇


「では」


 主任が言った。


「簡単な灯火を、お願いします」


「火を?」


「はい」


「どのくらいの?」


「できるだけ、小さく」


 ファルネが人差し指を立てると、その先に、小さな火が灯った。


 表示が、一斉に動いた。


「おお」


 日本の研究者たちから、声が上がった。ファルネは、少し得意そうな顔をした。


「これくらいなら──」


「待ってください」


 研究員の一人が言った。


「何です?」


「もう一度、お願いできますか」


「火を?」


「同じ大きさで」


「分かりました」


 ◇


 二回目の火が灯った。


「違う」


「何がです?」


 ファルネが聞いた。


「同じ魔法なのに、波形が違うんです」


「当然でしょう」


 部屋の空気が、止まった。


「当然、ですか?」


 主任が聞き返した。


「はい」


「同じ灯火ですよね」


「灯火です」


「同じ大きさで」


「だいたい」


「それなのに?」


 ファルネは逆に、なぜ分からないのかという顔をした。


「一回目は」


 彼は、自分の指を示した。


「火を作りました」


「はい」


「二回目は」


「はい」


「周りの熱を集めて、火を保ちました」


 数秒のあいだ、研究者たちは誰も動かなかった。


「待ってください」


 主任が、ゆっくりと言った。


「同じ術ではない、と?」


「同じ灯火の術ですよ」


「方法が違うのに?」


「灯火は、灯火でしょう」


 日本側は、沈黙した。ヴァレシア側は、少し嬉しそうだった。


 ◇


「こちらでは」


 魔術師代表が、口を挟んだ。


「術の分類と、力の通し方とは、別のものなのです」


「詳しく、お願いします」


「例えば」


 魔術師は、少し考えた。


「剣を振るう、と言いますね」


「はい」


「上から斬っても、横から斬っても、剣で斬ることに変わりはない」


「なるほど」


「ただし、身体の使い方は違う」


 主任は、表示を見直した。


「……分類の軸を、一つ増やそう」


「術式の目的と、発現の経路を、分けますか?」


 隣の研究者が言った。


「たぶん」


「たぶん?」


「今は、まだ決めるな」


「了解です」


 ◇


 アレシナは、少し笑った。


 昨日、日本人は何もかも完成しているように見えた。それが今日は、目の前で分類表を書き直している。


「こういうところも」


 学者代表が、小声で言った。


「普通なのですね」


「何が?」


「間違えるところが」


 ◇


 次は、魔力の話だった。


「魔力というものを」


 日本側の研究員が言った。


「ヴァレシアでは、どのように定義していますか?」


 魔術師代表は、困った顔をした。


「魔力は、魔力です」


「ですよね」


「魔力では、駄目なのですか」


「困っているんです」


「なぜです?」


「測ってみると」


 画面が切り替わった。


「一つのものではないように、見えるからです」


 ◇


 日本側の暫定的な仮説では、魔法を使う際の現象は、少なくとも「魔力量」という一つの単純な値だけでは説明できなかった。


 身体の内側に、魔法現象へと変換できる状態がどれほどあるのか。それをどれほど速く動かせるのか。どれほど効率良く外の世界と結びつけられるのか。どれほど精密に形を与えられるのか。そして、どれほど長く安定させておけるのか。


 ◇


「例えば」


 研究員が説明した。


「大きな魔法を一度だけ使える人と、小さな魔法を長時間使える人がいるとします」


「違う人ですね」


「ですよね」


「もちろんです」


「でも、どちらの人についても、“魔力が強い”と言うことがありますか?」


「あります」


「そこなんです」


 ◇


 日本側では便宜上、魔力をいくつかの要素に分けて考え始めていた。「保有能力」「瞬間出力」「持続出力」「変換効率」「制御精度」「外界結合性」。ただし、そのすべてが暫定的なものだった。


