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第20話:人を支えるもの


 翌朝、ヴァレシア王国の視察団が最初に向かったのは、病院だった。


 ◇


「城ではないのですか」


 医師代表が言った。


「病院です」


「……本当に?」


「はい」


 日本側の担当者は、昨日から、この種の質問に慣れ始めていた。


 大きく、明るく、清潔な建物。それだけなら、まだ理解できる。ヴァレシアにも、王侯や裕福な商人のための療養院なら、それなりのものがある。


 だが、入口を通っていく人々が違った。老人、子供、働き盛りの人々、母親、職人らしい服装の男、学生。誰一人として、貴族らしくは見えなかった。


「ここにいる全員が」


 ヴァレシアの医師が尋ねた。


「ここで、診てもらえるのですか?」


「基本的には」


「料金は」


 説明が始まった。公的な医療、保険、自己負担、高額な治療、社会保障。翻訳はできた。だが、理解するには少し時間がかかった。


「つまり」


 医師が言った。


「金がないから診察を受けられない、ということは」


 日本側の医師は、少し考えてから答えた。


「制度の上では、それをできるだけ起こさないようにしています」


「できるだけ?」


「完全ではありません」


 その答えに、医師は少し安心した。


「日本にも、失敗はあるのですね」


「山ほどあります」


 即答だった。


 ◇


 診療区域で、最初の衝撃があった。


「この方は」


 ヴァレシアの医師が、一人の男性に目を留めた。


「患者さんですか」


「はい」


「お歳は」


 本人の許可を取ってから、通訳が尋ねる。


「八十九歳です」


「……」


 男性は、普通に歩いていた。杖もつかず、看護師と言葉を交わしながら。


「何のご病気で?」


「膝の関節を治療した後の、経過の確認です」


「膝?」


「軟骨の再生治療を受けているんです」


 医師の顔が、止まった。


「再生?」


「はい」


「薬で?」


「細胞を使った治療も含みます」


「軟骨を」


「ある程度は」


「生やす、と?」


「簡単に言えば、そうです」


 医師は、自分の膝に目を落とし、それから八十九歳の患者を見た。


「……八十九」


「はい」


「それで、歩いている」


「はい」


「膝を治して」


「はい」


 それは、昨日の「普通」という言葉とは、また違う種類の恐怖だった。


 ◇


「人間というのは」


 ヴァレシアの医師は、案内役の医師に聞いた。


「日本では、何歳まで生きるのです」


「平均寿命でしたら、百歳を少し超えます」


 数字としては、聞いていた。


「健康なままで?」


「健康寿命は、九十五歳前後です」


 これも、聞いていた。


 だが昨日は、街を歩く老人を見た。そして今日は、八十九歳の人が自分の足で病院に来ている。数字が、人間の姿になったのだ。


「九十五まで」


 医師は言った。


「働くのですか?」


「人によります」


「九十でも?」


「いますよ」


「兵士も?」


「それは、また別の話です」


「農民は」


「職業と、ご本人次第でしょうね」


「医師は?」


「いますよ」


 ヴァレシアの医師は、しばらく黙り込んだ。


「私は、五十四歳です」


「はい」


「日本でなら」


「はい」


「若い方ですか?」


 日本側の医師は、少し困った顔をした。


「若者とは言いません」


「そこまでではない、と」


「でも」


 彼は笑った。


「引退を考えるような年齢では、ありませんね」


 ヴァレシアの医師は、深く息を吐いた。


「妻に、聞かせてやりたい」


 ◇


 次は、治療の設備だった。


 映像、血液、臓器、骨、細胞。病気を、体の外から──あるいは体の中から見ることができる。魔法ではない。


「透視ですか?」


 魔術師の代表が尋ねた。


「似ている部分はあります」


「魔力なしで?」


「はい」


「人体の中を?」


