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第19話:普通の国


 日本へ行く。


 その言葉を聞いたとき、ヴァレシア王国の視察団の多くが最初に思い浮かべたのは、あの白い船だった。


「いわみ」。帆もなく、櫂もなく、風も使わずに海を走る船。鋼でできていて、火を吐く小さな砲を備え、遠くを見通す目を持ち、夜の海でも周囲の様子が分かるという。


 そして、あれが軍艦ではないという事実を、ヴァレシア側はまだ完全には飲み込めていなかった。


 だから、日本へ行けば、もっと凄いものを見ることになるのだろう──誰もが、そう覚悟していた。巨大な軍艦、空飛ぶ機械、途方もない建物、魔法なしで動く奇妙な装置。おそらく、そういうものに驚かされるのだろう、と。


 王女アレシナも、そう思っていた。


 ◇


 それは、間違いだった。


 ◇


「……あれは」


 ヴァレシアの商人代表が、窓の外を見たまま言った。


「全部、港なのですか」


「はい」


 日本側の案内官が答えた。


「全部?」


「見えている範囲については」


「……」


 船は、日本の港へと近づいていた。まだ、岸壁に着いてすらいない。それなのに、商人はもう質問をやめていた。


 アレシナも、何から聞けばいいのか分からなかった。


 港が大きい、という言葉では足りなかった。


 リヴァーノも港町だ。ヴァルカッサもそうだし、ベルカディアの大きな港についても、アレシナは知識として知っている。何十隻もの船が停泊し、倉庫が並び、荷車が絶え間なく行き交う。それが、大きな港というものだ。


 だが、日本の港は違った。


 海岸そのものが、港湾の設備になっているのだ。岸壁、倉庫、塔、巨大な箱のような施設、水平に延びる構造物。何本もの道路、線路、高架。そして、大小の船。あまりにも数が多い。遠くにあるものは、建物なのか船なのか、すぐには見分けがつかなかった。


「殿下」


 海運に関わる者として同行した男が、珍しく小声で言った。


「何?」


「私には」


 男は、一度息を呑んだ。


「船の大きさが、分かりません」


「あなたが?」


「比べるものが、ないのです」


 ◇


 港の中には、人が少なかった。そのことも、ヴァレシア人たちを混乱させた。


 これほどの港なら、何万人もの人が働いているのだろう、とアレシナは考えていた。荷役の人夫、綱を取る者、監督、荷車に馬、倉庫番、税吏、船員。怒鳴り声、鐘、笛の音──そういうものが、ほとんどない。


 代わりに、機械が動いていた。巨大な荷物が、ひとりでに運ばれていく。車両が、人にも馬にも引かれずに道を進んでいく。しかも、運転している人間の姿が見えないものまである。