 ◇


「あなた方は、魔力を」


 ファルネが聞いた。


「水のようなものだと考えているのですか?」


「最初は、そうでした」


 主任が答えた。


「貯水池があって、そこから水を流すようなモデルを考えていたんです」


「違います」


「やっぱり、そうですか?」


「少なくとも」


 ファルネは、自分の胸に手を当てた。


「私は、違うと思います」


「どう違うのです?」


「水なら」


 彼は、少し考えた。


「使ったら、減るだけでしょう」


「はい」


「でも魔力は、使い方が悪いと、まだ残っているのに使えなくなってしまうのです」


 主任の顔色が変わった。


「それです」


「何が?」


「詳しく、聞かせてください」


 ファルネは、少し怖くなった。


 ◇


「例えば」


 ファルネは説明した。


 若い魔術師が、力任せに術を使ったとする。魔力そのものは、まだ残っている。だが、流れが乱れ、呼吸が乱れ、集中が途切れる。すると、同じ術が、急に安定しなくなるのだ。


「休めば?」


「戻ります」


「どのくらいで?」


「人によります」


「食事は?」


「関係あります」


「睡眠は」


「あります」


「脱水は」


「何です、それは?」


「水が足りない状態です」


「それは、かなり悪い」


「低酸素は」


「高い山なら、悪くなります」


「体温は」


「熱を出したときも、駄目ですね」


 質問は、止まらなかった。


 魔術師代表が、アレシナに囁いた。


「捕まえた獲物を調べるときの目ですね」


「あなたが言うと、怖いわ」


 ◇


 研究主任は、一つの仮説を消した。


『魔力=体内に蓄積された、単純なエネルギー』


 その横に、新しい文字が書き加えられた。


『生体の状態との結びつきが強い。単純な蓄積量のモデルでは不足』


 ◇


「では、今度は」


 次の被験者は、日本人だった。転移の後、比較的早い時期に魔法の発現が確認された、二十代の女性である。


「初歩的な移動の操作を行います」


 机の上に、軽い球が置かれた。


「お願いします」


 女性は球を見つめ、集中した。球が、わずかに動いた。


 ファルネが、眉を寄せた。


「もう一度」


 今度は、数ミリ動いた。


「……」


「どうですか?」


 主任が聞いた。


「上手です」


 ファルネが答えた。


「本当に?」


「はい」


「ヴァレシアの基準では?」


「初心者です」


「やっぱり」


「でも」


「でも?」


「変なのです」


 日本側の空気が変わった。


「何が、です?」


「力が、細い」


「はい」


「弱い」


「はい」


「でも」


 ファルネは、球を見つめた。


「まっすぐなんです」


「……まっすぐ?」


「初心者は」


 ファルネは、自分の手で何かを掴むような仕草をした。


「もっと、揺れるものなのです」


「球が、ですか?」


「魔力が」


「見えるのですか?」


「感じるのです」


「どのように?」


「……」


 ファルネは、困ってしまった。


 ◇


 そこで、最初の壁にぶつかった。日本側は説明を求めるが、ヴァレシア側には、それを説明することができないのだ。


「音ですか?」


「違います」


「熱?」


「違います」


「圧力?」


「違います」


「触覚?」


「少し、近いかも」


「色?」


「違います」


「流れ?」


「それは、近い」


「方向は?」


「あります」


「強さは?」


「あります」


「質は?」


「あります」


「質、とは?」


「質です」


「……」


 研究員が、額を押さえた。


「日本語でも」


 主任が言った。


「職人の感覚を、全部言葉にするのは難しいですからね」


「職人?」


「刃物を研ぐ人が、指で触って“まだ駄目だ”と分かる。でも、それを数値で説明するのは難しいんです」


