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第22話:値段のつかないもの


 日本視察、四日目。


 ヴァレシア王国の視察団は、会議室に入った。


 ◇


 昨日までとは、少し様子が違っていた。


 病院では、見る側だった。学校でも、農場でも同じだった。魔法の研究所では、途中から教える側にも回った。だが今日は、そのどちらでもない。


「今日は」


 日本側の担当者が言った。


「交易について、お話しします」


 最も早く席に着いたのは、商人代表だった。


「ようやく、か」


 小声だった。アレシナが聞く。


「何が?」


「私の仕事です」


 ◇


 机の上には、翻訳済みの資料が置かれていた。ヴァレシア語版と日本語版、図、品目、分類。その最初の頁には、こう記されていた。


『日本側の輸入関心品目』


 商人代表は頁をめくり、もう一度めくり、それから最初の頁に戻った。


「何か?」


 日本側の担当者が尋ねた。


「いえ」


 商人は、少し困った顔をした。


「思っていたより」


「はい」


「多いのです」


 ◇


 そこには、食料が並んでいた。穀物、豆類、油脂の原料、果実、香辛料、茶に似た飲料の原料、酒類、保存食品、畜産物、水産物。


 木材、繊維、染料、樹脂、薬用植物。


 鉱石、金属資源、非金属の鉱物、工業原料。


 そして、別枠にもう一項目。


『魔法関連物質』


 ◇


「日本は」


 商人が尋ねた。


「本当に、これを買うのですか」


「条件が合えば」


「小麦も?」


「はい」


「木材も?」


「はい」


「果物も?」


「はい」


「酒も?」


「それは、需要があると思います」


「日本にも、酒はあるでしょう」


「あります」


「では、なぜ」


 日本側の担当者は、一瞬考えた。


「ベルカディアの商人にも、同じ質問をされそうですね」


「答えは?」


「外国に、酒があるからです」


 商人が止まった。


「……それだけ?」


「それだけです」


 アレシナが、少し笑った。


「日本人は」


 担当者は続けた。


「自国で作れないから輸入する、というだけではないんです。味が違うから欲しい。珍しいから欲しい。好きだから欲しい。外国に旅行へ行けないのなら、せめて外国のものを食べてみたい」


 商人の顔が、少しずつ変わっていった。


「つまり」


「はい」


「贅沢品も」


「市場になります」


 商人は、ゆっくりと椅子に深く座り直した。


「殿下」


「何?」


「あります」


「何が?」


「売るものが、です」


 ◇


 初日に日本の住宅を見て、彼は自信を失っていた。


 日本人は、すでに便利なものをたくさん持っている。それなら、ヴァレシアは何を売ればいいのか。


 答えは、意外なほど単純だった。日本にないもの。そして、日本人が欲しいと思うもの。


「では」


 商人が、身を乗り出した。


「例えば、南部の赤葡萄酒は」


「成分の検査と検疫は必要ですが」


「売れますか?」


「売れる可能性はあります」


「北部の燻製魚」


「可能性はあります」


「香草酒」


「あります」


「青胡椒」


「むしろ、興味があります」


「山羊乳の硬いチーズ」


「検疫の条件次第です」


「王領西部の蜂蜜」


「調査しましょう」


 質問が止まらない。アレシナが、途中で止めた。


「あなた」


「何でしょう」


「初日の夜、何を売ればいいのか分からない、と言っていなかった?」


「あの日の私は」


 商人は言った。


「あの日の私です」


 日本側から、少し笑いが漏れた。


 ◇


「ただし」


 担当者がそう言うと、空気が変わった。


「輸入できるということと、すぐに大量に輸入するということは、別の話です」


 検疫の問題があった。未知の細菌、未知の菌類、寄生虫、毒素、アレルゲン。それらが地球の生命にどのような影響を与えるのか。


 逆もある。日本からヴァレシアへ、微生物や種子、昆虫、病原体が渡っていく可能性。これは、単純な売り買いの話ではないのだ。


「最初は」


 日本側が言った。


「品目も量も、かなり限定することになります」


「面倒ですね」


 商人が言った。


「はい」


「時間もかかる」


「はい」


「儲けも減る」


「たぶん」


 商人は、腕を組んだ。


「それでも、ですか?」


「やります」


 即答だった。


「なぜです?」


 日本側の担当者の表情が、少しだけ変わった。


「食べ物だけの話では、ないからです」


 ◇


 転移によって、日本は国外との交易をほぼすべて失った。食料、資源、原料──それだけではない。外国の商品、外国の文化、外国の人々。旅行、留学、仕事。ついこの前まで、当たり前に存在していた、世界とのつながり。