「はい」


「切らずに?」


「はい」


 魔術師は、しばらくその機械を見つめていた。


「これは」


「はい」


「治療魔法より、便利な部分がありますね」


 日本側の医師は、少し嬉しそうな顔をした。


「逆の部分も、ありそうですね」


「あります」


「例えば?」


「魔力の循環に関わる障害については」


 魔術師は答えた。


「あなた方は、まだほとんど何もご存じない」


「その通りです」


 あまりにも素直な返事だった。魔術師は、少し拍子抜けした。


「反論なさらないのですか」


「知らないことは、知らないので」


「……」


「教えていただけるのなら、助かります」


 昨日の魔術師は、日本を、何でも知っている国だと思いかけていた。だが、違った。この国は、知らないことを、妙に怖がらないのだ。


 ◇


「老いというものを」


 アレシナが尋ねた。


「治せるのですか」


 医師は、すぐに首を横に振った。


「そこまではできません」


「でも、百歳まで」


「老化は、します」


 髪は白くなり、筋力も落ち、回復も遅くなる。病気も増えていく。


「ただ」


「ただ?」


「悪くなったところを、昔よりも直せるようになったんです」


 血管、関節、目、臓器、免疫、筋肉、骨。


「全部を、新しく?」


「そんなに都合よくはいきません」


「若返る薬は?」


「限定的なものなら」


「二十歳に戻れる?」


「無理です」


 アレシナは、なぜか少し安心した。


「では」


「はい」


「百歳の人は、百歳のまま?」


「百歳です」


「ただ」


「昔の百歳よりも」


 医師は言った。


「元気でいられる期間が、長いんです」


 ◇


「元気でいられる、期間」


 ヴァレシアの医師は、その言葉を、何度も小さく繰り返していた。


 ◇


 病院を出るころには、彼の手帳は半分近く埋まっていた。


 だが、最後に書き留めたのは、高度な治療法のことではなかった。


『病気になってから治すだけではない』


 そして、その下に。


『病気にならない時間を、伸ばす』


 ◇


 次の視察先は、学校だった。


 ◇


「子供が、多いですね」


 当たり前の感想だった。


「学校ですから」


 日本側の担当者が答えた。


「そういう意味ではなく」


 学者代表は、少し困った顔をした。


「全員が、ですか?」


「何がです?」


「学んでいるのは」


「はい」


「全員?」


「基本的には」


 昨日、同じやり取りを何度繰り返しただろう。


 ◇


 ヴァレシアにも、学校はある。


 教会、都市、魔術師ギルド、貴族の家、商人の組合。学ぶ場所は、珍しくはない。文字の読める者も、周辺の国々と比べれば多い方だ。


 だが、国中の子供たちが当たり前のように学校へ通う、という意味ではなかった。


「農村でも?」


「はい」


「漁村でも?」


「はい」


「山の中でも?」


「はい」


「貧しい家でも?」


「はい」


「娘も?」


「もちろんです」


 学者は、一瞬アレシナを見た。


「殿下」


「何?」


「今の質問は、お忘れください」


「覚えておくわ」


 ◇


 教室に入ると、子供たちが視察団を見つめた。視察団も、子供たちを見つめた。互いに、相手が珍しかった。


 日本の子供たちにとっては、異世界から来た王女と魔術師。ヴァレシアの人々にとっては、ごく普通に読み書きをし、数字を扱い、世界地図を見ている、庶民の子供たち。


 ◇


「これは」


 学者が、教材を手に取った。


「何歳向けのものです?」


 答えを聞いて、彼は黙り込んだ。もう一度、教材を見る。


「……本当に?」


「はい」


 計算、自然、社会、言語、歴史。ヴァレシアであれば、専門教育に入り始める年齢になって、ようやく初めて扱う内容もある。


 もちろん、日本の子供たちが全員天才というわけではない。分からない子もいれば、間違える子もいる。隣の子と話していて教師に注意される子もいるし、眠そうにしている子までいる。