「なるほど」


 ファルネは、少し安心した。


「それです」


 ◇


 日本側は、そこで方法を変えた。


「では」


 主任が言った。


「説明は、しなくていいです」


「いいのですか?」


「被験者が魔法を使うたびに、“良い”“悪い”“強い”“弱い”“乱れている”“滑らか”──あなたの感覚で、答えてください」


「それだけ、ですか?」


「それだけです」


 ◇


 実験が始まった。一回、二回、三回。呼吸を変え、姿勢を変え、集中の仕方を変え、力を強めたり弱めたりする。


 そのたびにファルネが評価し、研究者たちが、それを測定結果と照らし合わせていく。


 十数回目。


「出ました」


 研究員が言った。


「何が?」


「相関の候補です」


 ファルネには、その意味が分からなかった。


 だが画面には、彼が「乱れている」と言ったときにだけ、共通して変化するいくつかの測定値が、浮かび上がり始めていた。


「これは」


 ファルネが言った。


「私が、教えているのですか?」


 主任は笑った。


「はい」


「機械に?」


「正確には」


 研究員が言った。


「私たちに、です」


 ファルネは、しばらく画面を見つめていた。


「変な国ですね」


「最近、よく言われるようになりました」


 ◇


 午後は、訓練の時間だった。ここで、ヴァレシア側が本格的に教師役を務めることになった。


「肩に、力を入れないで」


「はい」


「違います」


「入れてません」


「入っています」


「筋電図では──」


「魔力の話です」


「……はい」


「呼吸を、止めないで」


「はい」


「止まりました」


「止めてないですよ」


「魔力の方が、止まったのです」


「何ですか、それ」


「だから──」


 ファルネは、だんだんと教師の顔になっていった。


 ◇


 数名の日本人の被験者が、同じ初歩の術を試した。全員の出力が、訓練経験のあるヴァレシア人より低かった。明らかに、低い。


「やはり」


 結果を見た魔術師代表が言った。


「はい」


「あなた方は」


 一度、言葉を選んでから、彼は言った。


「魔力には、向いていないのですね」


 日本側は、妙に納得していた。


「想定通りです」


「怒らないのですか?」


「なぜです?」


「……」


「生物学的な適性の差があるのなら、それが分かった方が助かりますから」


 ◇


 日本側の研究では、人間だけでなく、犬や猫、家畜、植物、微生物など、日本に由来する生物全般で、魔法現象への反応が確認され始めていた。


 つまり、その能力は、転移の後に突然、無から生まれたわけではない可能性が高い。地球の生命にも、もともと、この世界の法則につながる性質が潜んでいた。ただ地球では、それを使うことができなかったのだ。


「皆さんの世界には」


 主任が説明した。


「この現象を発現させる環境の条件そのものが、なかったのではないかと考えています」


「魔力が、存在しなかったと?」


「それすら、まだ」


「分からない?」


「はい」


「では」


 魔術師代表が言った。


「なぜ、あなた方は我々より弱いのです?」


 主任は、少し考えた。


「これは仮説ですが」


 ◇


 こちらの世界の生命は、非常に長い進化の過程で、魔法現象が存在することを前提としてきた。代謝、神経、筋肉、循環、感覚、組織の修復──それらが、何らかの形で魔力の利用と結びついているのかもしれない。


「魔力の臓器が、あるのですか?」


 アレシナが尋ねた。


「探しました」


「ありましたか?」


「今のところは」


 主任は、首を横に振った。


「そんなに簡単な話では、なさそうです」


 ◇


 日本側が最初に疑ったのは、特殊な器官だった。新しい腺、未知の組織、魔力を生み出す臓器。だが少なくとも現時点では、一つの器官だけに説明を押し込めることはできなかった。