「人は、どこに?」


 農業代表が聞いた。


「いますよ」


 日本人が答えた。


「どこにです」


「管制室や整備区画にもいますし、現場にもいます」


「少なすぎませんか」


「昔に比べれば、かなり少なくなりました」


「これだけの荷を?」


「はい」


「この人数で?」


「はい」


「……」


 農業代表は、畑を見るときのような目で、港を見つめた。


 人間が働いていないわけではない。一人の人間が、昔なら何十人も必要だった仕事を、機械と一緒に動かしているのだ。


「だから」


 彼は呟いた。


「八千三百万人を──」


「何?」


 アレシナが聞いた。


「いえ」


 男は首を振った。


「少しだけ、分かった気がしたのです」


 ◇


 入国の手続きは、さらに奇妙なものだった。


 待たされた。それも、かなり長く、厳しく。健康状態、持ち物、接触歴、食べ物、植物、動物に由来する品、魔法用品──細かく確認された。


 だが、役人が紙の山を積み上げているわけではなかった。


「もう、終わりですか?」


 商人代表が聞いた。


「入国の手続きについては」


「書類は?」


「処理済みです」


「いつ?」


「今です」


「……」


 日本側の通訳が、少し困った顔をした。


「皆さんの提出情報は、事前に登録されていますので」


「誰が、書き写したのです?」


「書き写してはいません」


「では、どうやって」


 説明が始まった。機械、情報、登録、照合、自動化。言葉そのものは分かる。文章としても翻訳される。だが、その意味が、どうしても頭に入ってこない。


 アレシナは、途中で理解することを諦めた。


「つまり」


「はい」


「同じことを、何人もの人が書き直さなくていい、ということ?」


「そういう理解で大丈夫です」


「それは」


 アレシナは一瞬、日本の宇宙船よりも、その制度の方が羨ましいと思った。


 ◇


 港の建物を出たところで、視察団は一度、足を止めた。日本側の案内官も、立ち止まる。


「どうかなさいましたか?」


 誰も、答えなかった。


 目の前には、道があった。ただ、それだけだった。


 広い道路と歩道。街路樹。建物。車。遠くには線路と看板。そして、人々。特別なものは何もない。少なくとも、日本人にとっては。


「これは」


 ヴァレシアの学者が言った。


「首都ですか」


「いいえ」


「王都ではない?」


「違います」


「最大の都市?」


「いいえ」


「では」


 学者は、少し怒ったような顔になった。


「いったい、何なのです」


 案内官は一瞬、その質問の意味が分からなかった。


「普通の、都市です」


 ◇


 沈黙が落ちた。


「……普通」


 誰かが、繰り返した。


 ◇


 道には、穴がなかった。


 いや、正確に言えば、探せばどこかにあるのかもしれない。だが少なくとも、馬車が跳ね上がるような穴はない。泥もなければ、轍もない。排水溝から汚物の臭いが漂ってくることもない。人と車が、それぞれ別々の場所を移動している。


 車は、大量に走っていた。それなのに、ぶつからない。


「誰が、指示を出しているのです?」


 護衛の騎士が聞いた。


「車に、ですか?」


「そうです」


「基本的には、自動運転です」


「……自動?」


「行き先を指定すれば、自分で走るんです」


 騎士は、道路を見つめた。一台、二台、十台。その向こうにも、数え切れないほど走っている。


「全部が?」


「ほとんどは」


「御者は、いない?」


「運転者という意味でしたら、それを必要としない車が一般的です」


 騎士の顔が、本気で嫌そうになった。


「信用できるのですか」


「人間が運転するよりも、事故率は低いですよ」


 少しの間があった。


「……人間より?」


「はい」


 騎士はそれ以降、しばらく車に近づこうとしなかった。


 ◇


 移動には、鉄道が使われた。


 日本側としては、特別な選択ではない。視察団を都市の中心部へ運ぶのに便利だった。ただそれだけのことだ。


 駅に入ったとき、アレシナは最初、そこを宮殿だと思った。次に、市場だと思った。そして最後に、そのどちらでもないのだと理解した。


 人が多い。とにかく多い。だが、混乱してはいない。人々はそれぞれの方向へ歩いていく。階段がひとりでに動き、人が近づくと扉が開き、案内の表示がくるくると文字を変えていく。