「外国から、何かがやって来る」


 担当者は言った。


「ということ自体が」


 一度、言葉を止める。


「今の日本にとっては、かなり大きな意味を持っているんです」


 商人は、それ以上、値段の話をしなかった。


 ◇


 次は、資源の話だった。ここでは、日本側がより真剣だった。


「鉱山の位置は」


「すぐには、お伝えできません」


 ヴァレシア側が答えた。


「分かる範囲で構いません」


「鉄は」


「関心があります」


「銅は」


「あります」


「鉛は」


「あります」


「銀は」


「用途によります」


「金は」


「あります」


「魔銀は」


 日本側が止まった。


「それは」


「はい」


「昨日いただいた試料と、同じ種類のものですか?」


「そうです」


 研究者が資料に目を落とした。


「非常に、興味があります」


 商人代表は、それを聞き逃さなかった。


「非常に?」


「はい」


「どの程度です?」


「価格を決められる程度には、まだ分かっていません」


 商人が、目を細めた。


「価値がない、と?」


「逆です」


「では」


「価値を測る基準が、ないんです」


 ◇


 室内が静かになった。


 日本側にとって、鉄や銅、木材や穀物には、値段をつける方法がある。需要と供給、精製の費用、輸送費、品質。


 だが、魔法の素材は、地球には存在しなかったのだ。


「例えば」


 研究者が言った。


「この鉱物が、魔法の装置にしか使えないのか。電子機器にも影響するのか。生体に作用するのか。触媒になるのか。長く使えるのか。それとも、消耗するのか」


「種類によります」


 ヴァレシア側が答えた。


 日本側の研究者は、ものすごい勢いで記録を取り始めた。


「種類?」


「あります」


「何種類です」


「正式な分類だけで、ですか?」


「はい」


 魔術師代表は、少し考えた。


「王国で流通しているものだけなら──」


 続く数字を聞いて、日本側の研究員たちは、何人も同時に資料へ手を伸ばした。


 アレシナは、ファルネが研究者たちに囲まれていた姿を思い出した。


「皆さん」


「はい?」


「少し、落ち着いてください」


「……失礼しました」


 ◇


 次は、日本からヴァレシアへ、の話だった。


 商人代表が、姿勢を正した。ここからが、本番だ。


「では」


 彼は言った。


「日本は、何を売ってくださるのです?」


 日本側に、少し間があった。


「それを、現在検討しています」


 商人代表は、固まった。


「まだ?」


「まだです」


「日本には」


「はい」


「商品が」


「あります」


「大量に」


「あります」


「それなのに?」


「何を輸出してよいかは」


 一度、言葉を区切る。


「また、別の問題なのです」


「なぜです?」


 日本側の担当者は、資料を開いた。そこには、三つの言葉が並んでいた。


『安全性』

『社会的影響』

『継続性』


 ◇


「まず」


「はい」


「軍事技術は、提供しません」


 王太子ルヴェリオがここにいれば、嫌な顔をしただろう。アレシナは、少しだけ兄の顔を思い浮かべた。


「武器そのもの、だけですか?」


 ヴァレシア側の外交官が尋ねた。


「違います」


「では」


「明確に軍事利用を目的とする技術や、軍事能力を大幅に高めるものも含みます」


「例えば」


「それを、どこまで含めるか」


 担当者は苦笑した。


「今、日本国内でも議論しているところなんです」


 通信、測量、航空、材料、工作機械、薬品。民間にも軍事にも使える技術は多い。その境界は、簡単には引けなかった。


「では」


 商人が聞いた。


「農具は?」


「候補です」


「薬は」


「候補です」


「照明は」


「候補です」


「水を汲み上げる機械は」


「候補です」


「印刷機は」


 日本側に、少し間があった。


「それも、検討の対象です」


 学者代表が、反応した。


「印刷が、問題になるのですか?」


「技術的な問題ではありません」


「では、何が?」


「社会への影響です」


 ◇


 印刷が普及すれば、本が安くなる。文書が増える。新聞、法令、宗教書、政治文書、教育。知識が、広がっていく。


 それは、良いことだ。ただし、社会を変える。


「変わることが」


 学者が言った。


「悪いのですか」


「いいえ」


「なら」


「変える権利が」


 日本側の担当者は言った。


「日本にあるのか、という問題なのです」


 室内が静まり返った。アレシナは、その言葉を胸に刻んだ。


「でも」


 彼女は言った。


「欲しいと言っているのは、私たちでしょう」


「はい」


「それでも?」


「欲しいと言われたものを、全部渡してしまうのも」


 担当者は、少し考えた。


「責任を放棄することになる場合があるのです」


「例えば?」


 日本側の担当者は、水の入った容器を指した。


「仮に、非常に高性能な浄水装置を、一万台お渡ししたとします」


「はい」


「水の問題は、改善します」


「良いことですね」


「ただし」


 交換部品、特殊な材料、電子制御、そして整備。


「十年後に、日本から部品が届かなくなったら?」


 商人代表が、黙り込んだ。


「あるいは」


「はい」


「その装置があるせいで、ヴァレシア国内で、水利の設備やポンプを作る技術が育たなくなってしまったら?」


 ◇


 アレシナは、研究所で見た、あの部屋を思い出した。技術史の資料、古い本、昔の機械。日本人が、自分たちの過去を調べていた。


「だから」


「はい」


「昔の技術を、調べているのですね?」


「そのためでもあります」


 今の日本で当たり前の機械が、ヴァレシアにとって最適だとは限らない。日本国内では、すでに何百年分もの技術史の資料が掘り返されていた。簡単なポンプ、水車、風車、保存の技術、衛生設備、農機具、製紙、窯業、測量、加工機械。