「全身、ですか?」


「その可能性があります」


「神経は?」


「関係しています」


「血は?」


「関係している可能性があります」


「呼吸は」


「関係します」


「筋肉は」


「それもです」


「つまり?」


「全部、調べています」


 魔術師代表が、笑った。


「それなら、昔の我々の学者と同じですね」


「昔の?」


「魔力は心臓に宿る。いや、脳だ。血に宿る。骨に宿る。魂に宿る──」


 主任も、少し笑った。


「全部、ありましたか?」


「全部です」


「結論は?」


「簡単な場所には、ない」


 ◇


 数百年、あるいはもっと長い時間をかけて、ヴァレシアの人々が経験によって辿り着いた結論。日本人は巨大な装置を並べて、それと同じ入口に立っていたのだ。


 ◇


 しかし、差もあった。


 視察は続き、日本人の被験者たちへの指導も、日を追って重ねられていった。訓練を始めて三日目のことだ。


「昨日より」


 ファルネが言った。


「良くなっていますね」


「どのくらいです?」


「かなり」


「数値では」


 研究員が言った。


「制御の誤差が、昨日と比べて三割ほど縮小しています」


 ファルネは、画面を見た。


「三割?」


「はい」


「一日で?」


「はい」


 ヴァレシア側が、沈黙した。


「もう一人は」


 こちらも、改善していた。さらにもう一人も、改善していた。


「おかしい」


 魔術師代表が言った。今度は、ヴァレシア側が困る番だった。


「何がです?」


「速い」


「何がです?」


「覚えるのが」


 ◇


 日本人の魔力への適性は、低い。出力も弱い。同じ期間だけ訓練すれば、ヴァレシア人の方が強い魔法を使える可能性が高い。


 だが、日本人には、別のものがあった。


 記録、測定、映像、反復、個人差の比較。呼吸、睡眠、食事、姿勢、集中の仕方、休憩の時間。それらを一つずつ試し、効いたものだけを残していくのだ。


 ◇


「昨日」


 ファルネが、被験者の女性に言った。


「力を押し出すな、と言いましたね」


「はい」


「今日は、もうやっていない」


「昨日の映像を見ましたから」


「映像?」


「失敗したときと成功したときの、身体の状態を比べて」


「……」


「寝る前には、練習用のシミュレーションもやりました」


「寝る前に?」


「はい」


「休みなさい」


 研究者たちが、笑った。


 だが、ファルネは笑わなかった。


「本当に」


 彼は言った。


「休みなさい」


 空気が、少し変わった。


「魔力は」


 ファルネは続けた。


「使えば使うほど上手くなる、とは限らないのです」


「はい」


「無理をすると」


 彼は、自分の胸を指した。


「変な癖がつく」


「癖、ですか?」


「流れの、です」


「矯正はできますか」


「できます」


「その方法は」


「だから」


 ファルネは、少し怒った顔をした。


「今は、休むことです」


 ◇


 主任が、すぐに記録係に言った。


「訓練の手順に、休息の項目を追加」


「はい」


「ファルネさん」


「何です?」


「休息の期間についての考え方を、あとで教えてください」


「……」


 ファルネは、頭を抱えた。


「あなた方は」


「はい」


「本当に、何でも調べるのですね」


「仕事ですので」


 ◇


 その日の夕方、視察団は、別の部屋の前を通りかかった。


 そこには、歴史の資料が並んでいた。技術史、農業史、公衆衛生史、製鉄史、窯業、製紙、測量、水利、建築、機械、化学。紙の本だけではない。膨大な資料が検索され、比較されていた。


