帰って来た古代艦
古代歴史館を出ると、正面玄関の前に一台の車が停まっていた。
俺たちが昨日から街で見ている車とは少し違う。黒に近い深い色の車体は飾り気がなく、皇帝の車と言われなければ高級車だとすら気づかないかもしれない。ただ、よく見ると継ぎ目らしいものがほとんどなく、表面が一枚の素材で作られているように見えた。
「これで宇宙港へ行こう」
館長が当たり前のように言った。
「皇帝の車って、もっと派手なのかと思ってた」
「金でも貼ってあった方がよかったか?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「なら乗れ」
運転席にはすでに一人の男が待っていた。俺が後部の扉へ向かおうとすると、その横をMIRAがすっと通り過ぎる。
そして、そのまま車体の中へ消えた。
館長の足が止まった。
「…………」
「どうした?」
「今、MIRAは何をした?」
「乗ったんだろ」
「それは分かる。なぜ扉を使わない?」
車内からMIRAの顔だけが、窓ではなく車体そのものからひょいと出てきた。
「こちらは空いています」
「分かったから、そこで顔だけ出すな。怖いんだよ」
「そうですか?」
顔が引っ込んだ。
館長はしばらくMIRAが消えた場所を見ていた。
「……君たちは、いつもこうなのか?」
「だいたいな」
「私は扉を使用します」
NOVAが言った。
「お前は今、肉体があるんだから当たり前だろ」
「MIRAも肉体を取り戻せば使用するでしょう」
「たぶんな」
ようやく全員が乗り込む。
車内は外から見るより広かった。豪華な装飾はないが、座席に身体を預けた瞬間、明らかに普通の車ではないことが分かる。
走り始めても振動がほとんどない。
「……これ、走ってるのか?」
「窓を見れば分かるでしょう」
NOVAに言われて外を見ると、建物がかなりの速度で後ろへ流れていた。
「静かね」
レイナが座席を確かめるように触る。
「これ、一台いくらくらいするのかしら」
「やめろ。俺まで気になってきた」
「現在のカイトには購入できません」
「誰も買うって言ってないだろ」
「事前情報です」
「何の事前だよ」
向かいに座る館長が笑った。
「気に入ったなら一台やろうか?」
「本当か?」
「カイト!」
カノンの声が飛んできた。
「皇帝陛下に何をねだっていますの!」
「俺から言ってないだろ!」
「顔が完全にもらう顔でしたわ!」
「顔で決めるな!」
館長は楽しそうに笑っている。どうもこの皇帝、俺たちを面白がり始めている気がする。
しばらくして、館長がNOVAへ顔を向けた。
「ところで、アークはどのような状態で発見されたのだ?」
「そこはカイトの方が詳しいでしょう」
「俺?」
「私が目覚める以前の話です」
「ああ、そうか」
俺は少し記憶を辿った。
「ジャンクヤードに転がってたんだよ。誰かがどこかから引っ張ってきたらしいけど、それ以上は分からない」
「発見場所すら不明なのか?」
「ああ。最初は古い船がまた一隻増えたくらいにしか思ってなかった」
「……古い船」
館長が妙な顔をする。
「だって、その時はアークが何なのか知らなかったからな」
「そして買ったの?」
レイナが聞く。
「拾ったようなもんだ」
「古代戦闘艦を?」
「だから知らなかったんだって」
館長が額へ手を当てた。
「私が何十年探しても一片の外殻すら満足に見つからなかった艦を、君はジャンクヤードで拾ったのか」
「そう言われると、なんか悪いことしたみたいだな」
「していない。ただ……非常に腹立たしい」
「なんでだよ!」
NOVAが僅かに笑った。
「研究者としては当然の反応でしょう」
「お前までそっちにつくな」
車はスメラの街を抜け、宇宙港へ続く広い道路へ入った。
遠くにいくつもの艦影が見えてくる。
その中に、見慣れた白い船体があった。
「あれだ」
俺が指差す。
館長が窓の外を見る。
それまで普通に話していた男が黙った。
車が宇宙港へ入る。
アークが近づいてくるにつれて、館長は一言も喋らなくなった。
車が停止した。
俺たちが降りる。
館長は最後に降りてきた。
そして、そこで足を止めた。
目の前にアークがいる。
全長十二メートルほどの白い船体。巨大艦ではない。それでも、周囲に停泊している現代の船とは明らかに違う。
何千年という時間を経ているはずなのに、その外殻には劣化らしいものが見えない。
館長がゆっくり歩き出した。
「……これが」
声が小さい。
俺たちは何も言わなかった。
館長はアークのすぐ前まで来ると、船体を見上げた。
「本当に……残っていたのか」
さっきまでの皇帝でも館長でもなかった。
何十年も古代文明を追い続けてきた、一人の研究者の顔だった。
「資料と一致する……いや、資料の方が足りていない。外殻の接合部すら見えない」
館長が手を伸ばしかけ、そこで止めた。
「触れても?」
「俺に聞くのか?」
「現在この艦を管理しているのは君たちだろう」
「好きに触ればいいよ」
館長の手が、そっとアークの外殻へ触れた。