 そのことが、逆に、学者には恐ろしかった。選ばれた神童ではない。普通の子供たちなのだ。


 ◇


「教師は」


 学者が尋ねた。


「これを全部、覚えているのですか?」


「全部、というと?」


「これほど多くのことを」


「教師にも、それぞれ専門があります」


「では、子供一人に対して、何人もの教師を?」


「そういうことになりますね」


「……贅沢だ」


 学者は、素直に言った。日本側の教師が、少し笑う。


「教育には、お金がかかります」


「それでも、ですか?」


「必要なことですから」


 短い答えだった。


 ◇


 端末、映像、立体表示、一人ひとりに合わせた学習支援、AI。そこでも、ヴァレシアの人々は驚いた。


 だが、学者が一番長く見つめていたのは、機械ではなかった。教師だった。


 一人の子供が、問題を間違えた。教師が説明し、子供はもう一度考え、また間違えた。


 教師は、怒鳴らなかった。答えを教えることもしなかった。別の方法で説明し直したのだ。


 そして三度目、子供は自分の力で答えを出した。


「なるほど」


 学者が呟いた。


「何が?」


 アレシナが聞いた。


「昨日」


「ええ」


「誰がこの国を作ったのか、と申し上げました」


「そうね」


「少しだけ」


 学者は、教室を見渡した。


「その答えが、分かりました」


 ◇


 学校を出ると、校庭から子供たちの声が聞こえてきた。アレシナは、少し立ち止まった。


「父上が」


「はい」


「国の強さは、兵士の数だけでは決まらない、と言っていたことがあります」


 学者は頷いた。


「正しいと思います」


「なぜ?」


「兵士は」


 学者は言った。


「一世代で、死んでいきます」


「……」


「でも」


 彼は、校舎を見上げた。


「教育は」


 一拍、置いて。


「次の世代にも、残るのです」


 ◇


 午後、一行は都市を離れた。


 ◇


「ここからが、私の出番です」


 農業代表が、少し元気を取り戻した。


 病院も学校も、彼にとっては専門外だった。だが、畑なら自分の世界だ。


 日本がどれほど進んでいようと、土と水と種と太陽、そして作物。そこだけは変わらないはずだ──彼は、そう思っていた。


 ◇


「……人は?」


 最初に出てきた言葉が、それだった。


 ◇


 広い平野だった。耕地が、規則正しく続いている。


 だが、農民の姿がほとんど見えない。代わりに、機械が動いていた。大きなものも、小さなものもある。人の乗っていないもの、低く飛ぶもの、地面を走るもの、作物の列に沿って進んでいくもの。