「これは」


 アレシナが聞いた。


「魔法の研究ですか?」


「別の班です」


「何をしているのです?」


 日本側の担当者は、少し迷ってから答えた。


「ヴァレシアでも作れる技術を、探しているんです」


 視察団の足が、止まった。


「日本の機械を」


 商人代表が言った。


「売るためですか?」


「逆です」


「逆?」


「日本製の装置を渡して」


 担当者は言った。


「故障したら日本に直してもらうしかない、という状態を、避けたいんです」


 ◇


 そこにあったのは、数百年前──あるいはさらに昔の、日本自身が今よりはるかに貧しかったころの資料だった。人々が、どんな材料で、何を作っていたのか。


「現地で、材料が取れるか」


 担当者は言った。


「はい」


「現地の職人に、作れるか」


「はい」


「修理ができるか」


「はい」


「燃料や交換部品を、継続して用意できるか」


「……」


「それから」


「何です?」


「導入した結果」


 少し、間があった。


「仕事や社会を、壊しすぎないか」


 ◇


 アレシナは、資料を見つめた。


 最新の技術を、そのまま持ち込むのではない。日本人は、自分たちの歴史を、さかのぼって調べていたのだ。


「面白い」


 学者代表が言った。


「何が?」


「あなた方は」


 彼は、日本側を見た。


「未来から来たのに、過去を探している」


 担当者は笑った。


「未来のものが、いつでも一番役に立つとは限りませんから」


 その話は、そこで終わった。詳しい説明は、また後日ということになった。だが、アレシナはそのことを覚えておいた。


 ◇


 夜、視察団の会議が開かれた。


「今日の感想を」


 アレシナが言った。


「怖いです」


 魔術師代表が答えた。


「昨日も、誰かがそう言っていたわね」


「種類が、違うのです」


「何が怖いの?」


「日本人の魔力は、弱い」


「ええ」


「少なくとも、今は」


「ええ」


「でも」


 魔術師は、しばらく考えた。


「弱いからこそ、全部を調べる」


 ファルネも、頷いた。


「我々なら、子供が火を出せたら、“出せた”と考えます」


「日本は?」


「なぜ出たのか。なぜ今日は、昨日よりよく出たのか。なぜ疲れるのか。なぜ人によって違うのか──全部、聞くのです」


「それは」


 学者代表が言った。


「悪いことなのですか」


「分かりません」


 ファルネは、本気で分からないという顔をした。


「だから、怖いのです」


 ◇


 アレシナは、昼間の研究室を思い出していた。


 日本は、魔法を知らなかった。本当に、知らなかったのだ。だからこそ、ヴァレシア人の言葉を、子供のように聞いた。


 そして、一度聞いたことを測り、測ったことを比べ、比べたものを訓練に戻していった。


「たぶん」


 アレシナが言った。


「日本人は」


「はい」


「魔法が、得意になるわ」


 魔術師代表が、首を振った。


「我々より、ですか?」


「そこまでは言っていないわ」


「では」


「弱いままかもしれない」


 生まれつき、こちらの世界の生命の方が、魔力に適している。それは今日の研究で、むしろはっきりしたことだった。


「でも」


 アレシナは、一度考えてから言った。


「弱いものを、上手に使うようになる」


 部屋が、静かになった。


「それは」


 ファルネが言った。


「強い、というのとは違うのですか?」


 誰も、すぐには答えなかった。


 ◇


 日本人に、大きな魔力はない。少なくとも、今は。


 だが日本は、一・七グラムの球を数ミリ動かしただけの現象を、国家として研究の対象にした。犬が水を弾けば、それを記録した。稲が少しだけ異常な耐性を示せば、それを調べた。人が昨日より少し上手くなれば、その理由を探した。


 ヴァレシアでは、魔法は何千年も前から世界にあった。日本では、まだ一月にも満たない。その差は、途方もなく大きい。


 だからこそ、ファルネは最後にもう一度、口を開いた。


「殿下」


「何?」


「やっぱり」


 彼は、窓の向こうの研究棟を見た。


「少し、怖いです」


 ◇


 そのころ研究室では、日本側の主任も、似たようなことを言っていた。


「どうでした?」


 若い研究員が聞いた。


「ヴァレシアの魔術師は」


 主任は、今日の記録に目を通した。灯火、魔力の循環、休息、感覚、術式。どれも、数値ではまだ説明できない。


 ファルネが一瞬で気づいた乱れを、最新のセンサー群は、後になってようやく候補として拾い上げたのだ。


「すごいよ」


 主任は言った。


「日本人より、ですか?」


「比べものにならない」


「魔力の量で?」


「それもある」


「では」


「経験だよ」


 何世代も、何百年も、何千年もかけて、試し、失敗し、命を落とし、教え、残してきたもの。日本には、それがない。


「機械で」


 若い研究員が言った。


「追いつけますかね」


 主任は、首を横に振った。


「そう考えない方がいい」


「では」


「教えてもらうんだ」


 短い答えだった。


「その上で」


 主任は、表示を見つめた。


「測れるところを、測る」


「測れないところは?」


 主任は、少し笑った。


「測れるようになるまで──」


 主任は、そこで少し言葉を止めた。


「まずは、ちゃんと聞くことだ」


 ◇


 この日、日本とヴァレシアの間で、初めて一つの関係がはっきりと形になった。


 日本が教える国で、ヴァレシアが教わる国──ではない。少なくとも魔法については、その逆だった。


 そして、その逆転を、どちらもそれほど嫌がらなかった。


 ◇


 後に、日本とヴァレシアの共同魔法研究の歴史を記した者は、この時期をこう評している。


 日本は、魔法を発見したのではない。すでに魔法を知っていた人々と、出会ったのだ──と。


 そしてヴァレシアもまた、この日初めて、自分たちが何千年も当たり前に使ってきたものを、それを知らない人間の目で見ることになったのである。

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