「殿下」


 魔術師の代表が囁いた。


「魔力を、感じません」


「どれから?」


「ほとんど、全部からです」


 アレシナは、少し笑った。


「でしょうね」


「笑い事ではありません」


 ◇


 音と風とともに、列車が滑り込んできて、止まった。扉の位置が、ぴたりと合っている。


 ヴァレシアの船乗りが、ホームと車両の隙間を見て、黙ってしゃがみ込んだ。


「何をしているの?」


「合わせているのかと思いまして」


「何を」


「停める位置を、毎回」


「そんなわけ──」


 アレシナも、一瞬考えた。


「……ないと思う」


 日本人の案内官が、横で笑いを堪えていた。


 ◇


 列車は滑るように走り出した。速い。だが、揺れない。


 窓の外には、街が続いていた。どこまで行っても、街、街、街。建物、道路、住宅、工場、学校、公園、そしてまた住宅。


「どこまでが、都市なのですか」


 学者が尋ねた。


「どこまで、と言われると」


 案内官は答えに困った。


「行政上の境界、という意味ですか?」


「目で見て分かる境界は、ないのですか」


「地方にはありますが、このあたりは市街地がずっと続いていますね」


「では」


 商人が聞いた。


「この建物の全部に、人が住んでいるのですか?」


「住宅であれば」


「全部に?」


「空いている部屋もありますが」


「そうではなくて」


 商人は、窓に顔を近づけた。


「これだけの家を」


 そこで、言葉が途切れた。


「……いったい、誰が建てたのです」


 日本人は、答えに迷った。


「……建設会社、ですかね?」


「一つの会社が?」


「いえ、たくさんあります」


 商人は、なぜか、さらに混乱した。


 ◇


 最初の視察先は、王宮でも、軍事基地でも、政府の庁舎でもなかった。住宅地区だった。


「なぜ、ここなのです?」


 アレシナが尋ねた。


「国王陛下からのご要望です」


 日本側の担当者が答えた。


「父上から?」


「はい。『普通の日本人がどう暮らしているのかを見たい』と」


 アレシナは、少しだけ父を見直した。


 ◇


 一行が案内されたのは、ごく一般的な集合住宅だった。ヴァレシア人たちは、その入口で、また立ち止まった。


「宿ですか」


「住宅です」


「高級な?」


「いいえ」


「貴族向けの?」


「違います」


「官吏向けの?」


「特に限定されてはいません」


「では」


「普通の住宅です」


 今日、三度目の、その言葉だった。


 ◇


 中へ入ると、明るかった。温度は一定で、嫌な臭いもしない。


 水が、すぐに出る。温かい水も、冷たい水も、飲める水も、大量に、いつでも出てくる。便所は室内にあって、臭わない。汚物を人が運び出す必要もない。部屋の明かりには、油も、蝋燭も、魔石も使われていない。