「今日は」


 農業代表が言った。


「お休みなのですか?」


「いいえ」


「では」


「作業中です」


「誰がです」


 日本側の担当者は、畑に目をやった。


「機械が、です」


 ◇


 農業代表は、しばらく何も言わなかった。


 ◇


 土壌、水分、栄養、病気、害虫、生育の具合、天候、収穫の時期。すべてが測られ、必要な場所に、必要なだけの水と肥料と防除が施される。


 人間は判断し、計画し、監督し、修理をする。だが、何十人もの人が腰を曲げて、広大な土地を歩き回るわけではない。


「一人で」


 農業代表が聞いた。


「どれだけの広さを見るのです」


「昔より、かなり広い範囲を管理できます」


 日本側の農業関係者は、具体的な面積ではなく、そう答えた。数字を、まだ勝手に独り歩きさせないためだった。


 だが、ヴァレシア人にとっては、それで十分だった。


「だから」


 彼はまた、その言葉を口にした。


「八千三百万人を──」


 ◇


 昨日、港で、彼は同じ言葉を呟いた。だが今日、その意味は少しだけ変わっていた。


 ◇


「しかし」


 彼は、少し安心したように言った。


「これは、平地だからできることでしょう」


「そうですね」


「山では、無理でしょう」


「同じ方法では、難しいです」


「やはり」


 初めて、勝ったような顔をしていた。アレシナは、嫌な予感を覚えた。


 ◇


 一行は、移動した。


 ◇


 着いたのは、中山間地域だった。


 畑は小さく、曲がりくねっている。段差があり、斜面があり、道も狭い。ここなら、ヴァレシアにも似ている。


「ほら」


 農業代表が、少し嬉しそうに言った。


「機械は、入れない」


「大型の機械は、入りにくいですね」


 日本側の担当者が答えた。


「でしょう」


「ですので」


 向こうから、人が歩いてきた。


 ──いや、違った。


 ◇


「……人、か?」


 ◇


 二本の足に、二本の腕。頭と胴がある。人間に近い姿だが、人間ではない。それは荷物を抱えて、畑の畝を進んでいた。その隣には、高齢の農家の人が歩いている。


「何です、あれは」


 魔術師が言った。


「人形?」


「作業用のロボットです」


 農業代表が、黙り込んだ。


「魔法の人形ですか?」


「魔法は使っていません」


「ゴーレム?」


「違います」


「では」


「機械です」


 昨日から、「機械」という言葉が、何にでも出てくる。


 ◇


 ロボットは畑で箱を運び、作物の具合を確かめていた。人間が指示を出すと、別の作業に移っていく。


 動きは、人間そのものではない。だが、斜面でも、狭い場所でも、車輪で走る大型の農機よりはるかに柔軟だった。


「これを」


 農業代表が尋ねた。


「農家が一軒ずつ持っているのですか?」


「必ずしも、そうではありません」


「では」


「共同で利用することも多いですね」


「共同で?」


「地域や事業者で保有して、必要なときに借りるんです」


「借りる?」


「はい」


「高価だからですか?」


「個人で何台も持つより、効率がいいので」


「これは」


 彼は、ロボットを見つめた。


「ものすごく、高価なのでは」


「高性能なものは高いですが、農作業用の一般的な型なら、比較的安価ですよ」


 沈黙が落ちた。


 ◇


「比較的」


 農業代表は、ゆっくりと繰り返した。


「何と、比べて?」


 日本側の担当者は、困った顔をした。


「……他の、ロボットと?」


 アレシナは、顔を伏せた。笑ってしまいそうだった。


 ◇


 高齢の農家の人が、通訳を介して、視察団に説明してくれた。


 昔、中山間地域では、人が減ると農地を維持できなくなるという問題があった。大きな機械は入りにくく、若い働き手も少ない。そこで、小型の機械や無人機、そして人型のロボットを、地域で共有するようになったのだという。