しばらく動かなかった。
「……冷たいな」
「船だからな」
「そういう意味ではない」
「じゃあ何だよ」
「黙っていなさい、カイト」
カノンに怒られた。
「なんで俺が怒られるんだよ」
館長はそんな俺たちの会話も耳に入っていないようだった。
「古代記録には、皇族と共に宇宙へ旅立った護衛艦についての記述が残っている。しかし完全な資料はほとんどない。私は長い間、それらがどんな姿をしていたのかさえ、断片から推測するしかなかった」
手のひらを外殻につけたまま、館長が静かに言った。
「それが今、目の前にある」
NOVAがアークを見上げた。
「アークにとって、この程度の年月は外殻を劣化させる理由にはなりません」
館長がNOVAを見る。
「……この程度、か」
「少なくとも、この艦にとっては」
館長は再びアークへ目を戻した。
「我々が失った時間を、この艦だけはそのまま越えてきたということか」
その言葉には、さすがに俺も何も返せなかった。
その時だった。
宇宙港の奥から警告音が鳴った。
短い電子音。
続いて誰かの叫び声。
「危ない!」
見ると、大型の搬送機が荷物を積んだまま横へ傾いていた。
何かが壊れたらしい。
巨大なコンテナが固定具から外れ、作業員のいる方向へ滑り落ちる。
「まずい!」
俺が声を上げた時には、もうNOVAがいなかった。
「え?」
次の瞬間。
ずん、と低い音が響いた。
コンテナが止まっていた。
NOVAがその下にいる。
片腕を上げ、落ちてきたコンテナの角を支えていた。
「…………」
館長が固まった。
「おいNOVA、大丈夫か!」
「何がです?」
「何がって……」
NOVAは片手でコンテナを支えたまま、上を見る。
「固定機構の破損ですね。レイナ、搬送機を停止できますか?」
「できる! ちょっと待って!」
レイナが走る。
周囲の作業員たちも動き始めた。
だが、壊れた搬送機がさらに傾いた。
「NOVA!」
「問題ありません」
NOVAの身体がふわりと浮いた。
足が地面から離れる。
反重力軌道。
コンテナを支えたまま空中へ上がり、その軌道をゆっくり横へずらしていく。
そのまま誰もいない場所まで運び、静かに地面へ降ろした。
ドン、ではない。
ほとんど音もしなかった。
「停止したわ!」
レイナの声が響く。
「確認しました」
NOVAは何事もなかったようにこちらへ戻ってきた。
周囲が静まり返っている。
「怪我人はいませんね?」
作業員の一人が、呆然としながら頷いた。
「……あ、ああ」
「では問題ありません」
NOVAはそれだけ言って俺たちのところへ戻ってきた。
館長がNOVAを見ている。
今度はアークを見た時とは別の顔だった。
「……今のは」
「事故処理です」
「いや、そうではなく」
館長が言葉を探している。
MIRAが横から補足した。
「姉さんは出力をかなり抑えています」
館長の顔が止まった。
「……抑えていた?」
「はい」
「MIRA、余計な説明は不要です」
「事実です」
「知ってるけど、俺も今それ聞きたくなかったな」
NOVAが俺を見る。
「なぜです?」
「お前がどこまで力あるのか、俺もよく分からなくなってきた」
「必要になれば分かります」
「その必要が来ないことを祈るよ」
館長はしばらくNOVAを見ていたが、やがてアークへ視線を戻した。
「このNOVAが……この艦のメインAIだったのか」
「ええ」
NOVAが答える。
館長はもう一度、アークを見上げた。
「……私は、この艦について何も分かっていなかったようだな」
「だから見に来たんだろ?」
「そうだったな」
館長が笑った。
「中も見せてもらえるか?」
「もちろん」
「では入りましょう」
MIRAが答えた。
そのまま歩いていく。
入口とは違う方向へ。
「MIRA」
「はい?」
「そっちじゃないぞ」
「私はここから入れます」
そのままアークの外殻へ進み、すうっと身体が消えた。
館長がまた固まった。
「…………」
数秒後、アークの船体からMIRAの上半身だけが出てきた。
「皆さん、入らないのですか?」
「お前はそれをやめろ!」
「なぜです?」
「怖いんだよ!」
MIRAは少し考えた。
「慣れてください」
すっと引っ込んだ。
館長が俺を見る。
「……慣れるものなのか?」
「俺も努力してるところだ」
隣でNOVAが小さくため息をついた。
「MIRA。客人がいる時くらい入口を使いなさい」
船内から声だけが返ってくる。
「面倒です」
NOVAの眉が僅かに動いた。
「……誰に似たのでしょう」
「お前じゃないのか?」
「カイト」
「はい」
俺は黙ってアークの入口へ向かった。
後ろから館長の笑い声が聞こえた。
失われた古代文明の戦闘艦。
何千年もの時を越えて残った、スメラの歴史そのもの。
そんな大層なものに、俺たちは今日もいつも通り乗り込んでいく。
ただ一人。
初めてその中へ足を踏み入れる館長だけは、入口の前でもう一度立ち止まっていた。
そして小さく呟いた。
「……帰ってきたのだな」