「この家には」


 魔術師が聞いた。


「使用人は?」


「それは、住人によります」


「この設備を維持するための、という意味です」


「この家専属の人、という意味でしたら、いません」


 沈黙が落ちた。


「では、どうやって」


「都市全体の設備として、管理されているんです」


 魔術師は、壁を見て、床を見て、天井を見た。


「王宮より──」


 そこで、言葉を止めた。


「何?」


 アレシナが聞いた。


「……何でもありません」


「言いなさい」


「王宮より、暮らしやすそうです」


 アレシナは、否定できなかった。


 ◇


「おいくらなのです?」


 そう聞いたのは、商人だった。さすがに、見るところが違う。


「購入する場合の価格ですか?」


「はい」


 説明が始まった。数字、日本の貨幣、所得、ローン、賃貸、税。翻訳と換算を挟みながら、話は進んでいく。やがて、商人の顔色が変わった。


「待ってください」


「はい」


「この家を買う人間というのは」


「はい」


「大商人ではない、と?」


「普通の勤労世帯でも、購入の対象になります」


「普通」


 また、その言葉だった。


 商人は部屋を見回し、それからアレシナのそばへ寄ってきた。


「殿下」


「何」


「まずいです」


「何が」


「私は」


 商人は、声を低くした。


「日本の商品がヴァレシアに入ってくることばかり、考えていました」


「ええ」


「違ったのです」


「何が?」


「日本人に、こちらの商品を売ることの方が、ずっと難しい」


 ◇


 アレシナは、その意味を理解するまでに、少し時間がかかった。


「彼らは」


 商人は続けた。


「すでに、持っているのです」


 良い衣服、良い家、食器、家具、道具、明かり、暖房、水──。


「便利なものを売ろうとしても」


 商人は、首を振った。


「我々より便利なものを、彼ら自身が作れてしまう」


「だから、食料を欲しがるのね」


「はい」


「木材も」


「はい」


「香辛料も」


「はい」


「お酒も」


「それもです」


「魔法の素材も」


「特に、それです」


 商人は、少し黙り込んだ。


「我々が日本に売れるのは」


「何?」


「日本に、ないものです」


 それを聞いて、アレシナは初めて、少しだけ安心した。


 ◇


 昼食も、王侯向けの宴席ではなかった。日本側は、わざと一般的な食事を用意していた。


「これが、普通ですか?」


 農業代表が、今日四度目となる質問をした。


「比較的、そうですね」


「肉がある」


「はい」


「魚も」


「はい」


「野菜も」


「はい」


「白い米」


「はい」


「果物まで」


「はい」


「これを、毎日?」


「組み合わせは変わりますが」


 男は、黙って食べ始めた。一口、二口。やがて、箸という道具との戦いを諦め、用意されていたフォークに持ち替えた。


「八千三百万人が」


 また、彼は呟いた。


「これを」


「転移の後は、食生活も少し変わるかもしれません」


 日本側が、少し訂正を加えた。男が顔を上げる。


「不足しているのですか?」


「以前は、外国から輸入していた食品も多かったものですから」


「では」


「現在、供給の体系を組み直しているところです」


「飢えるのですか?」


「その可能性を避けるために、調整しているんです」


 農業代表は、しばらく考え込んだ。


「それでも」


 彼は、皿に目を落とした。


「これが、出せる」


 ◇


 彼の驚きは、他の者たちとは少し違っていた。港や鉄道や住宅や機械よりも、彼が驚いたのは別のことだった。


「余裕が、ある」


「何?」


 アレシナが聞いた。


「この国には」


 農業代表は、食卓を見つめた。


「余裕があるのです」


「食料に?」


「違います」


 少し考えてから、彼は言った。


「何かを失っても、まだ考える時間がある、ということです」


 ◇


 転移によって、日本は、それまで当たり前に存在していた世界を失った。輸入も、外交も、海外の工場も、国外の資源も。人によっては、家族や友人も。すべてを。


 それでも、街は動いている。列車は走り、水は出て、食事は出され、役所は働き、港は動いている。人々は買い物をし、子供が歩き、老人も、ごく普通に街を歩いていた。


 ◇


「あの方は」


 医師の代表が、突然、足を止めた。


 一行がその視線の先を見ると、向こうから一人の女性が歩いてくるところだった。白髪で、背筋は伸びている。小さな鞄を手に、ゆっくりと、しかし杖もつかずに歩いていた。


「どうかなさいましたか」


「あの方は、お幾つなのでしょう」


 案内官は、困った顔をした。


「ご本人に聞いてみないと」


「六十?」


「もう少し上かもしれません」


「七十?」


「そのくらいの方は、普通に」


 女性は、視察団を珍しそうに見て、少し会釈をした。アレシナも、反射的に頭を下げた。女性は、そのまま歩いていった。


 医師は、その後ろ姿を見送っていた。


「日本人は」


「はい」


「本当に」


 一度、言葉を選んでから、彼は言った。


「百年も、生きるのですか」


「平均寿命は、百歳を超えています」


 すでに聞いていた。報告書で、数字として知っていた。だが、数字と、目の前の道を歩いている老人とは、まるで違っていた。


 ◇


 医師の顔から、血の気が引いていた。


「どうなさいました?」


「私は」


 彼は言った。


「今日、港を見ても、鉄道を見ても、驚きました」


「はい」


「でも」


 医師は、遠ざかっていく白髪の女性を見つめた。


「一番見たいものが、変わりました」


「何をです?」


「病院を」


 ◇