「あなたは」


 農業代表が聞いた。


「お幾つなのですか」


 農家の人は、七十代だと答えた。


 ヴァレシアの人々は全員、少しだけ反応した。昨日なら、驚いていただろう。だが今日は、病院を見た後だった。


「まだ、お若い」


 誰かが呟いた。


 今度は、日本人の方が変な顔をした。


 ◇


「この人形が」


 農業代表は、まだロボットのことを人形と呼んでいた。


「もし、なかったら」


「もっと大変でしょうね」


「何人分の働きをするのです?」


「作業によります」


「疲れないのですか?」


「充電は必要です」


「食事は」


「しません」


「眠りは?」


「しません」


「文句は」


 日本の農家の人は、一瞬考えた。


「故障すると、ある意味で、かなり文句を言いますね」


「喋るのですか?」


「警告を出すんです」


「なるほど」


 ヴァレシアの農業代表は、なぜかそこだけ納得した。


 ◇


 畑の端には、小さな建物があった。農産物の加工設備があり、販売もしていて、配送も手がけている。観光客向けの商品や、食事まで出していた。


「農家、なのですよね?」


 アレシナが尋ねた。


「はい」


「お店も?」


「はい」


「加工も?」


「しています」


「運送も?」


「一部は、外部に委託しています」


「……いったい、何屋さんなの?」


 日本側の担当者が、少し笑った。


「それは昔から、日本でも議論があるんです」


 ◇


 農業代表の手帳も、埋まり始めていた。だが、彼が最後に書き留めたのは、機械の名前ではなかった。


『広い土地では、巨大な機械』


 その下に。


『狭い土地では、人の形をした機械』


 そして少し考えてから、さらに一行。


『土地を捨てないために、方法を変える』


 ◇


 帰りの列車の中で、視察団は昨日よりも静かだった。


 驚き疲れた、というのもある。だが、それだけではなかった。


 昨日見たものは、大きく、速く、便利なものだった。今日見たものは、違っていた。


 ◇


「殿下」


 学者が言った。


「何?」


「日本は」


「ええ」


「なぜ、強いのでしょう」


 アレシナは、すぐには答えなかった。


「船かしら」


「違うと思います」


「兵器?」


「それも、結果でしょう」


「人口?」


「それだけなら──」


 学者は、窓の外を見た。農地、住宅、遠くの町。


「八千三百万もの人が、百年近く健康に生きる。ほぼ全員が学ぶ。少ない人数で、広い土地を耕す。そして、それを」


 少し考えてから、彼は言った。


「何世代にもわたって、続けている」


 アレシナも、窓の外を見た。


「父上が、言っていたわ」


「何と?」


「弱い王国に、自由も独立もない、と」


「はい」


「私は」


 一拍、置いて。


「強い国というのは、大きな砲をたくさん持っている国のことだと思っていた」


「今は?」


「分からなくなったわ」


 ◇


「私は、少し違います」


 前の席から、医師代表が会話に加わった。


「何が?」


「強い国というのは」


 彼は、自分の手帳を閉じた。


「人が、簡単には死なない国なのかもしれません」


「食えなくならない国」


 農業代表が言った。


「知らないままにしない国」


 学者が言った。


「知らないことを、認められる国」


 魔術師が言った。


 そして最後に、商人代表が言った。


「それでいて」


「何?」


「金を払って、外国の食べ物を買いたがる国」


 数秒の静寂の後、アレシナが笑った。全員も、少し遅れて笑った。


 ◇


 その夜、アレシナは、王都へ送る中間報告を書いた。


 何から書くべきか、迷った。病院、学校、農業。どれも重要だった。何度か文章を書いては、消した。


 最後に、冒頭にこう記した。


 ──日本国の力を、保有する兵器のみから判断することは適切ではない。


 一行、空ける。


 ──彼らの強さは、日常の生活を維持する能力そのものにある可能性が高い。


 また、手が止まる。それから、続けた。


 ──高齢者を長く健康に保つ医療。


 ──国民に広く行き渡った教育。


 ──人口が減る中でも、農地を維持する自動化。


 ──そして、それらを一部の富裕層の特権としてではなく、社会の制度として、広く運用していること。


 そこまで書いて、アレシナは思った。


 これを、父はどう読むだろう。


 ◇


 同じころ、ヴァレシアの王宮では、アルヴェリオ三世が、まだ届いていない報告を待ちながら、別の文書を読んでいた。


 ベルカディア、ヴァルガニア、東海岸、商人、諸侯。日本が現れてから、紙が増えた。


「陛下」


 宰相が言った。


「王女殿下は、今ごろ」


「驚いているだろうな」


「何に、でしょう?」


 アルヴェリオは、少し考えた。


「軍艦ではないと思う」


「では」


「分からん」


 王は、机の上の日本関係の資料を見つめた。


「だから」


 一度、息を吐く。


「行かせたのだ」


 ◇


 その答えの要旨が届いたのは、翌朝のことだった。


 王は報告の最初の数行を読むと、しばらくのあいだ動かなかった。


「何と?」


 宰相が尋ねた。アルヴェリオは、紙から目を離さずに言った。


「やはり」


「はい」


「船では、なかった」


 ◇


 ヴァレシアの人々は、日本へ来る前、八千三百万という数字に驚いた。その人口を養う国力に、恐怖した。「いわみ」を見て、その技術に驚いた。宇宙の話を聞いて、理解することを諦めた。


 だが、実際に日本を歩いてみて、少しずつ、違うものが見え始めていた。


 日本の強さとは、一隻の船ではない。一機の航空機でも、一門の砲でもない。


 百歳近い人が、朝、自分の力で起きる。子供が、当たり前に学校へ行く。広い平野を、少ない人数で耕す。山あいの小さな畑を、機械と老人が守る。水が出て、列車が走り、病院が開き、学校が始まり、畑に作物が育つ。


 そして翌日も、同じことが続いていく。それを八千三百万人分、何十年も、何百年も続けてきたのだ。


 それが国家というものなのだとしたら、ヴァレシア王国が日本から本当に学ぶべきものを、視察団はまだ、何一つ持ち帰れてはいなかった。

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