 ただし、それをそのまま昔の形に戻すわけでもなかった。


「古い技術を」


 学者が聞いた。


「そのまま渡すのですか?」


「いいえ」


「では」


「考え方としては」


 担当者は、少し考えた。


「ヴァレシアで手に入る材料と、ヴァレシアで維持できる設備と、今の日本が持っている知識とを」


 一度、言葉を区切る。


「組み合わせるんです」


「昔の日本とは、違うものになる?」


「そうなると思います」


 アレシナは、面白いと思った。古いとも、新しいとも言えない。そのどちらでもないものだ。


「魔法も?」


 魔術師代表が言った。日本側が、一瞬止まった。


「そこなんです」


「何が?」


「私たちも」


 担当者は言った。


「それを、考え始めているんです」


 ◇


 例えば、日本の昔の揚水ポンプに、ヴァレシアの流水系の魔法を組み合わせる。あるいは、製鉄炉の温度管理に火の魔法を、乾燥に風の魔法を、病院に治癒の魔法を。


 まだ、何も決まってはいない。だが、考えることはできる。


「それでは」


 魔術師代表が言った。


「日本の技術でもなく」


「はい」


「ヴァレシアの技術でもない」


「はい」


「いったい、何になるのです?」


 日本側の担当者は、少し笑った。


「そこは、これから名前を考えましょう」


 ◇


 午後は、もっと現実的な問題に移った。金である。


「日本円、ですか?」


 商人代表が言った。


「はい」


「我々の金貨は?」


「価値はあります」


「日本で使えますか?」


「そのままお店で、という意味でしたら、難しいですね」


 貨幣の交換と、その価値。日本円と、ヴァレシアの金貨、銀貨、銅貨。それを、どれくらいの比率で交換するのか。そして、誰がそれを決めるのか。


「金貨なら」


 商人が言った。


「金そのものに、価値があります」


「はい」


「なら、簡単でしょう」


「短期的には、そうです」


「長期的には?」


 日本側の経済担当者が、資料を示した。


「金属としての価値だけを基準にすると、パン一個の値段も、宿の一泊の値段も、人夫の一日分の賃金も」


「……」


「比べられなくなってしまうんです」


 経済の規模、生産性、賃金、物価。あまりにも違いすぎた。


「日本人一人の、一日の賃金で──」


 商人は、途中まで言いかけて、止まった。


「ヴァレシアでは」


「はい」


「かなりのものが、買えてしまう?」


「その可能性があります」


 商人の顔から、笑みが消えた。


 商売なら、好都合だ。だが、国家にとっては危険だった。


 日本人が大量の金を持ってヴァレシアへやって来る。食料を買い、土地を買い、家を買い、職人を雇う。物の値段が上がり、地元の人間には手が届かなくなる。


「それを」


 アレシナが言った。


「日本も、心配しているのですか?」


「かなり」


 だからこそ、最初から完全な自由貿易にはしない。品目、量、取引業者、決済、入国、土地の取得。すべてを段階的に進めていくのだ。


「不自由ですね」


 商人代表が言った。


「はい」


「商人としては、嫌いなやり方です」


「でしょうね」


「でも」


 一度、言葉を区切って、彼は言った。


「必要なことです」


 日本側の担当者は、少し驚いた顔をした。


「ここへ来る前の私なら」


 商人は続けた。


「全部開けろ、と言っていたでしょう」


「今日は?」


「日本を、見ましたから」


 住宅、港、農場、人型のロボット。日本人一人が、どれほどのものを生み出すのか。


「八千三百万人が」


 商人は言った。