 夕方、一行は宿泊施設に到着した。視察団には、それぞれ部屋が用意されていた。ここでもまた、ひと騒動があった。


「全員に?」


「はい」


「一人に一室?」


「基本的には」


「使用人は」


「必要でしたら、お呼びできます」


「浴室も?」


「各部屋にあります」


「湯が出るのですか?」


「出ます」


「夜でも?」


「出ます」


「朝も?」


「はい」


「何時まで?」


「いつでも」


「……」


 日本人の担当者は、ついに尋ねた。


「何か、問題がありますか?」


 ヴァレシア人たちは、誰一人として、それをうまく説明できなかった。


 ◇


 夜。アレシナは、小さな会議室に視察団を集めた。


「初日の感想を、聞かせて」


 誰も、すぐには話し出さなかった。


「何でもいいのよ」


 最初に口を開いたのは、海運に関わる男だった。


「港を」


「ええ」


「もう一度、見たいです」


「分かったわ」


「できれば」


「何?」


「一週間ほど」


「そこまで?」


「一週間でも、足りません」


 ◇


 次は、農業代表だった。


「農場を見たいです」


「予定に入っているわ」


「普通の農場を」


「普通の?」


「王室向けのものではなく」


 アレシナは、少し笑った。


「分かったわ」


 ◇


 魔術師が言った。


「大学か、研究所を」


「魔法の研究を?」


「それもあります。ただ」


 彼は、少しためらった。


「日本人が、自分たちの知らないものをどうやって調べるのかを、見てみたいのです」


「なるほどね」


 ◇


 医師が言った。


「病院を」


「それは聞いたわ」


「できれば」


「何?」


「老人も」


「老人?」


「日本では」


 医師は言った。


「老いることそのものが、我々とは違うのかもしれません」


 ◇


 商人が言った。


「市場を」


「商業施設ね?」


「何でも構いません」


「ずいぶん曖昧ね」


「殿下」


「何」


「私はまだ」


 商人は、疲れ切った顔で言った。


「日本で何を売ればいいのか、分からないのです」


「初日よ」


「それが、恐ろしいのです」


 ◇


 最後は、学者だった。


「学校を」


「学校?」


「はい」


「大学ではなく?」


「子供の学校です」


「なぜ?」


 学者は、今日、街で見たものを思い出していた。


「この国は」


「ええ」


「こういうものを」


 彼は、机や照明、窓、そして壁の向こうに広がる都市を示した。


「誰が作ったのでしょう」


「日本人でしょう」


「だからこそ」


 学者は言った。


「その日本人を」


 一呼吸、置いて。


「どうやって育てているのかを、見てみたいのです」


 ◇


 アレシナは、父の言葉を思い出していた。どう食べ、どう働き、どう学び、どう病を治し、どうやって国を動かしているのか。


 見るべきものは、軍艦ではない。少なくとも、最初のうちは。


 ◇


「私からも、一つ」


 アレシナが言った。


「明日からは」


 彼女は、全員を見渡した。


「“これは特別なものですか”と、必ず聞くようにしましょう」


 何人かが笑った。


「なぜです?」


 アレシナは、窓の外を見た。


 夜の街に、無数の明かりが灯っている。ヴァレシアスであれば、王宮と大聖堂、裕福な商館、主要な広場──その程度の場所にしかない明るさが、地平線の果てまで続いていた。


「今日、一番怖かった言葉があるから」


「何です?」


 アレシナは答えた。


「“普通です”」


 ◇


 同じころ、日本側では、視察団の対応チームが簡単な打ち合わせをしていた。


「初日は、どうでした」


「かなり疲れているようです」


「移動させすぎましたか?」


「距離的には、大したことはありません」


「では」


「情報量でしょうね」


「明日は?」


「予定通りです。病院、教育施設、農業関係」


「軍事施設は」


「ありません」


「政府の施設は」


「後半です」


「宇宙関係は」


「まだです」


 担当者は、資料に目を落とした。


「王国側から、できるだけ普通の社会を見たい、という要望が出ています」


「普通、か」


「はい」


 担当者たちは、少し笑った。


「一番、説明が難しいやつですね」


 ◇


 その夜、アレシナはなかなか寝つけなかった。


 寝具が柔らかすぎたせいではない。室温がちょうど良すぎたせいでもない。


 窓の外、夜の日本では、まだ車が走り、列車が走っている。遠くでは、航空機の灯りが動いていた。


 どこかで何千万人もの人間が、今日と同じように食べ、働き、家に帰り、眠る。そして明日、また起きる。その当たり前を、この国は、八千三百万人分も支えているのだ。


 アレシナは、初めて「いわみ」を見た日のことを思い出した。白い船、鋼、未知の機械。あのとき、日本の力を見たのだと思った。


 だが、違った。


「あれは」


 小さく、呟く。


「入口だったのね」


 軍艦ですらない船に、驚いた。だが今日、それよりもっと恐ろしいものを見た。


 港ではない。鉄道でもない。自動で走る車でもない。水の出る住宅でもない。百年生きる人々でもない。


 ──それらすべてを、特別な奇跡としてではなく、普通の暮らしとして維持している国。


 それが、日本だった。


 そして視察は、まだ一日目だった。


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― 新着の感想 ―
なんと理性的な王国なのだろう。 わからないをわからないと言えるのは強さだわ。
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