「財布を持って、やって来るのでしょう?」


 日本側の経済担当者が、苦笑した。


「そうならないように、します」


「ぜひ、お願いします」


 ◇


 夕方になっても、会議は続いた。


 港、検疫、倉庫、保険、事故、契約、盗難、偽物、不良品、言語、度量衡──。


「待ってください」


 商人代表が言った。


「重さの単位まで違うのですか?」


「はい」


「長さも?」


「はい」


「容量も?」


「はい」


 商人は、机に額をつけた。


「交易というのは」


 アレシナが言った。


「こんなに面倒なものなの?」


 商人が、顔を上げた。


「殿下」


「何?」


「交易とは」


 深いため息をついてから、彼は言った。


「面倒を、金に変える仕事なのです」


 日本側の商務担当者が、思わず頷いた。


「名言ですね」


「ただでは、教えませんよ」


 初めて、商人同士らしい会話になった。


 ◇


 会議の最後に、アレシナが尋ねた。


「一つだけ、よろしいですか」


「はい」


「日本は」


 彼女は、言葉を選んだ。


「ヴァレシアを、豊かにしたいのですか」


 日本側の担当者は、すぐには答えなかった。


「それは、日本が決めていいことではないと思っています」


「では」


「ヴァレシアが豊かになりたいと望むのなら」


 一拍、置いて。


「その邪魔をしない交易にしたいのです」


 アレシナは、じっと相手を見つめた。


「ずいぶんと」


「何でしょう」


「慎重なのですね」


「一度入ってしまった技術や商品は」


 担当者は言った。


「なかったことには、できませんから」


 その言葉は、魔法の話にも似ていた。


 日本人は、知らないものを、すぐには決めつけない。だが、一度使えると分かれば、調べ、比べ、広げていく。だからこそ、広げる前に、立ち止まっているのだ。


「では」


 アレシナが言った。


「私たちも、考えます」


「何をです?」


「何を買うか」


 日本側は、少しだけ安心した顔をした。


「それから」


「はい」


「何を、買わないか」


 今度は、日本側の担当者が笑った。


「ぜひ」


 ◇


 夜、視察団の宿舎。商人代表の部屋の机の上には、紙が何枚も散らばっていた。


 赤葡萄酒、香草酒、蜂蜜、塩漬けの肉、燻製の魚、香辛料、薬草、木材、鉱石、魔法の素材。売れる。たぶん、かなり売れるだろう。


 その下には、日本から買いたいものが並んでいる。紙、薬、農具、機械、照明、時計、加工設備、通信、印刷。


 そして、そのほとんどの横に、「要協議」あるいは「輸出可否未定」と書き込まれていた。


「まったく」


 商人は、独り言を言った。


「金を払うと言っているのに」


 そのとき、昼間に日本側が言ったことを思い出した。売れることと、売っていいことは、違う。


 商人にとっては、かなり嫌いな考え方だった。だが、少しだけ理解できた。


 日本には、値段をつけられるものがたくさんある。そして、いくら金を積まれても売らないものもある。


 一方でヴァレシアにも、日本人がまだ値段をつけられないものがある。魔法、魔法の鉱物、そして何千年分もの知識。


 そこで商人は、初めて少しだけ笑った。


「なら」


 彼は、紙に一行を書き加えた。


『こちらにも、交渉の材料はある』


 ◇


 そして翌朝、ヴァレシア王国の視察団は、日本との関係について、初めて本気で考え始めた。


「何をもらえるか」ではなく、「何を交換できるか」を。


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